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静蓮の章

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 私の友は怪力と武勇に優れた英雄であり、奥深い知識を持つ宗教指導者。



 また、あらゆる女性を惹きつける魅力的な牧童、そして全宇宙を内包する神だった。



 何人も抵抗できない力を持つ棍棒を持ち、投げるチャクラムは正確に的に当たる。



 横笛を吹けば、世の女性は魅了され、戦いの勝利は約束される



 そんな友は、私の迷いを払った。



 私は戦う意味に、悩むことを止めた。



 元々人間とは存在しない物であり、いずれは皆死ぬ。



 今、己の役目は戦うことだ。



 友よ、私はお前の事を一心不乱に信じることに決めた。



 心配はしない。 現世にも執着はしない。



 今は己の役割を果たすときなのだ。
 アライ・ゲンジロウを殺したのち、玄龍会は二つに分かたれた。



 一つはワタリ・ゴンゾウに従う者達であり、もう一つはそれ以外の全てだった。だがゴンゾウにとって、それらは取るに足らない烏合の衆に過ぎなかった。



 ゲンジロウより譲り受けた豊かな基盤、呂角の武勇、そしてイザヤの予言に導かれ、ゴンゾウは僅か数か月の間に、あっけなく千寿の王となった。



 それでも、ゴンゾウは不思議な気を微塵も抱かなかった。さも当然のように事務所内の高級な椅子に腰かけ、謀略を練り、反抗する者達を叩き潰し続ける日々だった。



 美しい女性と結婚し、娘を設けてもその日々は変わらなかった。



 人の人生は短い。だが己には為すべき事が多い。



 汚れを覆い隠してとり澄ましている千年の都を変える。それは自分の代で終わらさなければならない。父やアライを悼む為ではない。王の姿をかいまみるだけであってはならぬと、己の魂が叫ぶ声を聞いたからだった。



 そんなあるとき、ゴンゾウは夢を見た。



 自分は百万の民衆を統べる古代の王だった。だがあるとき、自分はその都に火を放った。火の手が風に煽られ瞬く間に大火事となり、都の半分以上を焼いた。大部分は灰燼に帰し、残りは倒壊した家の残骸をわずかに留める程度だった。



 目を覚ますと、目の前に顔を覗き込む妻のチグサがいた。



 チグサは絹のような長い黒髪に、細く白い手足、きりっと整った目鼻立ちに、何者をも寄せ付けない気の強さを持った女性で、元はゴンゾウの部下の妹だった。その部下は卑しい身分の出自だったが、ゴンゾウの為に雄々しく戦って死んだ。死後、ゴンゾウがその家族の世話を焼いているうちに出会い、懇意となった末に結ばれた。



「随分とうなされていたわ。」



「この夢を見るのは今回で三度目だ。だが、死んだように眠るよりはマシだ。」



「シグレもうなされている様に見える事がよくあるわ。親子揃って熟睡が出来ないのね。」



 チグサと交わってから一か月後、娘が生まれた。



 生まれた直後、イザヤは此れを間引くべきと進言したが、チグサの猛反対で命を許され、名をシグレと名付けた。



「シグレも眠れんのか。困ったものだ。」



 チグサとシグレに会えるのは数週間に一度だった。王となった後も、玄龍会の残党との戦いは熾烈さを増し、その日々に忙殺されている。思った以上に長引いている事に、ゴンゾウは静かな焦りを感じ始めていた。



「今度、会えるのはいつ頃になりそう?」



「分からぬ。だが、もうまもなく片が付くだろう。」



「同じ言葉を一年前に聞いたわ。でも仕方がないのよね、貴方は千寿の王なのだから。」



「お前がいてくれるだけで、俺は安心だ。」



 チグサはふふっと笑うと、ゴンゾウの頬を両手で覆った。



「貴方は自信に溢れて、何でも自分の思い通りになると信じている。けど、貴方の一番良い所はどんな偏見も持ってないことよ。貴方は、私達の希望なの。」



「何があろうと、俺はお前達を愛している。チグサ、シグレ。」



 ゴンゾウはチグサと口付けを交わすと、再び修羅の道へと帰って行った。

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 チヅルとシズカとの戦いから五日経っていた。



 毎日の日課である朝食の支度をしながら、キッチンに立つウツミは悶々とした表情を浮かべていた。シズカを連れ去られてから三日後、ウツミは暗い闇に包まれた路地でライゾウと出会った。顔を見た瞬間、思わず身構えたが、ライゾウは平然とした表情のままウツミを制した。シズカの居場所を聞いても知らぬ顔で答えようとしない。それに、まるで常に居場所を知られている様で嫌な気もした。だが、ライゾウの口から出てきたのは、耳を疑う話ばかりだった。



