種の起源
頬に当たる風が心地よい。
目の前に遮るものは何もなく、風を切って空を飛んでいる。
甲皇国の動力飛行機のパイロットや、アルフヘイムのドラゴンたちは、こんな気分を自分たちだけで味わっていたのか。
SHWも甲皇国に次いで科学技術は進んでいる。
大金を積めばSHWとミシュガルドをつなぐ旅客飛行船にも乗ることはできるが、こうやって肌で風を感じながら飛ぶなんて無理だろう。
私はいい気分になって腕組みをし、件の竜人の眉間あたりで胡坐をかいた。
こうやっていると、この全長333メートルもの竜人を従えているような、空の支配者になった気分だ。
「ふっ……ところで」
きょろきょろと頭を振って周囲を見渡すが、やはり誰もいない。
なら言ってしまってもいいだろう。
「……どうやって降りたらいいんだろう」
誰か助けて。
───どうしてこうなったのか…。
5年前の終戦時、禁断魔法が発動し、豊かだったアルフヘイム大陸は無残なほどに荒廃してしまった。そのため、住む場所を失った多くのアルフヘイムびとが、新大陸・ミシュガルドを目指して移民しているという。
その頃、それまでアルフヘイム大陸上空を浮遊していたハイドロエンドスターという竜人が、ミシュガルドへ渡ったという噂が囁かれていた。
竜人といっても人の部分はまったく見られず、ほとんど純粋な竜の姿をしている。
全長333メートルの巨体は、人と交わることなど到底予想もつかない。
アルフヘイムには姿かたち様々な竜人がいるが、それらの大半は、言葉を交わし人と意思疎通ができる。
言葉を話せない竜なら、アルフヘイム大陸の「プレーリードラゴン」や「リンクスドラゴン」や、骨大陸の「胴長竜」というものがいる。だがそれらは、獣に近い竜として、竜人扱いはされておらず、主に軍用竜として人に使役されている。
人であるか否かを判別する要素は、即ち知性があり会話ができるかどうかだが、ハイドロエンドスターは誰とも会話はしないし、喋れるかどうかは不明だ。プレーリードラゴンらのように言葉は話せなくとも表情や仕草で意思疎通ができたりもしない。雄大に空を浮遊するばかりで表情や感情は見えず、他の竜人とも意思疎通は不可能に近い。つまり、知性があるかどうかも定かではない。
にも関わらず、何故かこのハイドロエンドスターは「竜人」に分類されている。
なぜ「竜人」なのか?
そも、ハイドロエンドスターは、ただ一種一体しかいない。
いつから生きているのかも不明で、アルフヘイムでの言い伝えによれば、相当古くから生きているらしい。あの国で古くって、それこそ千年とか数千年レベルだろう。
そして、あの雄大に大空を我が物のように浮遊する姿。
他の竜のように翼があるわけではない。
胴長竜のように尻尾や胴体を打ち振って飛んでいるわけでもない。
体の上に天使の輪のような光輪があり、それで浮遊しているらしいのだ。
何とも神秘的な生き物であり、神々しくもある。
目的も不明で、かつてはアルフヘイム大陸を、今はミシュガルド大陸を浮遊しているだけである。
ならばやはり獣に近いのではと思われるが、余りに唯一無二の存在で、何せいつから生きているかも分からない。我々と意思疎通ができないだけで、実は知性もあるのかもしれない。
ゆえに、便宜上、獣ではなく竜人とされているのかもしれない。
さすがに、神竜…人を超える神のようなものとまでは思われていないようだが、それに近いのではないかと、個人的には考察している。
私ことズゥ・ルマニアは、珍しい動物を調査・捕獲することを生きがいとしている。
ハイドロエンドスターは、私の動物愛魂に火を点けた。
かの竜人は、果たして獣なのか、人なのか?
それとも…神なのか?
上空を漂っているだけならアルフヘイムでも良かったのに、なぜ禁断魔法の発動以降はミシュガルドへ渡ってきたのか?
分からないことだらけだ。
何としてでも捕獲し、調査したい。
例えどのような手段をとっても…!
で、こうなった。
「確かに近づけた。乗れた。でも、後のことを全然考えていなかった…」
私は眉間を手で押さえ、苦悩のポーズを取る。
ああ、まぁ分かっているよほんとは!
