人類は何度過ちを繰り返すのだろう。歴史は繰り返すというが、それでは文化がいかに発展しようとも人間は愚か者のままではないか。給料日前である。
テイジー・キタック。それが給料日前に有り金を使い切ってしまった愚かな私の名だ。
「え。そんなに使ったっけ。そりゃ昨日はぱーっと飲みに行ったけど、そんなに飲んでないし。ヤダヤダあと一万VIPは絶対にあったって」
ない。血の気が引いていく。黒革のガマグチをさかさまにして振ってみたが銀貨一枚落ちてこない。
「そうだ!私にはヘソクリが!ヘソクリがある!」
そうそうまだ焦る時間じゃない。私は自慢のブロンドからガマグチ型の髪飾りを外した。ぱちんと小気味良い音をさせて髪飾りを開く。片目をつむりそっと中をのぞき込んだ。うん、これは何かの間違い。どうする? いったん休憩はさむか?
見間違いだよ、きっと。気を取り直してもう一度のぞき込む。心臓の音がやけに大きく聞こえた。喉がからからに乾いている。一分が無限に感じる。私はゆっくりと髪飾りの中を見回した。
闇。ただただそこには闇が広がっていた。何もない茫漠たる無の空間。宇宙の深淵がそこにはあった。VIP一枚入っていない。
私は声にもならない声を上げた。ただ喉の奥を空気が流れるだけの無機的な音。肺の酸素が抜けきって、ゴム風船の空気が抜けきる高い音のような嗚咽を漏らした。
座ったまま気絶してるしてる場合じゃない。考えなくては。起死回生の妙案を。私の生殺与奪は私の脳髄にかかっている。活性化しろ私の脳細胞! 今こそ普段の仕事で使っていない頭をフル回転して、勝利の方程式をはじき出すのだ。
ゆっくり考えてみよう。甲皇国空軍会計科の仕事がもうすぐ終わる。定時まであと10分。ここからの体感時間は長い。考える時間だけはあるんだ。考えよう。給料日までの三日間どう乗り切るのか。
三日くらい何も食べずにすごせる? 甘い! 問題は飲み水の確保。水は二日間飲まないでいると死に直結する。公園の水飲み場は雑菌が怖い。もし病気にでもなったらジ・エンドだ。医者にかかる金はない。
そうだった。私は偉大な先人を知っている。女傭兵ショーコ。サイフなしでのサバイバル術に長けるとその界隈では有名なのだ。
彼女にならおう。酒場で何も頼まず水だけを飲み続ける戦術。だが私にできるだろうか。酒場にいるのに酒を飲まないことなど。ショーコのような鉄の自制心。私にあるのか。何か聞かれたらどうする? 正直に言えるのか。お金なんてないって。会計科で兵士たちの給料袋を預かるこの私が、無計画に給料使い切ってしまったなどと。
鍵のかかったデスクに手がかかる。手が震える。横領の二文字が頭の中に浮かんだ。いやいやと頭を振って邪念を払う。それだけはダメ。魂だけは売ってはいけない。このテイジー・キタックのSHW魂だけは。
業務終了の鐘がなる。いつもなら航空隊のヴェルトロ君がかまってくるのを華麗にスルーして定時帰宅をキめるところだけど……
そうよ。ヴェルトロ君におごってもらおう。うん。そうしよう。いつも誘ってくれるのに断り続けるのも悪いし。
ヴェルトロ君は今日は実験機の試験飛行だったらしく、かなりお疲れのようだ。こういうときはぱーっと飲むに限る。さあ来いヴェルトロ!
「お疲れっしたー」
通りすがりに一声かけて、ヴェルトロ君のくせっ毛のうしろ頭が遠ざかっていく。
今日に限ってあっさりしてるー!
もうダメだ。腹の虫が大合唱している。私はもう一度黒革のガマグチをひっくり返した。頼む。頼む。いくらでもいい! 何か出てきて!
「ナンカデテキター!」
大判の金貨から四本の足、真ん中から一本触覚を生やしている。ガマグチからポトリと落ちると生理的嫌悪感のする素早い動きで逃げていく。これはエフエック虫というモンスター。金貨に卵を産み付け寄生して、金を溶かして外に飛び出す。お前のしわざだったのか。私はかたわらにあったクラーケン新聞を丸めると渾身の力で振り下ろした。
「しとめる!」
一発の乾いた音。ぺしゃんこになったエフエック虫が新聞一面を飾っていた。
勝った。勝ったんだ私は。悪は滅びた。
あれ。ちょっと。こういうモンスターって倒すと盗まれたお金返金されるじゃん普通。なんで。嘘だるおおおおおおおおおおおおおお!! 返せ私の一万VIPうううううううう!!!