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第十話 役に立たないもの

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十話 役に立たないもの

 父の家の者達が、この屋敷へ来た。母を殺す策略をした者達だ。
病める父の見舞いという体で視察に来たという事ぐらいは、子供心ながら分かっていた。
馬鹿丁寧に出迎えて応接室へ通した後、部屋に居ると客人の娘が話を切り上げてこちらへ来た。
彼女は正月の時分に顔を合わせてはよく話す父方の親族で、名はククイと言った。
最初は母殺しの首謀者の娘に対して、少し八つ当たりのような事を言ってしまったが、それも虚しく感じて止めた。
自分よりも歳の若い娘に、暗殺の事など話す親が何処に居ようか。彼女がそれに関与しているなど、ある筈も無いのだ。
詫びではないが中庭のバルコニーへと案内して、女中長の作ったキルシュトルテをご馳走した。

「カール、知ってる?」
「何を?」

 お行儀よく口を拭ってから話すククイとは逆に、キルシュトルテを口いっぱいに頬張ったまま返事をすると、彼女は行儀が悪いと言いたげにこちらを睨みつけた。
それから呆れた溜息を吐いたところで、ククイは話の続きを声に出した。

「ガトー・ド・フォレノワール」
「え?」
「エルフ族で言うキルシュトルテらしいわ」

 その時ククイは漸く、この屋敷に来て初めて笑った。
エルフ族は亜人国家たる敵国にて、数ある種族を取り纏める国の筆頭を担う者達であった。
そんな輩の言語を使えば、この国の者達から白い目で見られるに違いないだろうに。それを分かっているのか否か、ククイは笑顔のまま続けた。

「同じものを差すのに呼び方が違うなんて、面白いと思わない? 亜人と呼ばれる人達の事はあまり興味は無いけれど、異文化に触れるのはとても素敵な事だと思うの」

だが戦争でこの国が勝てば、そんな文化も消えてしまうのだろうと、彼女は少し悲し気に言った。
 ミゲルではないが、彼女もまた純粋な者なのだろうと思った。
そして他者に対してそう思う度、自分の心がどれだけ穢れてしまっているかを思い知り、気が滅入るのだった。
どうかその純粋さがそのまま穢れぬよう、届く筈も無い祈りを密かに彼女らに捧げて笑顔の仮面を向けた。
 しかし、その時には既にククイは怒りの表情に変わっていた。どうしたのかと思えば、まだ沢山紅茶が残っていた筈の彼女のティーカップが空になっていた。
もう一度彼女の表情を確認して、大体の状況は分かった。彼女が使っていたティーカップの中身が、突然消えたのだ。

「カール、皇孫失格を振る舞うのは結構だけれど、いくら何でも客に出した紅茶を飲むのは意地汚いのではなくて?」

そして理不尽にも、一番近くに居た目の前の子供を犯人と見立てているらしい。
だが無理も無い事だった。この場所の居る人間と言えば、彼女と自分と遠く離れた場所で困惑の表情を見せているメイドだけである。
そんな状況で、まだ飲んでいない紅茶が空になってしまえば、目の前に居る自分を疑うのは当然の事だろう。
 あまり不快には思わなかった。それは犯人が"彼等"だと分かっていたからだ。
見えなくはなってしまったが、ちゃんとこの屋敷に居るらしい。此処から、自分の元から離れた訳ではないのだ。
そう考えると、不思議と少し嬉しくも思った。

「妖精の仕業じゃね? エルフだけに」

とは言え彼女にそれを言っても信じないのは目に見えているので、そんな冗談を言ってみせたら言葉の代わりに気持ちが清々しくなる程の派手な打音が返って来た。
そしてその後屋敷を去った親子の背中を、左頬を腫らした状態で見送らなければない羽目となったのだった。
 だがそんな平穏の一時は、その日の内に消え去った。

「……誰か、お医者様を読んで!」

夜中にメイドが叫ぶ声が聞こえたので、起き上がって部屋を出ると、信じられない言葉が耳を突き刺した。
 父が、自害を図ったのだ。母を殺した者達に何を言われたのか、ククイと甘味を貪りながら笑っている間に父は苦しむに苦しんで、挙句剃刀で首を搔き切ったのだった。
走り回るメイド、怒鳴る様に電話先の医師と話す使用人、こんな喧騒を誰が望んだろうか。
 気付かないフリをして、そっと扉を閉めた。こんなにも弱った姿を実の息子に見られるのは、父も不本意だろう。
しかしベットに戻ろうとしたところで、目にしてはならないものが視界に入った。花瓶に生けられた、二輪のバロンブルーメである。
形が崩れぬよう保つ為に凍らせていた心が、解かされていくのが分かる。
咄嗟に目を逸らす。しかし心の奥底ではあの花に癒されたいと、花瓶に手を伸ばそうとしている自分が居た。最初の一本を貰ってから、幾日経てども萎れもしないあの奇怪な花に。
早々にベッドに潜ろうとするも、気付けばその左手は二本の茎にまで伸びていた。
駄目だ。見てはいけない。これ以上は、これ以上は立てなくなってしまう。
支えなければならないのに、立ち上がれるように、一人で歩けるように。父を、使用人達を、自分自身を――!
 次の瞬間、陶器が割れるような音が部屋中に響いた。
その音が聞こえたらしく、メイドがノックをして入って来たので、布団を被って顔が見えないよう隠した。
この騒ぎの原因を知っている事に気付いたらしく、メイドは何も言わずに出て行こうとしたようだったが、その時何か硬い粒を踏んだような音がした。

「処分しておいてくれ」

 踏んだものの正体に気付いたメイドが声をかけようとしてきたので、短くそう言った。
メイドはまだ何か言いたげだったが、結局何も言わずにドアの方へ投げつけた花瓶の破片と二輪のバロンブルーメを片付けて出て行った。
 途端に荒くなった呼吸を整える。ばくばくと脈打つ心の臓を、外側から撫でて落ち着かせる。
何を苦しむ事があるのだろう。そんな資格が何処にあるのだろう。どうせ自分に出来る事など、何もありはしないのに。
奴の様に言うべき言葉をかけられず、メイド達の様に美味しい料理も作れず、あの花の様に誰の心も癒せない。
たった一人残された家族の支えにすら、生きる理由にすら、なれはしないと言うのに。
 その夜見た夢は、夢である事すら気付かないものだった。
暗闇の中で、誰かの啜り泣く声が聞こえるのだ。
父でも、母でも、メイド達でも、ミゲルやククイの声でも、自分の声ですらもなかった。
だが何故だかそれが、よく知っている者の声のような気がした。
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