【7日目:夜 旧校舎裏庭】
秋の日は釣瓶落とし、ということわざがある。
秋の日は急速に暮れ、さながら井戸の中に釣瓶が落ちていくかのごとく、暗くなっていくことを意味するが、ここ最近はまさにそのような日々が続いていた。
時折吹く風からはもう夏の名残は感じられず、これから訪れる冬の気配さえ、すでに覗かせ始めている。涼しいというより、肌寒いような夜風だ。
その夜風に頬を撫でられながら、彼――暁陽日輝(あかつき・ひびき)は、旧校舎裏に積まれた古タイヤにもたれかかり、どこからか聞こえる虫の鳴き声に耳を傾けていた。正確には、その中に別の音が混じっていないか、ということに注意を払っていた。
……今のところは、大丈夫そうだ。
「これでもう七日目だからな。この生活にもだいぶ慣れてきたと思ってたんだけど、やっぱり、堪えるな」
陽日輝が、風にかき消されそうなほど小さく呟くその声の先には、陽日輝と同じ学校指定のブレザーを着た男子生徒がいる。
彼はこの場所、つまり旧校舎の裏庭と、学校の敷地内にある小さな裏山とを区切る背の高いフェンスに背中をもたれかからせた状態で、地べたに座り込んでいた。
顔は伏せられ、その視線の先は彼の足辺りになるだろうか。
そのため、立っている陽日輝からは、彼の表情を窺い知ることはできない。
それでも陽日輝は、構わず話を続けていた。
それは彼に語り掛けるというよりは、自らに言って聞かせるような、確かめるような形だった。
「六日前までは、こんなことになるなんて思ってなかったよな。半日かけて生徒総会やるって聞いてたから、あの講堂暖房の効きが悪いから寒いんだよなとか、適当なタイミングで抜け出してラーメンでも食べに行こうぜとか、お前ともそんな話をしてたよな」
答えは無い。
もとより期待してはいない。
それでも陽日輝は一抹の寂しさを覚え、その後で口元に自嘲的な笑みを浮かべ、続けた。
「そしたら、なんだ。突然、垂れ幕の『生徒総会』の文字が光って、変わったんだよな。葬ると書いて、『生徒葬会』に。ほんと、悪趣味なネーミングだと思うわ」
あのときの衝撃は、一週間近く経った今でも鮮明に覚えている。
人は、自分の理解を超えたものを目の当たりにしたとき、まず純粋に驚き、そして、夢か幻、あるいは気のせいだと思い込もうとする。やがてそれが現実だと頭で気付いても、その一方で頭の別の部分では、それが現実ではないという理由を探そうとする。
そんなお手本のような現実逃避のプロセスを、陽日輝も実際に経た上で。
文字の変化に気付いた生徒たちで騒然とし始めた講堂に、スピーカーから声が響いたのを、聞いたのだ。
「『これより、第一回生徒葬会の開会の可否を判断いたします。賛成の方は拍手をしてください』だったか? 男か女かもわかんない合成音声だったよな。でも、俺はあのとき、確かに嫌な予感がしたんだよ。だって、葬って壊すんだぜ? そりゃ嫌だよな。でも、それ以上に思ったんだよ――「逆らったらヤバイ」ってな。だから、拍手した。お前もそうだったな。そうでなきゃここにいないもんな。なんせ、あのとき拍手しなかった奴は、みんな死んだんだから」
――そう。
自分のように嫌な予感がしていた者以外にも、誰かのイタズラだと思った者、本気で恐怖していた者、なにがなんだかわからずキョロキョロしていた者――多種多様ではあった。
しかし、結果として、拍手をしなかった生徒は、一人残らず死んだ。
突然胸を押さえて苦しみに顔を歪めたかと思うと、そのまま、崩れ落ちるように事切れた。
あまりにも唐突に、そしてあまりにも大量に発生した『死』に、まるで理解が追い付かないまま。
スピーカーから聞こえる声が、『賛成者のみで、生徒葬会を開会します』と告げるのを聞いたのだ。
「その後はすごかったよな。泣き出す奴、逃げようとする奴、叫んでる奴。俺は茫然としてたよ。割と仲が良かった奴も結構死んだんだけど、そのことが堪えてきたのは生徒葬会が始まってしばらくしてからだったな。実感が追い付かなかったんだろうな。でも、自分たちがとんでもないことに巻き込まれたんだってことだけは、すぐに理解できた」
逃げ出そうとした奴が数人、十数人、いやはや数十人がかりで扉や窓を開けようとしても、ぴくりとも動かせなかった。パイプ椅子を持ち出して窓を割ろうとしても、微かに揺れるだけで、ヒビひとつ入らない。
『すでにお分かりでしょうが、私は超常的な力を持っています。君たちの中から心臓を止めたい者だけを選んで止めることもできれば、このように一つの空間を牢獄に変えることも可能です。抵抗は無意味です。命が惜しいという気持ちがあるのなら、私の話を大人しく聞くことを推奨します』
