エーコの喫茶店はなじみの顔ばかりであまり代わり映えしない。着物の上からでもわかるゴツゴツとした鱗の竜人は気だるそうな顔の青年と何やら話し込んでいる。
「うーん、味わい深い。強い苦味の中にコクがある。僕が飲んでいるカルファはテーブルマウンテン原産の豆だ。温暖な海洋性気候の東方大陸南部から来る潮風がテーブルマウンテンにぶつかり雨を降らす。水はけが良いので豆に適している。自然が作り上げたカルファ農園というわけだ」
気だるそうだった顔はカルファを飲んですっかり覚めて、飲むかしゃべるかしている。
苦い顔して聞いている竜人は飲むこともしゃべることもできない。やっとのことで話を遮ったがうっかり口を滑らしてしまった。
「こっちのカルファはどこの原産の豆なんだい」
「君のカルファはアルフヘイム大陸のフローリア産の豆だ。フローリアはアルフヘイムの台所と呼ばれるほどの大穀倉地帯だが、本来カルファには適していない。そこから品種改良と魔法農業でカルファの名産地となった。生産者のたゆまぬ研鑽が作り上げたのがこの芳醇な香りというわけだ」
薀蓄を聞きに来たのでもカルファの匂いに誘われたのでもなく、僕には明確な目的があった。
そ知らぬ顔で常連客を横切ると、見知らぬ顔だったからか竜人が振り返える。リピーターの多い店だから一見さんは珍しいのかも知れない。
そのままカウンター席まで進むと、お目当てのオネーサンを見つけた。
何も変わらない。カウンターにほおづえつく後ろ姿だけでわかる。ショーコだ。アルフヘイムの森に溶け込むような緑の服は四年の歳月でボロボロになってはいたが、引き締まった体は一切衰えていない。むしろ痩せた？ はねっ返りの強いボサボサ頭だが、あいかわらずの艶っぽい黒髪は傭兵にしとくには惜しい。そんなショーコはカルファも頼まず女主人に絡んでいた。
「457年もののフローリア赤ワイン！」
「うちは喫茶店ですよ」
女主人のエーコはケモノ耳をひくつかせて駄々っ子を諭す。
僕はショーコの右隣の席に腰かけ、一杯カルファを頼んだ。
「アリューザのカルファをひとつ」
またふざけた注文かと思いエーコはいったん流したが、何かを思い出したように目を丸くした。そして棚から下ろした古い小瓶を開封し、マズルをひくつかせる。
豆の香りはフローリア産っぽいが、はてアリューザ産のカルファなどあっただろうか？ 聞き耳を立てていたカルファ道楽の青年はそういう顔をしていた。
ショーコが僕のほうを振り向く。見知った顔だったから。
「ジテン？ ジテンじゃないか？」
「ショーコさんお久しぶりです。僕が十二の時以来なのによくわかりましたね」
「わかるよ。その目。その髪。そのマント」
赤い目とちらりと目を合わせて、ショーコさんは僕の青い髪をぽんぽんと撫でた。白地にびっしりと文字が書かれたマントが寸足らずになってしまうほど身長が伸びたって言うのに。いつまでたっても子供扱いだ。
「探しましたよ。ショーコさんに聞きたいことがあるんです。今四年前のディアスポラの乱についての本を書いていまして。首魁の三人、ウォルト・ガーターヴェルト、レビ、フォーゲンの話を聞きにきました」
ショーコは喉に手を当て、身もだえしながら声を上げる。
「話したい。話したいんだけど、喉が……乾いたなあ」
「僕のおごりでいいんでショーコさんにも……」
エーコが僕の意思を汲み取って言葉を継いだ。二人分の豆を挽きながら。
「アリューザのカルファね」
カリカリと鳴る音と豆の芳しさがあの日に誘う。終わりの日であり始まりの日。ショーコは兵の詩をつむぎ始めた。
第１章 アリューザでカルファを
ダウ暦457年、戦争は終わった。
私たちの国、ダウ統一甲皇国が宿敵の精霊国家アルフヘイムとしていた戦争。生まれる前から続いてきた戦争が終わってしまう。
当時甲皇国の傭兵であった私はやはり腹をすかせていた。アルフヘイムに攻め込めば職にも食にもありつける。そう思っていたがアテは外れた。
そういうおいしい目に遭ったのは正規兵ばかり。我ら傭兵は鈍器のようなパンとクソまずい草の配給で飢えをしのいでいた。
戦争が終わって失職し、明日の暮らしなんてわからない。それでも一刻も早く故郷へと帰りたかった。
穴あきブーツをパカパカ踏み鳴らす。甲皇国への帰還船が出ているアリューザの港が眼下に見えてきた。