「パパ、おはよう。遅くなってごめん。」



 背後の声に振り向くと、水色のエプロンを着たアリスがいた。



「おはよう、アリス。もう少しで出来上がるから、座っていなさい。」



 ウツミはフライパンの上の卵を器用に畳むと白い皿に移し、チャービルを盛りつけた。



「肩を怪我しているんだから、無茶しちゃ駄目。パパこそ座っていて。」



 アリスは盛り付けた皿をひょいと持つと、手早くテーブルへ運んで行った。



 此処に住んでからというものの、アリスの表情は少しずつ柔らかくなっている気がしていた。氷の美貌はそのままに、時折笑みを見せる様になったし、本来の彼女に戻ってきているのかもしれない。信じた男性や母に裏切られた事によって出来た心の傷は、彼女から年相応の感情を奪っていた。耐え難い苦痛を感じた記憶は消えない。だが、其れを乗り越える力をアリスは持っていた。



 ウツミはフライパンを水に浸けると、アリス共に食卓に座った。



「いただきます。」



 焼きたての卵を頬張ると、口の中にほんのり甘く、柔らかい食感を感じた。



 ウツミはいつの間にか、毎日こうして朝食を作り、アリスと食事をする事が、掛け替えのない時間になっていた。アリス以上に、自分の心は癒されているのかもしれない、とウツミは思った。



「パパ、ちょっといい?」



 突然話しかけられたウツミが思わず顔を上げると、目の前にはアリスの直視があった。



 アリスの直視は思わず見惚れると同時に、誰もが目を逸らせない。その眼差しに見詰められれば自分が裸になった気分を味わう。それはアリスが自分を咎める手段の一つであり、何か隠し事をすると必ず向けてくる眼差しだった。



「アリスには嘘を付けないな。」



「パパはすぐ隠し事する。ここ数日、何度か目が泳いでた。そろそろ話してもいいんじゃない?」



「大した事じゃない、大丈夫さ。」



 アリスの眼が徐々に冷たさを帯びてきた。



「分かった、アリス。話すよ。ただ少し段階を踏みながら話す必要がある。」



「私はどんな話でも驚かないから大丈夫。準備が出来たら話し始めて。」



 何から話そうか。ウツミは考えを巡らせながら、すぅっと息を吸った。

 私は五日前、千寿のスラム街でシゲノ・ライゾウという男と出会った。



 彼は冷酷な男だったが、どこか私に対して親しみを込めた態度を取った。それも、父の事をよく知っている様な素振りを見せていた。私は直感的に、彼が父の死の真実を知っていると感じた。



 私はそれから二日間、わざと派手な動き方をした。犯罪組織の事務所に殴り込みを掛けたり、巷で話題になっている殺し屋に挑んだりした。彼が自分を見つけてくれるようにする為だった。



 そうしているうち、私の目論見通りに彼と接触する事に成功した。



 大通りから一歩入った路地の中、彼は苦笑いを浮かべながら、私の前に立った。



「コーポス、俺に会いたいならレ・マグネシアに来い。店員にはヴィルフォールを頼めばいい。美味いぞ。」



「お前には聞きたい山ほどある。まずはあの時、お前は連れ去った女性の事だ。」



「彼女には用があってな。だが、口が固すぎて、最期の時まで口を割らなかった。」



 私は怒りをぐっと堪えながら拳を握りしめた。あのとき、自分が動いていれば助けられたかもしれない。自分のせいで人が死んだ。青臭い正義感と偽りの仮面、シグレにそういわれた事を思い出した。私は必死に冷静を装いながら口を開いた。



「次は、先代コーポスの事だ。お前は何か知っていそうなそぶりをしていたな。」



「懐かしいな。彼奴は俺と共に戦った仲だ。千寿の王、ワタリ・ゴンゾウを倒す為に。」



「では、そのゴンゾウが先代コーポスを殺したのか?」



「そうだ。腕利きの刺客を使い、不意を突いてコーポスを殺した。そしてゴンゾウは再び王へ返り咲くべく千寿に戻って来ている。故に、俺はお前と協力したい。」



 あっさり父の仇を告げられた私は手が震えた。長年追い続けた仇がすぐ近くにいたからだ。ゴンゾウへの殺意にも似た思いが湧き上がるのを堪えながら、私はライゾウの誘いに対して承諾するか否か窮した。



