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「SUN」星野源

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=7gcCRAl58u4



 五年前、君は生まれた。
 ガラスの向こうに並ぶ保育器の中の君はとても弱々しく見えた。
 一緒に来院した君の五歳年上の姉、ココが、幼稚園で借りてきた絵本を君に見せようとしていた。読めない文字を読み聞かせようとしていた。当然ココの声は届かなかった。君の声もこちらには聞こえなかった。


君の声を聞かせて
雲をよけ世界照らすような
君の声を聞かせて
遠い所も 雨の中も
すべては思い通り


 授乳の時間になっても君は少し飲んだだけで寝落ちしてしまうとか。黄疸が出たとか。病室に私が訪ねて触れる君の姿は、一人目の子であるココの時の記憶と照らし合わせてみても、弱々しさばかりが目立った。一ヶ月も保たないのじゃないかと気が気じゃなかった。病院で勧められた高い粉ミルクを買い続けた。

 君とココの間には二人の命があった。
 ママのお腹の中で、八週間と、九週間をそれぞれ生きた後、鼓動が聞こえなくなった。
 一人目の時は、そういった可能性のあれこれを調べて、そう珍しいことではない、と苦しみながらも諦めることも出来た。
 二人目の消えた命の報せは職場で受けた。
 正月の人手がいないタイミングであったが、私は流れる涙を止めることが出来ず、早退した。


祈り届くなら
安らかな場所にいてよ
僕たちはいつか終わるから
踊る いま
いま


 先週の診断では動いていたお腹の中の子どもが、次週には動かなくなっている。
 そんなことが二度続いたものだから、生きて生まれてきてくれた君も、どうなるものかと心配し続けた。

 五年後の君には弱々しさはどこにも見当たらず、パパをいたぶることで喜んでいる。ママやココと同じように。

 早い段階で、産婦人科の医師は君のことを「多分男の子でしょう」と言った。
 しかしその後、君はなかなかこちらに向くことがなく、性別が確定したのは、出産の一、二週間前だったかと思う。男の子を想定して「○○郎」がいいな、とママと決めていた。「源一郎」「三四郎」「潤一郎」などが候補から外れ、「俊太郎」「健三郎」の一騎打ちとなり、濁点の多さが決め手となった。

 君はココと同じく、ベビーベッドでは寝付かない赤ん坊だった。寝かしつけには苦労した。母親の胎内では常に鼓動が鳴り響いていたのだから、あまり静か過ぎても眠れない、という説を聞き、控え目のボリュームで音楽を流した。君は奥田民生の「エンジン」やユニコーン「車も電話もないけれど」などでよく眠った。どの曲が合うかは、時期によって変遷していったけれど、一番長い期間、君に効果があったのはRADIOHEAD「Creep」だったことははっきりと覚えている。

 君はこれまでに二度入院している。二歳の時と三歳の時と。大事はなく、同じ時期の四歳の頃には咳に苦しめられたが、入院することはなかった。強くなっているのだろう。三歳の時には回診に来る医師の前であまりに元気にはしゃぎすぎるので、「ハウス!」と犬扱いまでされたと聞いた。

 君には今、幼稚園で仲の良い女の子がいる。
 一緒に楽しく帰っていたという話をママから聞いた。
 今の君にはまだ分からないことだろうけれど、その記憶は君を一生抱き締めて生きていけるだろう。小学校で離れ離れになるのだけれど、記憶は離れずに君の中に残る。幸せな記憶は君を慰める薬にもなる。

 君の寝床で私は「おじいさんとおばあさん」の劇を右手と左手で行う。
「おばあさんは川へ洗濯に。おじいさんは家でレゴとプラレールをしながらタブレットでマインクラフトとロブロックスでも遊んでいました」などと。
 忙しそうに遊び続けるおじいさんの上空に、帰ってきていたおばあさんが迫る。
「コッチヲ見ロ」と繰り返す、異形の者と化したおばあさんを、おじいさんは「今遊んでるから!」と言って振り向きもしない。やがて大口を開けたおばあさんにおじいさんは食べられてしまう。

 そんなことを繰り返していたせいか、君はレゴの人形やプラレールのトーマスたちを使って、物語を作るのが好きだ。各キャラクターのセリフを直接君が語るのではなく「○○、ってパパ言って!」と私を使って劇を進める。熱が入ってくると君はくたくたになり、汗ばんでしまう。

 君は歌う。好きな歌の好きなフレーズを好きな言葉で。
 それは人間椅子「無情のスキャット」だったり、ディープ・パープル「スペース・トラッキン」のリフだったり、金沢明子「イエロー・サブマリン音頭」だったり、レディー・ガガ「バッド・ロマンス」の一節だったりする。それらは五年前には聞こえなかった声だ。そのような歌が家の中で響くとは、五年前には思いもしなかった歌だ。


君の歌を聴かせて
澄み渡り世界救うような
君の歌を聴かせて
深い闇でも 月の上も
すべては思い通り


 君は五歳になり、少し後にココは十歳になる。それぞれ節目の歳だな、と考えた時、星野源の「SUN」がまず私の中で響いた。英語で「息子」は「son」で、読み方は同じだから、そこからの連想だろう。その歌詞の中には、君も、生まれてこなかった二人の子たちも含まれている気がした。
 意識的にここ数日、夜に布団を敷く際に「SUN」をリピート再生していたら、ココが踊り始めた。好きな曲を好きなように踊るのが好きな子だ。運動会のソーラン節では、好きではない箇所を踊るのが苦痛だと言っていた。姉のようにはうまく踊れない君は、でたらめな動きで乱入して、最終的には私の尻を叩いた。

 五歳といえば、もう私は冷徹な目で周囲を見始めていた気がする。君の目に映る私は、父親らしいことが出来ているだろうか。いつか君がここにある文章を読んだ時に、「あのクソオヤジはこんなことを書いていたのか。いいところだけを抜き出して」などと思うかもしれない。

 誕生日前夜、「明日は誕生日だね」と家族を巻き込みながらなかなか眠らない君を見つめて「四歳の夜は今日で最後なんだ」としみじみ思った。成長と共に、二度と見られなくなる幼い君。六歳になり十歳になり二十歳になっても、繰り返される不可逆性の日々の更新。寂しさもありつつ、また一日分成長した君を見つめていたい。

 夜が明けて五歳になった君は、ハッピーバースデーと歌いながら近づく私たちを制し、「ズボン濡れた」とおねしょを告白した。

Baby 壊れそうな夜が明けて
空は晴れたよう
Ready 頬には小川流れ
鳥は歌い

何か 楽しいことが起きるような
幻想が弾ける


 君は最近幼稚園でサッカーにはまっているんだ、と言い出した。マインクラフトのレゴの人形詰め合わせセットに加えて、急遽近所のドン・キホーテでゴム製のぽよんぽよんしたボールと、小ぶりの革製のサッカーボールを買ってみた。君の足はボールを蹴るためにある。パパを蹴らないでくれ。

(了)
 
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