淡々とした喋り方のはずなのに、嘲笑われているような気持ちにさせられる声がして。
それでも扉を破ろうと足掻いていた何人かは、胸を押さえて倒れ伏し。
そのときになってやっと、講堂には静寂が訪れた。
正確には、すすり泣きや嗚咽は、そこかしこから漏れていたが。
生き残った生徒たちは皆、理解したのだ。
この声の主の言うことに、従うほかないのだと。
「その後、生徒葬会の実施要領が説明されたな。『今から君たちをこの講堂から解放します。しかし、この学校の敷地内からは、同様の能力によって見えない壁を作っているため出られません。敷地内から敷地外の人間は見えず、敷地外の人間の目には、通常の学校風景が映ります。携帯電話やインターネットも使えません。敷地外の人間の記憶にも干渉しているので、君たちが閉じ込められていることは誰にも知られることがありません』だったか。都合がよすぎるよな。でも、それだけのことができてもおかしくないってのは、もう十分思い知らされてたからな。もう誰も、何も言わなかったよな」
陽日輝は、友人がもたれかかっているフェンスの向こう側を見据えた。
裏山は敷地内なので、見えない壁で妨げられてはいない。
しかし裏山の奥にある、敷地内外を分けているフェンス。
それを超えることは、試してはいないが、できないだろう。
この一週間近くの『生徒葬会』の中で、陽日輝は、何か所かの境界線を越えようと試みたが、徒労に終わっている。だから、どこかに抜け穴がある、なんて甘く都合の良い考えは、すでに捨てていた。
「でも、さすがにその次に説明された内容には驚いたな。『外に出る方法はただひとつ。君たちには、生徒葬会の名の通り、葬り合ってもらいます』なんだからな。素直に殺し合いって言えよ、って思ったよ」
嫌な予感は、やはり的中した。
生徒葬会は、全校生徒――正確には、開会までに殺された生徒を除いた、だが――強制参加による、ただの悪趣味な殺し合いゲームだったのだ。
映画や漫画では、そういった設定の物語をたまに目にするが、まさか自分たちが身をもって、そんなゲームをさせられることになるなんて、きっと、誰一人として思いもしなかったことだろう。
「それでパニクって、逃げ出そうとした奴も何人かいたな。やっぱり心臓止められたけど、ある意味勇気あるよな。実際に逃げようとして死ぬ奴を何人も見てたはずなのに。……まあ、そんなことも考えられないくらい、怖くておかしくなっちまったんだろうな。俺だって、思考が正常に働いてなかったって意味ではそいつらと変わりなかった。茫然としてただけなんだから」
それでも、頭の一部では、スピーカーから聞こえる声を聞き漏らしてはならない、ということを理解できていたのは幸運だったといえるだろう。
陽日輝は、そこから語られた恐るべき『生徒葬会』のルールを、開会前に理解することができたのだから。
「スピーカーの声は『議長』って名乗ったな。開催可否の拍手だの開会だのもそうだけど、この殺し合いゲームに普通の総会みたいな用語を当てはめてるのが悪趣味だよな。で、『議長』いわく、これは生徒の生徒による生徒のための会だから、教職員は全員『不参加』なんだってな――その瞬間、講堂にいた教師たちが全員消えたのにも驚いたよな。ま、記憶を操作されて学校外に飛ばされたって話だけど、どこまで本当なんだろうな」
つまり、この悪趣味な殺し合いゲームに参加しているのは、生徒だけということになる。この一週間近くの間で、陽日輝は何人かの生徒に出会ってはいるが、教職員の姿は一度たりとも見ていないので、信じていい情報なのだろうが。
「その後でようやく、『生徒葬会』のルールが説明されたな。『これから行うルール説明が終わった瞬間、すでに死んでいる方を除いた君たち全員を敷地内のいずれかに転移させます。その瞬間が葬会の始まりです。そのとき君たちの左胸のポケットには、生徒手帳と同じサイズの『生徒葬会実施要項』を入れておきます。そこに、私がこれから説明する内容も記載していますので、どうぞご自由に読み返しください』って言って、支給されたのがこの手帳だったな」
陽日輝は左胸のポケットから、『第一回生徒葬会実施要項 二年A組 暁陽日輝』と書かれた、五ミリほどの薄い手帳を取り出した。すでに目を通してはいるが、確かにあの日講堂で『議長』が説明した以上のことは書かれていなかった。
