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私の死には、何もありませんでした。



映画や小説で見たような、情熱的死、悲嘆や絶望、英雄的死は、ありませんでした。



ただ、私には、何も残りませんでした。



ただ、私は一人死にました。



母親の口癖は今でもよく覚えています。

「お父さんにも逃げられて、あんたら子供二人も育てなアカンし、お母さんほんま、疲れたわ。あんたら大人になったら、お母さんはよ、死んで楽になりたいわ」



母親はよく死にたがっていました。人生に疲れた、と嘆くのが母の口癖でした。深夜遅くまで飲み屋を渡り歩いて、玄関先で吐瀉します。それを、私がタオルで拭きながら、母親に話しかけます。

「お母さんとこにも、アンパンマン、来たらええなあ」

子供の頃、皆がそうであるように、私もアンパンマンが大好きでした。



「保育園でな、いっつもアンパンマン、みんねん。アンパンマン優しいから、お母さんとこに、アンパンマン来たらええねん。お金も持ってきてくれるで」

母親は私を睨みつけました。そして、ふ、と顔を緩めると、あはは、と笑いました。

「アホな子。アンパンマンなんか、おらへん。あんなん絵や」

「おらんの?」

そっ、と肩を震わせました。そして、首を傾げました。

「当たり前やろ。愛と勇気とか、アホちゃう。あんなん言う奴に限って、現実では、嘘つきや。偽物や。臆病者や。詐欺師、いうてな。身包み剥がれんで」

「お金取られんの?」

「そうやで。お母さんの大事なお金、みんな持って行きよんねん、みーんな」

母は、酔った口から唾液をペッ、と吐き出すと、真顔で私に言いました。



「あんたもその一人や」



明後日、私は保育園で、アンパンマンを見ました。保母さんが、皆んなを、テレビの前に集めて、塊に並べます。

テーマソングが流れます。



「アンパンマン、優しい君は、愛と勇気だけが友達さ」



幼いながら、母の言葉を受けて、私は耳障りに感じました。

周りの子供達は、食い入るように、アンパンマンがバイキンマンを、勧善懲悪的に倒す姿を見ています。その応援の素直さが、腹立たしく、嫌になり、私は同級生に囁きました。今思えば、それは嫉妬でした。



「あのな。アンパンマンなんか、ほんまはおらんねんで」

「え?」

「偽物やで。こんなええ人、おらんねんて。お母さん、言うてたわ。こんなん見とったら、アホになるって」



喧嘩になりました。大騒ぎになりました。皆んな、泣き出しました。私は泣く友達に、頬をつねられ、保母さんには大きな声で叱りつけられました。



「有意ちゃん!なんで、そんな意地悪言うの!皆んなに謝りなさい!」

私は泣きながら、答えました。

「おらんねんもん!アンパンマンおらんねんもん。だって、お母さんが言うててんもん。ほんまに、おらんねんもん」



私は捻くれ者の日陰者として扱われました。

そんな邪険の合間に、小学生になりました。

ですが、私には青春の輝き、などという言葉は、微塵も感じ取ることが出来ませんでした。



皆んな、卑屈でした。

人に嫉妬して、軽蔑して、嫌がらせをして、生活していました。ですが、表面的には実に仲睦まじく、それこそ地獄の太陽の様に、輝きを放っていました。



或る日、友達と遊びに行った時、こんなことがありました。

「今から早織に会うんやけどさ、有意、早織の事どう思う?」

「さあ?」

私は答えます。早織という子の事を、詳しく知らなかったのです。

「ウチ、大嫌いやねん。服ダッサいし、男に媚びとるし、第一、男の先生に色目使うとかないわ。プライドないんか。超キモくない?」



私は形だけ作って、笑いました。

今から遊ぶ友達を、実に屈託ない様に装いながら、実は軽蔑しきって貶めています。



「ほんまは遊びたくないんやけどな。あの子たまに服貸してくれるから、渋々付き合ったってんねん。ウチ賢いやろ」



人間の「賢い」とは、そういう、人を隠れて中傷し、欺く術を指す場合が、非常に多くありました。

その友達、可憐といいました。可憐は、その間もなく、早織と会うと、なんの躊躇も後ろめたさもなく、ただ、天来の仲良しの様に、早織と仲睦まじく、ショッピングを楽しんだり、していました。

