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「OVER THE MOUNTAIN」OZZY OSBOURNE

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=RrECR8daZPg

ドラマー、よよかとそのフレンズのカヴァー動画
https://www.youtube.com/watch?v=Wf3q0LP_CJw


 眠れない夜に枕元に現れたオジー・オズボーンに人生相談をした。
 ほとんど聞いちゃいねえ。

 きっかけは山田風太郎晩年のエッセイ集「あと千回の晩飯」を読んでいた時に思い浮かんだことだった。齢七十を超えた風太郎老人は自身の人生の残りを「あと千回晩飯を食べるくらいだろう」と考えて書き始めた所、それまで大病を患ったことがなかったのに、糖尿病、パーキンソン病といった病気に襲われていく。書き進めることも出来ずに連載は中断する。氏は実際は七十九歳まで生きてはいるが、この随筆を書いている最中に亡くなったのだったか、と錯覚を起こすほど、死・老・病が身近に迫ってくる有様がよく書かれている。

 私の身近でパーキンソン病といえばオジー・オズボーンである。2020年1月にパーキンソン病を患っていることを公表したが、これは山田風太郎が「あと千回の晩飯」を書き始めたのと同じ年齢での発症である。私はこの「音楽小説集」の中でたびたびオジーを登場させている。第一回目は、リーガルリリー「リッケンバッカー」の回で、殺人事件の重要参考人として召喚されたリッケンバッカーの弁護人として登場。二回目はブラック・サバス「「Children Of The Grave」の回で、近所の公園に現れて子どもたちに絡まれたり、井上陽水を歌おうとしたり、最後は地獄から現れたサバスの面子とアカペラを始めたりしている。


「リッケンバッカー」リーガルリリー
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21721&story=24

「Children Of The Grave」BLACK SABBATH
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21721&story=56


 共にお気に入りの回であるが、「これ書いたやつは何を考えて生きているんだ」とも思う。先日、自作「夕グレ」を音声配信で朗読していただく機会があったのだが、他人の声で耳に入ってくる物語を聴いている最中もやはり、「どこでどういう風に生きていればこんな話を作れるんだ」と考えてしまった。

すまいるスパイス第73回~朗読「夕闇」めーさん/泥辺五郎さん
https://anchor.fm/u3053u30fcu305f4/episodes/73-e1o3ned/a-a8hhhja

元記事 ピリカ文庫「夕グレ」
https://note.com/dorobe56/n/nc2c2f8c58944


 山田風太郎からオジー・オズボーンへと、パーキンソン病を介して自然な流れで結びついた頭に鳴り響いたのは、サバスの曲でもなく、「CRAZY TRAIN」や「PERRY MASON」や「I DON'T WANNA STOP」でもなく、「OVER THE MOUNTAIN」であった。ソロ二枚目のアルバム「DIARY OF A MADMAN」の一曲目にあたり、轟くドラムから始まるのが印象的な曲である。もちろん、ランディ・ローズのギター・ソロは今聴いても色褪せることなく美しい。

「それで考えたんだけど、オジー」
 子どもたちが横で寝ているから、小声どころか頭の中だけでオジーに語りかけているのに、オジーは構わず声をあげる。
「何でも言ってみなさい」
「あなたの初期のソロ・アルバムは、オジーのアルバムというより、ランディ・ローズのプロモーション・アルバムのように思えるんだ」
「やめろ、ランディのことを言うと私が泣く」
 部屋の片隅で縮こまってオジーが泣き始めてしまったので、私は一人で物思いに耽った。
 ランディ・ローズのクラシカルでありながら人を泣かせるような、魂の内側から揺さぶられるようなギター演奏は、その一音一音が全て、墓標であるかのようだ。ランディが飛行機事故で若い命を散らすことを、何十年経ってもランディのギターが人に響き続けることを知っているような、曲の作り方がされている。自らのソロ・キャリアのスタートを、若い無名の一ギタリストの名を、音を、世界に響かせることを優先させてアルバムを作ったように感じられる。
「そのあたりどうなんだろう、オジー。ランディの寿命を知っていたのかい?」
「私は、Adoちゃんには明るい曲は似合わないと思うんだ」
「同意するけど話が違う!」

「OVER THE MOUNTAIN」が浮かんだのは、私自身は自分の人生の山をいつの間にかもう登りつめていて、後は降りるだけなのかも、と思い始めたせいでもあった。私は引退した部活の先輩で、生き残ってしまった第一部の主人公だけれど第二部ではむしろ邪魔な存在で、自分自身では気がついていないだけで、周囲の人間は全て「過去の人」扱いしているんじゃないか、と。

