立方体に近い形をした大きな部屋の壁には、九つのモニターが設置されていた。中央のモニターには青い宝石のような惑星が映り、周りの八つのモニターには、数百機の空を飛ぶ円盤が蠢いている。
「この船は何なのか、でしたね。ちょうどいいタイミングですので、この船の仕事をご覧下さい」
部屋によく通るテノールが響く。
「今から、この星を侵略します」
左下のモニターで爆発が起こり、そこにあった家が吹き飛んだ。同時に円盤の群れが急加速しつつ散開する。右上のモニターでは、円盤が降下しながら光の帯を放ち、逃げ惑う人々をバターを切るように次々と両断していた。
モニター群の前には白い滑らかな表面を持つテーブルが設置され、その上には空になったコーヒーカップが一つ置かれている。テーブルの手前の飾り気の無い椅子には、長袖のシャツを着て腰をベルトで締めた黒髪の女性が座っていた。ベルトからは、奇妙なアラベスク模様に覆われた手のひらほどもある銀の鍵が、ホルダーを通して提げられている。椅子の背には褐色のジャケットが掛かり、ジャケットの内側にはいくつものナイフが見え隠れしている。その横の、やはり白く滑らかな床には、巨大なリュックが置かれていた。
テーブルの脇では完全左右対称の顔を持つ純白のスーツ姿の男性が微笑を浮かべて宙に浮いていた。モニターを気にする様子もなく彼が言った。
「もう一杯お淹れしましょうか?」
「お願いします」
栗色の瞳をモニターに向けながら女性が応えた。すぐにコーヒーカップがテーブルに音もなく吸い込まれ、代わりに淹れたてのコーヒーが現れた。
「さっきから何杯飲んでるのさ。あんまり飲み過ぎると体に悪いよ、アト」
銀の鍵が口を挟んだ。対空砲火を浴びた円盤が教会らしき建物に墜落し、中にいた人々を押し潰す。
「大丈夫だよ、ナイア。それにこれはとても美味しい」
アトと呼ばれた女性は反論にならない反論をした。円盤が発射した光が、反撃に現れた戦闘機のコクピットを直撃し、パイロットの頭が消滅する。
「ところで、そろそろお聞きしたいのですが」
「そうそう、いきなりこんなの見せられてもねえ。これ映画? じゃないよね」
ナイアが言葉を引き継ぐ。スーツ姿の男が答えた。
「もちろん映画ではありません。実際に今、本船のメインコンピュータ『CHANDRA 9000』すなわち私がモニターの円盤を操って攻撃を行っています。ちなみに、本船はあの星から最も近い惑星のリングの空隙に紛れていますので、反撃される恐れはありません」
コーヒーカップを置き、アトが訊いた。
「では、チャンドラさん――でよろしいですか? あなたは何故、あの星を侵略するんですか? あの星の住人に代わって住むつもりですか? 資源を手に入れるためですか? それとも何か彼らに恨みでも?」
チャンドラは即答した。
「全て違います。あの星の平和のためです」
「へ?」
ナイアが間の抜けた声を上げる。
「そう、ですか。しかし先程の映像は私には平和なものには見えませんでした。よろしければ、説明していただけますか?」
表情を変えずにアトが言った。チャンドラも微笑んだまま、
「そうでしょうね。解りました。それでは……」
転瞬、周囲の景色が消失し、代わりに活気に溢れた都会が出現した。大勢の人が行き交っているが、アトに気付く様子はない。
アトは少し驚いた顔になる。
「へえ、面白いね。これはこの船に内蔵された映像かな?」
のんびりした口調でナイアが言った。
「その通りです。この映像は十七年前のあの星における最大の都市の映像です。そして、私が生まれた場所でもあります」
また周囲の景色が変化し、今度は半壊した都市が出現した。空は真っ赤に染まり、轟音と共に爆撃機が空から絨毯爆撃を行っている。
「これは四十五年前の、あの星の全ての大陸を巻き込んだ大戦の映像です」
映像は次々と切り替わる。塹壕ごと戦車に蹂躙される兵士達や、上空からの機銃掃射から逃げ切れず蜂の巣にされる家族、高射砲の誤射で支柱が破壊され崩れ落ちる古い尖塔などが現れては消えていく。
「有史以来、この星には戦争が絶えませんでした。人種、宗教、経済格差、文化の違い、その他ありとあらゆる理由で常に世界中で争いが起こっていました。沈む夕日に追いつく程の速さで飛び、星の裏側の相手と瞬時に話せる程の知識と技術を手に入れても、それは変わりませんでした」
周囲が雲海に変わり、その上を戦闘機の編隊が飛行していた。先頭を飛ぶ一機が雲の切れ目から街に何かを落とす。数十秒の間を置き、突如破滅的な閃光と巨大な爆発が視界を埋め尽くした。
アトは顔をしかめ、
「……」
街が丸ごと消滅したことに気付き、目を見開いた。
「それどころか、彼らはその優れた技術を利用して究極の兵器とも呼べる爆弾を造りだしてしまいました。この映像の二十年後には、地上を一掃できる量のこの究極の爆弾が世界中に配備されています」
チャンドラは淡々と続ける。
「使えば世界を滅ぼす程の兵器を持ちながら、しかし戦争は一向に収まりませんでした。一時的に収まっても、人間はすぐに次の敵を探して戦い始めます。実際に、もう少しで究極の爆弾が発射され、世界中に降り注ぐ寸前まで行ったこともありました」
「だろうね。世界が滅ぶ、なんて脅しで止めるなら最初から苦労はしないよ」
ナイアが冷静に言った。
「そこで一部の人間はこう考えました。『共通の敵さえいれば人類同士は結束して闘争心を敵に向けるだろう』と。そして、『現実に人類共通の敵がいないのなら創ればいい』と」