アルフヘイムを東西に貫くナルヴィア大河の遥か下流。大陸西端の軍港アリューザ。戦争末期甲皇国に上陸され長いこと占領下にあった。
おとぎ話に出てきそうな赤い屋根の白塗りの家の一群が河口デルタ地帯を埋めている。軍港のイメージとほど遠い。美しい海のロケーション、温暖湿潤な気候と相まって楽園のように見える。甲皇国の軍港とこうも違うのか。
職にあぶれた私はもはや観光客となっていた。甲皇国なら路地裏に露店がところ狭しと軒を連ねている。ところがどうだ。このアリューザときたら軍港とは思えぬかわいらしいお店が建ち並んでいる。
我ら甲皇国人はアルフレイム人は亜人だ、未開な野蛮人だと教わってきた。あれは何だったのか。何が硬パンだ、何が草だ。もう私は食うぞ。アルフヘイムの飯をかたっぱしから食い尽くしてくれる。
でもちょっとオシャレすぎる店は入りずらいので、とにかく量食わせてくれそうな大衆的な喫茶店でお茶することにした。
少ないがお金ならある。戦中ブイブイ言わせて荒稼ぎした金が。こう見えて結構強いのだ。
私はお冷を持ってきたウェイトレスに一番量の多そうなメニューを聞く。
「ないです」
「ないわけないだろ」
「甲皇国人に食べさせるものはないと言ってるんです」
昨日まで戦争してた仲である。私の金だって、亜人を斬り殺して得た金だ。甲皇国人は水でも飲んでろというわけか。
この第一印象最悪のウェイトレスこそ、誰あろう若かりし日のエーコその人だった。しかし後にエーコが自分の店を持ち、私が常連客になるんだから人生わからない。
空腹もあって私は気が立っていた。この時はスマン。
あつあつトーストを食べているオークを指差して怒鳴った。
「あのブタ野郎は食ってるのに、私に食わせないってのはどういう了見だ。同じ客だろうが」
すると私に便乗して甲皇国の正規兵らしき他の客もわめき出した。おそらく同じように水だけ出されたのだろう。
ついにはこの客、オークの食べていたトーストを横取りして口の中に詰め込んだ。野蛮だったのはどうも甲皇国人のほうらしい。さすがの私もこれには驚いたが。もっと驚くべきことに正規兵は両手で押さえた口から、爆発的に胃液を吐いて死んだ。
毒かと思ったが、オークのほうはピンピンしている。私は亜人を信用していない。人間だけに効く毒じゃないのか。私の疑念はエーコの言葉で払拭された。
「飢餓状態の人がいきなり高カロリーなものを食べれば、消化するためのエネルギーを消費して命を縮めることもあるんです」
どうやら甲皇国人が憎いだけで飯を出さなかったわけじゃなさそうだ。それが証拠にエーコは私にミルクがたっぷり入ったカルファを出してくれた。
「アリューザでカルファを」とは占領されたアリューザを取り戻し祝杯を挙げようといったアルフヘイムの標語だったとか。
少しわかった気がする。何のための戦争だったのか。もう誰にも分らない。だから私はこの一杯を飲むめにアリューザへ来たんだって、そう思う。
正規兵の遺体を引き取り私は店を出た。野蛮な男だったが、せめて帰還船に乗せてやりたい。せっかく戦争を生き抜いたのにつまらぬことで命を落としたこの男に同情していた。
青い海からひっきりなしに中型船がやってくる。似たようなつくりの倉庫の数がおびただしい。にぎわっている様だが、思っていたよりは小さい港だ。
ナルヴィア大河が運んでくる川砂が海底を埋め、水深は深くない。港の底の砂を定期的にかき出さなければ使えないほどだ。当然船底の深い大型船は港に入ってこれない。軍事上は都合が良かったが、戦争が終わった今となっては害でしかなかった。
中型船のピストン輸送では追いつかず、港は未帰還兵で溢れかえっている。荒くれ者どもが我先に帰ろうと押し合いへし合いしていた。
私も負けじと割って入って、船着場までたどり着く。すると私のように遺体をおんぶしている銀髪の兵隊が何やら係の士官ともめていた。
「うんうん。いかんよな、こういうことは」
「黙ってろ。平の兵隊は一番最後だ」
銀髪の兵隊が人が良さそうなせいで、係の士官がより一層横暴に見える。
「俺のおぶってる宮様だけでも乗せてくれないか」
「そいつネクルだろ。戦争で気が触れて廃嫡になった甲家の。皇位継承権がなきゃ一般人と同じだ」
どうやらあちらのおぶってるほうは、気を病んではいるが生きてはいるらしい。頭つるっぱげのいいオッサンだが「だっこだっこ」とせがんでいる。
