ザ・ブルーハーツのカヴァー曲
動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=2opX6EOOx-0
原曲はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=xnQYtogdxyg
仕事帰りに自転車で実家へと向かっていた。いつもの自宅からの道ではなく、会社から直接向かった。道を曲がるところを間違え、遠回りになるうちに、いくつか思い出の場所に巡り合ったりした。懐かしい道に、若い頃に見たような空も重なる。思い出の中で自転車を走らせている自分は一介のアルバイトで、昼過ぎに出かける自分は不審者に見えていないか、などと気にかけたりしていた。
金銭になるわけではないが、お題のある小説の執筆依頼を受けた。お題は「夕闇」ながら、延々と聴いていたのは「夕暮れ」だった。ブルーハーツがサブスク解禁していないので誰かがカヴァーしていないかと調べると、T字路sという人たちが出てきた。動画を見るまで、歌っているのが女性の方だと気付かなかった。
はっきりさせなくてもいい あやふやなまんまでいい
僕達はなんとなく幸せになるんだ
何年たってもいい 遠く離れてもいい
独りぼっちじゃないぜ ウィンクするぜ
実家を訪ねた理由はお金が関わっている。実家にいる頃から、私の生命保険代は親が払ってくれていた。実家を出る際にも、保険用の口座として使用していたゆうちょの通帳とカードを置いていった。今回生命保険を解約して、解約返還金を受け取り、生活費の足しにすることにした。家計はとっくに火を噴いているし、再就職したものの給料は安い。「自殺では生命保険金は下りない」と知った瞬間に、解約を決めていた。
お盆の直後だったので、親類の叔母が置いていった果物やらゼリーやらを渡された。母がゆうちょの通帳とカードをすぐにくれた。前の会社を辞めた経緯と、新しく就いた職場の話を少しする。父は京都に出かけてきた帰りで疲れているとかで、テーブルの席にはつかず、座椅子に座って阪神戦を見始めた。子どもたちを連れていかなかったせめてもの代わりにと、スマホに入っているココと健三郎の最近の動画を見せたが、京都のお土産のどれを持って帰るかとか、どれを今食べるか、などの話題に飛ばされてしまった。
事前に打ち合わせでもされていたかのように、なぜ生命保険解約するのか、という話題はされなかった。事前に連絡した時に説明はしていたが、しつこく聞かれたりするのかと思ったので拍子抜けした。この際にいくらかでもお金を融通してもらえるのなら、という考えもあったのだが、とてもそんな話を切り出せる雰囲気でもなかった。「頼まれてもうちは出せないからね」と母の顔が語っているように見えた。父はお金の話を口にする人ではなかった。
父の作った借金で、中学まで住んだマンションを売り払い、紆余曲折を経て今の実家に移り住んだ。実家購入時の頭金は、遺産の前借りとして母方の祖母から受け取った。親類への相談なしに行われた母のその行いのせいで、半ば絶縁状態となった親類もいる。両親が五十歳ごろに組んだ三十五年ローンは、子の世代に受け継がれていく予定だった。
「ボーナス払いの月はすごい数字になるねんから。あんたら頼むで」
兄は早々に実家を出ていき、私は就職する気をなくした。
なんやかんやあって私が就職やら結婚やらをする数年前、「このままここに住んでいてもローンを払い切れるわけがない。安いところに引っ越そう。狭くてもいいから」と私は主張した。公営関係の情報を集めて、実地見学したりもした。両親の返事ははかばかしくなく、八十五歳まで働くつもりであるようだった。
元は家族四人で住んでいた実家だ。両親二人では広すぎてスペースを持て余しているのがありありと見える。弾かれることのないアップライトピアノが、罪悪感の象徴のように存在感を放っている。父の視線は阪神戦に向いている。私がいらないと言うのに、どこかでもらった革袋やら帽子やらを母が押し付けてくる。今年で七十四歳になるのか、どこでどういう、という詳細は知らないが、父はまだ働いている。老後の生活には二千万の貯金が必要だというが、二人は今でもローンの支払いに精一杯のはずで、今月を乗り切るのに必死なのだろう。生命保険の解約についての一番重要なところは、子や孫の現況ではなく、出費が少し減った、というところなのだ。
僕たちはなんとなくでは幸せにはなれないんだ。
「夕暮れ」の歌詞とは違う、思い浮かんだそんなフレーズが頭から離れなくなる。その場その場をしのいで生きていくようなやり方で、幸せを掴めはしないのだ。最低限生きるためのお金を手にしていなければ。
実家からの帰り道、確かこの道で見る夕焼けが綺麗だったよなあ、と思いつつも、その日には記憶の中にあるような美しい夕焼けは見られなかった。妻から「今小児科」というLINEが入ったので、帰り道で合流することにした。今住んでいるアパートの外装塗装が始まってから、子どもたちにアレルギー性の鼻水と咳が出始め、なかなか治らない。咳が酷い時に念のためコロナの検査もしたが陰性であった。薬局で家族が揃うと、まだ解約返還金も入っていないのに何故か気が大きくなり、帰りにマクドナルドに寄ろう思い立つ。スーパー内にある店舗だから、妻と子どもたちが買い物をしている最中に、私はマクドナルドのレジに並び、注文した。支払いの段階で、財布の中身だけでは十円足らないことに気が付いた。店員さんに待ってもらい、買い物中の妻の元へ小走りで駆け寄る。
「ごめん、十円足りなかった」千円くれた。
「ロッキー」は「機関車トーマス」に出てくる大型クレーン車である。脱線した車両を持ち上げて運んだりも出来る。スーパーの出口にあったガチャガチャで、カプセルプラレールシリーズの新しいのが出ていた。見本写真にあるロッキーを指差し、健三郎は「これ、これが欲しい!」と言い出した。二十種類もある中で、ピンポイントでロッキーを当てられる気はしなかったが、やけくそになっていた金銭感覚がガチャガチャに金を入れさせた。ハンドルは妻が回し、結果狙い通りにロッキーが出現した。
「すげえ、二十分の一が一発で!」私は子どもらよりも興奮していた。そんな姿を他人が見れば、幸せな一家に見えたかもしれない。
いや、差し迫る様々な現実を一時忘れて、実際に幸福だった。
幻なんかじゃない 人生は夢じゃない
僕たちははっきりと 生きてるんだ
実家での光景の方が幻に見えてくる。夕暮れ時は過ぎて、夕闇の中を確かに生きている家族と一緒に家に帰る。外廊下の半分はペンキ塗り立てで通れない。通りかかった猫の足跡がくっきりと残されている。
うまく眠れない真夜中、私は依頼されていたお題「夕闇」の小説を書き始めた。私の家族のことでも暗いお金の話でもない、明るいおとぎ話のような話を。
(了)