真冬の気配が濃くなってきた早朝に、ズゥは川を見つめている。コンクリートで鋪装された川底の上を濁った水が流れている。白鷺が立っているが羽根は灰色に汚れているから、ズゥはそれを「白鷺」という漢字では認識しない。ズゥは三ヶ月振りに我が家に帰ろうとしている。双子の子供ら、リンとリクの待つ部屋に、二人の本当の父親を連れて。彼らが父と思っている、もう死んでしまった、歌が好きだった背の高い男とは別の男だ。ズゥがこの国に来て初めて出会った、そして一番たちの悪かった男の成れの果て。命の残骸である男だ。
「何で止まってんねん」と最早視力をほとんど失っている男がズゥに尋ねる。
「川を見ていた」とズゥは答える。壊れた自転車、ベビーカー、マネキン人形のように見える人間などが捨てられている川を眺めていた。
「早く行こうや」男は自分一人では歩く事も出来なくなっているのにズゥを急かす。もう長くはないから、一目子供らに会いたいなどと、連絡を寄越して来た男を迎えに行くと、男のいた組織にズゥは囚われ、男を与える代金として、商売道具にされた。三ヶ月間。この程度、と思いながらズゥは耐えた。私は三十年間耐えてきた、これくらいの事で、と思いながら。真冬に近付く季節に保護者無しで取り残された双子の子供らの身を案じながら。
最寄り駅はいつの頃からか電車が素通りするようになったので、遠い駅から歩かなければならなかった。ゴミのように男を放り出した違法組織は律儀にズゥの持ち物は返してくれたので、電車賃は足りた。電車賃しかなかった。
「腹が減った」と男が泣き言を言う。「金、ない」と返す。「子供らは元気なのか」と男がまだ見た事のない子供らの身を案じる振りをする。「長ズボン、ない」と返す。「俺が何でも買ってやるよ。金なら山ほどくすねて来たんだ」と男はボロボロのジャンパーのポケットからタバコの吸い殻を何本も取り出して見せる。「タクシー拾えよ」「通ってない」「道間違ってない?」ズゥはしばらく歩いた後で、またさっきの川の上に戻って来ていた。「んんんんん」と男が苦しそうな声を上げると、糞の臭いが漂い始めた。
「リク、夢を見た」
「俺もだ、リン」
「お父さんが帰ってくる夢」
「もう死んでる」
「だから夢なんだ」
空腹と虚しさを誤魔化す為にリンとリクはまた眠る。また二人で同じ夢を見る。今度は母親が戻ってくる夢を。母親だけが帰ってくる夢を。同時刻、ズゥが男を橋から川へと投げ落とす。命の亡骸だった男は川面へ衝突する前に既に息絶えている。オーバードーズ、内蔵腐乱、呼吸器不全、記憶障害、体を壊した原因は幾らでもある。ズゥに殺人の前科が付く事はない。
ボロボロのアパートの一室に戻ったズゥは、寄り添って眠る我が子達の無事を確認し安堵する。子供らが知らなかった金の置き場所からお金を取り出し、食糧を買う為にまた家を出る。途中で男を捨てた川の上をまた通ったが、男の死骸はもう見えなかった。男の死骸は早くも分解が始まり、バラバラに下流へと流された後だった。
(続く)