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第百二話 美祢

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【10日目:未明 屋外西ブロック】

 鎖羽香音は、『楽園』の終焉を予期し、中央ブロックでの戦いから途中離脱した。
 彼女の読み通り『楽園』は、霞ヶ丘天を始めとする大多数のメンバーが死亡するという形で崩壊したが、そうなると羽香音は生徒葬会における新たな戦略を構築する必要に駆られた。
 羽香音が持つ『千理眼(ウィッチウォッチ)』は一言でいえば透視能力であり、索敵や奇襲には向いていても、戦闘自体にはさして向かない。せいぜい、相手が隠し持っている武器を看過できるくらいだ。
 だから羽香音は、『楽園』における偵察部隊――校内を巡回し、生徒のスカウトや放置されている手帳の回収、それに情報収集を担当していた部隊が集めてきたデータを元に、協力者を得ることにした。
 そして白羽の矢が立ったのが、美祢明というわけだ。
 『楽園』の偵察部隊の一人であった飛沢翔真が彼をスカウトして断られ、交戦するも撃退されている。
 結局翔真はその後、また別の生徒をスカウトした際に今度はしっかり殺されているが、明に関する情報は『楽園』に持ち帰られていた。
 彼が持つ『不可視力(リモートワーク)』は、いわゆる念動力の能力だ。
 文字通りの不可視の力を駆使することができるその能力は、かなり強力といえる。
 誰も乗っていない自動車を壁に突っ込ませたのもその能力だ。
 羽香音は、『千理眼』を駆使することで明を見つけ出し、そして同盟を持ちかけた。
 そこで明に殺される可能性もあったが、そこはゲーム部部長としての話術と交渉術の見せどころだ。
 駆け引きの末、羽香音は明との協力関係を構築することに成功した。
 そして今。
 羽香音が襲撃対象に選んだのは、立花百花。
 月瀬愛巫子と行動を共にしているのは予想外だったが、問題は無い。
 『楽園』における若駒ツボミとの戦いで、百花が満身創痍なのは知っている。
 そして、百花の能力が視認している相手に打撃を遠隔で当てることができるという、明とよく似た能力の持ち主であることも。
 明の能力なら、百花の能力に対抗できる。
 何より百花は深手を負っている――空手部部長である彼女の身体能力は恐ろしいが、今はその半分も発揮できない状態のはず。
 というのが、羽香音の読みだったが――緒戦ですでに、それが間違いであることに気付いていた。
(まずいなあ……傷、塞がってるじゃん)
 明に自動車を突っ込ませる前に、もっとしっかり『千理眼』による透視を行っておけばよかった。
 今、羽香音の目は、百花の両手首と右脇腹、そこに巻かれたタオルやハンカチを透過し、彼女の素肌を捉えている。
 ――その傷は、出血することなく完全に塞がっていた。
(ふうん……そういうことね)
 羽香音は、百花がスカートのポケットに入れている手帳を透視する。
 ――『千理眼』はどの階層まで透視するかを自由に決められるのも強みだ。
 より深く透視するためには、相応の時間と集中力が必要にはなるが。
 羽香音は百花の手帳のページを一枚一枚透視していき、能力説明ページに書かれている二つ目の能力、『不自然治癒(ヒールヒーリング)』の効果を黙読した。
 痛みを永遠に残す代わりに、あらゆる傷を「不自然に自然治癒」する能力。
 どおりで気付けなかったわけだ――百花の、脂汗を滲ませた硬い表情は、深手を負っているがゆえのものと思っていたが、能力の副作用だとは。
 しかしこうなると、百花の戦力を上方修正しなければならない。
 それでもなお、明には事前に指示した対百花の戦術を駆使して戦ってもらうが、旗色が悪くなったなら――そのときは、明を切り捨ててこの場から逃げるつもりだった。
 だから、明には教えない。
 百花の傷が塞がっているということは。
 それでいい。
 明はあくまでも、自分が生徒葬会をより有利に生き抜くための駒の一つであり、現在生存している生徒の中に、まだ何人か候補者はいるのだから。
 ――羽香音は、さり気なく外灯の近くにある松の木の横に移動した。
遠巻きに明たちを眺めながら、百花による攻撃にも備えられる形だ。
 松の木の陰に身を隠しさえすれば、百花の視界から外れ、彼女の能力による攻撃を受けずに済む。
 ――さて、お手並み拝見。



「立花サンって髪下ろしてるほうが美人ッスね。殺すの勿体無いくらいッスよ」
 羽香音に美祢と呼ばれていたその男子生徒は、百花に対してヘラヘラと笑いながらそう言った。
 『議長』の放送で、二年生に「美祢明」という名前の生存者がいることは明かされているので、彼がそうなのだろう。
