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「黒い週末」ももいろクローバーZ

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動画はこちら
https://youtu.be/bu1HBq-AHNM



 初めてアイドルの楽曲を取り上げるのに、ほとんど人間椅子とブラック・サバスの話しかしない予定。
「黒い週末」は、大槻ケンヂ率いるバンド「特撮」のメンバー、NARASAKIが桃色クローバーZに提供した楽曲であり、ギターソロ部分を人間椅子のギター&ボーカル和嶋慎治が弾いている。
 NARASAKI氏の仕事としては、アニメ「さよなら絶望先生」の主題歌「人として軸がブレている」の作曲などが有名。

「黒い週末」とはすなわち「ブラック・サバス」を意味し、咳き込みから始まるイントロはサバスの「Seeet Leaf」のパロディである。その他も随所にサバス節が盛り込まれている。「日本でブラック・サバス風のギターといえば人間椅子の和嶋慎治だろう」というような、大槻ケンヂからの紹介があり、和嶋慎治に仕事が回ってきたのだという。

 その頃のワジーは何をしていたかというと、壁の薄い自室から抜け出して、公園の木の下でギターの練習をしていた。
 和嶋慎治の自伝「屈折くん」を読んだ。幼少期から、2013年のオズフェスト(オジー・オズボーン主催のメタルフェス)参加に至るまでが書かれている。いじめをきっかけとしての音楽への目覚め、ベースの鈴木研一との中学時代からの交流(浪人時代に彼が和嶋に自作の「ブラック・サバス ベスト・セレクション Vol.1」を送らなければ、その後の人間椅子は存在しなかった)、当時大人気の音楽番組「イカ天」出演による大反響と、トントン拍子のデビュー、売れなくなってからのアルバイト生活、など、様々なエピソードがてんこ盛りの一冊となっている。

 肉体労働系の現場で働いていた折、和嶋氏は自身の音楽活動を伏していたが(やがて周知の事実とはなるものの)、彼に気付いたギタリスト風の人間が現れる。翌日にはボーカリスト風の。

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彼はきっとボーカルだろう。彼らは僕と話したそうにしている。駄目だ、話しかけることができない。ここで会話してしまっては、僕のこれまで築いてきた、真面目に仕事をする地味で大人しい和嶋さん、の立場が揺らいでしまう。ボーカルの個性は強烈だった。長い体を折り曲げるようにしてひょこひょこと職場内を歩く様は異様で、どうしても彼を目で追ってしまう。周りからはっきりと浮いていて、彼の居場所はここではなくもっと別のところにあると、そう思わずにはおれなかった。彼らは短期の雇用だったらしく、やがて見かけなくなった。そのすぐ後、知人から彼らは毛皮のマリーズだったと聞き、僕は話しておけばよかったと激しく後悔した。

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 和嶋慎治meets志磨遼平。ゴジラ対エヴァンゲリオンとして映画化出来そうである。ここを読んだのは、風呂上がりの娘のココにドライヤーをかけている最中であった。横で息子の健三郎が「シャバダバディア!」と人間椅子「無情のスキャット」を歌っていた。その後私が人間椅子「芋虫」のライブ映像を見ていると、「この人(人間椅子のベース&ボーカルの鈴木研一)すごい必死で歌ってるけど、この後死んだりしてない?」と心配してきた。

 他にもパソコン搬入の仕事をしている最中に、筋肉少女帯のライブにこれから向かうファンに気付かれたりする場面もある。自室に流れてくる異様な臭気(ネズミの死骸五十匹分くらいの)の元が、階下の部屋で孤独死した老婆のものだったり、といったエピソードも強烈だ。

 そんな生活の中でも和嶋氏は人間椅子の活動を続けた。彼にしか出来ないことを、自分のやるべきだと信じる道を進み続けた。2019年に発表した「無情のスキャット」のYou Tube動画は、海外を中心に1244万回再生されている(2022年11月現在)。

 私と人間椅子との出会いは、Sportyを使い始めた2019年で、ちょうど「無情のスキャット」のタイミングと一致する。様々なアーティストを掘っている最中に、「そういえば人間椅子ってバンド、中学時代から名前は知ってるけど、実際聴いてこなかったな」と。触れた瞬間に感じた「一番好きだった頃のブラック・サバスが和風テイストになって響いてくる、これ大好きなやつや!」と狂喜したのを覚えている。そして「まだ活動していたんだ!」と、驚きと同時に嬉しくなったことも。