「そのゴンゾウはどういった男だ。」



「千寿を良くする為に闇の勢力を一掃する、と唱えているが其れは建前だ。奴は自らに反対する者達を叩き潰し、千寿を我が物にしようとしている。奴に付き従っている連中は、それによって甘い汁を吸おうとしているだけだ。」



 闇の勢力を一掃する。それは、今でも自分が望んでいる事だった。だが、そんな夢の様な事が出来るはずがないと、なかば諦めている夢でもあった。



「ライゾウ、私はどうしてもお前を信用できない。お前もまた、千寿の人々を苦しませ、食い扶持を得ている男に過ぎないからだ。」



「その通りだ。だが、それが千寿を長年繁栄させた秩序だ。これが失われたとき、千寿は真に混沌の闇へと堕ちるだろう。」



 私は言い返せなかった。千寿が長年発展してきたのは闇の勢力の力に因るところが大きいし、それによって仮初の均衡と秩序を保っている。だが、貧しい人々が搾取され、金持ちばかりが富む事に対しては我慢ならない事であった。



「私は治安を向上させ、貧しい者が損をしない千寿へと変える事が目的だ。其れに直結するものでない限り、私はお前に協力をしない。」



「青いな。だが、それもよかろう。気が変われば、いつでも俺の店へ来い。」



 そう言って、ライゾウは去っていった。

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 ウツミは話を終えると、ふぅと溜息をした。



「アリス。私はどうすれば良いのか分からない。父の仇であるゴンゾウは憎い。だが、その考えは理解できる。」



「でも、そのライゾウって人は信用出来ないんでしょう?」



「そうだ。だが、父はライゾウと協力していた。」



 アリスはウツミを直視しながら腕を組んだ。



「でも、どちらにしても、パパ無理にコーポスである必要はないと思う。」



「私がコーポスであろうとしている、とはどういう意味だい?」



「人を殺さない、銃を使わない、千寿の為に犯罪者を取り締まる、全て前のコーポスから受け継いだ事でしょう? 騒乱で活躍した千寿の救世主である事も、それを決めたのはパパじゃない。だから、無理にコーポスであろうとするから苦しんでいる。パパは、パパであれば良いと思う。」



「私は、私であれば良い、か。ありがとう、アリス。お蔭で支えが取れた気分だ。」



「本当に、そうであればいいけど。」



 アリスは考え込むように目線を逸らすと、下を向いた。



「さあ、食べよう。食事が冷めてしまうからね。」



 話せて良かった、とウツミは思った。自分だけで抱え込んでいたら、恐らくは破滅していたのかもしれない。目の前に共に感情を共有し、共に考えてくれる女性がいることがこの上なく嬉しかった。
 薄暗い階段を下り部屋に入ると、部屋に染み込んでいるような甘い香りがした。部屋の壁一面には赤い背景に巨大な竜の刺繍が施され、蛇柄のシートの掛かったソファーの上には中央のテーブルを境にライゾウとキムが向き合う様に座っていた。



「久しぶりだな、シグレ。身体は問題ないのか?」



「大丈夫だ、ライゾウ。久々の休暇を楽しんだところだ。」



 シグレはキムの隣に座ると、火の着いたシダー片で口に咥えていた葉巻に着火させた。



「シグレさん、休暇も結構ですが、ゴンゾウを殺す役目を忘れてはいませんか?」



「あの時は邪魔が入っただけだ。まだ依頼は継続中だろう?」



 シグレが横目で見ると、キムは少し老けた様に思えた。六文組や呂角に襲撃され、幹部の大半を殺された挙句、自分も命からがら逃げた。生きた心地がしなかったに違いないし、今も尚襲撃される恐怖に慄いているのかもしれない。キムは白い息を吐くと、葉巻を皿に置いた。



「早速だが本題に入りましょう、シグレさん。私は貴方に対する依頼を取り下げます。」



「それはどういう事だ。」



 ライゾウは今にも怒り出そうとしているシグレを左手で制すると、目の泳いでいるキムに顔を向けた。



「俺も知りたいな、キム。俺はシグレ以上の刺客を知らん。何かアテがあるのか?」



「はい、より優秀な刺客を見つけました。名をスイレンと言い、若く、実戦経験こそ少ないものの、その技量は他を圧倒する女性です。私の見立てでは、シグレさんより上かと。」



