ジジイ
「よし、それならば、俺がまだ田舎に住んでいた頃の話をしてやろう」
唐突に現れた祖父ちゃんが、これまた唐突にそんなことを言った。
もう深夜も過ぎたというのに、この人は俺を寝かさないつもりだろうか。と、言いたいところではあったが、ここは仕方なく聞いてやることにした。
「そうだな、あれはちょうど今と同じ時期。でも、今より少しだけ暑い、そんな日だった。俺は昼過ぎくらいになるといつも通り、母ちゃんに無理やり渡された麦わら帽子を被って、行き付けの川に向かったんだ。そこの川は今じゃ想像もつかねえだろうが、メダカやらザリガニ、夜になったらホタルと、これぞ川といった感じのいい場所だったんだわ」
なるほど。祖父ちゃんの言う川がどこの川かは分からんが、確かにここら辺にはホタルのホの字も見当たらない。と言うよりも、川自体をまずは探さないといけないだろう。
「んでだ、まずはザリガニ釣りに洒落込もうと思った時に、ふと人の気配を感じたんだ。いつも俺しか居なかったからな、珍しいと思いながら川の上流のほうに目を向けりゃ、女の子が立っていたんだ。ちょうど足首くらいまでの水位の所にな」
女の子か。いいなあ、田舎で出会う見知らぬ女の子。結構憧れるシチュエーションだ。俺がそれを体験するには、まずは麦わら帽子をホームセンターで買って、川を探さないといけない。難易度が高いぜ。
「その子も俺と同じように麦わら帽子を被っていてな。それが大人用だったのか、すげえ大きかったのは今でも覚えてる。で、しみ一つないワンピースを一枚着ているだけ。まだまだガキだった俺でもさ、思ったよ。むちゃくちゃ可愛いってな。しばらくぼーっと見ていた俺に気付いたのか、その子は俺に気付くと微笑みながら会釈してくれた。俺も焦って会釈を返したが、いやあ、あれが初恋ってやつだったのかもな」
なんだろう、これ以上聞くと俺の嫉妬心が大変なことになりそうだ。そんな絵に描いたような出会いを、実際にあった話として聞かされる俺の気持ちが分かって言っているんだろうか。
まあいい、とりあえず最後まで聞いてやろう。
「まあ、そっからザリガニ釣りをする気も無くなっちまってよ、もう本能のままにその子に近づいたわけだ。途中で“つっかけ”が川に流されたが、そんなもんお構いなし。そんで近くで見てみりゃ、やっぱり可愛いんだなこれが。病的なくらい白い肌と、腰まで伸びた髪。川で遊んでるにしちゃあ白いとは思ったが、もうそれどころじゃなかったな。そん時の俺は何とかしてその子と仲良くなることしか考えてなかった」
俺も同じ状況に出くわしたらそうなっちゃうんだろうなあ。壁殴りそう。
「そう、そうだ。確かそん時はお盆でよ、どっか都会の方から来た子なのかと思ってな、ここらでの遊び方を教えてやろうと思ったわけだ。不思議なことに、お互い自己紹介も何もしねえでよ、いつの間にか俺は当初やるつもりだったザリガニ釣りをその子に見せていた。釣れた時はよ、その子も楽しそうに笑ってくれて、子供ながらに思ったよ。こっちも手応え有り、ってな」
上手いこと言ったつもりか。
「調子に乗った俺は、さらに何匹か釣った後、今度はカブトムシの取り方を教えてやろうと思ってな、森に手招きしたんだ。けど、その子はこっちに来ない。と、ここで察した。その子も“つっかけ”を流されたのか、ってな。今思えば俺は躊躇なく裸足で森に入っていたが、女の子にそれは酷ってもんだ。そんなわけで、俺は田舎でしかないような話を聞かせることにしたんだ」
裸足で森はきつい。俺がガキの頃でも、少しは躊躇しただろう。
「山には守り神が居るだとか、何年か前に自分の背ぐらいあるカエルを見たとか、毎年この時期になると幽霊が出る、ここは夜になるとホタルがすげえ綺麗だ、って具合にな。で、途中まで話を聞いてたその子は、ホタルの話になった途端、急に身を乗り出してきた。もう顔が近くてよ、冷静に考えられんかったが、察するに見たいんだろうなと」
これはまさか、夜二人で一緒にホタルを見るだなんて、ギャルゲーで言う一枚絵イベント的なことをする流れではなかろうか。
「まあ俺もガキだったし、さすがに夜まで遊んでたら怒られちまう。だが、ここは俺の縄張りだったからな。夕方にはホタルが見れるってのは知っていた。なもんで、少し待つことにしたんだ。案の定、日が少し落ち始めた頃にはそこら中でホタルが飛び始めた。そこで俺はよ、さすがに冷えてきたもんで川から上がったんだ。その子にもこっちに来いよ、ってな」
ずっと川に入ってたのかよ。風邪引くぞジジイ。
「その子は一瞬戸惑ったんだが、まあこっちに来てくれた。で、その子がホタルの間近まで来た時、不意に“ありがとう”って言われたんだ。こん時に気付いたんだが、その子はその時まで一度も喋ってくれなかったんだわ。薄々喋れないのか、なんて勘繰っていた所でこの言葉、思わず気恥ずかしくなっちまって下を向く。そしたらさ、見ちまったんだ、俺は」
ん? 何を見たんだ? パンツか?
「その子な、脛から下辺りが無えんだよ。今思えば、だから川から出なかったのか、なんて思えるが、その時の俺と言ったらそれ所じゃなくてな。驚いて視線を上げると、もうその女の子は居なかったんだ」
……まさかの幽霊だったと、そういうわけですか。
「正直な話、ちびった。でも今となっちゃいい思い出だ。むしろ、もう一度会いたいとまで思う。……ま、そんなわけでよ、田舎にゃそんなこともあるんだよ」
そう言って祖父ちゃんは、強引にまとめた。
まあ、俺としては会おうと思えば会えるんじゃねえのかなあ、とか思っちゃったりするんですけどね。
「最期まで聞いてくれてありがとな。お前も少しは色っぽい話の一つや二つ聞かせろよ。じゃあな」
余計なお世話だ、と思いつつ、俺はやっとのことで上半身を起こすと、布団から出る。部屋の隅を見れば、脛から下の辺りが無い祖父ちゃんの後姿が消えるところだった。
……ああ、祖父ちゃんの言う通りだ。こんな体験、田舎くらいでしか出来ねえよ。
祖母ちゃんにこの話をするべきか悩みながら、俺はもう一度布団に潜るのであった。