 どの時代のどの国のどのジャンルの楽曲にも一瞬でアクセス出来る今の時代には、もうあまり意味のないことだが、一昔前には「三大ギタリスト」「ハードロック御三家」みたいな並べ方がよくあった。その中でも「ディープ・パープル」「レッド・ツェッペリン」「ブラック・サバス」は日本では「ブリティッシュ・ハードロック御三家」と呼ばれたりする。私は早い時期にパープルと出会い、次いでツェッペリンに嵌まり、しかし最終的にその後長く聴き続けるのはサバスとなった。オジーのキャラクター、トニー・アイオミのSG、ギーザー・バトラーの名前、ビル・ワードの地獄から響かせるようなドラム。ロニー・ジェイムス・ディオが歌っている時代のサバスは苦手だ。レインボーでいいじゃないか、となる。

 中学時代の鈴木研一の筆箱には、オジーの写真が貼られていたという。そのオジーと同じ舞台に立つまで、長い年月が流れることになるが、今でも現役であり続けるオジーも、どん底に陥ろうと音楽活動を止めなかった人間椅子にも、共に敬意を表したい。

 眠れない夜、人間椅子のライブ動画をYou Tubeで見ていた。海外ツアーの際に、「鉄格子黙示録というこの曲は、和嶋君が十七歳の時に作ったんですよ」みたいな話を、鈴木研一が英語で喋っていた。「なまはげ」の「怠け者はいねが 泣いてるわらしはいねが」の部分を外国人のオーディエンスがコーラスしていた。「屈折くん」に書かれている自伝は、今や海外でも有名になった彼らの活躍となって続いている。

「黒い週末」レコーディング前に、和嶋慎治が大きな公園の木の下でギターの練習をしていたのは、安アパートに住む隣人からの抗議により、部屋の中で練習が出来なくなったからだった。ベテランミュージシャンであっても、壁の薄い部屋にしか住めない彼が、アイドルの楽曲のギター演奏を依頼される。伝説の木の下は聖地となって、今では年間数百人のギタリストたちが訪れ、それぞれの魂を込めたフレーズを奏でていくとか。いないとか。

 ブラック・サバスが浪人中の鈴木研一を救い、鈴木研一の送ったカセットテープが和嶋慎治を救い、就職活動中の二人が都内のレコード店で偶然再会し、人間椅子結成の契機となる。彼らの続けてきた音楽活動は別の様々なアーティストに影響を与えた。江戸川乱歩や夢野久作の小説から影響を受けて書かれた楽曲から、逆輸入して小説化されて「人間椅子小説集」というアンソロジー集まで発売された。芥川賞作家も直木賞候補作家も大槻ケンヂも和嶋慎治も参加している。

 私が延々と「芋虫」を聴いていた一時期、ひたすら感謝していた。「この曲を作ってくれた人間椅子ありがとう」「バンドのメンバーの皆さん生まれてきてくれてありがとう」「人間椅子という小説を書いた江戸川乱歩ありがとう」「各メンバーの親御さんありがとう」「乱歩のお母さんありがとう」……最終的には「ビッグバンありがとう」となっていた。

 自分の信じる道を歩き続けながら、ほとんど認められなかった表現者は、億単位でいる。苦しんでも悩んでもどん底に陥っても誰にも振り返られることもなく、消えていく人がいる。僅かながらも認めてくれる人がいるのにもかかわらず、気付かずに道を自ら崩してしまう人もいる。

「黒い週末」の序盤の歌詞は暗い。


約束の地 チケットはどこ
眠れない人形、自由を奪われ
冷たい空腹、悪夢にうなされ
とどかないものに指をつきつけ
崇拝されたいもっともっと!
憧れ焦がれてるんです

 だが最後には光が見えてくる。「屈折くん」のラストのように。

ねじ曲がり もがいた時間も
方舟のように
未来のほうへ
ムダじゃなかった

忘れない 過ごした場面を 出逢った人を
方舟のように
抱きしめていた
光る週末


 オジーも、サバスも、和嶋慎治も、人間椅子も、ももクロも、みんなみんな、浮き沈みを繰り返しながら、先へ先へと進み続けた。中学時代、名前だけ知っている存在だった人間椅子が、その二十数年後に自らの子どもたちが口ずさむことになるなんて想像もしなかった。
 あっという間に一週間は終わり、週末となる。黒くもなく光っているわけでもない、ありきたりの何も特別なことなど起こらない週末が。シンセサイザーアプリの使い方を子どもに教えてみたり、遊びの合間に電子書籍で西村賢太の未読本を読んだりする週末が。そういったことをこうして書いている週末が。

(了)
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