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第九十四話 烈風

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【9日目:夕方 本校舎三階 教室】

 暁陽日輝の脳裏に浮かんだのは、巨大なドラム式洗濯機に放り込まれている自分、という、どこか間抜けな光景。
 そんな光景を連想してしまうほど、霞ヶ丘天の翼が起こした風は強烈だった。
 屋外側の窓ガラスはそのすべてが鋭い音を立てて割れ飛んだ。
 教室内の机や椅子のことごとくが床を離れ、不規則に宙を舞う。
 そしてその中に、自分も含まれていた。
「う、あ――」
 叫ぶことすらできない――そんな余裕もない。
 できるのは、めまぐるしく変化する視界から、前後左右を把握しようと努めることだけだった。
 その甲斐あって、陽日輝は自分の背中が黒板に叩き付けられようとしていることに気付き、先手を打つことに成功した。
 握り締めた拳に橙色の光を――『夜明光(サンライズ)』を纏い、裏拳で黒板を殴り付ける。
 全力で放てば、『夜明光』は床をぶち破ることも可能であることはすでに実証済みだ。
 実際、陽日輝は黒板ごと壁を焼け溶かし、ぶち破ることに成功していた。
 天が起こした風に押される形で、陽日輝はその直径一メートルちょっとの穴から隣の教室へと投げ出される。
 机の上を何度か跳ねるように転がったあと、教卓に背中をぶつけたところでようやく勢いが止まった。
「痛っ……てえ……」
 背中をさすりながら立ち上がり、先ほど自分が開け、通ってきた穴を見据える。
 ――その向こうに、憎悪の眼差しを光らせた天の姿があった。
 天は、その背中に生えた大きな翼のせいで、穴を通ることができない。
 能力を一旦解除すれば通れるが、そんなことをしたらこちらの格好の的だ。
 よって天は翼をはためかせ、一旦外へと飛び出したようだ。
 あの翼の飛行能力と、発生させる暴風は強力だが、小回りが利かないのは弱点だろう。
 真正面からやり合うのは分が悪い。
 ここが屋内であるという地の利を生かし、上手く立ち回るしかない。
 陽日輝は、咄嗟に教室の後ろにある掃除用具入れのロッカーを開け、その中に体を押し込ませた。
 濡れたまま放置された雑巾の、生乾きした嫌な臭いが鼻をつく。
 背中や足にホウキやモップ、バケツが触れていて狭苦しいが、贅沢は言っていられない。
 数秒後には、今自分がいる教室の窓ガラスが、隣の教室同様暴風によって破壊される轟音が響き、ロッカーの隙間から冷たい風が入り込んできた。
「!? 逃げた……!?」
 目線の高さに僅かにある通気用の隙間から、教室内に低空飛行で侵入してきた天を捉える。
 天がロッカーに気付いてもおかしくはなかったが、天はこちらが逃げたと思い込んだらしく、「絶対に逃がさない……!」と怨嗟に満ちた声で呟き、廊下へと飛び去って行った。
 ――しかし、これで一安心、というわけにはいかない。
 パートナーを殺された恨みを晴らすことを、天は決して諦めないだろう。
 それに、意識を失っている(死んでいる、という可能性もあるが、それは考えたくない)凜々花たちが、屋外に放置されたままだ。
 すでに『楽園』に集まったほとんどの生徒が死ぬか撤退するかしているとはいえ、第三者が訪れて彼女たちに危害を加えないとは限らない。
 そうでなくとも、手当を急いだほうがいいのは確かだ。
 そのためには――早急に天を倒す必要がある。
 陽日輝はロッカーの扉をそっと開き、外へと出た。
 天は今頃、自分を血眼になって探しているだろう。
 ――自分に出来ることは、天を間合いに入れて『夜明光』を叩き込むことだけだ。しかし、あの飛行能力とスピード、翼がもたらす強風は、それを困難にさせている。