地頭は良いと自負をもっているが、そのくせ後先考えないこの性格ゆえにである。
ミシュガルドの上空を漂っているハイドロエンドスター。
それにも一定のルートがあることを私は見抜いた。
そして、ミシュガルドの高山を通りがかるポイントで待ち伏せし、ジャンプすれば届くところまで来たところで、飛び乗った。
そこまでは計算通りだった。
しかし……。
「この子、どう話しかけても意思疎通できないんだもんなぁ…」
やはり獣と変わらないのか?
私は、もうこうなれば成り行きに任せ、ハイドロエンドスターの背に座り続けるしかないかなぁと思い始めていた。
しかし、降りるならあの高山のルートを通るのを待つしかないが、恐らく一週間後とかになるはずだ。
携帯食料はあるから何とかそれぐらいは持つが、退屈である…。
そういえば…。
「あ、トイレどうしよう」
え、まさかここで…?
いやしかし、それは仮にもうら若き女子としては…。
急に風が冷たく感じ、身震いした。
「何じゃ? 人間がへばりついておるのぉ」
驚いた。
急に話しかけられた。
一瞬、ハイドロエンドスターに話しかけられたのかと思ったが、その声は頭上の空からだった。
見上げると黄色い影。
「鳥…? 飛行機…? いや…スーパーマン…じゃない、竜人!?」
声の主は、ふわりと私の傍らに降り立った。
ハイドロエンドスターは、相変わらず大地のように無反応だ。
「わらわは雷姫竜ヴァルギルア」
赤い衣をまとっていて、顔と体つきだけ見れば豊満な胸をしたうら若い女性のようだが、金髪からは黒々とした立派な角が三本も生えている。体中が帯電しているようで、恐ろし気なオーラがまとわりついている。引っかかれたら痛そうな大きな爪の手もしている。見るからに強そうな。
「竜人…?」
「ただの竜人ではない。その長である」
そういえば…竜人はアルフヘイム南部を領域とするらしいが、そこを治める竜人の長は、雷を操る女竜人だと聞いたことがある…。彼女がそうなのか。
「人間の女よ、なにゆえこの者の背に乗っておる?」
「あ、あはは…私、動物学者でして…その、研究目的で」
本当は動物園の園長であり、珍しい動物を捕まえて自分のものにしたいだけだが、そんなことを言えば密猟者扱いされて角が立つこともある。ので、学者ということにした。
「動物学者じゃと!?」
ヴァルギルアは目を剥いて驚いた表情をする。
ああ、何か言葉が通じるってありがたいなぁと、ちょっと思ってしまう。
「この者は動物などと生易しいものではない。学者じゃと? それで何か分かったというのか?」
「あ、いえ…何も…」
ヴァルギルアは大きな胸をそらして高笑いをした。
「そうじゃろうとも。人間の学者ふぜいに分かってたまるものか」
「ううっ…」
馬鹿にされて悔しくもあるが、怒らせるとやばそうな雰囲気がする。
ここは下手に出ておこうと思った。
「ハイドロエンドスターはアルフヘイムの竜人なんですよね? ということは、ヴァルギルアさまは、何かご存知なのでしょうか? へへっ…どうかこの愚かな人間にご教授頂けませんかね?」
揉み手をして私はヴァルギルアに平伏した。
ヴァルギルアはふんと鼻を鳴らし、口角を吊り上げる。
あ、これは上機嫌になっているな。
単純なやつめ…。
「良かろう。浅薄な人間よ。わらわがこの者について、知る限りのことを教えてやろう。知ったところで|どうしようもない《・・・・・・・・》じゃろうしな」
「ええ? それは、どういう…?」
「ふふふ…」
ヴァルギルアは調子に乗って語り始める。
それは実に興味深い話だった。
ハイドロエンドスターがいつから生きているのかは、彼女自身も知らないという。
かつてこの世界はミシュガルド大陸のみの一塊だった。
それが何かの大災厄で、かつての古代ミシュガルドが滅び、四つの大陸に分裂した。
それがアルフヘイム大陸、甲皇国のある骨大陸、SHWのある東方大陸、そして私たちが今いる分裂して小さくなったミシュガルド大陸。
ハイドロエンドスターは、その古代ミシュガルド時代から生きている可能性があるらしい。
ということは…少なくとも一万年以上も生きていることになる。
そも竜人という種は、竜と人とが交わってできた種族だ。
