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「荒野」アナログフィッシュ

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動画はこちら
https://youtu.be/Rlp_mdWXNZ8

ライブ版
https://youtu.be/ir3V4KeZx_8


 
 菓子作りを始めたと後輩が言う。これまでよく出てきた、同じ部署で働く元(現)ヤンキーの後輩ではなく、私が元居た部署の、後輩ながら立場的には私を追い抜いてしまった男の事だ。街コンに出まくって失敗し続けるとか、私の写真とハリウッド映画のポスターとのコラ画像作りに精を出すとかよりはずっとましな趣味だと思う。実用的でもあるし、それがきっかけで彼女が出来たりすればいいね(どうでもいいね)。
 処女作の手作りクッキーを職場で配っていた。てっきり新八の姉さん(「銀魂」登場人物)が作る卵焼きみたいなダークマターを想像していたら、何の問題もなく美味しかった。馬鹿舌の私は高級菓子を食べても「味が濃いな」くらいの感想しか抱けないのだが、「味が濃いな」と感じた。他の人達も似たような感想だった。
 業務日報にまで「オーブン買いに行きます」とか書く必要はないと思うが。

「この会社に骨を埋める気にはなれないじゃないですか」と、こちらはいつもの後輩(現ヤンキー)が言う。
「どうせなら自分のやりたい事して働きたいし。車の整備士に今からなれますかね」
「知らないっす」
「泥さんは何で車に興味ないんすか」
「昔から車酔いしたからっす」
「何でそんな喋り方なんすか」
「いや、下手な事言うと殴られるかな、と」
「殴っていいすか」
「どうせ殴られるじゃないですか」
 左肩をゴツ、とやられる。昔からヤンチャしてる人の方が、殴り方のコツを身に付けていて、痛いけれどもアザにはならないような殴り方を心得ている。
「でも高校の時にバス通学になった頃は、本読みながら乗ってても大丈夫だった。何故だか『バス読書=太宰治』みたいな記憶がある。他にも読んでたはずだけど」
「免許持ってるんですよね」
「教習所卒業後は夢の中でしか車に乗ってない」
「とにかく俺が抜けたら後はよろしく頼みますね」
「俺の方が先に抜けるか倒れるかもしれんよ」
「泥さんは抜けないし死にませんよ」
「毎日お前らにいじめられるのを苦にして、とか」
「じゃあなんでわざわざ人を煽るんすか。じゃあなんでいじられると嬉しそうにするんですか」
「してないよ」
「マスク外して下さい。

 ほら、笑ってる」

 それぞれ何かやりたい事を探している。
 私はどうかといえば、そんな事はとっくに見つかっている。分かっている。


行きたい場所は選択肢にはない
やりたい事はパンフレットにはない
誰も誰かの代わりにはなれないよ
そして荒野へ
その足で荒野へ


 アナログフィッシュ「荒野」を聴きながら、私に浮かんだ荒野のイメージは、長編小説を書き出そうとした時に広がる、「その先に何もない空白」だった。短い話ばかり書いてきた反動か、長い物を書くだけの力が自分の中に無いのか、いざ構えると何も浮かばなくなる。これまでも何度か書いた、自分の中の空虚と向き合う恐ろしさ、虚しさ。
 他の何をしていても、小説を書く事以上の楽しさは見つけられない。菓子作りも車の整備も自分とは縁遠い。


知らないうちに
気付かないように
でも確実に
夢は絶たれてく


 現在中断している「ボトムオブザワールド」は休んでいるうちに、現実のコロナ社会が創作を追い抜いてしまった。構想していた殺人者の最期が人気漫画と被ってしまった。とか言い訳にして放ってしまっている。
 ならば、書いてきた掌編や書きかけの中編からいい所だけ抜き出して再構築して長編にしていけばいいのかもしれない。改めて構えるから書けなくなるのなら、ありものを繋ぎ合わせてみてもいいじゃないか。創作にルールなんてないのだ。

 
 後輩係長の二回目のお菓子作りは順調に上達して、形も綺麗になっており、クッキーにチョコが入っていた。ヤンキー後輩は「ビシッと決めてナンパしに行きますよ」だとか言い始めている。
「ニメートル離れて声かけろよ」
「当たり前っすよ」


 今年の新入社員達に、プリントアウトされた私の文章が、各後輩から手渡されている。後輩達に依頼されて書いた、仕事には関係のない文章やら、他の工場の研修レポート(小説)やら。泥辺五郎名義で書いているのと大差無い内容の。

 荒野へ、荒野へ。と歌声が後押しをする。
 ぬかるみに思えた荒野の大地も、踏み出してみれば意外と固かった。そんな一歩を夢見て。
 二歩目の底無し沼には自ら溺れて。

(了)
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