 中肉中背、筋肉の付き方や姿勢を見るに、日頃からスポーツをしてはいるが、そこまで熱心に努力しているわけではない――といった塩梅か。
 なんとなく運動部に所属している、といったクチだろう。
 薄めの唇に浮かんだ軽薄そうな笑みは、殺人という行為に対する躊躇の無さを感じさせる。
 ……いや、それをアタシが言うのはダメか。
 百花は、ツボミから敗走し、愛巫子に命を救われた後、『楽園』で自分がしたことを思い出しながら自嘲する。
 ――自分は、『楽園』の内部にいた生徒たちを皆殺しにした。
 ツボミに復讐するために手帳を集める必要が――だとか、愛巫子に『不自然治癒』を貰う見返りに――だとか、そんなのは言い訳にしかならない。
 自分には、あのまま愛巫子の誘いを断って死ぬという選択肢もあったからだ。
 最愛の弟の――繚の後を追って、静かに命の終わりを迎えるという道。
 人間として正しいのは、その道だったのだろう。
 しかし自分はすでに、自暴自棄になって生徒を殺して回った後で。
 今さら復讐を諦めたところで、この手はどっぷりと血と罪に塗れている。
 あのとき『楽園』の内部に残されていたのは、殺し合いを拒んで安寧を望んだ生徒たち。
 そのため、苦戦することもなく殲滅には成功した。
 逃げ惑う生徒たちの目を潰し、首を折る。
 それはまるで、小動物を相手にしているように容易く。
 蚊やアリを潰しているときのように、何の感慨もなかった。
 ――武道を修める者として、精神的に失格なのだろう。
 本来、武道とは弱者のためにあるものなのだから。
 理不尽な暴力に対抗するための手段である武道を、理不尽な暴力として行使した自分は、空手家の風上にも置けない。
 しかしもう今の自分は、ツボミに復讐を果たすことだけを目的として動いているだけの、抜け殻のような存在だ。
 空手家としての矜持も。
 人間としての良心も。
 繚をみすみす殺されたあのときに、失ったも同然だ。
「――アタシのこと知ってんのね。じゃあ、アタシにケンカ売ることがどれだけ命知らずかも分かると思うんだけど」
 ――喋るごとに、塞がっているはずの傷口が疼く。
 『不自然治癒』はその不自然な治癒と引き換えに、本来治癒と共に消えるはずの痛みを永遠に抱えることとなる、呪われた能力。
 だが、その痛みは刺激となり、百花を否が応でも集中させていた。
 ツボミに辿り着くまで、自分は死ぬわけにはいかない。
 こんなところで――殺されるわけにはいかないのだ。
「立花サンがスゲエのは知ってるッスよ。でも、オレの『不可視力』なら対抗できちゃうんスよね――こんな風に!」
 明が、掲げた右手をぎゅっ、と拳の形に握り締める。
 百花は自分への攻撃を想定していたが、そうではなかった。
 ――壁に突っ込んで止まっていた自動車が、再び動き出していたのだ。
「えっ――」
 それは、愛巫子の声。
 振り返ると、狭い倉庫内で鬱憤を晴らすかのように始動した自動車が、弧を描くようにして愛巫子にぶつかっていくのが見えた。
「愛巫子!」
「うぐぅっ……!」
 愛巫子は、壁と自動車に下半身を挟まれる形となり、苦悶の表情を浮かべている。
 自動車のタイヤはキュルキュルと空転し、彼女をなおも強く壁に押し付けようとしていた。
「オレの『不可視力』はまあ、想像通りの能力ッスよ。念動力とかサイコキネシスとかいうんでしたっけ、こういうの」
「アンタの能力なんてどうでもいいわ――悪いけど、そいつはまだ死なせるわけにはいかないのよ」
 百花は、自動車のガラス越しに見えるキーに狙いを定め、拳を繰り出した。
 『絶対必中(クリティカル)』の効果により、衝撃だけがキーへと命中する。
 キーは回され、エンジンが停止した。
 続けざまに百花は手刀を繰り出し、キーを強引に叩き落す。
 それにより、自動車の再始動を防ぎ、愛巫子がこれ以上壁に押し付けられることがないようにした。
「後で助けてあげるからガマンしてなさいよ、愛巫子!」
「……正直無茶苦茶痛いわよ……! 早く片付けてもらいたいわ……!」
 愛巫子が、絞り出すような声でそう言った。
 動き出してからほとんど距離が無かった分、速度が乗らず衝撃は意外と小さかっただろうが、それでも自動車の質量で壁に押し付けられて平気なわけがない。
 もしかしたら、腰や太腿の骨が折れているかもしれなかった。
 愛巫子の『身代本(スケープブック)』ならそのダメージは転嫁できる。
 しかし、非力な愛巫子にとって、このような状態は詰みに近い。
 数十個、いや、下手したら百を超える身代わりのストックを持つ愛巫子だが、転嫁できるのはあくまでもダメージ。
 このように、重い物体によって身動きが取れなくなっている状態から離脱できるような能力ではない――明は愛巫子の能力を知らないだろうが、偶然にも彼女を無力化するのに最適な手段を取った形だ。