純粋な竜というのは、とても人と交われるような代物ではなかった。
それは確かにそうだろう。
今でこそ人間サイズの竜人も多いが、リンクスドラゴンや胴長竜を見れば、あれと人間が交配できるとはとても思えない。
……いや、頑張ればいけるかもしれないが。
そこをどうにかして、人間と竜の合いの子を作ったのが、古代ミシュガルド人だという。
竜人だけではなく、魚人や獣人といった変わり種の亜人も、ほぼ古代ミシュガルド人が生み出したものだという。
「様々な種を作り出した…? それでは、まるで神のような…」
「そうじゃな。まるで神のごとき存在よ…そして、その傲慢さがゆえに、滅びた…」
「……」
つまりハイドロエンドスターは、そうして古代ミシュガルド人により作り出された初期の竜人なのだ。
人の要素は限りなく少ないが、一応は「竜人」とされているのはそのためだと。
「純粋な竜というのは、そもそもは知性も何もなく、獣同然の存在じゃった。あのリンクスドラゴンや胴長竜のようにな」
「なるほど…」
「竜人という種は微妙なバランスで成り立っておる。竜の要素が強く現れれば、我が一族の中でも最強と言われる暴火竜レドフィンのように強い。人の要素が強く現れれば、竜人なのにブレスも吐けぬ者もおる。じゃが、竜の要素が強すぎるのもまた問題で、性格に難があったり、知性が乏しかったり、一代限りで交配が難しかったりもする。つまり、ハイドロエンドスターは、竜の要素が強すぎるゆえに非常に強力な竜人じゃが一代限りの存在なのじゃ」
「ハイドロエンドスターは、何が目的で生きているのでしょう?」
「……それは分からんな。わらわでも意思疎通はできぬ。知性が果たしてあるのかどうかも定かではないが…この者は、精霊樹に引き付けられておるようじゃ」
「精霊樹に?」
「そうじゃ。禁断魔法のために、アルフヘイム大陸の精霊樹の力は弱まった。今、この者がミシュガルド大陸に渡ったのも、この大陸に強力な精霊樹があるからじゃろう…」
「ミシュガルドにある精霊樹を、ヴァルギルアさまは見たのですか?」
「ふふふ…それは、どうじゃろうな」
思わせぶりな態度を取る。
ヴァルギルアの話はここまでだった。
オオオオオオオ。
!!??
な、なんだ。
鼓膜が破れるかのような、耳をつんざく大音量。
ハイドロエンドスターが吠えたのではない。
ハイドロエンドスターの行く先、かなり遠くの上空に、何者かが浮遊していた。
黒い影。
それが、ハイドロエンドスターに近づいてくる。
「むっ…やはり、きおったな」
ヴァルギルアが警戒の声をあげた。
「あ、あれは何ですか…!?」
「あれは…敵じゃ」
黒い影は猛スピードで飛んできて、遂にハイドロエンドスターの、私達の目の前に姿を現した。
「ククク……キサマガココヲトオリガカルトシッテ、マチカネテイタゾ」
言葉を話しているが、妙に発音が刺々しいというか、無理して話している感がある。
黒い竜人…いや、竜?
「ワレハヤミヨノケシン、フクシュウノゴンゲ、ワレハリュウオウざいんデアル!」
あ、自己紹介どうもです。
ハイドロエンドスターを敵対視しているらしい竜人…なのか?
竜王ザインと名乗った黒い竜は、ハイドロエンドスターに比べれば人要素はありそうだが、それでもほぼ純粋な竜のような姿をしている。体の大きさはおよそ30メートルぐらいか。ハイドロエンドスターに比べれば全然小さいが、かなりの威圧感。
「ふん、何が竜王じゃ」
竜人の長が鼻を鳴らし、不機嫌そうにぶすっとした顔をしている。
「あやつはそう自称しておるが、そもそも竜人ですらない。やつは、元々はミシュガルドに土着していたトカゲのようなモンスターじゃ。それが人間を含む、様々な生き物、禍々しいものを取り込み、独自に変態を繰り返し、竜のような見た目になっておるだけのこと。我らの仲間であってたまるかよ。敵じゃ」
「そ、そうなんですか」
バチバチ!
ヴァルギルアの帯電がひときわ大きくなる。
「やつの狙いは明白じゃ。ハイドロエンドスターは、我らが始祖にもあたる存在じゃからな…。それを取り込めば、更なる力を得られよう。じゃが、させるものかよ」
あれと一戦交えるつもりか…!
