※更新頻度が一週間空いたのは、monogatary.comの企画、お題「おはよう」に参加してたため。
「言葉の、物語の、ダンスの、始まり」
https://monogatary.com/episode/143417
動画はこちら
https://youtu.be/gPcPseeICjs
私はとある○○工場の☓☓部門で働いている。現場には狭いながらも事務所があり、パソコン三台と複合機、△△業務に必要な機器などが置いてある。合間に従業員が出入りして用事を済ましていく事もある。
「泥辺さん、ちょっと疲れたんでここで三時間くらい寝てていいですか。俺の代わりに働いといて下さい」
糞生意気な言葉は大学生アルバイトのナツキのものだ。
「分かった。ゆっくり休みな」そう言ってありもしない毛布をかける振りをする。もちろん冗談で、用事を済ませばナツキは出て行く。しかしいつものふてぶてしい態度が、今は幾らか痛々しく見えるのには理由がある。
同じ職場でバイトをしていた彼の親友が、もうすぐ辞める。大学は違うが、彼らは二人とも大学院に進む。ナツキの幼馴染である俊太郎は、大学近くの下宿に住み始める為、神戸へ引っ越すのだという。
それはまあ、仕方のない事だ。俊太郎から退職の話を聞いた時、私の頭に合ったのは感傷よりも、彼の抜けた穴をどうするか、という事だった。
だからニ月のシフトを作っている最中にナツキが事務所に入って来た時も、何気なく「あとシフト出してないのは俊太郎だけ、あ、今月いっぱいで辞めるからいいのか」と口に出してしまった。
「え?」
「ん?」
「今、俊太郎が辞めるって言いませんでした?」
「大学の近くに下宿するからって。まさかお前、知らなかったの?」
幼馴染で親友だ。俊太郎がナツキに伝えてなかっただなんて思ってもいなかった。
明るく軽口を叩きまくるナツキの表情に、憂いが混じるようになったのはその頃からだった。
「そんな表情してませんけど」
仕事は早いがその代わりに生意気な事ばかり言う。私の事を全然敬っていない。そもそも年長者に対する敬意というものがない。
「泥辺さん以外にはきちんとした口効いてますって」
こんな性格のナツキの傍に俊太郎が親友として長年付き添っていたのには深い事情がある。幼い頃に重い病に冒された俊太郎は、奇跡的に適合者であったナツキからの生体肝移植により、一命を取りとめた。以来ナツキのどんな酷い言動にも行動にも、俊太郎だけは優しく接して来た。周囲に敵しか作らないナツキに取っての、唯一の味方であり続けた。
「それ、俺の紹介で俊太郎がこの会社に入った頃に、泥辺さんが捏造した噓エピソードですよね。まだ言ってたんですか。俺内蔵全部ありますよ」
そんなナツキが仕事の最中にも関わらず、涙が止まらなくなり手を止めてしまう事を、誰が責められるだろう。
「手止めてませんって。泣いてませんって。第一俺が俊太郎辞める事を泥辺さんから初めて聞かされた時、驚く俺を見て爆笑してたじゃないですか」
だってナツキの凹む顔を見ると面白くて。あと地の文と会話しないでくれるか。ルール違反だ。
「そっちにとっては小説でも、俺にとっては現実なんですよ!」
幾千の出会い別れ全て
この地球(ほし)で生まれて
すれ違うだけの人もいたね
わかり合えないままに
そう。いくら親友といっても全て分かり合える事はないだろう。俊太郎がナツキに黙っていたのも、事情あっての事だろう。本当に一番辛いのは俊太郎かもしれない。
「この間友達んちにポケモン返しに行った時に、その話をしたんですよ。『俊太郎引っ越すの知ってた?』 って。そしたらそいつ『知ってるよ。この間送別会したし』ですよ? 俺本人からまだ何も聞いてないのに。だから何で泥辺さんはここで笑うんですか」
私は笑ってなどいなかった。涙をこらえて話すナツキの顔を正視出来なくて横を向いたのだ。ブフォッ、と吹き出したのだ。
「吹き出してるじゃないですか!」
他部署の人間も時々現場事務所を利用する。隣の部署の、私の元部下である後輩係長が入って来た。
「坂本さん、聞いて下さいよ」とナツキが私の爆笑を咎め、訴えている。
「ナツキ、諦めな。泥辺さんに人間の心なんてものはない。だから娘に『こころ』と名付けて、自分にないものを埋めたんだ。もはや人間ですらない」
娘の命名理由は別にあるし、私は人間だ。
「泥辺さん、じゃあ『HOWEVER』歌って下さい」
声量は控えめに、最後の大サビを歌うが高い声が出ないので失笑される。
「ね、そこで何ですぐに歌えるんですか。嫌だとか言わずに」
ある得意先の発注数が常と違うので疑問に思った日があった。その時に「全店にHOWEVERして確認して下さい」という、世界で初めての文章を口にした男が何を言う、と思う。もちろん全店にHOWEVERなんてしなかった。「全店にHOWEVER」って何なんだ。
寒い現場と隣り合わせなので事務所内では暖房を点けている。すぐに暖まるので風量は一番少なくして。
柔らかな風が吹くこの場所で
今二人ゆっくりと歩き出す
俊太郎がナツキに別れを言わなかった理由は何となく分かる。共依存していた関係を断ち切り、新しい一歩を踏み出す為だろう。傷口が塞がる頃、ナツキはきっと人へ優しく出来るようになっているだろう。私への気遣いもしてくれるだろう。
「絶対にしませんから」
「泥辺さん、たまにはHOWEVER以外歌って下さいよ。BELOVEDとか」
「俺そもそもGLAY全然聴かないからあまり知らないんだけど」
そこに来年六十歳になるベテランの従業員が入って来た。各々仕事を思い出し、散っていく。
「あきませんよ泥ちゃん、甘い顔するから付け上がる。よその人まで遊びに来よる」
それなりの用事があって皆来るのだが、必要以上に居座っていた感は否めないので、彼の言う所も一理ある。
「もっとこう、歩いてるだけで皆が背筋を正すような威厳を持って」
「下駄を鳴らしてやつが来る、的な」
「腰に手ぬぐいぶら下げて」
「学生服に染み込んだ」
「男の匂いがやってくる」
「あーあー、夢よ良き友よ」
かまやつひろし「我が良き友よ」を歌いながら、一日が終わっていく。
(了)