聞くところによると、早織も同じ様に、可憐の悪口をよく話していたそうです。お互い、貶めて、軽蔑はしているのに、表面的にはよく仲良しを演じきれる物だ、と思うと、人間の摩訶不思議に酔い、また恐怖を覚えました。



それは学校内だけの物ではないように感じました。

電車通学でしたが、人の会話に耳を澄ませると、大抵は中傷でした。



「あの人の態度にムカついてさー」

「あの人の頭が悪くて笑っちゃう」

「あの店のオーナーは態度が悪い」

「最近の子供は気持ち悪い」

「あの人の顔が気持ち悪い」



そういう中傷の行き交いで、人は笑い、交友を育んでいました。その中傷は、まさに、大人としてやっていく為の、必要不可欠である、会話の『社交辞令』の様に感じられ、その能力のない私は、酷く将来を恐れ、また、(そんなに嫌い合っているのに、なんで笑顔を作っているのだろう。潔く別れればいいのに)と、その陰険に恐怖を覚えたりしていました。



その理由は、大きくなって、後日、分かりました。生活の為です。

お金と生活の為に、軽蔑しきった、所謂「気に入らない人間」にも表面的には友好関係を築かなければ、ならないのです。

その陰口で、ストレスを発散し、あわよくば、中傷を耳にした相手が精神的に摩滅して、目の前から消えてくれればいい、という、謀略の意味もありました。



消えてくれ、とは、社会脱落でした。脱落は、死を意味しました。

彼らは暗に人の死を願っていました。いや、そこに直結するとは考えていないのかも知れません。ただ、消えて欲しい。そして、人知れず、世の中から脱落して欲しい。そういう「蹴落とし」の社交辞令でした。



私は聖人ぶりたいのではありません。

私が中傷を恐れたのは、正義の為でもなんでもなく、保身の為でした。学校にも、電車にも、街にも国にも渦巻く「中傷の嵐」から逃げ出したい為に、復讐を恐れる為に、私は口をつぐみました。

ですから、

「お前は他人を攻撃しない。自分の事しか考えない、自分勝手の卑怯者だ」

と、一見相反する誹謗も私には反抗する術はなく、

「そうかもしれない」

とただ、自分の能力のなさに、悲嘆するばかりでした。



母は中傷の能力を持っていました。

母は弟が嫌いでした。

理由は「別れた父に顔が似ているから」という、単純なものでした。



「お前の弟が、またテストで85点を取ってきたよ。小学生一年生なら、テストぐらい100点満点を取って当たり前じゃない。勉強もまともに出来ないなら、学費を払ってる私に頭を下げて、謝れよ。何様のつもりだよ」