しかし。
ヴァルギルアと私を載せたまま、ハイドロエンドスターは我関せずだ。
ザインとやらも無視して、雄大に滑空を続けている。
「グオオオオ!」
ザイン、怒りの咆哮。
ハイドロエンドスター、それでも無視して滑空。
両者が激突しようとしたところで…。
ぶおおおお!
すさまじい火炎嵐が起こり、ハイドロエンドスターとザインの間を遮った。
この火炎嵐は…下から!?
そう思った次の瞬間、猛スピードで下から飛び上がってきた赤い影。
「待ちな!」
それは赤い竜人…いや、竜?
「族長、久しいな。呼ばれたんで来てやったぜ」
「うむ。心強いぞ。レドフィン」
これまた人の要素がまったく見えない竜人だった。
ザインともタメを張れるほどの巨大な竜人。
それもやたら大きな牙や、鋼の爪のようなものを取り付けていて、戦闘に特化したかのような見た目をしている。
これが、噂の最強竜人レドフィンだというのか。
ハイドロエンドスター、ヴァルギルア、レドフィン、ザイン。
凄まじい力を持った化物たちが一堂に会してしまった…!
それからはもう台風と雷と吹雪が一斉にきたような大騒ぎとなった。
ヴァルギルアが巨大な雷を発し…。
レドフィンが火炎嵐を巻き起こし…。
ザインは毒ガスやレーザーを撒き散らし…。
私は何が何だか分からないまま、必死にハイドロエンドスターの背にしがみついていた。
そして…気が付くと、いつの間にか。
ヴァルギルア、レドフィン、ザインらが混戦状態となっている空域を抜けていた。
ハイドロエンドスターは、三大怪獣のバトルにも我関せずという様子で、そのまま雄大に滑空を続けていたのだ。
「あんたは何だか…不思議な存在だねぇ」
私はほっとしつつも、力が抜けたかのようになって、ハイドロエンドスターの背にごろんと寝転がった。
結局、良く分からないままだ。
ヴァルギルアの話で大体分かったけども、肝心なことは分からない。
「獣なのか、人なのか、それとも…」
フオオオオオ。
!?
これは…ハイドロエンドスターの咆哮?
いや、違う…。
ハイドロエンドスターの体の上から。
光臨からである。
光臨が、ひときわ輝きを増していた。
「いったいどうしたっていうの? ハイドロエンドスター…?」
私は周囲の景色にはっとした。
いつの間にか、太陽の光が消え、辺りが暗くなっていた。
それが、何かに覆われてのことだと気づく。
目の前に、巨大な壁のようなものが見える。
精霊樹…?
あれが、そうなのか…?
ハイドロエンドスターの体長は333メートルもある。
それが豆粒のように感じるほどに、巨大…という表現を越える。
一体、胴回りはどれほど太いのだろうか?
そして、樹上は視認できないほどに高い。
太陽をすっぽりと覆い隠してしまえるほどに…。
ハイドロエンドスターは、その精霊樹の周りを、光臨を輝かせながらぐるっと回っていくつもりのようだった。
ざ。
ざざざ。
………。
………。
私は、信じられないものを見ている。
あれは何だ?
精霊樹の幹に、何か光る物体が刺さっているのが見える。
のっぺりとした…丸くて…太陽のように輝いている…光る……船?
こんな樹の上なのに…?
……ああ!
そうか。
分かってしまった。
この精霊樹というものの正体が。
世界の秘密が。
種の起源が。
ハイドロエンドスターとは…!
古代ミシュガルド人の正体とは……!
それは、宇宙の…!
………。
………。
ざ。
ざざざざざ。
気が付くと、私は、ハイドロエンドスターに飛び乗った時の高山にいた。
ハイドロエンドスターの背中じゃなく、地面に仰向けになって倒れていた。
いつの間に…戻ったんだ?
一週間は先になると思ったのに…。
そして、ハイドロエンドスターはどこに行ったんだ?
ええと、頭を整理しよう…。
確か…。
ざ。
ざざざ。
あれは…私は…何も‥…|分かっていない《・・・・・・・》!??
ヴァルギルア…レドフィン…ザイン…。
あの大怪獣たちと出会ったところまでは覚えている。
そこから先が、思い出せなかった。
ええと…?
何かこの世界の深淵に触れるような出来事があったような気がする。
だが、残念ながら覚えていない…。
ざ。
ざざざ。
頭の中に、妙な雑音が聞こえた。
だけど、それも一日も経つとしなくなったのだった…。
おわり