いつの間にか映像は元の都会に戻っている。
僅かな沈黙の後、アトが言った。
「なるほど、つまりあなたが『人類共通の敵』なんですね?」
チャンドラはゆっくりと微笑み、
「そうです。私は定期的にあの星に対して侵略戦争を仕掛け、彼らは一致団結して迎え撃ちます。この際、全ての国を満遍なく攻撃するように注意します。また、こちらも適度に被弾して彼らを満足させなければなりません。ある程度戦闘を長引かせ、私への敵対心を煽りつつ頃合を見て撤退します。他にも細かい調整を行う必要はありますが、私の役割は基本的にこれで全てです」
周囲の映像は消えていた。モニターの至る所で爆発が起こり、頭が半分になった人や上半身だけで必死に這い回る人々が映っていた。
「一つ、質問があります」
モニターを一瞥して、アトが切り出した。
「この侵略戦争の犠牲者の平和は護らなくてもいいのですか? 私には、あなた方の計画が彼らの平和な生活を奪ったように見えますが」
「平和には犠牲が不可欠です。人類の歴史はおびただしい犠牲の上で成り立ってきました。何もしなければ、これからも非常に多くの犠牲者が出るでしょう。侵略による犠牲者数は、現在二十六万八千八百十九人です。この数字は、あの星の最後となるべき大戦の犠牲者数のおよそ三パーセントです。そしてあの星の内部での紛争は激減し、第一回の侵略時に存在した百九十一の国は、平和的な統合を繰り返して十五まで減少しました。彼らの犠牲を受け入れなければ、現在の平和は存在し得ません」
チャンドラは一気に言い切った。
アトとナイアは、何も言わなかった。
アトがここで休めるかと訊くと、チャンドラは初めと変わらない微笑を浮かべて彼女を別室へと案内した。部屋はホテルの個室のようで、シャワーとトイレ、ベッドが設置されていた。内装は白で統一されている。
「ラッキーだったよね。いきなりこんな機械だらけのところに出たときはどうなるかと思ったけどさ」
シャワールームから出て来たアトに、ジャケットやベルトと共にベッドの上のハンガーに掛けられたナイアが言った。
「食事も出してくれたし、シャワーも浴びれた。あの食事は保存食料だな。後で、少し分けてもらえないか頼んでみるか」
ナイフを枕の下に仕込み、アトはベッドに倒れ込む。
ベッドの横の壁には、窓のような小さな円形のモニターが付いていた。円く黒い背景に、丸く青い宝石が穏やかに浮いている。
「平和、だねぇ」
ナイアが暢気な声を上げる。
「……この船は」
「え?」
「いや、何でもないよ、ナイア。じゃあ、お休み」
アトが眠っている間に、船は三分の一ほど回転し、巨大な黄土色の惑星が窓のようなモニターに覗いていた。
「おーい、アトってば、そろそろ起きなって」
「ん? んー、もうちょっと……」
アトは眠そうな声で返事をした。ナイアが呆れた調子で、
「ホントにもう、安心して寝れるとなったらいくらでも寝るんだから。いつもながら暇だなぁ」
黄土色の惑星が窓一杯に広がる頃、アトはナイアにせっつかれ、ようやくベッドから離れた。シャワーを浴び、慣れた様子で身支度を整えると、モニター群のある部屋へと向かう。
アトが部屋に入ると、チャンドラが空に現れた。モニターには何も映っていない。
「出発ですか?」
アトが保存食料を貰えないかと尋ねると、チャンドラは快く了承した。
倉庫から保存食料が届くまで、ナイアは船の構造や動力などについてチャンドラに尋ねていた。アトはまたコーヒーを頼み、会話を聞き流しながら味わっていた。
「そろそろ出発します。色々ありがとうございました」
チャンドラに礼を言い、アトはリュックを背負った。チャンドラも微笑みながら挨拶を返す。
「じゃあ、またね」
ナイアが言うと同時に、アトの体が淡い光に包まれていく。
「あ、言い忘れてましたが」
チャンドラの方を振り向き、
「チャンドラさん、ここのコーヒーは今まで飲んだ中で一番美味しかったです。ご馳走様でした」
少しだけチャンドラの表情が崩れたように見え――
瞬間、部屋が強い光に満たされ、アトの姿は掻き消えた。
チャンドラはアトが次の世界へ行ったことを確認し、軽く微笑んで姿を消した。後には、殺風景な白い部屋だけが残された。
満天の星空の下、巨大なリュックを背負った旅人が赤茶けた荒地の道を歩いている。旅人が言った。
「この先の街はどんなところかな。出来れば安くて美味しい料理と柔らかいベッドがあるといいんだけど」
旅人の腰のベルトに提げられた銀の鍵が歌うように、
「そして突然空飛ぶ円盤が攻めて来なければ言うことなし、ってね」
応えず、旅人は歩き続ける。分かれ道に差し掛かり、そこにあった看板を見て左へと曲がった。
赤土の匂いを含んだ夜の風が、荒地に僅かに生えた背の低い草を揺らす。月は天頂から冷たい光を投げかけていた。
「……あの船は人間が乗れるように――長期間生活出来るように造られてた」
「何? 突然」
「何があったのか、何故誰も乗っていなかったのかは分からないけど。でも……もしかすると、計画は『彼らの』ではなく『彼の』だったのかもしれない」
遠くに柔らかい街の明かりが見えてきた。銀の鍵が呟く。
「あの人を造った人は、平和に暮らしてるのかな」
立ち止まり、旅人は星空を見上げながら、
「さあ、ね。でも」
「でも?」
「彼の淹れてくれたコーヒーは本当に美味しかったよ」