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第一話

退廃の街にて……


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 ショウゴ・ゴウソ・ケーニッヒ軍曹は、久々の休暇を過ごしていた。三ヶ月もの間、中途半端な寒さの荒野で戦車を駆り、敵軍の戦車やら爆撃機やら敵兵やらと対峙してようやく得られた一週間の休暇。それは雪原から顔を出した雪割草の花にも似た優しさで、ショウゴを迎えてくれた。
 「貴重な休暇だって言うのに、なんでまた”堕天使の街”なんぞで……」
 ショウゴはネオンの灯を見上げながら往く当てもなく、歩いていた。
 ショウゴが所属する部隊の駐屯地から一番近い歓楽街、それが”堕天使の街”とも呼ばれるヘルバレーだった。元は独逸語で言う”晴れ=HELL”の谷と呼ばれ、健全な娯楽を提供する街だったのがいつしか”死の谷”と誤解されるようになり、誤解が怪しい連中と怪しいビジネスを呼び込むようになり、いつしか退廃が支配する歓楽街へと変貌していた。
 休暇といえども、緊急招集が発せられれば直ちに部隊に帰還しなければならず、自然と休暇を過ごす場所は限られてくる。
 「た・ま・に・は南国へ行きたいよなあ」
 コートの襟を立てながらショウゴがつぶやくと、ふと何者かが背中にぶつかってきた。
 「なんだよ」
 振り返ると、危ないお薬とアルコールがキマった空挺隊の軍服を着た男が寄りかかってきた。
 「またかよ」
 ショウゴは男を壁際に連れて行き、座らせると早々に立ち去った。なにかの弾みで暴れだすと厄介だった。
 
 
 堕天使の街には様々な快楽が存在する。多少の違法行為は大目に見られ、そんな抜け穴が更に快楽を呼び、快楽が背徳を生み、背徳が犯罪を生み……。


 「兵隊さん、遊んでいかない?」
 気がつくと、まだ年端も往かない男娼に呼び止められた。無視をして踵を返した。いつの間にか売春街、それも男娼街に紛れ込んでいた。ショウゴには、同性愛の趣味は無い。
 「いかんなあ。人恋しくなると判断が鈍る」
 そうつぶやいていると、コートの懐で携帯電話が震えた。メールの着信をサブウィンドが教えてくれた。
 「ナツキか。……」
 女友達のナツキ・ジュゼッペ・モリコーネからだった。
 『休暇でしょ? 暇なら遊びに来ない?』
 ……とだけ、書き込まれている。
 『行くよ。お土産はなにがいい?』
 『赤ワインを2本、白ワインを1本』

 ショウゴは赤ワインを2本だけ買い込むと、街の郊外にあるナツキの家へと足を向けた。

                           *

 「ふうん。反乱軍の新型戦車はヘタレなんだ」
 居間のテーブルでグラスにワインを注ぎながら、ナツキはショウゴの話に聞き入っていた。ナツキが赤ワインと白ワインを欲する時、実は白ワインは軍の機密を意味する暗号なのだ。
 「ああ。おかげで我が軍は応戦の準備がそのまま反撃に使えるから楽勝の連続さ。おかげで俺の休暇も2日間の延長にあやかれた」
 「そして私も原稿のネタにあやかれた」

 ナツキは雑誌の編集者であり、報道管制の抜け穴を探す立場である。ショウゴは彼女との交際の餌に、憲兵から睨まれないレベルの機密漏洩を使っていた。

 「泊まって……いくよね?」
 「もちろん」


                          *

 目が覚めた。枕元のアナログの腕時計は午前三時を指している。ショウゴはふと、一人でベランダに出ると煙草に火を点けた。厚手のガウンから夜気が伝わってくる。冬の到来を告げる冷たさだった。
 「素直にここに来ればよかったんだろうな」
 ナツキと知り合ったのは、2年前の夏。湖沼地帯の戦場で泥濘にまみれて展開しているショウゴの所属する部隊をナツキが取材しにやってきた時だった。敵軍の奇襲に遭い、部隊が窮地に立たされた時、部隊だけでなくナツキをはじめとする取材スタッフ一行をも守り抜いたのがきっかけだった。
 下心があったわけではない。ただ、戦火に倒れ逝く戦友たちを守りきれなかったぶん、不幸な民間人を救いたかった。それだけだった。
 45両あった戦車のうち、ショウゴの駆る戦車も含めて生存したのは僅かに7両、生還率は15,6%。部隊が駐留していた野営地の兵士の生還率は17,2%。
 幸運な出会いだったのか、不幸な出会いだったのか、未だに答えが出ない。
 「なんだかなあ」
 自嘲しながら夜空を見上げようとすると、微かだが殺気を感じた。公園に面したマンションの7階、殺気を立てている輩がいるのは公園の闇の中からだった。目を凝らすと黒いバンとワンボックスが4台、公園の入り口に停車しているのが見えた。公園の常夜灯はいつの間にか消灯している。
 「捕り物かな」
 ショウゴは口元を綻ばせながら周囲を見渡した。おそらく、闇に紛れて魔導師が数名展開しているだろう。彼らの透視能力とテレパシーがあれば、捕り物をする側は無敵だ。
 「もう終わったのかな」
 殺気はすぐに消えた。これといった音声が聞こえるでもなく、火の手が上がるでもなく、常夜灯はあちこちで点灯しはじめた。
 「……へえ」
 黒いバンのすぐ脇にいる派手な格好の人物が目に入った。相当な金額をつぎ込んだであろう装いは戦闘服ではなく、ファッションショーから抜け出したモデルの様相を呈している。魔導師が直接参戦することは稀であり、自然と金がかかった私服で姿を現すということは珍しい話ではない。
 「……!」
 その魔導師と、目が合ったような気がした。常夜灯の灯に照らし出された細面の輪郭に切れ長の目、ストレートの金髪……。咄嗟に身を隠したショウゴには、魔導師が女性であることしか分からなかった。微笑していたような気もするし、不適な表情をしていたような気もする。
 「まさか、呪い殺されたりしねえよな。……たぶん、大丈夫だよな」
 煙草の火が、フィルターの付け根まできていることに気づかずにいた。