騒ぎを聞きつけてきた黒いスーツの上役がそっと耳打ちすると、係の士官は手のひらを返して慇懃になった。
ネクルは黒服に帰還船と反対方向へ連れられて行く。遠くのほうで「ママーッ！」という声だけが聞こえた。
これならいけるかもしれない。私は「遺体だけでも帰還船に乗せてくれないか」と係の士官に頼み込んだ。
「生きてる人間優先に決まってんだろうが！」
よほどイライラしていたのか士官は遺体を海に投げ捨てた。小さな水柱が上がる。あっけにとられる私を尻目に「ひどい」と言い捨てさっきの男が飛び込んだ。もう一つ水柱が上がる。
つややかに銀色の髪を濡らして、男は遺体を引き上げた。どうしょうもないお人よしだがいい男。これがウォルト・ガーターヴェルトとの出会いだった。
私とウォルトはアリューザ郊外の共同墓地に遺体を埋葬した。どうせ一般の兵士が帰還船に乗れる順番が回って来るまで長そうだったから。
ウォルトが手伝ってくれたのは、まあお人よしだからだろう。
「悪いな。故郷へ帰せなくって。ここで安らかに眠ってくれ」
最後に一声かけてウォルトは墓石に背を向けた。と、いつからいたのか目の前に遊び人風のチャラい男が立っている。
「お二人さんも帰還船待ち？ 俺はフラー。怪しい人間じゃないよ。ヒマしてんならさ、いい仕事あるからついて来なよ」
おいしい話には裏がある。わかっちゃいたんだが背に腹は代えられない。仕事の無い私はついついついて行ってしまった。ウォルトまでついて来たのは、まあお人よしだからだろう。
「お待たせしました。アリューザのカルファです」
ショーコの話のくぎりが良いところで、エーコがカルファを出してくれた。
カルファの中にできた白黒のうずをじっと見て、ショーコは何を思っているのだろう。カップを持ち上げ、渦巻くカルファをショーコは飲み込む。
うまいのだろうか。苦いのだろうか。
私たちの国、ダウ統一甲皇国が宿敵の精霊国家アルフヘイムとしていた戦争。生まれる前から続いてきた戦争が終わってしまう。
当時甲皇国の傭兵であった私はやはり腹をすかせていた。アルフヘイムに攻め込めば職にも食にもありつける。そう思っていたがアテは外れた。
そういうおいしい目に遭ったのは正規兵ばかり。我ら傭兵は鈍器のようなパンとクソまずい草の配給で飢えをしのいでいた。
戦争が終わって失職し、明日の暮らしなんてわからない。それでも一刻も早く故郷へと帰りたかった。
穴あきブーツをパカパカ踏み鳴らす。甲皇国への帰還船が出ているアリューザの港が眼下に見えてきた。
アルフヘイムを東西に貫くナルヴィア大河の遥か下流。大陸西端の軍港アリューザ。戦争末期甲皇国に上陸され長いこと占領下にあった。
おとぎ話に出てきそうな赤い屋根の白塗りの家の一群が河口デルタ地帯を埋めている。軍港のイメージとほど遠い。美しい海のロケーション、温暖湿潤な気候と相まって楽園のように見える。甲皇国の軍港とこうも違うのか。
職にあぶれた私はもはや観光客となっていた。甲皇国なら路地裏に露店がところ狭しと軒を連ねている。ところがどうだ。このアリューザときたら軍港とは思えぬかわいらしいお店が建ち並んでいる。
我ら甲皇国人はアルフレイム人は亜人だ、未開な野蛮人だと教わってきた。あれは何だったのか。何が硬パンだ、何が草だ。もう私は食うぞ。アルフヘイムの飯をかたっぱしから食い尽くしてくれる。
でもちょっとオシャレすぎる店は入りずらいので、とにかく量食わせてくれそうな大衆的な喫茶店でお茶することにした。
少ないがお金ならある。戦中ブイブイ言わせて荒稼ぎした金が。こう見えて結構強いのだ。
私はお冷を持ってきたウェイトレスに一番量の多そうなメニューを聞く。
「ないです」
「ないわけないだろ」
「甲皇国人に食べさせるものはないと言ってるんです」
昨日まで戦争してた仲である。私の金だって、亜人を斬り殺して得た金だ。甲皇国人は水でも飲んでろというわけか。
この第一印象最悪のウェイトレスこそ、誰あろう若かりし日のエーコその人だった。しかし後にエーコが自分の店を持ち、私が常連客になるんだから人生わからない。
空腹もあって私は気が立っていた。この時はスマン。
あつあつトーストを食べているオークを指差して怒鳴った。
「あのブタ野郎は食ってるのに、私に食わせないってのはどういう了見だ。同じ客だろうが」
すると私に便乗して甲皇国の正規兵らしき他の客もわめき出した。おそらく同じように水だけ出されたのだろう。