 ただ――天は手負いに加え、時雨を殺された怒りで冷静さを欠いている。
 しかし、元々が距離を取って戦うのが最適の能力だ。意味もなく間合いを詰めてくるとは考えにくい。
 考えられるとしたら――
「――そこにいたか……!」
 やがて、下の階を回り終えた天が、またしても外から飛んできた。
 ――しかし、陽日輝はうろたえない。
今度は、天が戻って来るのを待っていたからだ。
 そして、天が翼をはためかせて風を起こすより先に、廊下へと続く扉を開けて飛び出し、後ろ手に扉を閉めた。完全には閉まらなかったが、十分だ。
「待てッ!」
 天が教室内を滑空しながら追ってくるのが音と気配で分かる。
 廊下に逃げられた以上、天は自分を仕留めるために追いかける必要がある。
 天は、こちらが少しでも遠くに逃げようとしていると考えているだろう。
 だからこそ――その裏をかく。
「!?」
 天が、少し開いた扉を壊す勢いで開き、廊下に飛び出した瞬間、すぐ近くで待ち構えていた陽日輝は、握り締めた拳を繰り出した。
 こちらが廊下のある程度離れた場所にいると思っていた天は、左目を驚愕に見開いた。右目からは、相変わらず真っ赤な血が滴っている。
「っらぁぁぁぁ!!」
「くっ――!」
 天が、咄嗟に右の翼を自身の顔の前に出して盾のようにしたが、陽日輝はその翼を打ち抜いた。
 橙色の光が翼を包み、その大部分を焼け溶かす。
 焦げた臭いを漂わせながら、たくさんの羽根が舞い散った。
 天はそのまま吹っ飛び――否、拳が直撃した勢いも利用しつつ、無事な左の翼を動かし、自ら後方に距離を取った。
 とはいえ、片翼ではバランスが取りにくいのだろう、六、七メートルほど下がったところで廊下に足をついて止まってしまう。
 ――一撃で仕留められなかったが、これであの翼の脅威も半減だ。
 陽日輝は床を蹴り、一気に天との距離を詰めた。
 ――が。
「!?」
 それは、偶然。
 いや――必然か。
 強く踏み込んだ右足に、下へ抜ける不快な感触。
 ハッとして目線を足元に向けると、踏んだ場所から直径二メートルほどの床が、今まさに崩落していくところだった。
 ――恩田綜の『暴火垂葬(バーニングレイン)』によって、あちこちが焼けて崩れた校舎。
 表面上は無事でも、脆くなっている場所がある可能性は、留意しておくべきだった……!
「は……はは。あはははは――! 私の勝ちだわ! ざまあみろ!」
 陽日輝は落下していく中、天が哄笑する声を聞いた。
 ――が、その声が、かえって冷静さを取り戻させてくれた。
 床に墜落する前に跳び、足がもつれそうになりながら廊下を数歩進んで勢いを殺す。
 それからすぐに振り返ったが、天は降りてきていなかった。
 てっきり、隙の出来たこちらにすかさず追撃を仕掛けてくるものと思ったが――あの勝ち誇り具合からして、そのつもりだと思ったが――違うのか。
 ……しかし、ほどなくして陽日輝は、その理由に気付いた。
 二階の空気が――明らかに熱い。
 そして、鼻をつくのは何かが燃える臭いだけじゃない。
 ――油の臭いだ。
「灯……油……!」
 校舎に灯油があること自体は不自然ではない。
 今は秋だ――冬に向けて、学校のあちこちで使用されるストーブ用に、灯油が買い込まれていたのだろう。
 しかし、このあまりにも濃い臭い。
 自分を探しに下の階に降りたとき――天は、飛行しながら灯油を廊下中にぶちまけていたのだろう。
「やってくれるじゃねえか……!」
 ぎりっ、と歯軋りしながら天井に開いた穴を見上げる。
 天がそこからひょこっと顔を覗かせ、勝ち誇った表情を見せた。
「一階はもっと燃えてるわ――あんたの負けよ。あんたは本校舎ごと燃えて死ぬのよ――私から時雨を、『楽園』を奪ったあんたには、上等すぎる棺桶でしょう? ふふ、ふふふふふ――!」
