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「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」the pillows

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動画はこちら
ライブ版
https://youtu.be/jo35ZSkA8Uo
通常版
https://youtu.be/hEWHo56QNsc



 こんなにも嘘をついているのに。こんなにも嘘をつき続けているのに。いくらでも綺麗な事を書ける。いい人のように振る舞える。ギターを手に取る。歌詞のように黒くはない。ボディ裏のひび割れた塗装は剥がれ落ちないようにテープを貼ってある。透明のテープだからひびが丸見えだ。端から見れば自分だってそうだ。今にも全身から皮膚やら過去やらこぼれ落ちてしまいそうなのは見え見えなのに、当人だけはそんな事はないと思い込んでいる。


嘘をついて磨り減った僕の
歌はちゃんと綺麗だぜ
孤独にはとっくに慣れている
悲しくはない 泣いた振りしてんだよ
バカみたいに深く息吸って
耳ふさいで唾吐いて
夢中だったオモチャの兵隊は
もう一歩だって進まない


 こんな話を考えた。
 勤務先に私と同年代のバンドマンが面接に来る。彼は私がバンドマン時代に使っていた名前を名乗る。人手不足なので仕方なく雇う。彼は勤務中も常にどこか上の空で、やはり音楽の事だとかバンドの将来だとか、生活の事やらドラッグの事やらで頭がいっぱいらしい。当然ミスを多発し、擁護するにも限界が来る。そもそも私が彼を庇う理由も他の人には理解出来ない。
「彼はそうなっていたかもしれない私なんだ」なんてとても言えないし、彼の方は私の事など気にせず変わらぬ仕事ぶりで周囲に迷惑を撒き散らす。注意しつつも、他の誰とも話す機会のない、マイナーなバンドの話などを彼と交わす。
 でも本当は彼こそが私自身であり、今の私こそが彼の見ている夢の中の登場人物でしかないのだ。ある時点で音楽の道から離れ、成り行きでサラリーマンになり、いつの間にか家族まで持ててしまった、確率の低い偶然の産物。

 朝から晩までthe pillowsばかり聴いていた時期があった。その間何をしていたかといえば、だらだらとネット巡回していたり、起きては寝てを繰り返したり、家の窓を閉めきって歌ったり、適当にギターで合わせたり。
 一人でしていた事だから、その頃の私はバンドマンですらない。そもそも素人集団のコピーバンドしかしたことないのだから、芸名などなかった。
 書かなければと思っていた小説も、書かなければという想いで終わらせたままだった。バイト先が潰れてから、何もしない日々が続いた。日雇い仕事を時折する以外、何も残さない日々。もう二度と戻ってはいけない、長すぎる夏休み。
 けれどまだ私の魂のような物が、昔と変わらずその辺りで漂ってる気がする。自転車は緑色ではなく、ギターは黒でもなかったし、夏は今ほど暑くはなかった。まだバンド仲間達との距離が近かった頃、一度だけ髪は赤く染めた事はある。Hi-Standardのコピーバンドで下手なギターを弾いていた高校二年から三年あたりの頃だ。学校外でライブをする時の定番だった、某大学前のライブハウスはとっくの昔に潰れてしまった。
 と思い込んで調べてみたらまだ存命だ。なおさら何が現実で、現在で、嘘だか本当だかが分からなくなる。

 今でも私は実家の部屋で一人「ハイブリッドレインボウ」で声を裏返し、「ストレンジカメレオン」の歌詞を暗記しようとしているのではないか。私小説やエッセイ風に書いている私自身とその周辺の事は全て妄想で作り上げた、百パーセントのファンタジー小説なのではないか。読んでくれる人が認めてくれるのならそれでいいのではないか。本当の私など文章上のどこにも必要ないのではないか。
 
