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1.「街の底」

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 あふれかえっている。
 安アパートのゴミ捨て場に設置された、ゴミを入れる巨大なボックスに、入り切れなくなったゴミが、あふれ、こぼれ、カラス達が生ゴミをつつく。カラスのような人達が、生ゴミ以外も漁る。毒と化した、ジャンキーの食べ残しを飲み込んでしまったカラスが倒れる。金目の物などあるはずがないのに、破れた衣服や壊れた時計を手にした人達がけたけた笑いながら去っていく。あふれかえるゴミの上に、安アパートの住人がまたゴミを重ねる。雪崩れて来たゴミがカラスの死骸を押し潰す。虹色の汁が道路に流れていく。ゴミを踏んで公園へと向かう子供達のスニーカーは、遊び出す前から既に泥にまみれている。
 ここは、街の底。
 ここは、世界の底。
 ボトムオブザワールド。
 それでも生きていく者達がいる。

 朝、昼、夜、そして朝。絶え間なく続く日々、絶え間なく続く絶望、終わらせるには自ら終わるしかないという現実などまだ知るはずもない子供達が遊ぶ。
「リン、どこへ行く?」
「昨日遊んだ犬を探しに」
「俺も行く」
 リンとリク、双子の姉弟が駆ける。底に穴の空いたスニーカーから入り込んだ虹色の汚染水が足の裏を汚している。二人は気にせず駆け続ける。元より彼らの肌はインドネシア系の褐色と日本人の肌色が混ざりあっている。教師が消えて学校は機能しなくなり、十一歳の二人は暇を持て余している。十二月の寒空の下でも二人は半ズボンで過ごしている。走れば寒さは気にならない。走れば腹が減る。走れば何かを見つけられる。走れば誰かに会える。

 だが二人が見つけてしまったのは、昨日遊んだ野良犬のなれの果て、無惨な死骸であった。二人と一匹で昨日楽しくじゃれ合った公園の一角で犬は倒れていた。毒を食らっても死なず、より凶悪化して生き延びたカラス達に啄まれている、元は愛くるしい生き物だった、柴犬の顔からは目玉がくり抜かれている。リンとリクが石を投げつけた所で、カラスは石の直撃くらいでは怯まず犬を食らい続ける。そこから二百メートルも離れていない国道では、まともな街のまともな住人達を乗せた車が走る。早すぎるクリスマスプレゼントなどを子供に買い与えた幸福な家族がその中にいる。何も知らず、あるいは何もかもを承知しながら。

 村野はリンとリクの話を聞きながらそれら全てを書き留める。元は新緑のような鮮やかな緑色であった、色褪せた古着を着て、少年少女の見た悲劇を書き留める村野は、街の底にあっても常軌を逸しているように見える。広大な公園は荒れ果ててはいても、誰かしらの拠り所にはなっている。少年時代からそこで本という麻薬に取り付かれて濫読の日々を過ごした村野にとって、彼が恋い焦がれたデストピアは、いつのまにか目の前に広がっていた。ただあるがままの風景を書き写すだけでそれは物語となり得た。
「まだだ」と村野は呟く。
「もっと」とリンとリクに話の続きを求める。
 リンとリクは気付いている。村野が必死に書き記している手帳には、ただの黒いぐるぐるとした模様が描かれているだけ、ということに。それは文字列ですらない。それは村野が思い描く物語ではない。リンとリクが多少誇張した悲喜劇でもない。
 そこら中に転がる狂人達よりもずっと狂っている、ただの、現実である。リンとリクが語れば語るほど、村野は彼らに小銭を与えてくれる。その金でパンを買い、二人は今日を生き延びる。

 誰かの歌うブルースが聞こえる。
 村野の筆圧が手帖を破る。
 人が生きている。漂っている。

(続く)
 
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