「そんな素人に、私の代わりが務まるのか?」



「あそこまで私達がお膳立てした絶好の機を失い、標的を前にしながら逃亡した貴女よりはマシでしょう、シグレさん。」



 キムがはっきりと言い切った瞬間、シグレは机を蹴り上げて立った。その顔は真っ赤に高揚し、目には激しい怒りの炎が灯っていた。



「殺されたいか! 薄汚い糞野郎!」



 ライゾウは慌てて今にも短槍を取り出そうとするシグレの右手を掴んだ。



「落ち着け、シグレ。お前以上の刺客はおらん。恐らくそいつは呂角に殺されるのがオチだ。」



 シグレは目に怒りを滲ませながらライゾウの腕を振りほどくと、キムを睨みつけた。



「いいだろう、キム。私の獲物をくれてやる。だが、二度とお前の依頼は受けん。お前が連中に無惨に殺されようと知った事か。」



 シグレはキムに背を向けると、烈しい足音と共に部屋の外へと出て行った。



 まずい状況になった、とライゾウは思いつつソファーに座ると頭を抱えた。



 このままではシグレほどの手駒を失いかねないばかりか、最悪の場合ゴンゾウ側へ鞍替えしかねない。



「キム、そのスイレンという者は呂角やシグレよりも強いのか?」



「技量は上回るでしょう。隠密の技術も持っておりますし、間違いなく、今回の襲撃を任せてもよいでしょう。」



 ライゾウは以前から六文組などのゴンゾウ側の組員を捕えては情報を聞き出そうと躍起になっていた。間者の数はこちらが圧倒的に多いが、得る情報に統一性がなかった。どんな末端の者であろうとも捕え、時折拷問にかけながら情報を聞き出そうとした。一週間前、六文組のシズカを捕えて激しい拷問をかけた。肉を削ぎ、爪を剥がし、皮膚を焼いたが、最期の時まで口を割ることはなく絶命した。



「得ている情報は少ない。今回の襲撃も不安定この上ない。罠の可能性もある。」



「彼女ならば、たとえ罠であろうともやり遂げるしょう。」



 ライゾウは無言で頷いた。だが、何か嫌な予感がしていた。



 自分はゴンゾウを殺す事ばかりに執着していないだろうか。



 己がもし敵であるなら、まずは其処を突く。



「スイレンに伝えてくれ。今回の襲撃は慎重に行え。罠のときはすぐに撤収しろ、と。」



 今回の襲撃が成功すれば騒乱は終わる、と自分に言い聞かせるも、ライゾウの不安は消えなかった。

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 千寿の王の片腕であり、金剛不壊の守護神。片腕でありながら天下無双の武人。呂角の名前を聞いたとき、心が滾った。ただ頂点を目指し、この世で最も強い者になる為に修練を続けてきた。幼い頃に高名な武術家に拾われて二天豹爪術を習い、二本の刀を振るえばいかなる相手にも負けなしだった。



 周囲からは百年に一人の天才と持て囃されたが、それに感けることなく腕を磨いてきた。身体に流れる気の流れを自在にし、肉体は柳の如く柔らかい。体術や隠密の術も身につけ、それらを極めてきた。それでも、まだ十八歳で無名の自分が呂角に挑める機会を得られるとは考えていなかった。



 数週間前、名を売る事を目的に龍門会のキム・ジュオンに接触した。彼は何者かに怯え、焦燥しきっていた。一通りの技を披露し仕官の旨を伝えると、二つ返事で了承された。



 彼が怯えていた相手とは呂角だった。襲撃に遭い、幹部を大勢殺され、自分もまた命からがら逃げ出したという。仕えて数日と経たないうちに、キムは自分に呂角を殺す事を命じた。



 自分もまた二つ返事で了承した。名を売るには、これ以上の相手はいない。



 そして、実行の夜がきた。



 黒の忍び装束に着替え、腰には二本の愛刀を差し、準備を万端にした。迎えに来たのはアカメという名の間者で、年齢は自分とそれほど変わらなそうな女性だった。



 簡潔な説明を受け、呂角が潜むというビルの前まで案内された。一見、何処にでもあるような商社ビルで、守衛すら見当たらない。窓からはぼんやりとした明かりが漏れ、外から見る限り特に警戒している様子は見当たらない。