 私は昔から創作を「坂道」でイメージしている。
 それは上り坂ではなく、下り坂である。話が始まるまでの構想や下準備や、書くきっかけ、といったものはまだ平らな道で、一行目を書き出した瞬間に、下り坂が始まる。坂道を転がり出したら、自然と終わりへと向かっていく。良かれ悪かれ、始めたのだから終わりが見える。そのせいか、物語の教科書にあるような、終盤の盛り上がりやら劇的な展開といったものより、坂道の途中にあるエピソードを拾い続けていく、というようになりがちであるのかもしれない。

 私にとってのオジーは思春期に触れた異端の象徴であり、ランディ・ローズのギターはイングヴェイ・マルムスティーンとの別れのきっかけであり、人の部屋に真夜中に上がり込んでくる現在のオジーは、日常風景である。

 自分自身についてこんな話を職場の三人とした。
「音楽が好きなんやって?」「昔バンドもやってましたし」
「自分の好きなことってやれてる?」「読むと、書く、ですね」
「子どもとおもちゃで遊んだり、マイクラやったりしてると思うんですよね。昔兄や父とこんな風に遊んだかなって」
 長く話す時間があるわけではないので、どれも断片的に終わる。その為にある人にとって私は「人は見かけによらない元バンドマン」であり、「小説を書いている人」であり、「子どもにマイクラで自作建築物を爆破される人」である。
 でもよく考えたら、自分がバンドマンだった時期なんて、十四歳から二十歳くらいの間でしかない。更に絞れば、最も活動的だった高校二、三年の二年間と言って過言ではないのだ。四十一年の人生の数年間の活動を、今に結びつけるのもおかしい気がする。健三郎が覚え始めたマイクラでも、TNT爆弾にレバーをつけてタップすれば爆発するなんて技は知らなかった。残るのは「読む、書く」しかないともいえる。

 オジーはヨルシカとYOASOBIとずっと真夜中でいいのに、について語り続けているのでスルーする。
「ロバート・プラントも、オジーも。いまだに活動を続けていてすごいと思う。昔はギタリストの音ばかり聴いていた。最近はドラム。自分は間違ってもステージで歌うことなんてないから、ボーカルの大変さを想像したことなんてなかった。でも声を潰せない、声色も変えられない、歌詞を飛ばせない、どの楽器よりも繊細な『声』というものをコントロールし続けなければならない、歌い手の苦労に、最近ようやく気付いた気がする。ドラッグに潰されそうになっても、アメリカのテレビで家族との日々を放映されても、ランディを失った悲しみに襲われ続けていても、歌い続けてきたオジーを、尊敬している。オジーはオジーとして期待される役割を全てこなしてきてなお、前に進み続けている」
「分かっていないな、ドロシー」
 名前は常に間違われる。
「私が井上陽水の『最後のニュース』を歌おうとした時、世界はもうコロナにより終わってしまった、と感じていたんだ。心の底から本当に。あらゆる業界が死に絶え、二度と復活出来ない仕事や人が増え続ける、と。あれからもう何年か経ってしまったが、世界はまだ続いているし、今でも二度と復帰出来ないような人は増え続けているのに、そのことを直視しないでいることに、世間は慣れてしまっているじゃないか。前に進んでいるんじゃない。転がり落ち続けているんだ」
「急にまともそうなことを言わないでください」
「もうそろそろ寝ていいかな。明日は人間椅子のツアーを観に行くんだ。楽しみで眠れそうにないが」
 言い終えると同時にオジーは寝息を立てる。老いた巨体が次第にうっすらと消えていく。目が覚めてしまった娘のココが「パパ、今幽霊いなかった?」と聞いてくる。
「悪い幽霊じゃないから大丈夫」オジーは生きてるし。
 うん、と言ってココはまた眠りに帰っていく。
 ランディ・ローズのギターの音色が色褪せないのは、あなたがずっと現役でいてくれるからですよ、とオジーに言っておけば良かったかな、と少し悔やむ。
「だからランディの話をすると私は泣いてしまうんだって」
 天井からぶら下がったオジーがコウモリをかじりながら言う。あれはコウモリかじり事件から三十七年後にオフィシャルで発売されたぬいぐるみだということは分かっている。
「寝るぞ」またそう言ってオジーは天井に消えていった。上の階から悲鳴が聞こえる。私は下り坂を転がるように眠りに落ちていく。この長い長い下り坂を。君を自転車の後ろに乗せて ブレーキいっぱい握りしめて。ゆっくり、ゆっくり、下ってく。夢の中でオジーが歌う、ゆずの「夏色」をバックに聴きながら、はいはいこのこと全部書きますよ、と私はぶつぶつ呟いている。

(了)
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