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「淋しさに火をくべ」10-FEET(これまでの振り返り回)

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動画はこちら
https://youtu.be/jaGam3SRFZs


 いつの間にか区切りの50曲目。今回は「ライブイベントが廃止された世界で、過去のライブ映像に入り込めるソフトが開発された」とかそんな感じの話を考えたけど、何だか嫌に現実的過ぎるかもしれないと思い、振り返り回に使用。


「東京」GEZAN 2020

 子供達が寝付いた夜中、音楽を聴きながら洗い物をしたり、YouTubeを見ながら洗濯物を畳んだりする時がある。「踊ってばかりの国」というバンドの動画を見ていたら、同レーベルのGEZANのこの曲が自動的に再生された。目が釘付けになり、寝不足になるのも構わずリピート再生し続け、衝動的に書き上げた。1月末にこの曲含むニューアルバムがサブスク解禁となり、「Free Refugees」「東京」という流れが素晴らしく、会社に着く直前にこの2曲、という流れをしばらく続けた。


「Bob Dylan」Fall Out Boy 2019

 そろそろ時代小説を書きたくなり、この曲の「聖なる山から降りてこいよ」の部分で、小早川秀秋がなかなか山から降りてこずに銃を撃たれて脅される一場面を思い浮かべ、こうなった。Wikipediaで調べたら「六歳にしてアルコール中毒」といった記述を読んで、即書きたくなった。
 Fall Out Boyは以前別の曲で書こうとして書ききれないでいる内に、新曲で書けてしまったという例。COLDPLAYの時もそんな感じだった。


「パラノイドパレード」きのこ帝国 2013

 この曲はけっこう前から聴いており、いつか書く機会を伺っていた。休憩中にスマホを若者に覗き込まれ、「なんで今きのこ帝国なんですか」と聞かれた。彼らにとってのきのこ帝国は過去であっても、私にとっては今なのだ。その若者とはその後も度々覗き込んできた。
「何でメタリカなんすか」
「平沢進って誰ですか」
「○○ってラッパー聴いて下さいよ」
 そんな彼も就職が決まりもうすぐ旅立つ。似たような境遇の若者従業員が五人いる。従業員の平均年齢がぐんと上がる。残された私達は四月から死ぬような忙しさになる予定。



「リビングデッド」amazarashi 2018

 元々書く予定だった「ミウ」を事情により先送り。ふとこの曲と下の子のピストルごっこが重なって書いた。動画はえげつない。


「ミウ」BUCK-TICK 1999

 BUCK-TICKのトリビュートアルバム第三段で、椎名林檎が「唄」をカバーしており、それを聴いて以来しばらくのBUCK-TICKブーム。中学生~高校の連れで、バンド仲間でもあった友人がBUCK-TICKマニアだった。「ミウ」はその時期に発表されたものではない。昔の仲間達がそれぞれ別の道を歩み出した後、ふと聴いた当時の新曲を、私は家で繰り返して聴いていた。これを書いた前後、職場の最後の見回りの際に、誰もいない工場で私の歌う「ミウ」がよく響いていた。
 元々、漫画「僕のヒーローアカデミア」に出てくる、「ホークス」という羽根の生えたヒーローを語り手とした二次創作を書こうとしていた。しかし正にその時に、登場人物の名前がどうので作品が炎上し、取り止めた。でも結果的に中途半端な二次創作になっていたかもしれないので、こっちで良かったかも。


「Hungry Spider」槇原敬之 1999

 これを書いた時期に、何故だかやたらと槇原敬之の名前がメディアを騒がせていた。彼に詳しい訳ではないが、この曲は発表当時から大好きだったので、久しぶりに聴いてみたがやはりいい曲。ちなみにこの曲の発表直後に、一度目の騒動があった模様。


「ネイティブダンサー」サカナクション 2009

 今二歳四ヶ月の息子が、十七歳くらいの頃に書いた物。子供らには時折代筆してもらっている。現在の息子の写真も作中に挿入されている。
くるりの「ばらの花」とミックスされた、「ばらの花✖ネイティブダンサー」が最近発表され、それでこの曲を初めて知った。今もギターを持ってくる度に息子にミニカーを乗せられる。


「Enter Sandman(Live in Moscow 1991)」METALLICA 1991

 ライブ映像の持つ力のあまりの凄さに反響の大きかった話。かなり前にも、大衆の一人を語り手にして書こうとしていたが、嘘っぽくなるので止めていた。娘の通う小学校の授業参観でたまたま取り上げられたので使わせてもらった。
 これを書いて以来メタリカがマイブームとなり、よく聴くようになり、子供らに聴かせたり、ギターリフを練習したりするようになった。でも最近では娘のココに「パパ、男の子の聴く曲ばかりかけて嫌だ。私は女の子の可愛い歌がいいのに」と言われてしまう始末。