 幼い頃の夏休みの思い出といえばいろいろあるはずなのだが、真っ先に浮かんだのが、ドラクエ4のレベル上げだった。全員を99まで上げたくて、はぐれメタルやメタルキングに無数の「せいすい」を浴びせたり、ドラゴラムを唱えまくったりした。あっさり完走したトルネコの遥か後方を、ブライとミネアが追いかけてきた。二人は結局ゴールまで辿り着けなかった。
 中学生の私はメタリカを聴きながら「信長の野望」をプレイしている。攻略本ではなく、各大名、武将の情報が載った「戦国武将ファイル」という本が好きだった。ここでも幾つか戦国武将物の時代小説を書いているが、この頃の影響が残っているのだろう。だから上杉謙信がレッチリを聴きながらレッドブルを飲み、冬の雪山を行軍する話だって、自然と浮かんで来る。

 どこまで書いた。
 台風が来てるという話題が職場で出たので、ブルーハーツ「台風」をボソボソと口ずさんだら後輩に「泥さん、お経ですか?」と言われたあたりか。それとも、続けてブルーハーブ「路上」をボソボソと歌って「だから、お経ですか?」と言われたあたりか。一時期THE BACK HORNばかり家で歌ってたという話か。日雇いで行ったライン作業中にずっと「美しい名前」を頭の中で流していた話か。二歳九ヶ月になる息子が扇風機に向かって「お・し・ま・い・です!」と、ドラマ「半沢直樹」で香川照之演じる大和田常務の物真似の練習をしている話か。
 どれでもなかった。

 換気の為に隙間を開けている窓から、熱帯夜が家の中に入り込んで来る。思えば最後の夏休みを終わりにしたきっかけは、実家のマンションの改修工事だった。外壁の塗り替えの為に窓を閉めきらねばならかなった。当時の私の部屋にはエアコンがなかった。だから長く外に出るようになった。丸一日寝て過ごす事もなくなった。働く事が習慣になった。すると意外と働けた。

 全て夢の中の話で、私は今もフリーのピンボールゲームのハイスコアを目指している。何も成し遂げていないまま眠気が来る。昼飯を食べるのを忘れていたけれどもういいやと思い、また眠る。夢の中では小学二年生になった娘が、朝食を食べてから家を出るまでの僅かな間に、トランプで神経衰弱を挑んで来る。ジョーカーを一枚混ぜて、それを引けば三回連続でカードを引けるというオリジナルルールを加えた。いつも娘がジョーカーを引き、うまく活用してリードを広げる。いつの間にか手加減無しで常に私が負けるようになってしまった。同じ時刻に家を出る。今年の夏休みは十六日間しかなかった。プールもなければ、絵日記も読書感想文も自由研究も「やってもやらなくても可」とされていた。娘は一度だけクラスメイトの家に遊びに行った時の事を絵日記に描いた。浴衣を着せてもらい、丸めたハンドタオルを口にくわえ、「鬼滅の刃」に出てくる禰豆子ごっこをしていた。
 娘と別れて駅に向かい、「白い夏と緑の自転車 赤い髪と黒いギター」をリピート再生しながら車内でうとうとする。the pillowsを一日中聴いていた頃の夢を見る。目が覚めるといつの間にか目的の駅に着いていた。
 ホームに降り立つ私に私自身が問いかける。
「今はいつで、私は、どっちだ?」
 体感気温摂氏四十度を越える暑さの中で、どちらでもいいやと歩き始める。そういえば先述のHi-Standardのコピーバンドを組んでいた頃は、家から練習スタジオまで一番遠い私を気遣ってもらった。学校からスタジオまでの道のりに家があった友人がギターを貸してくれていた。黒いレスポールカスタムだった。「黒いギター」だった。前にもこんな気付きがあった気がする。小学校の夏休みは終わっても、白い夏はまだ続く。

 通勤中に倒れる訳にもいかないので、鞄の中から「ソルティライチ」のペットボトルを取り出して飲む。白いな、このパッケージは白いな、などと呟きながら。

(了)

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