母は景気よく弟を罵りました。

この調子では、私も陰で酷く悪く言われているんだろうな、と思うと、やはり中傷からは逃げられないと恐怖しました。

母にもまた、恐怖しました。おべっかを使うばかりでした。



今では考えられない事ですが、私も人並みに、恋をした事があります。

名前を、覚えています。山中謙次という、野球グループに参加している、坊主の男の子でした。私は彼を校舎の玄関先に呼び出し、告白しました。

あっさり、振られてしまいました。

「野球で忙しいから」

と謙次くんは言っていました。

母親の解釈は、違っていました。ふさぎ込む私に、母は大いに持論を語りました。



「馬鹿だね、男なんて作ったってロクな事にならない。じきに捨てられるんだって、私を見てるアンタなら分かるでしょ!それにね、アンタ」



次の母の言葉は、今でもフラッシュバックするほどに、よく覚えています。

私の人生を決定付けた、一の言葉であると、今でも思っています。



「アンタみたいな性根も醜い、顔も醜い子が彼氏が出来るなんて、一生、あるわけないでしょ!」



私は、母親の自慢の娘ではなかったようです。むしろ、欠点だったようです。

その日から、見る、鏡の「私の顔」は歪んだ汚らしい物に変わりました。

鼻は豚の様に曲がり、肌は荒れ、目は窪み、まるでやつれた老婆の様でした。いや、以前からそんな姿だったのかも知れません。母は思い上がった私に、言葉の鉄拳を食らわせたのかも知れません。人並みの恋愛は、もう無理なのだ。



そうした醜い姿を持つ間に、私は、少しつづ、外出するのが怖くなりました。



小学校を卒業する時期に来ても、相も変わらず、人は人を中傷し、笑い蹴落とし、「脱落」を願っていました。

友達は卒業式に、肩を抱き合って、大声を張り上げて泣いていました。私は、その偽善的なポーズに白けて、思わず、言葉を発してしまいました。

「嘘泣きでしょう?」



事実、彼らの半分は嘘泣きでした。別れを悲しむではなく、自分に酔った嘘泣きでした。ですが、その事実を指摘したのは、私の大なる失敗でした。



私は中傷の渦に、遂に飲まれました。



私は「空気の読めない、冷めた奴」として蔑視されるようになりました。脱落を、願われるようになりました。

大人達は健全を装い、子供達を見送ります。

子供達もまた、健全を装い、大人達に媚びます。その実、中傷と罵声の渦を、処世して泳いでいるだけなのです。健全なぞ、どこにもないのです。

ですが、それを指摘する事が、一番健全では、なかったようです。

私は母からも嫌われだしました。



愛と勇気。



私はそれを、信じられずにいました。

それは慈愛ではなく、救いでもなく、もっと別の歪んだものではないか、と考えていました。圧力めいたものでは、ないのか?

私が後日達した愛に対する、結論は、私の人生の答えでもありました。



私は相変わらず嫌われ、外を歩くのも顔の醜さと、人間への不信から、恐怖する様になり、閉じ籠りがちになりました。



母は相変わらず死にたがっていました。

弟は母の姉の家に引き取られ、私達の元から去っていきました。よっぽど気に入らなかったのでしょう。

「ああ、肩の荷が下りた」

とその日は笑いながら、酒を煽っていました。私は嫌われたくない、中傷の的にされたくない一心で、

「良かったね」とまた、保身の佞言を弄して、母を慰めました。



「あんたも弟は嫌いだったでしょ?」

母は私に、同意を求めてきました。好きだった、と言えば母は忽ち機嫌を損ねて、私に対する態度も一変するでしょう。私は、言いました。

「弟は、嫌いだったよ」

「やっぱり、アンタも、私の子だね」

母は笑いました。



その日から、また私は卑屈になりました。心が、白けました。くだらなくなりました。

こうして、何事も言えないままに、私は、一人、精神的に摩滅していくのだろうか。

その時に、一冊の本に出会いました。



人間失格でした。



私は初めて、理解者を得たような気になりました。太宰治。私と同じ、拗ねた、心の劣った、落伍の持ち主。私は太宰に夢中になりました。(この本の文体も太宰に似通ったところがあります)

