動画はこちら
https://youtu.be/8sgycukafqQ
歌詞・和訳はこちら
http://oyogetaiyakukun.blogspot.com/2012/07/what-ive-done-linkin-park.html?m=1
世界中で同時多発的に小さな救い主は現れる。それぞれ危機的状況に陥っている所へ。戦地、被災地、疫病蔓延の地、もうどうしようもなくやり直せない所まで辿り着いてしまった恋人達の所などへ。
しかし救い主達はまだ育ち切っておらず、想い、願いだけが先走り、それぞれの解決には至らず、小さいままの命を落とす。何度でも甦り、何度でもクライシスに対峙しては、クライストとしての役割を果たし仰せぬままに、燃やされあるいはかき消されあるいは踏み潰される。
小さな手では何も止められず。
小さな足で踏み出す一歩はほとんど前に進めず。
中には救おうとした者に打ち倒されたりもする。
だから救い主は歌を歌う。
全て私が悪いのだ、という歌を。
Linkin Park「What I've Done」を。
歌い手であるチェスター・ベニントンは自ら命を絶った。
それすらも私が悪いのだと。
世界中の戦争も災厄も喧嘩も全て私のせいだと歌う。
爆音と荒い呼吸の音と怒号とにかき消された歌声はなかなか人には届かない。
それでも踏み潰されやすい小さな救い主は歌う。チェスターの後を受けて。カート・コバーンやクリス・コーネルの分も含めて。あらゆる歌い手、あらゆる先人の歌声を引き受けて。
具体的には例えばこうだ。
戦場で足を吹き飛ばされてもがき苦しむ一兵士はまだ十四歳の少年だ。兵士としての働きが出来なくなった彼は友軍から見捨てられ、少年兵から少年へと戻る。これまで殺した何十人かの敵兵も同じように苦しんだのだろうか、と彼は思わない。ただ身を焼く痛みに苦しみ、自分をこのようにした敵軍やこの世界を恨み、間もなく迎える死の瞬間まで隙間なく暴言を脳内で繰り返す。
そこに幼く小さな救い主が現れ歌を歌う。少年はその歌を知らない。歌詞の内容も理解はしない。ただ頭の片隅で歌というものを思い出す。消えない罵詈雑言に僅かにメロディが重なる。少年が幼い日に慣れ親しんだ歌や、つい先刻戦意を高揚させる為に仲間と歌った歌などが。
少年が最後に発した声が歌か恨み言かは分からない。少年と小さな救い主と周辺の地面ごと、新たな爆弾でその辺りは吹き飛ばされた。
あるいは例えばこんな風だ。
もう若くはない恋人達が、今度こそは最後となるつもりの口論を始める。
男も女も、この争いの果てには一線を超えた命のやり取りになることすら辞さない覚悟でいる。長い付き合いの中で未だに許せない事やら、これまでしてきた事と同数の、これまでしてこなかった事が争いの種となる。
二人の間に現れた身長一センチに満たない救い主は、脱ぎ捨てられたスリッパの陰に隠れながら「What I've Done」を歌う。恋人達はその歌声を、ロック好きの隣人が酔って夜中に歌い出したものだと思い違いをする。その曲は、かつて二人が映画館で観た映画で使われていた。二人は同時に気が付き、お互いへの怒りの最中に、少し微笑んでしまう。
歌い終わると同時に、救い主は寿命で息絶える。死骸は先住民の虫達により消えてなくなる。
あまり人を救えなかった救い主達は、ぞろぞろとまた最臨する。その度にほんの僅かだが、地上で響く歌声が増す。
(了)