                           *

「Geeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeettttttttttttttttttttttttt! Upppppppppppppppppppppppp!」
 軍隊式の掛け声と共に、叩き起こされた。ナツキはすでに身支度を整えており、朝食の香りも漂ってくる。
 「お、おはよう」
 「おはよう。もう起きてたの?」
 「平日ですもの。合鍵を預けておくから、朝ごはんを食べたら私が帰ってくるまで出掛けていてね。あんまりプライバシーを侵害されるのは好きじゃないから。じゃ、行って来ます」
 半分寝ぼけているショウゴの頬にキスをしたナツキは、急ぎ足で出勤していった。
 「なんだかなあ」
 ……ブルーマウンテンのブラック、ハニートースト3枚、目玉焼き2個分、トマトの輪切り2個分の朝食と経済新聞が用意されていた。新聞の一面トップには、アルデバラン重工業の新型戦車<リンクス-22>の実戦配備開始の見出しが載っている。アルデバラン重工業はこの国、カルサ連合帝國でもトップ3に入る一大軍産複合企業であり、その一挙手一投足が帝國を動かすと言っても過言ではない。
 「まあ、皇帝陛下の掌で踊らされてるだけだがねぇ」
 新聞を流し読みしながら、ゆっくりと朝食を胃に収めていく。前線では早飯が当たり前だが、休暇中は万事がゆっくりと進行する。
 「……重工業関連は昨日から軒並みストップ高だなぁ。……科化学関連も引っ張られてる。……IT関連は……」
 前線では、糧食の質の低下と配給の遅延に悩まされていた。軍の兵站部隊は平常に機能しているというのに糧食が滞る、という事態はつまり、それを供給している産業に問題があるということだった。様々な憶測が飛び交い、兵士たちは少なからず混乱している。その真相を休暇中に推測してみよう、とショウゴは常々思っていた。学生時代は金融を専攻していたおかげで、相場の動きを見ればそれとなく経済の動向が読めた。
 「……輸入食材と国際穀物相場でぼったくられてるじゃんかよ。皺寄せは軍隊任せってかぁ?」
 連合帝國。名前こそ大仰だが、連合を構成している7カ国間の諍いは絶えたことがない。ショウゴたちのエンダー帝國は連合の根幹を担っているが、千年近い歴史を持つ国家は帝家や取り巻きの貴族たちを歪ませ、名君との誉れも高いレノネア・ファン・カルサ4世をしてなお、統率を困難にさせていた。
 「ったく、貴族院も腐りかけてりゃ国民議会も腐りかけ。陛下が気の毒だよ」
 ショウゴは朝食を終えると、ナツキの言い付けどおりに街へ出た。

 通勤の人込みの中で、ショウゴは違和感に苛まれていた。居場所の無い心もとなさとも違う、奇妙な感触だった。
 ……銃声も爆音も、怒声も悲鳴も、硝煙の臭いも土煙のざらつきも、なにもない安全な場所。戦争とは関係の無い人々が暮らす街。
 朝の遅い繁華街を迂回してビジネス街に足を向けてみると、その思いは一層強くなってゆく。最前線に一番近く、なおかつ安全な街だけに軍需産業だけでなく、様々な職種のビジネスマンたちが闊歩している街で、ジーンズにスニーカー、ショート丈のトレンチコートのショウゴは浮いている。
 「うっわぁ……」
 ふと、独り言がこぼれてしまっていた。
 気を取り直して株価を表示するボードを見ていると、肩を叩かれた。
 「あれ? ……ナオミじゃん?」
 「やっぱりショウゴだったんだ」
 ナオミ・ユーリ・ピアティゴルスキー、学生時代の女友達がそこにいた。学生時代は天才的な投資センスと独自の理論で学費を稼ぎ出すという荒業をやってのけた才媛だった。その彼女が、何故か中堅どころの広告代理店の社員章をスーツの襟元に光らせて立っている。
 「……どうしたの」
 「ご挨拶ね。7年ぶりの再会だっていうのに」 
 「いきなりだもんよ」
 「今、ちょっとだけ暇だから。お茶でもどう?」
 「断る理由は無いな」

 続く
 「なんだぁ?」
 自嘲しながら歩いていると、
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