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「STILL LOVE HER」(失われた風景)」TM NETWORK

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=9nIuwEQ6c5g

ライブ版
https://www.youtube.com/watch?v=QYMP3JTE-Qg


 今にも口から溢れ出しそうな言葉を飲み込んでいた。固めた拳に血が滲みそうだった。新しい仕事に就いて二ヶ月半、慣れから来る慢心や油断による失敗が起きがちな時期に、基本的な確認を飛ばし、ミスをやらかしてしまった。報告書が必要と言われ、上司である係長が必要な書類を探している所に立ち会っていた。係長の机の引き出しから次々と取り出されるクリアファイルの中に、お目当ての紙が見つからず、結局先に渡されていたもののコピーで済ますことになった。私がぐっとこらえていた言葉は、彼の取り出すクリアファイルについてだった。「ササビー」「総帥シャア」「よく見えなかったけど多分艦隊」。
「ガンダムばっかりやないかい!」

 もちろんそんな事は言い出さなかった。怒らせると分かっているようなことを上司に言い出すような悪癖は、前の職場に置いてきた。彼の言葉の端々から垣間見える、プレイしているゲームの名前は「ガンダムバトルオペレーション2」であることは察しがついたが、今の私にはガンダムシリーズに対する昔のような情熱はないし、子どもとの付き合いでするマインクラフト以外のゲームにも手を出す気はなかった。何より彼は、話し出すと長い。

 その代わりに、「逆襲のシャア」の主題歌であった、TM NETWORK「BEYOND THE TIME」を聴きたくなり、子どもたちが寝付いた後、SpotifyでTM NETWORKを開いてみた。お目当ての曲は今聴くと昔ほど好みではなかったが、収録アルバム「CAROL」にはずらっと懐かしい曲が並んでいた。兄が持っていたCDを聴いていた小学生時代のことまで思い出した。映画「僕らの七日間戦争」の主題歌である「SEVEN DAYS WAR」について、当時の級友と語った記憶と照らし合わせてみると、小学四年生の頃だったはず。音楽への目覚めは中学一年生だと思っていたが、それ以前に兄の影響下にあった時期が存在していた。「CAROL」の最後を飾るナンバーが「STILL LOVE HER」で、当時見ていたアニメ「シティハンター」のEDにも使用されていた。今回「BEYOND THE TIME」目当てで聴き始めたTM NETWORKだったが、いつの間にか延々と「STILL LOVE HER」をリピート再生していた。


歌をきかせたかった
愛を届けたかった
想いが伝えられなかった
僕が住むこの街を
君は何も知らない
僕がここにいる理由さえも

もしあの時が古いレンガの街並みに
染まることができていたら
君を離さなかった

冬の日ざしを受ける
公園を横切って
毎日の生活が始まる
時が止まったままの僕のこころを
二階建てのバスが追い越してゆく


 前職での最終出勤日からちょうど一年が経った。私の中では永遠に止まり続けているあの会社では、今も同じように働き続けている人や、辞めた人や、すっかり変わってしまった人などがいるのだろう。歌とは違う季節である、残暑の木漏れ日の下の公園を横切りながら、私は思い出の中とは違う別の会社へと通勤している。大雨で川の上流から流れ着いてきたらしい亀を横目で見続けているうちに、反対側の道にヒガンバナが咲き乱れているのに気付くのが遅れた。その横ではヒガンバナの振りでもしているような、背の高い白いキノコが立ってもいた。頭上を遊び好きのカラスが通り過ぎていく。顔なじみのお婆さんの横にはやはり老犬ジョニーはもう歩いてはいない。

 前職の時は休日にしか相手に出来なかった子どもたちも、毎日仕事帰りから夜寝るまでずっと相手にしている。休日ともなれば一日中。自分はこのような子ども時代を過ごしたことがあったのか、とも思う。娘と息子のやり取りを見ながら、このような兄弟関係を構築したことがあったか、とも。

 私が小学四年生で兄が中学一年生の時、兄にはコンポが与えられた。三年後、そのコンポはお下がりとして私の元にやってきて、始めはX JAPANが、後にメタリカが長時間流されていくことになる。私と兄の趣味は多くの場合対極にあったが、時折共通項も見出された。
 漫画なら、
「キャプテン翼」「SLAM DUNK」「グラップラー刃牙」といった王道が兄。
「ジョジョの奇妙な冒険」「ギャラリーフェイク」「高橋葉介や坂田靖子の短編集」が私。
 しかし浦沢直樹作品は「MASTER キートン」が兄、「パイナップルARMY」が私と分け合った。
 音楽なら、先に述べたTM NETWORKは「CAROL」一枚で、後に兄がコンサートに行くことにもなる渡辺美里やDREAMS COME TRUEは私には全く刺さらなかった。ブルーハーツや真島昌利は私に多くの影響を与えた。どういうわけかHAREM SCAREMや、DIZZY MIZZ LIZZYのアルバムがカセットテープに録音されていたのは、誰か友達の影響だったのだろうか。メタル勢、ブリティッシュ・ハードロック、ガレージ・ロック、といった流れの音楽遍歴をたどる私と、兄が次に交わるのは、Coccoまで待つことになる。