ヴィヨンの妻、御伽草子、きりぎりす、斜陽、晩年・・・。

お小遣いを下ろし、粗方、目ぼしい太宰の本は買い漁りました。本棚は、太宰でいっぱい。

私は読み進めるうちに、太宰治氏の様に、芸術の道を、志したいと思い立ちます。

人間失格の主人公、葉蔵が陰惨な絵を引き継ぎ、自画像を描いたように、生まれついて、陰惨な私も、隠滅な世界を生き、そうして、何かを残すべきなのだ、と考えたのです。

私は絵心がなく、文才も余り自信を持ち得なかったので、音楽を始めよう、と思い立ち、安い電子ピアノを買いました。



母は気に入らなかったようです。

すぐに没取されました。学生の本分は、学ぶことにあるだのと、なんだか賢母を気取った様なことを言い抜かして、私の電子ピアノは、取り上げられました。

壊されるまでなら、まだ良かったかもしれません。母はピアノを引き取り、新品として、ネットオークションに売りました。高値で、売れました。



酒代に、変わりました。

酒に酔って、母親は、お金がない、死にたい、死にたいと呟きます。



外に出れば醜いと罵られます。

内に入れば母の圧力に脅かされます。



私は発作的にトイレに飛び込むと、トイレ用洗剤を一気に飲み干しました。

胃が熱くなりました。

嘔吐が、止まらなくなりました。

何度も何度も吐き、黄色く苦い胃液を、ドロドロと垂れ流すうちに、私は失禁しました。母は私の様子に気づき、すぐさま救急車を呼びました。医者に胃洗浄を施されて、私は死ぬる思いをしました。



数週間、入院しました。精神科を受診する事も勧められましたが、母が

「キチガイの仲間入りをされては、将来困る」

と、拒否して、私は療養の後に、また、母との共同生活を始めました。



本棚の本は、全て捨てられていました。



「アンタは、変な本の読み過ぎなのよ。だから自殺なんか試しにやってみちゃうわけ。だから、変な本は読まないの。あんたが死んだら、私の老後はどうなるのよ」



白いカーテンと机になった四畳には、数学ドリルだけが置かれていました。



私はこれで、真人間に帰れると、本気で思いました。



ただ、勉強だけしていれば、いいのだ。

そうすれば、自ずと中傷の能力もつき、人に蹴落とされてばかりの私から、卒業できるに、違いないのだ。幸せになれるのだ。

何も信じてはいないけれども、勉学だけは、絶対に、裏切らないのだ。



それでも、私の人間恐怖は収まりませんでした。道端で、人と通り過ぎるだけで、冷や汗をかき、殆ど泣き顔で、俯きながら歩く癖がつきました。



私より遥かに強い、凶暴な、蹴落としの人たち。それでも実に自分に胸を張って、堂々と、後ろめたいこともなく、歩いていく。

ーーー自分達は、常に正しい行いを選んできたので、人に非難される謂れはないぞ、全うな「健全」な道を、正しく、歩いてきたのだぞ。



正義とはなんでしょうか。

私には言葉のロジックに思えて、なりません。ただ一言、正義の為だ、と言えば、悪行も正義の行いになるのでは、ないでしょうか。正義とは「正しい義」ではなく、「正解の義」という意味では、ないでしょうか。ただ、その場で社会的に世間的に「正解」さえしていれば、悪行も、悪徳も、何もかも許されているように思えて、なりません。



認知が歪んでいる。

そう言われれば、それまでです。私の見方が、歪んでいるのです。私が、悪い。全部に於いて、私が、悪い。

そうしてただ、人間恐怖し、不信し、俯きながら、嗚咽を堪え、街中を走り去って行きます。



負け犬。



母親は、その頃、一人の男と付き合っていました。無教養のチンピラです。36にもなって、定職にも付かず、母親と同じく酒ばかり飲んで、そうして寝小便を垂れ流している、アル中でした。その男の人生で唯一の自慢話が、

「俺はヤクザに人を殺せ、と頼まれたことがある」

という武勇伝でした。ヤクザに使い走りの、臭い仕事を押し付けられたのが、この男の武勇伝でした。それでも、母親の中傷を恐れる余りに、私は、この男に愛想を使い、また、保身のおべっかに明け暮れ、男の言う武勇伝に、大袈裟に驚いたりして、ご機嫌をとるのでした。



