【9日目:夕方 屋外中央ブロック】
様々な思惑と『能力』が入り乱れての『楽園』を巡る戦いは、すでに最終局面を迎えている。
中央ブロックには数十人の生徒の死体が転がり、驚くほど静まり返っていた。
ただ一箇所、霞ヶ丘天がいる場所のみが、彼女が起こす烈風による轟音に支配されている。
そのため、暁陽日輝たちは、迷うことなくその場所に辿り着くことができた。
「あら――団体様だね。そんなに私を殺したいんだ――殺し合いで荒んだみんなに、平和と秩序を取り戻してあげているこの天使様を」
屈託のない笑顔を浮かべ、天はおどけたように肩をすくめてみせた。
背中から生えた真っ白な翼により、彼女は上空五メートルほどに滞空している。
その翼がはためくたびに台風のときのような暴風が吹き、思わずバランスを崩しそうになってしまう。
暁陽日輝、安藤凜々花、相川千紗の三人は、互いに支え合うようにしてその暴風を堪え切ってから、周囲を見回した。
この場所では激しい戦いが繰り広げられていたのだろう――大小様々な石や瓦礫、木の枝などが散らばっていて、その中に何人かの死体もある。
ただ一人、体格の良い短髪の男子生徒だけが、呼吸を乱しながらも立ち続けていて、彼が天相手に食い下がっていたことが窺えた。
「……! お前ら、コイツの敵なら俺に協力してくれ! このままじゃ全員殺される!」
叫んだ彼のすぐ近くには、双子の女子生徒が倒れていた。
その女子生徒たちには見覚えがある――陽日輝と千紗の同級生だ。
「月奈(つきな)、陽奈(ひな)……!」
千紗が名を呼び、二人の内のどちらか(陽日輝には区別が付かなかった)が、両手を広げたくらいはある一際大きなコンクリート片に頭をもたれかからせた仰向けの姿勢のまま、視線だけを弱々しく動かした。
その左脇腹には、天が起こした風で飛んできたものだろうか、錆びて折れた鉄パイプのようなものが突き刺さっている。
双子のもう一人は彼女の足元でうつ伏せになっており、こちらはぴくりとも動かない。
「コイツらはもうダメだ――何分か前にやられちまった! アイツは俺一人じゃどうしようもねえ! どれだけ攻撃しても、何故か当たらねえんだ!」
短髪の男子生徒は、半ば絶叫するようにそう説明しつつ、大きめの石を天めがけて投擲した。サマになったフォームだ――もしかしたら彼は野球部員なのかもしれない。
スピードの乗った石は、天の顔面めがけて飛んでいく――しかし、その石は天の眼前で急速に勢いを失い、落下していった。
「何十回やっても無駄なのに。諦めて死を受け入れるのがそんなに怖いのかな? だったら『楽園』に入れば済んでたのにね。まあ、もう絶対入れてあげないけど」
「ふざけるな! どうせ人数集めてから本性表して、シンパの手帳を丸ごと奪うつもりなんじゃねーのかよ!」
「ひどい言い草。でも、そうだとしてもあなたも『楽園』を潰す気でここに来たんだろうし、とやかく言えないよね?」
天の余裕は、自分が安全圏にいるという確信によるものだろう。
万に一つも、自分に危害が加わることはないという、そんな自信を感じさせる。
そしてその根拠となる現象は、陽日輝たちも目の当たりにしたばかりだ。
「――凜々花ちゃん、相川。多分ダメだと思うけど、やってみてくれ」
「……ええ、そのつもりです」
「どのみち、そうするしかないものね」
凜々花と千紗は、お互いに目配せして頷き合い、すぐさま行動を取った。
凜々花は百人一首の札を投げ、千紗は改造エアガンを構えて引き金を引く。
それらは先ほどの男子生徒が投げた石同様、天に命中する直前に失速し、落ちた。
そして天は、それを最初から確信していたように、その表情から一切の余裕を崩さない。
「無駄だって。私を傷つけることは誰にもできない」
「木附の『制空権(ピースメイク)』のように、風力で防いでいるのかと思ったけど――そうではなさそうね……!」
千紗が、翼をゆっくりとはばたかせて滞空する天を、恨めしげに見上げながら言う。
陽日輝も、根岸藍実と最上環奈がいたテントで、その能力については聞いている。
凜々花にとって親友の仇だった木附祥人が持っていた『制空権』という能力は、周囲の風を操るというものだったらしい。
そのため、飛び道具主体の凜々花と千紗は大いに苦しめられたそうだが、天にとって風は、あの翼をはためかせたときに発生する副次的なものに過ぎない。
その証拠に、陽日輝も見逃してはいなかった――天に対して凜々花と千紗が攻撃した際、風なんて一切なかったことを。
つまり彼女が攻撃を防いでいるのは、風力によらないまったく別の力。
「あんなくだらない能力と一緒にしないでほしいな。私の『不可侵結界(ホーリーゾーン)』を」
天は、そう言って両手を広げた。
そんな彼女の背では、その腕よりもさらに大きく、翼が拡げられている。
夕陽を浴びた純白の翼は、美しくもどこか有無を言わさぬ威圧感に満ちている。
――ありとあらゆる攻撃を受け付けない聖なる守り。
それが霞ヶ丘天の能力だというのなら――破る術なんてどこにある?
