あたしは酒場のカウンターで焦っていた。
かつてアルフヘイムの傭兵として戦い、多くの敵を自前のハサミで潰してきたが、そんなあたしですら動揺を隠せなかった。
「ガザミさん、どうかしたんですか?」
「い、いや……何でもない」
あたしの顔色を見てか、店員のマリーアが心配してくれていた。
他の客人も、各々で酒を呑んだりメシを食ったりしている。そりゃあそうだろう。こいつらはあの戦に出た事なんざない。
だから知る由も無いんだ。あたしの後ろに座っているのが――
「でさー、何も憶えてねーままフラフラしてたら、こんな大陸に来ちまってたんだよー。マジウケんだろー!」
――あの戦で祖国を苦しめたメゼツだなんざ!!
何で此処に居るんだ? あいつ確か、禁断魔法食らって爆散したんじゃなかったか?
甲皇国でも、あいつは行方不明者っつー扱いだって聞いてるけど、思いっきり此処に居るじゃねーか!!
あそこの兵士共は馬鹿か!? 螺子巻き作んのと、人間以外を排除するしか能がねーのか!?
とりあえず気を落ち着かせて、あたしは奴の会話を注意深く聞こうと、背後の会話に集中した。
奴の話によると、どうもその禁断魔法がぶっ放されてから、それ以前の記憶が無いらしい。
だからあたしの事も覚えてないだろうが、顔を見た途端に記憶が戻る可能性も捨てきれないし、化け物呼ばわりされて暴れられる事も考えうる。そうなりゃこの酒場が危険だ。
……と言うか、一緒に呑んでる相手は誰だ? 奴に気付かれないように、あたしはそっと振り向いた。
「それは大変だねー! まぁこの大陸には、僕みたいな謎な生物も居るから、安心して良いよ!!」
本当に誰だお前!? 自分で『謎な生物』とか言いやがった!!
確かに人間族じゃないのは一目で分かるが……、と言うかこいつもメゼツの言う『化け物』に入るんじゃねぇのか!?
しかもテンション高っ! 何でわざわざ両手の人差し指向けてウィンクしてんだよ!
「どうしたんでしゅか? 財布でも落としたんでしゅか?」
「いや、そういう訳じゃない」
ふと、あたしの狼狽ぶりを見た左隣の席のニョンたん(呼びたくもないのに何故かそう呼んでしまう)にそんな心配をかけられたが、そこははっきり否定しておいた。
向こうで水しか飲んでないアホ女と一緒にすんじゃねぇ。おいショーコ、こっち見んな。あたしは同志じゃねーから。
「そっかー、お前も自分の正体が分かんねーのかー。じゃあ俺達仲間だな!」
「そーゆー事になるねー! よろしくゴンベー君☆」
「おう! なっちゃんもよろぴこ☆」
そうしている内に、メゼツは謎な生物と意気投合していたようだ。
『ゴンベー』って何だよ、名無しのゴンベーってやつか? つーか『なっちゃん』って、『よろぴこ』って何だよマジで!
何だこいつは、本当にメゼツか? 自分と同じ形をしてない奴を、散々『化け物』呼ばわりして、斬り殺してきたこいつが?
いや、何肩組んでんだよ。何足上げて踊ってんだよ。お前等仲良しかよ!
ダメだ。以前のあいつを知ってるだけに、今の状況に滅茶苦茶ムカついてるあたしが居る。
堪えろ。あたしから奴に喧嘩を売る訳にゃいかない。万が一戦闘になっちまったら、この酒場がぐちゃぐちゃになっちまう……!
「……なぁ、おねーさん」
「ん?」
またふと突然声をかけられて、あたしは振り向いた。
すると、ニョンたんの左隣に座っていたケーゴという少年が、心配そうにあたしの顔を見ていた。
「すっげー顔色悪いけど……、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ。体調が悪いって訳じゃねーよ……」
子供にまで余計な心配をかけさせたと思うと、何だか恥ずかしくなって、あたしはつい目を逸らしちまった。
けど、そう言ったところでケーゴは引き下がらず、席を立つとあたしの横まで歩いてきた。
「何か悩み事? 俺で良かったら聞くよ」
真剣な顔でそう言われて、あたしは面倒だとしか思えなかった。
そりゃ、言えるもんなら言いてーよ。けどすぐそこに居んだよ、あたしの悩みの種が!
……と返す訳にもいかず、返答に困りながら酒を呑んでいると、またあたしのすぐ横に近付く人影があった。
「お、なんだい坊や! 愛の告白かい!?」
あたしは思わず、口の中の酒をそいつにぶちまけちまった。そいつの発言の所為じゃない。それを言ったのが、さっきの謎な生物だったからだ。
いや何割り込んできてんだよ!? てか一番割り込んできて欲しくねー奴が来ちまったよ! 何ならあたしの酒、全部こいつにぶちまけちまったよ!!
「は、ハァ? それマジで言ってんの!?」
「マジもマジも大マジさっ☆ 見よ、この水も滴る円らな瞳!!」
突然茶々を入れられて、ケーゴは真っ赤になってるが、謎な生物はさっきと同様のテンションだ。
しかもあたしに酒をふきかけられたのに、それを全く気にしてない。寧ろ何か訳分からんネタとして使うぐらいだ。
あたしは戦慄を覚えた。この謎な生物が、あたしの前に現れたという事は……
「どーしたなっちゃん、誰と話してんの?」
出たよメゼツ! ついに顔合わせしちまったよ! どーすんだよこれ!!
いや、落ち着け……。あの謎な生物とでさえ、友好的に接してるんだ。あたしの顔を見て、何かしら思い出したって、急に性格が変わるような事は無い筈だ……。
「……おい、お前」
あ、これダメだ。明らかに奴の顔色が変わったし、心なしか声もクソ低くなった。
これは完全に記憶を取り戻して、あたしの事もバレた。他の客人、あたしが不注意なばかりに、迷惑かけちまってすまねぇ……。
「その鎧、シャ〇専用か!?」
そう思ったのも束の間、奴は爛々と輝かせた目で、全くもって意味の分からない言葉を発した。
鎧? 鎧ってこの、あたしの殻の事か? しかも何? 今何つった?
「わーお本当だ! シ〇ア専用お嬢さんだ! 3倍速い動きが出来たりするー?」
それを聞いて、謎な生物も乗っかかって来やがった。けど、本当に言ってる意味が分からない。
まずこれ、鎧じゃねーし。あたしの身体の一部分だし。3倍速く? 何言ってんだ?
数多の敵を潰し、この身を守ってきたあたしの自慢の殻を、生まれ持ったこの身体を、何ダト思ッテンダ……?
「あぶェッ」
気付いた時には、メゼツと謎の生物は酒場の壁にめり込んでいて、あたしのハサミに妙な感触が残っていた。
周りの客人や店員は、皆唖然としてあたしの方を見ている。恐らく、あたしがこのハサミであいつらを張り飛ばしたんだ。
「……壁、壊しちまって悪ぃな」
不思議と罪悪感は無く、かと言って怒りが残っている訳でも無かった。
心の中が正に虚無の状態になっていて、あたしはマリーアにメシ代と壁の修理費を出して、そのまま酒場を出た。
あたしを追う奴は居ない。多分あの二人も、壁の中でのびたままだ。今の内にとんずらしちまおう。
今日は良い天気だ。風も心地良い。さっき金を使っちまったし、このまま散歩がてらクエスト発注所にでも行くかねぇ。
ヤバい奴とは、関らないのが一番だ! そう思った途端に、あたしの心は晴れたのだった。