「お前は、鬱なんだって?」

男に問われました。

私は何も答えません。



「鬱って、ダウン症みたいなもんだろ」

私は心臓が、ビッと音を立てたのを、感じました。

母親は、大きな声で笑いました。

「障害だよ、障害。先天的な、キチガイなんだわ」

二人は哄笑しました。



母親は私を邪険に扱いだしました。

この家に私の居場所は、もうありません。弟の次に、私は捨てられる時が、きたのでした。



私はスマホ以外の荷物も持たず、外に飛び出しました。私は、生きる意味が、わかりません。世に、救いなど、情など、ありません。恐怖の余り、人と接せられない。まともな商いなど、無理だ。或いは、これから行うであろう、売春で、愛とやらを見つけるのでしょうか。



疲れた。



私は私の愚かさを呪い、這々の態で、電車に乗り込むと2000円分の切手で、終着駅まで、乗り込みました。山奥の田舎をつきました。私は、電車を下りた、橋の下に寝そべりました。不思議なことにもう、二度と立ち上がる気力は失われました。



最後の気力でした。私は、母親のツイッターを覗く事にしました。未練がましい事です。ですが、私は、他人から向けられる愛情、というものを、信用できませんでした。



ツイッターにはこう書かれていました。



娘がでていった。

帰ってきて欲しくない、と思う

自分が怖い。



その瞬間に私は悟りました。

母親もまた、愛されなかった人なのだ。可哀想な人なのです。

愛されなかった故に、子供を愛することが出来ず、そうして、苦労していたのです。

私が消え去った事で、彼女の苦悩は、少し楽になったのです。



愛なんて、空虚な御守りに、過ぎませんでした。

アガペーなんて存在しないのに、人はただ、それがないと生きていけないからと、ニセ物はバッタ物を並べて、奪い合ったり蹴落としたり、また「中傷と軽蔑」の戦いを生じながら右往左往しているだけではないのでしょうか。



私はもう、救いなんて求めていません。

「無」になりたい。

アンパンマンを信じられない、歪んだ私の、罪。



愛は、救いではありませんでした。

愛を信じられない者は、愛に殺されるんです。

圧力に潰され、世から静寂を保ったまま、抹消されるんです。愛が生き残る為に。

愛と勇気に、負けたんです。



私の原罪の全ては、全てそこから始まっている気がします。不信。人間不信。

ただ信じていないだけではなく、いつ傷つけられるか、いつ心を姦せられるかという恐怖、日常生活すらままならないという、私の根本にある、業でした。

或いは、怠惰な私への罰かもしれません。

でも、私には「健全」な努力の先にあるものに、どうしても価値を感じられませんでした。「努力」して、人を欺いて、蹴落として、獣の様に生きて、それは何があるのですか?

それは、産まれた意味に値するような、尊い所業なのですか?



愛。



母の様に捨てられるなら

私は「0」になりたい。



愛を信じられない私が弱いのならば、私は私の真実を抱いて、死にます。現実に私や、母の様に、愛されない人間だっているのです。愛される側の人間が、圧力で、この世から追いやっているので、少なく見えるだけなのです。したり顔で、中傷するのでしょう。

愛されない人間もいる。それは、真実なんです。信じてください。



追い詰めて、殺さないで。



私は、食事を取る元気も失っていました。ただ、橋の下の川沿いに寝そべっていました。寒い、冬でした。数日が経った頃でしょう。








死には、何もありませんでした。



ドラマや映画やニュースの様な、悲劇、感動、英雄死などは、ありませんでした。

ただ、死んでいく私だけがおりました。



ただ、川沿いの草木の中で、私は、一人、死にました。















その数日後である。



産婦人科で、一つの夫婦の間に、女子が誕生した。赤い猿の様な顔をした、幼子が、母の隣で、腕を空中に浮かせたり、拳を握り締めたりしながら、遊んでいる。

母は浮かない顔を、している。



「産まれたね」

「ええ」



母は失望に満ちた表情で、呟いた。

「お金が、かかりますわね」
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