「なんて顔してるんですか――陽日輝さん」
凜々花が、その意志の強さを感じさせる瞳でこちらを見据えた。
「あの人の能力にも絶対に穴はあるはずです。無条件で無敵な『能力』なんてものが存在したら、生徒葬会が成り立たないですから――あの『議長』は絶対に許せませんが、私たちにバラバラの能力を与えて殺し合わせて楽しんでいるような輩です。極端に強すぎる『能力』は無いはずですよ」
凜々花のその言葉は、自分に言い聞かせている――というわけでもなさそうだった。
聡明な彼女のその推理は、的を得ているように思う。
そして何より――陽日輝は気付いた。
凜々花の言葉に、天の表情がほんの僅かに強張ったのを。
「そう――だな。ありがとう、凜々花ちゃん――そうと分かれば、とにかく突破口を見つけ出すしかないな……! やってやろうぜ!」
陽日輝が、自他を鼓舞するようにそう言ったのを聞いて、天が露骨に不快げに眉をひそめた。
「無駄な努力は報われないよ? 仮に私の『能力』に穴があったとして、それがあなたたちに分かる? 分からないし、分からせない。その前にあなたたちは死ぬんだから」
天は、ポケットから取り出した数本のナイフを宙に放る――その直後に翼を大きくはためかせ、巻き起こした強風でナイフをこちらに飛ばしてきた。
射線上にいた陽日輝と凜々花は、それぞれ別の方向に跳んで回避する。
その間に、あの短髪の男子生徒がさらに一つ、石を天めがけて投げていた。
今度は彼女の背後から――しかし、それもまた防がれる。
「うふふ、危ない危ない」
「チッ、意識の外からでもダメ、か……! ――おい、お前ら! ヒビキにリリカにアイカワっつったか? 俺は三年の鹿嶋鳴人だ! お前らの案に乗ったぜ! これでも一応野球部の元レギュラーだ、体力と走力はこの中では俺が一番ある! 俺が駆け回って攻撃を続けるから、お前らはその『穴』ってやつを探し出せ!」
短髪の男子生徒――鳴人は、そう叫ぶや否やまたも石を投げた。
すると今度は、その石が空中で不自然に弧を描き、天の背中側から右側頭部へと回り込む。
しかしそれもまた、天に命中することなく落ちていった。
どうやら鳴人は、投擲したものの軌道を操作することができるらしい。
千紗は、「今は手を組んだほうがよさそうね」と呟いた。
凜々花も頷き、
「そうですね。今は共通の敵がいますし、この状況では頼るのが賢明でしょう」
と言いながら、こちらに目配せしてきた。
陽日輝も特に異論はない。
弱点不明の能力を持つ天相手に、今は一人でも多くの味方が欲しい状況だ。
陽日輝は頷き、鳴人に聞こえるように大声で叫んだ。
「分かった、こっちも出来るだけ援護するから、任せた!」
「頼んだぞ! 俺の『変可球(バリアブルボール)』でやれるだけやってみるからよ、そっちもやれるだけやってくれ!」
「うるさいなあ、何百回やっても同じだって分からないのかなあ」
苛立つ天めがけて、凜々花、千紗、鳴人が一斉に攻撃を仕掛ける。
しかし、カードも弾も石も、ことごとく自分から天をよけているかのように失速し、墜落してしまう。
三人は駆け回り、ありとあらゆる角度から攻撃を続けるが、同じだった。
陽日輝はその間に、天の挙動に注目し、不自然な点が無いかを探り続けたが、『能力』を発動するための仕草等の手がかりが見つかることはなかった。
そうしている間に、凜々花たちの動きが次第に鈍って来る。
足を止めると強風とナイフのコンビネーションの餌食となるので走り続けるしかないが、攻撃に警戒しつつ駆け回るのは、体力と気力を大きく消耗する。
特に凜々花は、スポーツ経験者である鳴人や千紗と違い、文化系だ。
三人の中でも特に凜々花が、目に見えて消耗していた。
すでに何度か、『複製置換(コピーアンドペースト)』による分身の召喚と入れ替わりを駆使することでどうにか凌いだ場面も出てきている。
陽日輝は、近くにあった石を拾って天めがけて投げながら叫んだ。
「凜々花ちゃん、一旦下がれ! このままだとやられるぞ!」
「そうよ――ここは私たちに任せて!」
両手に改造エアガンを持った千紗が、手の甲で額の汗を拭いながら叫ぶ。
その流れで二丁拳銃による交互射撃を行い、天を牽制して凜々花が下がる余裕を作りにかかった。
「ハア、ハア、ごめん、なさい……! お言葉に、甘えます……!」
苦しげに息を吐きながら、凜々花は後退を開始した。
その凜々花を庇うように、陽日輝と千紗は攻勢を強める。
――無駄。
天が繰り返し口にしたその言葉が脳裏をちらつく。
確かに、そうなのかもしれない。
天の『不可侵結界』とやらの弱点は間違いなく存在するだろう――しかし、天のあの絶対の自信。弱点を見つけ出し、突くことが、困難である証拠とも取れる。
このままではこちらが疲弊する一方だ――やがてナイフの餌食となるだろう。
……だけど、ここで諦めるわけにはいかない。
自分たちは全員分の手帳を集めなければならない、というのが大前提としてあるのを抜きにしても、自分は友人を――犬飼切也を殺し、日宮誠とも訣別して、今ここに立っている。
だから、ここで投げ出すわけにはいかないのだ。
「……あるはずだ、突破口は」
息を切らしながら、陽日輝は天を睨み上げる。
視界の片隅、千紗が改造エアガンのマガジンを交換しているのが見えた。
その反対側では、鳴人が地面に転がった石を拾い上げると共に、その流れのままアンダースロ―で投擲する姿も。
それに対し天は、苛立ちを隠せない様子でいる。
恐れは相変わらず見られないが、自分たちが予想以上に食い下がっていることに、苛々を募らせているのだろう。
……そのとき、陽日輝の脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
どうして天は――あの高さから動かない?