 思えば中高生時代、一番多く聴いた洋楽バンドは多分メタリカだった。中学生の頃に考えた「僕の思う最強のバンド」にメタリカのメンバーが二人入っていた。

ギター:リッチー・ブラックモア
ドラム:ラーズ・ウルリッヒ
リズムギター&ボーカル:ジェイムス・ヘッドフィールド
ベース:うろ覚えだけど多分ギーザー・バトラー(名前の響き優先)

 TAB譜を見れるアプリがあったので、メタリカの曲を練習してみる。「Enter Sandman」や「Hero Of The Day」を。娘に嫌われないかと心配しながら。


「Hurt」Johnny Cash 2002

 作中に書いたように、動画を見始めた瞬間から姿勢を正した一曲。まさにジョニー・キャッシュの人生集大成といえる曲とMV。曲の感想と娘が突然恐れ出した「死」というものについてクロスオーバーさせて書いた。ちょっと家族物が続いたかな。


 10-FEET主催で毎年開催される「京都大作戦」今年あるかは分からないけれど、ここからはつらつらと私が昔見たライブの思い出話など。

 中学時代の音楽ルート
 友達から借りた流行りもの-XJAPANマニアから借りたXJAPAN-ブルーハーツ-イングヴェイ・マルムスティーン(早弾きギタリスト)-メタルいろいろ-邦楽ロックいろいろ-ビートルズとか

 というわけで中学生三年生の時に行った初ライブは大阪フェスティバルホールでのイングヴェイ来日ライブ。大体の中学生が同じ道を辿ってるとは思う。今早弾きギタリストを聴こう! という気にはあまりなれないけど、当時はブルーハーツの歌本(コードが乗ってて弾き語りが出来るようになるやつ)の次にイングヴェイのギタースコアだけ載ってる本を買った。ラウドなギターがうるさかった。ステージ上でイングヴェイが奥さんといちゃついてた。

 高校に入ってからはまずDIZZY MIZZ LIZZY(デンマークの国民的ハードロックバンド)の来日公演だったと思う。音楽小説集にちょいちょい出てくる和之(高校一年生の時にPanteraのコピーバンドをして、高校三年生で鼻ピアスを空けたハードコア同級生)が同じライブ会場に居たとは後で知った話。オールスタンディングのライブが初めてだったので、床に置いていた鞄がぐちゃぐちゃになった。最近再結成した彼らは年取っても格好いい。

 Thee Michelle Gun Elephantを知ってコピーバンドを始めてからはミッシェルばかり。大きいホールのも小さなライブハウスも行った。怪しげな銭湯がチケット代行をやっていて、少し割高だけれどけっこう簡単に手に入っていた。
 ミッシェル三昧を卒業したのは、高校卒業後バンド仲間がそれぞれ違う道を歩み、聴く音楽の幅も一気に広がった時期だったと思う。私は高校卒業と同時にパソコンを手に入れていた。
 夏フェスや学祭の記憶は入り乱れている。ゆらゆら帝国、ストレイテナーにベースがいなかった時代、theピーズ、ガガガSP、友人が居たインディーズバンド、そういえば高校時代、近所の大学の学祭にふと行った際に、メタリカのコピーバンドが出演して「One」を演奏していた。四、五歳くらいの男の子が、リズムに合わせて拳を高く突き上げながらのしのしと歩いていたのが印象的だった。

 たまたま近所で無料イベントがあれば子供と足を運んだりはするけれど、ライブハウスという、健康と不健康と喧騒と憧憬が混在するあの空間にはもう十何年も入り込んではいない。せめて映像を楽しみ、出来るだけ他の人にも知らせていく。今はそれで構わない。
 

僕が夢見た世界は
あの頃と変わらないまま
僕が時に流されて
つまらなくなっただけ
生きる意味なんか最初から無く
日替わりの心をただ乗りこなす
思い出が美しさを増すのは
僕の心が汚れていくからさ
ああ僕は忘れた事にしてみた


 ベストライブを上げるとするならば。
 FM802主催のイベント、ラジオ視聴中に受け付けていた先行予約で手に入れたチケットで行った、ある夏の日に見たステージ。彼ら目当てで行った。最前列中央のエリアでもみくちゃにされながら見た彼らは、三人が一つの塊で、エネルギーで、衝動だった。
「ロミオ」や「赤いタンバリン」発表後間もないあたりの、BLANKEY JET CITY。


 現実に立ち戻る。私にちょっかいをかけてくるラップ好きの従業員(あなたの毎日のような遅刻、ミスによる尻拭い、何でも屋として助けてくれた日々、忘れません。陶芸の道を頑張って歩んで下さい。前回のような就職-給料未払い-借金-元のバイト先に返り咲き、といった事にならないよう祈ってます)含め、若手五人が職場から抜ける。同僚の部署異動もある。四月以降、私が生き残る事は出来るのか。

 様々なライブ映像からエネルギーを貰いながら。コロナ関連のいろいろの終息を願いながら。昼寝する子供らの寝息を聞きながら。次に書く曲は決めてあるものの、手強い一曲なので戦々恐々としながら。ここまで50曲。とりあえず次に目指すは、51曲目。


(了)
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