ついにはこの客、オークの食べていたトーストを横取りして口の中に詰め込んだ。野蛮だったのはどうも甲皇国人のほうらしい。さすがの私もこれには驚いたが。もっと驚くべきことに正規兵は両手で押さえた口から、爆発的に胃液を吐いて死んだ。
毒かと思ったが、オークのほうはピンピンしている。私は亜人を信用していない。人間だけに効く毒じゃないのか。私の疑念はエーコの言葉で払拭された。
「飢餓状態の人がいきなり高カロリーなものを食べれば、消化するためのエネルギーを消費して命を縮めることもあるんです」
どうやら甲皇国人が憎いだけで飯を出さなかったわけじゃなさそうだ。それが証拠にエーコは私にミルクがたっぷり入ったカルファを出してくれた。
「アリューザでカルファを」とは占領されたアリューザを取り戻し祝杯を挙げようといったアルフヘイムの標語だったとか。
少しわかった気がする。何のための戦争だったのか。もう誰にも分らない。だから私はこの一杯を飲むめにアリューザへ来たんだって、そう思う。
正規兵の遺体を引き取り私は店を出た。野蛮な男だったが、せめて帰還船に乗せてやりたい。せっかく戦争を生き抜いたのにつまらぬことで命を落としたこの男に同情していた。
青い海からひっきりなしに中型船がやってくる。似たようなつくりの倉庫の数がおびただしい。にぎわっている様だが、思っていたよりは小さい港だ。
ナルヴィア大河が運んでくる川砂が海底を埋め、水深は深くない。港の底の砂を定期的にかき出さなければ使えないほどだ。当然船底の深い大型船は港に入ってこれない。軍事上は都合が良かったが、戦争が終わった今となっては害でしかなかった。
中型船のピストン輸送では追いつかず、港は未帰還兵で溢れかえっている。荒くれ者どもが我先に帰ろうと押し合いへし合いしていた。
私も負けじと割って入って、船着場までたどり着く。すると私のように遺体をおんぶしている銀髪の兵隊が何やら係の士官ともめていた。
「うんうん。いかんよな、こういうことは」
「黙ってろ。平の兵隊は一番最後だ」
銀髪の兵隊が人が良さそうなせいで、係の士官がより一層横暴に見える。
「俺のおぶってる宮様だけでも乗せてくれないか」
「そいつネクルだろ。戦争で気が触れて廃嫡になった甲家の。皇位継承権がなきゃ一般人と同じだ」
どうやらあちらのおぶってるほうは、気を病んではいるが生きてはいるらしい。頭つるっぱげのいいオッサンだが「だっこだっこ」とせがんでいる。
騒ぎを聞きつけてきた黒いスーツの上役がそっと耳打ちすると、係の士官は手のひらを返して慇懃になった。
ネクルは黒服に帰還船と反対方向へ連れられて行く。遠くのほうで「ママーッ！」という声だけが聞こえた。
これならいけるかもしれない。私は「遺体だけでも帰還船に乗せてくれないか」と係の士官に頼み込んだ。
「生きてる人間優先に決まってんだろうが！」
よほどイライラしていたのか士官は遺体を海に投げ捨てた。小さな水柱が上がる。あっけにとられる私を尻目に「ひどい」と言い捨てさっきの男が飛び込んだ。もう一つ水柱が上がる。
つややかに銀色の髪を濡らして、男は遺体を引き上げた。どうしょうもないお人よしだがいい男。これがウォルト・ガーターヴェルトとの出会いだった。
私とウォルトはアリューザ郊外の共同墓地に遺体を埋葬した。どうせ一般の兵士が帰還船に乗れる順番が回って来るまで長そうだったから。
ウォルトが手伝ってくれたのは、まあお人よしだからだろう。
「悪いな。故郷へ帰せなくって。ここで安らかに眠ってくれ」
最後に一声かけてウォルトは墓石に背を向けた。と、いつからいたのか目の前に遊び人風のチャラい男が立っている。
「お二人さんも帰還船待ち？ 俺はフラー。怪しい人間じゃないよ。ヒマしてんならさ、いい仕事あるからついて来なよ」
おいしい話には裏がある。わかっちゃいたんだが背に腹は代えられない。仕事の無い私はついついついて行ってしまった。ウォルトまでついて来たのは、まあお人よしだからだろう。
「お待たせしました。アリューザのカルファです」
ショーコの話のくぎりが良いところで、エーコがカルファを出してくれた。
カルファの中にできた白黒のうずをじっと見て、ショーコは何を思っているのだろう。カップを持ち上げ、渦巻くカルファをショーコは飲み込む。
うまいのだろうか。苦いのだろうか。