 漸く、名を立てる事が出来る。後頭部にぞわぞわとした感覚を覚え、武者震いを必死に抑えた。



「アカメと言ったな。呂角を討てば、私はどれほどの名誉を得られる。」



「そんな事を考えている暇があったら集中しろ。殺しの間で功名心は邪魔になる。勝てないと思ったら撤退しろ。ライゾウ様の命で、私がお前をサポートする。」



 一瞬、感じの悪い者だと思ったが、彼女なりの気遣いなのかもしれない。



「ビルの敷地内は監視カメラだらけだ。何処に罠があるかも分からん。どうやって侵入するかは、お前の隠密の術に任せるそうだ。」



 アカメはそう言うと、風の様な速さで何処かへ消え去った。



 春にしては冷たく感じる風が吹く中、一人になった。



 これより呂角を討ち、伝説を始める。



「二天豹爪流、スイレン、参る。」



 腰に差した二本の愛刀の鍔に指をかけ、建物に向かって駆け出した。

 ウンノ・ソウジ。それが自身の名だった。



 いつから名があったのか覚えがなく、親の顔すら覚えていなければ興味すら持った事がない。



「退屈。」



 ソウジは足を崩すと胡坐のまま床を跳ねた。



 面白そうに思えたから六文組に入ったにも関わらず、出番がなかった。気分が高揚したのは龍門会へ殴り込みを掛けた時だったが、大物は全て呂角が斬り殺し、自分は露払いをしたのみだった。



「斬りたい。可哀そうな人を、沢山斬りたい。」



 ソウジは寝転がると、床をごろごろと転がった。壁の方を見ると、怪訝そうな表情を浮かべた六文組の組員達が見えた。



「いっそ君らを斬って、あっちに寝返ろうかな。」



 ソウジが微笑むと、表情を変えた組員達は一斉に胸元に手を入れた。



「冗談だよ。報酬は貰っているんだから、その分の仕事はするよ。」



 冗談ではなかった。退屈は自分が一番嫌いな事だった。今思い返すと、ワタリ・ゴンゾウや呂角は特に斬り甲斐のありそうな人間に思える。



 ソウジは起き上がると大きな生欠伸をした。



 初めて人を斬ったのは九歳の頃だった。千寿の片隅で溝鼠同然に過ごしていたとき、自分を嘲笑した大人をナイフで滅多刺しにした。嘲笑された事に怒ったわけではない。ただ斬る理由が欲しかった。顔に血が飛び散ったとき、何とも言えない高揚感に包まれた。特に、立派な身なりの男性を斬ったときの興奮は忘れられない。顔に飛んだ赤い血で化粧をし、こと切れ、血の泡を吹いた男性に口づけをした。男の血のまじった唾液を舐め取り、舌を絡めていると、今までに味わった事のない幸福感を得た。



 ソウジは身体を震わせると、壁に立てかけてある愛刀を取った。刀身三尺の大太刀で名を虎眼丸という。ある古びた寺に祀られた妖刀で、古の鬼が使っていたとされ、その刃は虎の眼の様に狂猛な輝きを放っている。



「何か、血の匂いがするね。」



 白化粧の中に浮かぶ血走った目を見開きながら、ソウジは六文組の組員を見渡した。



「アタシの鼻はね、十里離れても血の匂いが分かるのさ。二人、既に死んだね。」



 ソウジの言葉に、六文組の組員達がざわついた。



「大したもんじゃないか。自分から網に掛かってくるなんかさ。可哀そうに。」



「ソウジ様、敵の数は如何ほど。」



「一人だね、可哀そうに。でも、孤独に死ぬ事はないよ。」



 組員の一人が瞬きをしたとき、その首は毬の様に床に転がった。



「最初から、こうしておけば良かった。」



 虎眼丸が生き物の様に動くごとに、その場にいた組員達の首が宙を舞った。



 室内は瞬く間に血に染まり、まるで血の暴風雨が起きたかの様だった。



 ソウジは身体がぞくぞくと泡立つ感覚を覚えた。もっと早くこうしていればよかった。



 血に濡れた虎眼丸を振ると、壁一面に血雫が飛び散った。



「おいで、其処にいるんだろう?」



 ソウジが部屋の外に話しかけると、ゆっくりと扉が開いた。



 部屋に入って来たのは、黒い忍装束の女だった。腰には二本の刀を差し、何か奇怪なものを見る様にソウジを見詰めていた。



「お前は呂角ではないな。そして、六文組でもない。」



「アタシはウンノ・ソウジ。アンタみたいな子を待っていたんだよ、ずっと。」



「私の名はスイレン。呂角の代わりに、お前の首を貰う。」



 スイレンは抜刀すると、二刀を上段に構えた。



 二天豹爪流の技だった。敵が長い太刀であれば、重さに任せた敵の一撃を一刀で躱し、足を深く踏み込み、上段から振り下ろしたもう一刀とで、十字で打太刀の太刀を押さえ込む。

