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「パラノイドパレード」きのこ帝国

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動画はこちら
https://youtu.be/3H-g0IcKSGY
(英語訳付きバージョン)
https://youtu.be/yhhN3kMd97k
(ライブバージョン)


 実家に住んでいた頃の浴室はとても狭く、湯船には正座で入らなければならなかった。背中を洗おうとすると壁に手をぶつけた。一人暮らしの際には無理して広い浴室のある部屋を選んだ。理想の物件に辿り着くまでに三十の部屋を内見した。結果、お風呂が広い事以外は完全に欠陥住宅である今の家に落ち着いた。

 広い風呂場の寒さを知った。浴室暖房など付いてはいなかったので、ただひたすらお湯を撒いた。なかなか水からお湯にならない仕様であった。水道代がかかった。広い湯船には大量のお湯を必要とした。嵩む光熱費、高い家賃、日々の生活費、たちまち破産が近付いた。

 私はお湯を諦めた。ガス代の未払いでガスを止められたのを機に、水で体を洗うようになった。水風呂に入り、凍えた。冬になると死にそうになった。やがて慣れて、低体温で生きられるようになり、寒いと思う感覚も麻痺してしまった。その他の感覚も幾つか失われた。しかし凍える頭から離れられない記憶もあった。失われた記憶も幻覚で補う事を覚えた。意外と土は食えた。

 真夜中の交差点に行列が出来ている。皆迷子である。生ぬるい風が吹けば夏が始まるというのに私は凍えている。固まるのを防ぐために体を動かす。自然とリズムを取る。やがてダンスと呼ばれている物に私はなる。私が踊り、私が「踊り」。黄色いサンダルが脱げかける。私のお気に入りの青い花柄のワンピースが揺れる。私が揺れる。飲み過ぎた連中が私を貶しながらも見とれている。右のサンダルが脱げる。左のサンダルが脱げる。左のサンダルから履く。履いてすぐに脱げかける。右のサンダルを履く。脱げかける。そのまま踊る。青い花柄のワンピースが脱げかけるが、脱がないでいる。真夜中の交差点に出来ている行列が私に見とれている。私の部屋には水風呂が張ったままである。

 いつもの街であなたに会える気がするという馬鹿げた妄想を抱いて私は踊り続ける。あなたではない誰かが付いてくる。迷子の行列の先頭に居た男が付いてくる。だから行列が丸ごと私に付いてくる。私の部屋の水風呂まで付いてくる。水に浸かって正気に返り、帰り道を思い出して、濡れた服のまま私の部屋から出ていく。誰も居なくなる。壁には先住者の空けた穴が三つ空いており、それぞれ鼠、鼠色の化け物、鼠の形をした元・人間が住んでいる。
 まあそれは今は一切関係ない。

 私は水風呂から出てまた真夜中の街に踊り出る。唇が氷り出す。暖かい唇で溶かしてくれるあなたは、多分もう何処にもいない。
 だから私は踊り続ける。
 夏がいつの間にか始まっている。

(了)
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