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「十代の衝動」THE STREET BEATS

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=HwMZqZQawoQ



 十年前、君は生まれた。

 十歳の誕生日の朝は日曜日で、私とともに早く起きた君に、君が赤ん坊の頃の写真を見せた。三歳くらいのところで君は飽きてしまったが、私は幼い君の姿を眺め続けた。

 十代になった君を見て、私は自分の十代の頃を思い出していた。
 その頃に触れた音楽や小説が、今でも私の中に生きている。
 その頃に私を突き動かした衝動が、時を隔てた今でも、私の奥底で燃え盛り続けている。

 私は少年時代、自転車であてもなくどこまでも走っていくのが好きだった。遠くに見える生駒山脈への距離感で、戻る地点を決めていた。腕時計なんて持っていなかった。河川敷を走っていたら野良犬が並走してきて、襲われてしまうのだと恐れた。長じてからも、古本屋探索で見知らぬ土地を歩き回った。
 野良犬はいなくなり、多くの古本屋が閉店した。今の時代の女の子にそのようなことはさせられないかもしれない。


どこまでも遠くまで
行けるような気がしてた
今も俺をつき動かす十代の衝動

ただ大声で叫びたかった
自分の言葉で
新しい自分になりたかった
きれい事だけで生きれるなんて
思っちゃいない
ただ蒼い痛みがまだ消えずに
うずいているんだ


 君は姉で母で先生だ、とママが言っていた。
 健三郎がまだ赤ん坊の頃のことだ。ママはゴミを捨てに行き、ほんの束の間、君と健三郎は家で二人きりになった。ママの姿を求めて泣く健三郎に君は、セロファンテープをちぎって丸めて人形を作ったのだという。健三郎は泣くことをやめて笑い出したそうだ。君はその時のことをこう表現した。
「昔はね、健ちゃんのこと嫌いだったけど、あの時に、笑うのを見て、可愛いな、って大好きになったんだ」
 生まれたての健三郎にかまってばかりになってしまった私達からの、愛情不足によるものか、君は健三郎を憎んだ。きつい言い方をしたり、健三郎が遊びたがるおもちゃを貸すのを嫌がったりした。その頃の私は仕事が遅くなり、毎日夜中に帰ってくるような生活だった。そんな中、君は泣いている健三郎を自分のアイデアであやし、笑わせ、愛する対象にまでしてしまった。今でも公園やデイ・サービスセンターで小さい子ども達を可愛がる様子を耳にする。「幼稚園の先生になりたい」という夢を話すこともある。

 私の中学時代に、Sという友人がいた。中学一年生の時に、当時私の住んでいたマンションの一階下に引っ越してきた彼は、それまでの友人たちとは少し違った雰囲気を持っていた。彼に借りて読んだ漫画に「クローズ」という不良漫画があった。各話の合間に作者が自分の好きなものについて語るページがあり、そこでは「横道坊主」「ザ・ストリート・ビーツ」というバンドへの愛が繰り返し語られていた。近所のレンタルCD屋ではそれらのCDは置いていなかったが、ある時あてのない自転車放浪の果てにたどり着いた中古CD屋で、横道坊主のCDを手に入れた。その後少ない小遣いでストリートビーツのアルバムを買ったりもした。

 Sからは「特攻の拓」という漫画も借りた。暴走族に入り込んでしまった平凡な少年の物語だ。そこに出てくる「天羽・セロニアス・時貞」というギタリストに私は惹かれた。Sと私は、ジョギングに行ってくるといって夜遊びに出かけた。ボーリング場兼ゲームセンター兼本屋、という店に行き、音楽雑誌を手に取った。音楽に目覚め始めた頃だったので、どれか購読しようと、Sと選んでいた。そこで「これ、X JAPANの曲の楽譜載ってるぞ」と言って選んだのが「BANDやろうぜ」という雑誌だった。「Rusty Nail」だったと思うが、結局その曲を弾くことはなかった。ギターの広告が多数掲載されているその雑誌と、夢に出てきた「天羽・セロニアス・時貞」に影響を受けて、中学二年生の時に親にギターを買ってもらった。

 Sも私からいくらか遅れてギターを買ったが、彼はバンドマンになることはなかった。別々の高校に分かれた後は、警察に捕まったとか何とかという消息を少し聞いただけだ。

 その後は中学高校とバンドをしたり、高校二年生の時の引っ越しをきっかけに読書に目覚めたり、といったことは、君に話したこともあったかと思う。十代に私の原点は詰まっていた。君が今後どのような人と出会い、何に目覚めるかは分からない。今の君はYou Tubeを流しながら、ペイントアプリで素材をトレスしながら絵を描いたり、様々な種類のシールをノートに貼り、シールアートのような物を作っていたり、私が家事の際に流す音楽に合わせて踊ったりしている。君が生涯好きになれるものへのきっかけを、少しでも与えられていたらいいなと思っている。


いらいら灼けつくような気分で
夜を漂流した
わかりあえるやつだっているさ
目の前の壁を
ひとつひとつ超えるしかない
ガキの頃描いた夢にはまだ
続きがあるんだ


 私は十代の始まりからもう三十年以上経ってしまった。それでも十代の頃とあまり変わらない気持ちで好きな曲を聴いて、新たに求めて、好きな本を読んで、また別の本を探して、といったことを続けている。

 バースデーケーキと一緒に、ロウソクも買った。数字の「1」「0」の形のやつだ。しかしいざ食べようとすると、ケーキ屋の袋の中にロウソクは見当たらなかった。店員が入れ忘れたのだろう。仕方なく、チャッカマンをロウソクに見立ててケーキの上でカチカチとやってみた。しかし不運は重なり、ガス切れで一瞬しか火が上がらない。君はそのことで泣いたりへそを曲げたりすることなく、ロウソクの振りすら出来ないチャッカマンに向けて息を吹きかけ、笑顔でケーキを食べてくれた。そんな気遣いの出来る君は、年齢以上に大人に見えた。

 ひょっとしたら去年の誕生日に求められた「だっこ」を今年は言わなかったのも、忘れていたのではなく、私の腰を痛めないようにという気遣いだったのかもしれない。

 君の十代が、多くの発見と、生涯好きになれるものとの出会いとで溢れるように、心から願う。誕生日、おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう。

(了)
180, 179

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