マックブックエアーに向かいながら、おれはためいきをついている。はじめて原稿用紙百枚を超える作品を書くことができて、たぶんうれしいのだ。うれしいのだが、書き終えたあとの虚無感はなんだ。確かにわかってはいたことだ。「おれはこの小説を書き終えるべきではないのだ」そうなんども思った。書き終えた瞬間に、おれはみずからを突き動かす鮮烈なモチーフを失う。書くために書き続けなければ。そうは思えど、書けば書くほど冗長になっていく。冗長な文章ほど物書きにとってみずからの愚かさを示すものはない。書きたい思いを明確に脳内にとどめながら、それを直裁に書かずにシーンを描いて示す。それも必要十分の文章量で。すくなければ、すくないほどそれは理想だ。
おれは鼻をかこうとして、さっき塗った「尋常性ざ瘡」、つまり吹出物の薬を気にしてがまんした。このかゆみもいつか止む。衝動は生まれたときに叩くのがいちばんだ。それでもあの作品にまた手を加えるのは無粋なこと。
目をつぶって、おれのあたまの中のスーパーカミオカンデに思いを馳せる。いま、もはやおれを突き動かすのは稲妻のような光ではない。あの地下深くに掘られた空洞の、五万トンの超純水のなかを束の間走り抜けるニュートリノにひとしい。それは見える形にあらず、光電子増倍管で検出してはじめておれはつぎの一段落、一行、一文字を打ち込んでいる。
まっくらな、闇。
「おい。晩飯ができた」
そうおれに呼ばれて、おれは目をひらく。はじめて世の中に生まれ出た日の気持ちを必死に再現してみる。視界がじき明白に像をむすびだす。目の前のものをマックブックエアーだと認識する--なぜなら液晶の下にそう書いてあるから--そこで失敗だ。きょうもおれは生まれ出た日の気持ちを再現することはできなかった。赤ちゃんの小説を書く線は消えたなと思いながら、そろそろ返事をしないと怒られるから後ろを向いて「おうよ」と返す。上がっていた肩に気づいてふうっと息を吐いて、肩を自然な位置におろして、椅子から立ち上がろうとするとカン、カンと聞こえる。これはいまこうしておれに打たれて文字化された「カン、カン」より少し高い音だ。きっと食器とスプーンのぶつかる音。婆かな。それとも嫁かな。おれはふわふわとした意識のままバリアフリーの廊下を通ってダイニングテーブルへとおもむく。
テーブルではみながハヤシライスを食べている。白くて少し側面の高いカレー皿に、銀のスプーン。そこには黒いベストを着たおれと、雇い主の婆、ほどよくセットされた髪型の見栄えのいいおれ、それにおれと素朴な嫁、そうして煤けた爺にみえるけれどこれもおれ、がいる。
おれはいま、おれと婆とおれとおれとおれの嫁とおれの六人と暮らしている。