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「Neighborhood」米津玄師

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動画はこちら(本人バージョンはないのでカバー動画)
https://youtu.be/0eWLYJobIRg



 勤め先の最寄り駅のホームに降りると、クワガタムシがもがいていた。大した大きさではないからコクワだろう。よく見ると下半身が無かった。カラスにでも啄まれたのか。そんな体でもバタバタと動いていた。起き上がれそうにはなかった。
 
 市内で見かけられた不審者情報メールが二通配信されていた。どちらも五十代の男性、下半身を露出。けれど髪型の特徴が違っていた。片や短髪、片やもじゃもじゃ頭。違う人物か、かつらでも被り始めたか。暑くて脱いだか。下半身を冷やす必要に迫られたか。脱皮か。脱け殻を脱ぎ捨てようとしたのか。脱け殻になろうとしたか。

 寂れたゲームセンターの店員だった二十代、私は自分が不審者に見えないようにビクビクしながら通勤していた。実家から駅まで自転車で通うのだが、曜日によっては小学生の下校時間と被る。今からバイトなんで。こんな時間にブラブラしてる怪しい者ではありません。誰にともなく言い訳をしながら。実際に怪しまれたとか職務質問だとかの覚えは無いけれど、過剰に防衛していた。
 その頃に見えた景色は実際よりずっと荒んでいた。いつも見る風景をスラム化させた。当時投稿していた掌編小説の賞に出した作品にこんな物がある。

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「人の歌声」

 駅前のコンビニが潰れ、駐車場になっている。車は停まってはおらず、ゴールネットのないバスケットゴールが一台置かれている。バスターミナルにバスが来ない。タクシーのいないタクシー乗り場には、上半身裸で坊主頭の男が一人倒れている。胸は動いている。

 中学時代のおぼろげな記憶を探りながら、バスケットゴールに向かってシュートを打つ。大きく外れた架空のボールは転々と転がり車道に出ていく。それを跳ね飛ばすように一台の軽自動車がやってきた。全く光沢のない赤い車体はプラスチック製のようで、食玩の車が巨大化したみたいだ。運転席の男が聞き覚えのある声で私を呼ぶ。十年前のように鼻ピアスもしておらず、過激な服装でもないが、弟だということはかろうじてわかる。助手席に乗り込むと、タクシー乗り場に倒れていた男が顔を上げるのが見えた。弟は構わず車を発進させる。
「この車、おもちゃみたい」
「よく言われる」
 サイドミラーの中で坊主頭の男が何か叫んだ。

 時速三十キロしか出ない車の中からは、荒廃した故郷の町並みをじっくりと観察できた。耕作されていない田畑には雑草が繁り放題で、団地にはカーテンのかかっていない部屋の方が多い。手入れのされていない木々が人間の生活空間を侵食している。時折すれ違う車は、土砂を積んだトラックばかりだ。
 弟がブレーキを踏む。一羽の鳩が首を前後させながら横断歩道を渡っていた。クラクションを鳴らすと、半分を過ぎていたのに、わざわざ引き返していった。
「最近は人より動物の方がまともに見える」
 言い飽きたように弟は言う。
「都会の方も似たようなものだから」
 私は少し嘘をつく。

 くすんだオレンジ色の屋根を持つ、懐かしの我が家の前を通り過ぎる。「ん?」と弟を見ると、「あっちには今他人が住んでる」と感情のこもっていない声で言う。
 先月火災で半焼したという、古い木造アパートの前で車から降りる。焼けた部分のすぐ隣の部屋、開かれたドアの奥で、ヤカンが火にかけられているのご見える。炎に照らされて浮かび上がる年老いた女性は、母なのだろう。
「姉ちゃんが帰ってきたよ」部屋の奥に弟が声をかける。炎が消え、床の軋む音が近づいてくる。歩みは遅く、なかなか陽のあたるところまで出てきてくれない。耳を澄ますと、焼け残っているいくつかの部屋から、か細い歌声が聞こえてきた。聞いたことのない歌ばかりだ。一緒に歌えない私は「ただいま」と口にする。

(了)

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 半焼したアパートは実際にあったものだ。住人が亡くなったとも聞いた。取り壊しもされずしばらくそのアパートは内蔵をさらけ出していた。改築されたアパートはビンク外壁をまとっていた。
「人の歌声」は佳作だった。景品の千円分の図書カードで本は買わなかった。金券ショップで九百と何十円かになった。