「それで、その後に説明されたのがこの『生徒葬会』の肝だったな。『君たちが生きてこの学校から出る方法は、『投票』を行うこと、ただそれだけです。葬会開会後は、この講堂は私の力で敷地外同様不可侵の空間としますが、君たちにお配りする『生徒葬会実施要項』を百冊――だと嵩張りますので、表紙を百枚お持ちした方のみ、中に入れることとします。そして、その百枚の表紙と引き換えに、その方は『投票』を行えます。生きて帰る権利を得る一名を選ぶ『投票』をね』――だからな。その後で、表紙の持ち主の生死は問わないとも言ってたけど、こんなルールじゃ、どうしても殺し合いに発展しちまうよな。だって、その時点で生き残ってた全校生徒はちょうど三百人だっていうんだから。生きて帰れるのはたったの三人だ」
ルール上は、表紙を手に入れる手段は問われていない。
死体から漁ろうが、誰かから譲り受けようが、それこそ殺して奪おうが。
『投票』だってそうだ。自分以外の誰かに投票することもできる。
しかし――そんなことは起こり得ない。
三人しか『投票』ができない以上、誰かを殺してでも表紙を集め、そして他でもない自分自身に『投票』するのが、生きて帰る唯一の道なのだから。
「……俺は、俺が百分の一になれる自信なんてない。だけど、だからといって生きるのを諦められるほど、往生際の良い人間でもない。――だから、俺はお前のために死んでやるわけにはいなかったんだよ」
陽日輝は、古タイヤに預けていた背中を浮かし、ゆっくりと正面に座る友人へと歩み寄った。
――その左胸には、ぽっかりと穴が開いている。
夜の闇の中でも一際暗く、深い色をした穴からは、血の焼けた臭いが今なお漂っていた。
――言うまでもなく、死んでいる。
自分に対し襲い掛かってきた友人を、陽日輝は返り討ちにした。
正当防衛? それは確かにその通り。
しかし、こんな最悪な状況に自分たちを陥れたのはあの忌々しい『議長』であり、そして、陽日輝にとって彼は、間違いなく友人だった。
「……『議長』の奴はこうも言ったな。『ただ殺し合うだけでは面白味に欠けるので、君たちには一人一つずつ、私の持つ能力を貸し与えることにします』と。俺たちに配られた実施要項の巻末に、能力名と能力内容が書かれていて、それはこの葬会から生きて帰るか死ぬまでは、俺たち個人の力になると。俺たち一人一人の経歴や性格や資質とは関係無く、無作為に付与するとは言ってたけど、俺に押し付けられた能力は、どうも俺にぴったりな感じがするよ。なんたって、俺の名前を連想させるしな」
陽日輝は、自嘲の笑みを浮かべながら、自分の右の掌を見下ろした。
少し意識を向け、力を放出するイメージを思い描くと、すぐにその掌は、橙色に発光し始めた。夜の闇の中では、この能力は懐中電灯代わりにもなる一方で、遠くにいる生徒にも自分の居場所を知らせてしまうことにもなりかねない。
陽日輝は光が激しさを増す前に、その灯りを頼りに友人の左胸のポケットを漁り、実施要項の手帳をつまみ出した。
表紙を破って自分の手帳に挟み、ついでに巻末までページをめくって、友人の能力を確認する。
能力名:創刃(クリエイトナイフ)。
能力内容:刃渡り二十センチまでのナイフを創り出せる。
同時に存在できるナイフは三本まで。
四本目を作り出した瞬間、一本目は消滅する。
この能力の使用者が死亡した後も、創造されたナイフは残る。
「……このナイフが、それってわけか」
陽日輝は、友人の右手の先に放り出されたナイフを拾い上げた。
刃渡りは二十センチ。
よく見ると、友人の腰のベルトには、このナイフを収納していたと思われる鞘とホルスターが括り付けられていた。
どうやら、ナイフだけではなくその付属品も創造できたらしい。
陽日輝は、鞘とホルスターを自分のベルトの左腰に取り付けて、ナイフを仕舞った。ブレザーを着ている限り、外からはナイフは見えない。
「許してくれとは言わない。……お前以外にも二人殺してる。一人は半分狂っちまってたし、もう一人は別の奴を殺そうとしてたから止めた結果だ。まあ、助けたそいつもどっかに行っちまったけどな。……でも、そんなのは言い訳だ。俺はもう三人殺してる。それは間違いないんだから」
陽日輝の手帳にはすでに、自分を含めて四人分の表紙がある。
あと九十六人分――先は長い。
しかし、『投票』に必要な手帳が三人分きっかりちょうどしかない以上、モタモタしている間に『投票』自体できなくなるという事態にはならない。
ただ――この異常事態に、自分の精神がすり減り切ってしまわないという保証はない。
「俺は絶対に『投票』までこぎつける。そして――」
思い浮かぶのは、未だ姿すら見せない『議長』の忌々しい声。
再び講堂に足を踏み入れることができたなら――あるいは、あの『議長』と相まみえることもできるかもしれない。
そのときまでは――絶対に、死ぬわけにはいかない。
陽日輝はそう誓っていた。