「……お前も、その片っぽだけの羽根で、飛んで逃げれるのかよ」
「あらら、心配してくれるの? 確かに軽々とは飛べないわ――でも、窓から三階分降りるくらいはできるわよ。お生憎様」
 そう言った天の表情は、勝ち誇っているにも関わらず、どこか陰りがある。
 ――実際、ここでこのまま自分が死に、天が生き残ったとしても、生徒葬会における天の今後は決して明るいものではないだろう。
 自身を無敵の天使たらしめていた時田時雨は死に、片翼を失ったことで戦闘能力も低下している。
 『楽園』も主力となっていた生徒のほとんどを失っている――少なくとも、『楽園』の理想である、殺し合いを行わずに一生をこの学園内で過ごす、というスタンスを貫き通せるだけの力を、天はすでに喪失していると言っていいだろう。
「……これからどうするつもりなんだ?」
「――さあ?」
 天は、冷めた声でそう言って、大げさに首をかしげてみせた。
 ……自暴自棄、というまではいかずとも、どこか投げやりになっている。
 先ほどまでは、時雨を殺したこちらへの怒りと憎しみを原動力にすることで、どうにか活力を維持していたのだろう。
 ――そんな天を、決して憐れむつもりはない。
 『楽園』が裏で、使えないとみなした生徒や反抗的な生徒を『矯正』していたことは、嶋田来海たちから聞いている。
 ただ――殺し合わずに生きる道。
 たとえどんな理由からであろうと、その発想が浮かんだこと。
 そして、それを実現しようとしたこと自体は、大したことだ。
 少なくとも自分には、思い浮かぶことすらなかったのだから。
 それでも。
「……俺は、諦めてない。絶対に、生き残る」
「あらそう――頑張れば?」
 天はそう言って、天井から顔を引っ込めた。
 火の手が迫り、あちこちが燃えたり崩れたりする音のせいで聞こえにくいが、天が遠ざかっていく足音が微かに聞こえた。
 天はそのまま、三階の窓から飛んで離脱するのだろう。
 自分は、二階の窓から飛ぶか、一階から降りるかするしかないが、すでにあちこちがオレンジ色の炎と真っ黒な煙に覆われている。
 肌がジリジリ熱い――煙を吸わないように、袖で鼻と口を押さえ、姿勢を落としながら、どの方向に走るべきかを思案した。
 多少の火傷は覚悟の上で、最短距離を突っ走るしかない……!
 そう腹を括った、そのときだ。
 ――どこかから聞こえたゴオオオ、という低い音。
 その方向に気付いて振り返ったとき、炎と煙を呑み込みながら、大量の水が迫って来るのが視界に入った。
「なあっ!?」
 咄嗟に逃げようとしたが間に合わない、このままでは水に呑まれる――と思ったとき、目の前まで来た水が、一瞬にして消えていた。
 視界に残ったのは、黒焦げになった壁や床だ。
 それらはすべて濡れていて、先ほどの水が幻ではなかったことを物語っている。
 ――そこでようやく、陽日輝は思い出していた。
 この現象を、自分は以前にも目の当たりにしている。
 それは昨日、北第一校舎二階でのこと――東城の取り巻きの一人、伊東と戦ったときだ。
 この能力の名前は、『大波強波(ビッグウェーブ)』。
 そしてその能力説明ページを手に入れたのは――
「――あなた、また死にかけてますのね。相変わらず無茶をしているようで逆に安心しましたわ――それくらいのほうが、助け甲斐がありますもの」
 そんなに時間が経ったわけではないのに、久し振りのように感じる声。
 何よりその、丁寧で特徴的な口調。
 ――廊下の奥に立っていたのは、銀色の髪と灰色の瞳を持つ少女。
 四葉クロエ、その人だった。
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