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「路上」THE BLUE HERB

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https://youtu.be/Z-gHrWQZzOw


 兄貴は人違いで殺された。我が家の伝統だ。逃れらないカルマだ。兄貴の死は歌となった。「路上」というタイトルだ。俺もその中に出てくる。寒い部屋で八歳にしてガンジャを吸う弟として出てくる。兄貴はボスの金を盗んで逃げる途中で殺された。ボスのジャケットを着ていたから人違いで殺された。兄貴もボスの愛人を殺したし、俺達家族を連れて逃げる気なんてなかった。自業自得のなれの果てだ。カルマに追いかけられただけでなく、自ら追いかけた結果だ。

 兄貴の死から八年が経った。俺は兄貴と同じ路上に立ち、兄貴と同じようにクスリを売っている。兄貴のボスだったスキーはもういない。兄貴の相棒だったラムももういない。路上のボス達の寿命は短い。その使い走りの寿命はもっと短い。警察の定期的な気紛れで悪人は裁かれるし殺される。タイミングを見計らう事が重要だ。足を洗うか遠くへ行くか、死刑にならない程度の刑罰を貰うか。俺は見計らってる。この道に入り込んだ瞬間から逃げ出す事ばかり考えている。路上の上の空には月が今日も光っている。兄貴の見たのと同じ月が。八年なんて天体に取っては瞬きほどですらない。その八年間で死んだ父と母と叔父と、俺に初めて出来た恋人の事なんて月は知るはずがない。知る術がない。でこぼこの月面は記録装置ではない。月がもう一度瞬きを終える前に俺の寿命も尽きるだろう。八歳からガンジャを取り込んだ俺の身体は年齢の三倍は歳を食っている。
「安全だよ。何も害はないよ。楽しくなるだけだよ」
 びびるビギナーに俺は優しく声をかける。兄貴と同じようにタイパウダーとブラウンシュガーを売り払う。副作用の事などまだ誰も把握していない新種のドラッグも捌く。治る事のない咳を続ける娼婦にも売る。客の付かない彼女にもう未来はない。
 じゃあ路上にいる誰になら未来はある?
 少なくとも俺にはない。兄貴にもなかった。俺に初めて出来た恋人、俺が与えたドラッグで死んだ彼女にもなかった。

 俺は人違いでは死なない。
 ただ俺は俺として死ぬ。
 ある朝無言で冷たくなっていた母のようにか。
 家での狂った独り言を道路の真ん中でも始めてしまい、車に轢かれ続けてペラペラになった父のようにか。
 間接的に俺が殺したジャンキー達のようにか。
 生きる未来は見えない。
 年取った自分の姿は鏡に映っている。様々なジャンキーも皆鏡のように見えてくる。路上に俺は転がっている。路上に俺達は倒れまくっている。

 路上、俺の生きる場所で俺の最期の寝床。
 銃を突き付けて来たのは、歌に出て来た俺と同じくらいの歳の少年だ。まだイカれていない瞳をしていた。まだ明るい未来を見つめる事の出来そうな光を宿していた。
 だけど手には拳銃で、求める物はクスリと金だ。俺は仕事を終えた後だった。クスリは売り切っており、金はボスに渡していた。俺が持っていたのは端金だけだった。
「これしかない」と2,000ルピーを出した。もっと出してやりたくもあった。落胆した少年の瞳はやはりかつての俺に似ていた。思っていたより金を取れない、そんな事で濁る瞳の持ち主に俺は殺される。悪くはないか。俺の後継ぎが俺を殺す。連鎖は終わらず、繋がっていく。
 だが死んだのはかつての少年ではなく、今目の前にいた少年だった。この程度の落胆で少年は自らを撃ち殺した。銃口をくわえて引き金を引いた。止める間もなかった。止める気もなかった。
 
 街の底のゴミの一部として、少年の亡骸は明日には消えてなくなるだろう。そこに転がっていたのは俺かもしれないのに。
 生き延びてしまった俺は明日も路上に立つ。少年はきっと人違いで自殺した。少年は俺に未来の自分を見ていたに違いない。どれだけ嫌悪しようとも逃れられない俺達の生き様、無様なクスリ売り。大金とまでは言わなくともそこそこの金を俺から奪うつもりだった。だが俺のポケットからは端金しか出てこなかった。自らの未来の姿が差し出した2,000ルピー、少年は醜く貧しい俺に絶望して、未来の自分に絶望して引き金を引いた。どちらが自分だか分からなくなり、うっかり自分に向けて引いてしまった。

 ドブネズミがもう少年の亡骸にかじりついている。ジャンキーが路肩に寝そべり、足を自転車に轢かれるが気にしていない。俺は家に帰る。窓ガラスが割れたままの、天井に穴が空いたままの部屋に。誰も待ってはいない家に。路上で寝そべり朽ち果てるその日まで。もう少し生き延びて増やしていく。金や希望ではなく。ましてや夢でもなく。新たなジャンキーを増やしていく。カルマからは今日も逃げ延びた。明日は? 明日は来るのか? こんな俺にも?
 寝て起きれば昼前だ。新しい一日なんて眠れば来てしまう。俺が死んでいなくなっても、新たに路上に誰かが立つ。役回りが交替するたけだ。
「大丈夫だよ。安全だよ」
 今日もビギナーに呼びかける。何も大丈夫ではない。一つも安全ではない。少年の亡骸はどこにも見えなかった。路上を横切るドブネズミが昨日より太って見えた。


(了)

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