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「Snow(Hey Oh)」Red Hot Chili Peppers

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動画はこちらhttps://youtu.be/yuFI5KSPAt4


 永禄五年(1562年)、上杉謙信(1530年生-1578年没。この頃は謙信と名乗ってはいないが、ネームバリュー優先でここでは謙信と記す)は悩んでいた。北条氏康及び武田の軍勢に包囲された、松山城城代太田資正より救援要請が届いていた。季節は冬、雪の峠を越える行軍となる。兵を出すか否か。戦を始めるか始めないか。これまでも援軍を要請されれば出陣した。乞われるがままに兵を出した。今回も結局は行くのだろう。出さぬわけにもいかぬのだろう。立場もある。自身の性格でもある。しかし一度戦が始まれば人が死ぬ。敵方を殺すだけでなく味方も死ぬ。それまで生きてきた生の連なりがぷつんと切れる。仲間や家族と笑い合う日々も、夜中泣き叫び、親が苦労した幼い頃の面影も、全て思い出の中にしか現れなくなる。

 謙信は自ら殺した者達だけでなく、自軍が殺した者達、犠牲になった味方、それらに付随する周辺の者達の悲しみにまで気を巡らせる。
(それでも結局は出兵するのだ、俺は)
 しかし悩ませて欲しかった。最終的な決断は変わらないにしろ、背中を押してくれるきっかけ、新たな死を作り出してもいい理由を求めていた。
 そんな時謙信はよくRed Hot Chili Peppersを聴いた。聴きながらレッドブルを飲んだ。二つのレッドを謙信は頼りにしていた。

 最新の史料により、当時のレッドブル社と上杉謙信の関係が明らかになっている。戦国時代最強の名高い謙信の強さの秘密は、レッドブル社からの無償提供によるレッドブルの常飲及び兵士への支給によるものが大きかったのである。兵士達には戦時に一日一本支給されたが、謙信個人は毎日ロング缶を五本飲んでいたというから、レッドブル社の提供力及びそれを受け止めきれる謙信の肉体も尋常なものではない。

 ここで少し筆者の体験談を踏まえる。「始発から終電まで」働いていた一時期、レッドブルを一日三本飲んでいた。ロング缶ではない。結果、健康診断時に肝臓の数値で引っ掛かり、食生活改善を余儀なくされた。今ではよほど大変な時に財布と相談しながら一缶買う程度である。上杉謙信は武力だけでなく、ロング缶五本常飲に耐えられるだけの強靭な肝臓を持っていたのであろう。

 当時のレッドブル社は何故上杉家に限りレッドブルの無償提供をしていたか。それはやはり後の世の為の投資である。戦国時代最強の武将が飲んでいたとなれば、他の大名達も群がってくる。長い目で見れば、無償提供した数万倍の利益を、謙信はレッドブル社に与えてくれるのだ。この時代における有名なレッドブル活用法として、秀吉の「中国大返し」がある。歴史上稀に見る迅速な軍勢大移動の跡には、周辺住民を嘆かせた程のレッドブルの空き缶が転がっていたという。明智光秀討伐後、秀吉は空き缶の後始末に気を回し、全てかき集め、「レッドブル塚」を作った。これは今でも残っている。

 雪の峠を越えれば行軍は過酷なものとなる。戦場に辿り着く前に命を落とす兵も出るだろう。削られるのは兵力と時間だけではない。謙信自身の命も確実に磨り減ってゆく。Red Hot Chili Peppersを謙信は聴き続ける。昔から好きな曲ばかりではない。シャッフル再生していると、あまり聴き込んでなかった時代の曲にもお気に入りが見つかる。それらを「レッチリお気に入り」というプレイリストを作ってどんどん入れていく。そこで謙信は「Snow(Hey Oh)」という曲に出会った。
「Snow、雪か」謙信は好みの洋楽を見つけると、歌詞の和訳をネットで調べてみることにしている。より深くその曲を知るために。レッチリによくあるドラッグ・ソングにも思えるが、その点は謙信には重要ではなかった。雪の峠を越えるか悩んでいる時に、Snowという曲に出会った。それだけでも十分に思えた。歌詞の内容も謙信の背を押しているようだった。歌詞を貼り付ける訳にもいかぬので、読者の方も気が向けば調べて頂きたい。

 命令が下され、兵達にレッドブルが支給される。戦の合図だ。辛い行軍となる。今回は大型スピーカーを荷馬車に乗せては行けない。その代わりに謙信自身が声を張り上げて歌う。「Snow」だけでなく、Red Hot Chili Peppersメドレーで冬の雪山を乗り越えていく。滑落して亡くなった兵士の流した血を、雪と歌声が白く塗り潰していく。
「やはり死ぬのだ」謙信は独り呟く。
「やはり殺すのだ」と続ける。
 足跡はすぐに雪に埋もれていく。後に戻る道はもう見えなくなっていた。

(了)
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