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月の終わりは、いつどこかの三日月

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風はまだ秋の半ば。そよそよと肌をくすぐる。
秋の香りに胸を弾ませて、短い季節のために。
気分や音楽を言葉にするのは、とても難しい。
秋の音楽は鳴り響いている。でも、言葉は?
言語化する作業についての僕が語ることのは
今にも風に揺らいで飛んでいきそうな言の葉。
ゆらゆら、景色はゆらゆら。酔っ払っていることが原因で。
ときどき、気分はどきどき。これもたぶん、酔っ払っていることが原因で。
頭の半分はぐちゃぐちゃ、もう半分はどろどろ。
だらだらと一日を過ごし、もんもんと時間は過ぎて。
123, 122

  

今日忘れた言葉が明日の詩になるらしい。
忘れた言葉ばかりの毎日だから、僕はたぶん詩人になれるだろう。
近くで魔法を爆発させる音が鳴り響いて、遠くで鳥が鳴いて、彼方でうめき声が聴こえる。
これがこの街の毎日だ。曲がりくねって、立ち止まるたびにうずくまる人たち。
虹色の川で髪を洗って死ぬ人たち。重金属の雨のなか隠れんぼをして死ぬ人たち。
この城郭都市は生きるだけで何もかもを要請してくる。そうできなければ、ついてけなくて、死ぬだけだ。
くう、ねる、さけぶ。とことん生きている。
世界は大きな大きなジョーク。ひと塊りの。
真剣になるには馬鹿馬鹿しいけれど、無視するには矢鱈と生き生きしている。
冷笑して住むのが賢者の姿なんだろうけれど、嘔吐して寝転がるのが愚者として正しいありさま。
それでも僕は賢人だ、なんて思っているのが、僕の救えない部分だ、と僕自身わかっているし、それが僕のアイデンティティだ、と僕は半ば思っている。

街を歩く。酒を飲みながら街を歩く。
道で寝る人や歩く人。10mを行ったり来たりする人。ひとりで喋って相槌を打つ人。叫ぶ人、無言の人。
彼らはたぶん、全員が真理を掴んでいる。酒を持たずに街にいられるのだから。
あるいは、街にいる重みを、寝たり、歩いたり、喋ったりして、解消しているんだろうか?

さてさて、全てがジョークなら、この言葉もジョークなんだろう。だから世界はジョークじゃないのかもしれない。そして世界はジョークなんだ。ジョークじゃないから。以下省略。
ことばはそういった可能性も含んでいる。嘘つきのクレタ人とは違うあり様だ。あるいは自己言及の不完全さ。
そう考えると、たまに真剣になってたまに鈍らになる、そんなあり様が正しいのかもしれない。
125, 124

  

面白いことを書こうと思っている。それ以上に綺麗な文章を書こうとしている。
果たしてその企ては達成しているのか。僕以外の人が考えることなので、考える必要は実はない。
そう思うと、実のところ、自分が人にどう好かれてるとか、人にどう嫌われてるとか、思い悩む必要はないのかもしれない。
結局ものさしは自分で、影響を受けるたびにものさしの尺度は変わってしまう。
見ると聞くのあいだ、そのあたりに僕は立っている。
最近の驚きは、世間が理性的じゃないってことだ。
おっきな隕石が真上に落ちてきているのに、仕事を休む電話をかけるか悩む若者。
あと2日で死ぬのが分かっているのに、誰にも連絡できない老人。
彼らは恥というものを持っている。それはけだものとヒトとの違いだろう。
生きるためなら理性はいらない。
そして、こんな死が間近な人より、世間はだんぜんに理性的ではないのだ。
僕はゲロを吐くのが仕事だ。それ以下が世界にはたくさん、山ほどいるのだ。
生きる糧にすらならない人々への乾杯。デッドフィッシュを崇めるような。
127, 126

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