トップに戻る

<< 前 次 >>

"人"

単ページ   最大化   

「殻」


ある朝、わたしの部屋のまわりを、
流砂が雨と降りそそいでいた
黄色い雨は殻となった
雨がわたしの殻となった

いじけた殻
無精卵の殻
居心地のいい殻
冷ややかで固い殻
決して誰にも破られず、
傷つけられることもない殻
わたしの頭蓋骨に似た殻
無益なことばでいっぱいな殻
殻のための殻
空っぽの殻

誰もわたしの殻をこじ開けには来ない
そんなこと望まない、望むだけむだ
なぜって、この殻はわたしにしか見えないんだから
わたしにしか見えない絵、
わたしにしか見えない文字、
わたしにしか見えない自画像を描くための殻なんだから

ああ、それにしてもなんて立派な殻だろう
わたしはただ一人うっとりとなって、
この流砂で包まれた果てしなく広い部屋のなか、
得意になって散歩しながら、
叩くと心地好い音をひびかせる、
わたし自身の殻になりたいと願う



「碇」


すきまのような人でした、
人波にするどく切りこめば
モーゼのように彼らを分かち、
かまいたちのように喧騒を運び去る
切り傷のような人でした。

けれども、だれが気づいたでしょう
彼が刻んだそのヒビに
声という声、
苦悩の泡がのまれることに。

だれが見つめていたでしょう
彼の背中を、
視線の果ての海溝を。

それはきっと呼び声のうちよせる断崖、
浮かぶことなき沈黙、そしてなにより
この海で私をつなぎとめる
ただひとつの
碇。


10, 9

  

「記憶が吹きぬける」


ねえ、これはついさっき、
私が不審に思うよりもさき、
だれか、ひどくしわがれた声が
通りぬけざま、もったいぶって
一席ぶったものですが、

「聞け。今宵、よい目を見たくば
風には身をさらさぬがよい。
窓には、それが口を開かぬよう
手痛く板をば打ちつけよ

這いよる夜の舌の下ばたらきが
すきまをすりぬけ語りかけぬよう、
今よりよほど今々しいという
過去の禍根が語りかけぬよう、

なぜなら、あらゆる記憶の奥底にすまう
断罪の声は越えがたい。
反証で勝負し、手掛かりを借り
その手が仮に通用しなくば
痛痒どころの話でなし

束の間いつかのまやかしの詩歌で
ぬけぬけ言い抜けられぬかだと?
ぬかせ小僧め! せめて責め苦は
いとわぬことだ。糸は抜けぬぞ
だれの古傷の縫いあとからも

だから聞け。おまえの未来を来賓のように
手厚く迎えたいならば
これが夢とはゆめゆめ思うな
おうなの助言は聞くものぞ

さて、そろそろ
目を覚ますのだ、
そろそろと寝床から
這い出すのではいけない。
おまえは生き、
活きいきと暮し、
そしていつかは
死ななければいけない」


(2019/12/24 Tue.)
「無限小の不定点」


あまりに多くの堅固な壁が
わたしの生存を阻んでいるのは、
あまりにぎごちなく触れてきた全てが
あるがままでいることをやめてしまったから

あまりに静かで場違いな喧騒が
こころの表層をかすめてゆくとき
遠くのものはいっそう遠のき
近くのものは実体をなくす

わたしは
無限小の不定点
平面上を浮動する一点、
瞬間と瞬間とのかすかな繋ぎ目に
爪先をひっかけ、ぶざまに倒れ伏し
そうして時間の移行に乗り遅れたわたしは
どこまでも扁平な平面上の一点として
雄々しく悠然と立つすべてのものに
みにくい羨望の目を向けつつ
身のおきどころなく
たゆたっている

わたしの
意識を重たげに背負う
くたびれた二匹のロバがいて、
彼らは履きつぶされたスニーカーを
乗り物代わりにして、交互に、盲目的に、
進んでゆく、あのすでに見慣れた未開拓地で
だれが振り下ろすともしれぬ鞭の先が
このくたびれた二匹の連れ合いを
わけもわからず急き立てるなか
すでに見慣れた未踏の荒野で
わたしは、小さくなって
しゃがんでいる


と雑踏へ
分け入るごとに、
わたしの居場所は
消えていく
わたしは
無限小の不定点、
平面上の中継点、
垂直である生死の昇降と
水平である地上の自我との
まるで自覚のない
接点



(2020/3/9/Mon.)
12, 11

朽家ベル 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る