 中学時代にバレー部で大阪府選抜メンバーに入ったのが兄。中学二年生の時にギターを買ってもらった二日後に阪神大震災に遭ったのが私。体育会系の兄と基本文化系の私、という棲み分けがなされていた。

 そんな風に今の職場での「逆襲のシャア」クリアファイルとの遭遇からTM NETWORK、以前の職場、兄の思い出、と遡っていくうちに、やはり親兄弟との思い出の乏しさに気が付く。兄は早くから外的交流が多く、三歳年下の私とはあまり遊ばなかった。二浪して大学に入った兄と、大学に入ることに興味すら持たなかった私。不思議と子どもを持った年齢は似通っている。

「今年の法事は○月○日」
「無理」
 といったやり取りしかない今の兄の現状は、実名を検索するとあっさり判明する。これまでの職務経歴を全て活かしたような形で会社を立ち上げて、インタビュー記事のようなものまであった。開設されたばかりの企業HPを覗くと、それが今後展望の明るい事業なのか、苦しい中のやりくりなのかは読み取れない。

 息子の健三郎は最近娘の持つ人形を使ってよく遊んでいる。シルバニアファミリーの家にバービー人形が居座っている。そこに健三郎お気に入りのロボットやらミニカーやらが突撃していく。下の子は上の子のおもちゃやら漫画やらを共有出来るから、やはり得だよな、と見ていて思う。対極的な趣味の持ち主が身近にいることで、自分に合うものと合わないものとの見分けを早くに付けられるようになる、という利点もある。自分にとって都合のいい所だけを吸収していればいい。

 自分がよく覚えていないだけで、兄や両親との黄金時代だってかつてはあったはずだ。私に時間が出来たから、子どもたちとよく遊べているから、といって、将来子どもたちが現状を思い出した時、それを黄金時代と呼んでくれるかは分からない。


12月の星座が一番素敵だと
僕をドライブへと誘った
車のサンルーフから
星をよく眺めたね
君はよく歌っていたね

もしあの歌を君がまだ覚えていたら
遠い空を見つめ
ハーモニー奏でておくれ


 車がないから誰もドライブに誘わない。サンルーフから星を眺めることもない。歌詞と共通するのは、よく歌っていることくらい。健三郎は相変わらずSystem Of A Down「I-E-A-I-A-I-O」を世界で一番口ずさんでいる四歳児だろうし、私が聴く最近のお気に入りをココはすぐに真似して口ずさむ。「STILL LOVE HER」もそうだ。カラオケに行きたくなるが、宇都宮隆のような甘い歌声は、私の口からは出て来ない。

 歌を聞かせたかった、とは思う。誰に、というわけでもないようで、誰にでも、ということでもある気もする。愛を届けたかった、とはあまり思わない。よく分からないから、自分のものにしていないから、既にこの世から失われてしまったものだから?
 思い出した。前の職場の後輩上司に対して、一度本気で怒ったことがある。
「泥さん、おはようございます。マクギリス死にましたね」
「録画しただけでまだ見てへんねんぞ!」
 当時放送されていたガンダム「鉄血のオルフェンズ」のネタバレであった。

 思えば別方面からのTM NETWORKへの近付きもあった。佐川恭一氏が阿波しらさぎ文学賞受賞後に書いた「受賞第一作」という作品で、選考委員の作家と対談する場面がある。語り手が鼻歌で歌っていたTM NETWORKの曲を、作家が「今のTM NETWORKのゲットワイルドだろ」「違います。TM NETWORKですけど違う曲です」「いやいや俺でも分かるよ。なんで否定するんだよ」みたいな流れで乱闘が始まるシーンがある。映画「ゼイリブ」における「サングラスかけろ」「嫌だ」からの長いプロレスシーンのようで心に残っていた。

 度々子どもたちの遊びに呼ばれながら、自分の幼年時代はこんな風に父親を、他者を求めたか、と考える。四歳の頃にはもうとっくに一人で遊び続ける子どもではなかったか。四年生の頃には、兄と過ごすようなこともなかった。思春期を過ぎて青年期に陥ってもこじらせていた「彼女が欲しい」という想いも、性欲が主であり、「誰かと一緒に時を過ごしたい」という思いなんてなかった。多くのラブソングの歌詞の意味が分からないのも、そのような自身の性格のせいでもある。それでも子どもたちとは、求められる間はいくらでも一緒に過ごしていきたいと思う。大きくなった時にふと子ども時代を振り返ってみた時に、その頃を幸福な黄金時代だったかと感じるかはともかく、「一緒に時を過ごした思い出」があってくれるように。

 世間では祝日だけど、今日は出勤なんだよな、と思いつつ、まだ寝ている子どもたちを置いてもうすぐ仕事に出かける。公園を抜けて毎日の生活が始まる。誰に向けてか分からないが、今聞かせたい曲はやはり「STILL LOVE HER」である。

(了)
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