押さえられた大太刀は下がるしか出来ず、これに間合いを離さないように前進し動きを封じ込む。仮に下がって刀を抜き、突きで顔を狙ってきた時は、それを一刀で受けて即座にもう一刀で払うように打ち落とす、攻防一体の奥義。



 しかし、ソウジは構えるどころか、抜刀すらしなかった。



「ソウジ、なぜ構えない。私を舐めているのか。」



「はやくおいで。嬲り甲斐があるか、見せてもらうから。」



 スイレンはソウジを睨みつけると、右に、左に、流れる柳の様に身体を動かしながら一歩、二歩と間合いを詰めていく。



「その油断が、お前の命取りだ。」



 必殺の間合いに入ったとき、スイレンの左つま先が動いた。右足を大きく踏み込み、左の一刀を振り下ろした。それは、まるで獲物を狩る豹の様だった。刃はソウジの頭部目掛けて吸い込まれていく。そのとき、ソウジもまた大太刀を抜き放った。瞬く間に、二人の身体が交錯した。

刀を振り下ろしたスイレンが背後を振り返ると、床にソウジが纏う白装束の切れ端が落ちていた。刃はソウジの肩を掠めたのみだった。初手の一撃は避けられたが、まだ次の手段は残っている。



「その大太刀で居合を使うのか。だが、次はないぞ。」



 振り下ろした左腕を再び上段に構えようとしたとき、スイレンは何か違和感を覚えた。

左腕に力が入らない。



 二の腕から指先まで力が入らず、まるで鉛の様に重い。



「斬られたのが分からなかった?」



 ソウジは裂けんばかりに口角を吊り上げながら、にっと笑うと、虎眼丸を軽く振った。スイレンの顔には血の滴が飛び散り、それが自分の血である事を咄嗟に理解した。



「剣士にとって腕を斬られる事はどういう結末を迎えるか、分かるよね?」



 まだ右腕が残っている。



 スイレンがもう一方の刀を持ち上げようとしたとき、ソウジの虎眼丸が一閃した。



 刀を握ったままの右手首が血しぶきと共に宙を舞い、がちゃり、と音を立てて床に落ちた。



「可哀そうな子。まだ若いのに、罠にはまって斬られるなんて。」



 ソウジは身震いすると、まるで小枝で遊ぶ子供の様に虎眼丸を振った。一度振るごとに、スイレンの肌は裂け、血の斑点が部屋の壁に飛び散っていく。



 自分を甚振る事で楽しんでいる。



 スイレンは薄れゆく意識の中、ソウジの歪な笑顔を見てそう思った。



 どうせ斬られるのであれば、呂角が良かった。



 目の前の男を楽しませる為に、自分は過酷な修練を行ってきた訳ではない。

日々剣を磨きつつ、あるときは隠密の術を必死に覚えこみ、あるときは拷問に耐える訓練をし、あるときは面倒な書物を読んで殺しに必要な知識を得た。そして、満を持して、名を上げる機会を与えられた。



 このまま、自分は死ぬのか。



 誰にも覚えられないまま、ただの間抜けな半人前の殺し屋として一生を終えるのか。



 死にたくない。せめて目の前の男を殺してから死にたい。



 スイレンは鉛の様な重さとなった左腕を持ち上げようとしたが、気付いた時には、既に肘から先が失われていた。



「アタシは慈悲をかけない主義でね。苦しみながら、あの世に逝きな。」



 スイレンは身体全体がずしりと沈む感覚に襲われ、自然と床に膝をついていた。



 目の前の床に伸びる細長い贓物を手繰り寄せようとするも、それを巻く腕がない。



 床一面に広がる黒く淀んだ自分の血を眺めていると、失われた腕の断面から頭の頂点にかけて凍える様な冷たさが上ってきた。



 目が眩み、頭が霞む。



 俯せに沈んでいく感覚と共に、スイレンの意識は途絶えた。






                     【静蓮の章  完】
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