定期を買うくらいのまとまった金すらなくて
毎日切符で済ましてむしろ金かかる


 現在書く事の多い「街の底」シリーズ。その原型とも呼べる掌編の事や、それを書いていた頃の事をやたらと思い出しているのは、米津玄師「Neighborhood」を繰り返し聴いているからだ。Spotifyは水曜日と金曜日、ニューリリースされる曲が更新される。2020年8月5日、日付が変わると同時にSpotifyをチェックして、米津玄師サブスク解禁を知る。よく知っている曲やあまり知らない曲を聴いている内に「Neighborhood」に辿り着き、離れられなくなってしまう。


右曲がりのトラックに巻き込まれたらしいよ
あの子がくれたガンダムまだ残ってるかな


 今の家に引っ越してきた当初、ネット環境はケーブルテレビを利用していた。ネットと同時に音楽チャンネルやアニメチャンネルを登録し、特にテレビで観るものがないとそれらを流していた。当時ヘビーローテーションされてたのが、米津玄師「アイネクライネ」や、KANA-BOON「盛者必衰の理、お断り」などだった。二人目の子供の寝かし付けには、奥田民生以外では、米津玄師「Flowerwall」をよく使用した。


もういいかいなあ兄弟
ここらでおしまいで
なんて甘えてちゃお前にも
嫌われちゃうのかな


 最近は吉村萬壱の小説を読んでいる。2001年「クチュクチュバーン」で文學界新人賞、2003年「ハリガネムシ」で芥川賞受賞。同時に新人賞を受賞した長嶋有と共に、デビューの瞬間から追いかけ始めた、数少ない作家だ。仕事と子育てに追われて読書とも執筆とも離れていた数年間を経て、読書傾向が昔に戻ってきた。今書いている事の原形も実は十四、五年前から形作られていた。
 過去は今に繋がっていた。当たり前の事なんだが。

 あまり外に遊びに行けないので、娘のココにはなるべく家で踊らせている。というか勝手に踊っている。拙作「悪童イエス」の登場人物、ダンサー・ マリアのモデルは娘なのだが、近頃は娘がマリアに似てきた気がする。

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 マリアは踊った。覚えた曲は歌った。全身全霊で。疲れるとイエスの歌とユダのギターを聴いていた。初めて聴く曲であっても、二番に入る頃には歌えているのだった。オリジナルの振り付けで踊れているのだった。「明日の(次の)話が(メロディが)何となくわかるの」とマリアは言った。マリアの手足はそれぞれが別の生き物として動いているようだった。どのジャンルのダンスにも似てないようで、全てのジャンルを含んでいるようにも見えた。誰にも習わず本能のままに人が踊り続けると生まれる型だった。マリアの躍りにまず子供達が惹かれた。次に動物達が寄ってきた。マリアが「疲れたー」と言って地面にへたりこむと、子供達も真似して座った。マリアが地面に寝転がると動物達もごろごろ転がった。イノシシと猿がぶつかりギャギャギャと猿が喚くとマリアも子供達も叫んだ。マリアの手拍子に、足踏みに、皆が合わせた。大地は全てドラムとなった。

 ユダがFoorinの「パプリカ」を弾くと子供達は一斉に花開くように踊るのだった。中心に咲く紫のマリアはゆらゆらと揺れながら歌と子供と動物と空気とギターと一体になって踊るのだった。マリアにつられて、生きている者だけでなく、辺りの雑草も石ころも道端に転がる回収前の死体も踊り出すようだった。周辺の学校や家々から子供達が飛び出して来て群衆となり、躍りと歌声は路上を満たした。ユダのギターとイエスの歌声が埋もれてしまいそうなボリュームになっても、誰かの持ち出してきたギターが響き、誰かの歌声がイエスをサポートするのだった。言葉を持たない動物達の叫びも歌の響きを帯び始めた。

「悪童イエス」第5話「ダンス・ウィズ・マリア」より
http://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21543&story=6

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 system of a down「I-E-A-I-A-I-O」
 The Black Keys「Lonely Boy」
 muse「Uprising」
 米津玄師「Lemon」
 などの曲で踊る娘に合わせて、踊れない私は歌おうとする。いつも止められる。息子まで口を塞いでくる。


 ホームの一番端の方にあるからか、クワガタムシが下半身を無くしてから何日も経つのに、いまだに転がったままだった。さすがにもう動いてはいない。
「俺の書く文章に出てきそうだな、お前」
 と少し乱暴に呼び掛けてみた。
「お前自身もそうだろう」そんな答えが返ってきそうだった。

(了)
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