いくら攻撃が命中しないという確信があるにしても、そもそももっと高く飛ばれたなら、『一球入魂(オーバードライブスロー)』を持つ凜々花や野球経験者の鳴人の力をもってしても、攻撃を届かせることすら困難になったはずだ。
また、あの飛翔能力を駆使して高所を飛び回りながら攻撃されたなら、こちらはもっと早く疲弊していただろうし、回避も難しかっただろう。
どうして、あの程度の高さで、ほとんど動き回らずに、ナイフを風で飛ばすという回りくどい手段で攻撃する?
鳴人の背後からの投擲で、天の意識の外からの攻撃でも防げることは証明されている。
ならば、もっと思い切った立ち回りができるはずだ。
なのに天はそうしない。
いや――そうできない理由が、あるのか?
「――ああもう、いい加減にしてよね! 『楽園』に楯突いた癖に、私を敬わない癖に――いつまでもしぶといのよ!」
天はそう叫びながらも、やはり大きくは動かない。
もっと高く飛ぶことも、逆にこちらとの距離を詰めてくることもしない。
あれだけしびれを切らしていたら、そういった変化があってもおかしくないのに。
だとしたらやはり――あの高さにこそ、天の『不可侵結界』が無敵である理由が隠されているのだろう。
能力の発動条件に高度が含まれている?
――それも可能性としてはあるだろう。
しかし――陽日輝は、ここに来てあることに気付いていた。
それは、戦いが始まった頃には見られなかったもの。
――天が、ある方向を――本校舎のほうを、しきりに見やるようになっていたということだ。
恩田綜の『暴火垂葬(バーニングレイン)』によってあちこちが焼かれた本校舎。
そちらに視線を向けているときだけ、天の目には不安の色が垣間見えた。
恐らく、本人も気付いていないような無意識の視線の動きだろう。
しかし、いや、だからこそ――その目線の理由を、確かめる価値はある。
このことを凜々花たちに――いや、そうすると天に悟られてしまう。
だとしたら、自分が行くしかない――みんながなんとか持ち堪えてくれると信じて。
「――やるしかない」
陽日輝は呟き、凜々花同様に後方に下がる素振りを見せた。
「悪い、相川、鹿嶋先輩! 少し足を挫いた――一旦下がる!」
「分かったわ!」
千紗が射撃を続けながら答え、鳴人は「すぐ戻れよ!」と叫んだ。
瓦礫の後ろに回り込んだとき、同様にプレハブ倉庫の陰に隠れて休んでいる凜々花と目が合った。
「……陽日輝さん……本校舎」
「――凜々花ちゃんも、気付いてたか」
「私も、行きます」
そう言って立ち上がりかけた凜々花に掌を向けて制し、陽日輝は言った。
「凜々花ちゃんはしっかり体力を回復させてから、相川たちの援護に戻ってくれ。凜々花ちゃんが分身込みで一番手数を出せるからな――二人も抜けたらきっと持ち堪えられないし、こちらの思惑にも勘付かれかねない。本校舎のほうは、俺一人で行く」
「ですが――、……いえ。分かりました――お気を付けて」
反論しかけながらも、凜々花はこちらの意見に理があるとみて、すぐに引き下がった。凜々花のその聡明さに、これまでも何度も助けられてきた。そして今は、こちらが凜々花を――凜々花たちを助ける番だ。
この生徒葬会は、殺し合いのゲームだが。
ある意味では、助け合いのゲームでもある。
少なくとも自分たちは、そうやって今この瞬間まで生き抜いてきた。
「凜々花ちゃんも、焦って万全じゃない状態で戻るなよ。――それじゃあ、ここは任せた。あっちは、任せろ」
「……はい、こちらは任されました。あちらは――お任せします」
凜々花のその言葉に背中を押され、陽日輝は動き出す。
向かう先は本校舎――そこに、霞ヶ丘天の無敵の能力の弱点が隠されていると信じて。