「行軍」 作:ミシュガルドの創作者達(5/11 02:00))
やや雨気のある強風が、軍を率いる傭兵王・老将ゲオルクのマントをバタバタと跳ね上げていた。
ハイランド軍の眼前には、大きな水の流れが横たわっている。
500メートルほどの川幅があろうか。
その水は冷たく、流れは強く、昨晩からの雷雨により嵩を大きく増していた。
渡河は危険である。
行軍に際しては必ず敵情を探索し把握しておくこと。川を渡り終えたら必ずその川から遠ざかり、敵が川を渡って攻めて来たならば、敵がまだ川の中にいる間に迎え撃ったりせず、敵の半数ほどを渡らせておいてから攻めるのが有利である。また、下流に位置する場合は、上流から攻め下ってくる敵を迎え撃ってはならない。
つまりは敵軍に悟られていないことを確認し、速やかに渡れ……と言うことなのだが、しかしそこは勇猛なハイランド兵達だった。
「さっさと渡っちまいましょう。なぁに、敵兵が伏せられているとしても、構うことはありやせんぜ」
そう進言したのは、どんな不利な状況であっても俺のパイクで敵を蹴散らせてみせるさ、と息巻く副将のゴンザ。
ハイランド出身ではないが、その傭兵としての能力を買われて、ゲオルクの片腕として戦っている。
「そうだな、一刻も早く先遣隊のジョワン達に追いつかねばならぬ」
「お待ちを」
進軍の号令を発しようと顎髭を扱いた王を制したのは、ハルバードを担いた女戦士だった。生粋のハイランド人である彼女はゲオルクの覚えも良く、軍において「目」と「耳」の役目を負っていた。
「どうした?何か見えたのか?」
「申し上げます。これより上流に半日程向かったところに橋が掛かっているとの情報があります」
「それは確かか?」
「3日前に土地の者の口から聞きました」
「そうか。しかし明日の朝にはジョワン達が3000の軍に襲われる。6倍の兵力差だ」
「わかっています。ですが……」
「シャーロット、儂を信じろ」
兵は拙速を尊ぶ。
渡河の命令が下された。
何人かは命を落とすであろう濁流を前にして、兵士達は「なんだオメービビッてんのか?」「テメーこそ縮みあがってるじゃねーか!」等と軽口を叩き合いながら装備を脱ぎだす。
臆するものは一人もいない。
ゲオルクは誰よりも早く武装を解除し、実年齢よりも遥かに若く逞しい裸体を曝け出しながら景気付けの酒を煽った後、一番乗りじゃ!と宣言して豪快に河に飛び込んだ。
誰よりも度胸試しを楽しんでいるかのような老王に続き、ゴンザが、そして1000人の男達が次々に濁流に身を投じる。
ハイランド兵の鍛え抜かれた足腰は、激流を跳ね返し、彼等の周辺だけ明らかにその流れが弱まっていく。
そんな彼等を前にして、渡河を危険視していた女戦士はヤレヤレと溜息を漏らした。
──と、その時。
1羽の鷹が彼女の肩に舞い降りる。
その足の書簡筒には、ジョワン隊の刻印。
よもや想定よりも早く接敵し、戦闘となったのか?
急ぎ伝書を取り出して広げる。
「読み上げてみよ!」
気力を漲らせた赤ら顔から湯気を立ち上らせつつ、ゲオルクが叫ぶ。
「先遣隊よりの伝書です」
ヒャッハー!と燥いでいた兵士達も、ピタリと口を閉ざしてその声に耳を傾けた。
「……予定よりも早く作戦を完了した。戦果大、敵軍の出鼻を挫くことに成功し、これにより1日半の猶予を得た。余裕を持って合流ポイントに来られたし……」
ウオオオオオ!
静寂から一転、喝采の猛りが大地を揺らす。
我等がハイランド軍は最強だ!と歌い出す者さえいた。
どうやら敵の動きは想定よりもずっと鈍い。この渡河はただの川遊びとなりそうだ。
ゲオルクは満足気に頷くと、では向こう岸まで競争だ!儂に勝ったものには褒美を取らすぞ!と武具を乗せた愛馬を牽いてフライング気味に泳ぎ出す。
「元海兵の泳ぎを舐めて貰っちゃこまりますぜ!」
ゴンザが猛追し、二人はまたたく間に他を引き離して50メートルは岸から離れた。
シャーロットは息を吸い込み、静かな大声で伝書の続きを皆に伝える。
「追伸……途中の大河には男根に吸い付く吸血蛭が居るので……十分に注意せよ……です」
男達は再び動きを止めた。
その後ハイランド軍は進路を変え、北上して橋を渡り、翌昼に先遣隊と合流したのであった。