「立花サンの能力、オレ知ってますよ。『絶対必中』、確かに強いッスよね。でも、伝えられるのは衝撃だけッスよね? オレの『不可視力』はもっと繊細で、その分色々なことができるんスよ――例えば、こんなコトも」
 明が両手を宙に掲げた状態で、何やら指先を動かしてみせる。
 それと共に、百花は下半身に違和感を覚えた――その正体にはすぐに気付く。
 履いていたパンティが、膝下まで下ろされていたのだ。
「!」
「髪だけじゃなくてパンツも下ろしてたほうがいいッスよ――なんてね。いや、別にスケベ目的じゃないんスよ? その状態だと足、動かしにくいでしょ――立花サンの能力、十分な威力出すにはちゃんと腰の入った打撃フォームをしなきゃいけないッスよね?」
「はーん……アタシの能力知ってるってフカシじゃないみたいね。それに、アンタの能力は指先の細かな動きも伝えることができる――確かに、便利そうなのは認めるわ。でも――アタシのパンツ見たから死刑よ」
 百花は、さりげなく後ろに回した右手を、ジャンケンのチョキの形にする。
 『絶対必中』によって繰り出される目潰し――『絶対必殺(クリティキル)』。
 こちらが単純な打撃にしか能力を使えないと思っているのなら、その隙に両目を潰して終いだ。
 喧嘩や格闘技の経験が無ければ、目潰しという攻撃手段は案外思い浮かばない。
 そして目潰しなら、別に足を目一杯に動かす必要も無い。
 そんなことをしなくても、眼球を潰すには十分すぎる威力が出せるからだ。
 ――しかし。
 明は、
「――その右手、目潰しするつもりッスよね?」
 と、目を細めて言ってのけた。
「っ。――よく気付いたわね。でも、意味無いわよ」
 目潰しに気付かれたのは予想外だったが、問題は無い。
 あちらが何かしら次の手を打つよりも、こちらが目潰しを繰り出すほうが早いし、速い。
 百花は右手を突き出し――しかし、その手は伸ばし切る前に止まっていた。
 ――百花が右手首に巻いていたロープがいつの間にか解かれ、百花の左の拳を雁字搦めに固めていたからだ。
 それによって指は折り畳まれ、目潰しの形ではなくなっている。
「オレの指の動きとかブラフなんスわ――『不可視力』は、頭の中でイメージすれば再現可能なんスよ。もっとも、直接オレがやるのと同じだけの時間は費やしますけどね――密かに緩めといてよか――ぐへえっ」
「ペラペラうるさいのよ。目潰しじゃなくても殴れはするでしょうか」
 百花は、一度止めた右の拳を突き出し切っていた。
 それにより、明は鼻を押さえて背中を丸め、こちらを睨み付ける。
 その指の隙間から、ボトボトと真新しい血が滴り落ちていた。
「アンタの能力、アタシと違って人体に直接使えないでしょ? 使えるならとっくにやってるはずだものね。それなら、アタシがやることは簡単ね。光栄に思いなさいよ――最期にいいモノ見れるんだから」
 そう言って、百花は手始めにブラジャーのホックを外していた。
 それからブラジャーを払い落し、そのまま、両手首のロープやタオルを力任せに引き剥がす。
 ベルトを外し、右脇腹のタオルも払いのけ。
 最後に、スカートのホックを外して足首までずり下げてから、すでにずらされているパンティごと足を抜き、蹴り飛ばした。
「何を――やってるんスか……!?」
 百花の行動があまりに予想外だったからだろう、明は茫然としている。
 まあ、その間に能力を使って何かしらしようとしたなら――例えば、ロープやベルトで首を絞めてこようとしたとしても、対応できる準備はあったが。
 百花はさらに、靴紐を利用される恐れがあるスニーカーも脱ぎ捨てた。
 ――靴下以外、一切の衣類を身に付けていない、ほぼ全裸の状態だ。
 秋の夜風が肌を刺すように冷たいが、真冬の早朝に胴着で稽古をしている百花にとっては、耐えられないほどではない。
「お待たせ、美祢君――だったっけ? アンタの能力が人間のカラダに直接使えないなら、ハダカになったほうが安全よね。これでアンタは、アタシから離れた場所にあるモノを操作して攻撃するしかないもの」
「……はは……! そういうことッスか……! やっぱりスゲエや、立花サンは……! それに、傷とか全然塞がってるじゃないッスか、それもまた別の『能力』なんスかね? それともそこの眼鏡美人さんの能力? まあ、どっちでもいいッスけどね――ストリップのお礼に、楽に殺してあげるッスよ」
 明が、額に浮かんだ冷や汗を拭い、ニヤリと笑った。
 ――それは、ただの強がりというわけでもなさそうだ。
 三百人が参加していた生徒葬会を、残り三十人になるまで生き抜いてきたという自負、自信。
 彼もまた、少なくとも数度、殺し合いを経験し、勝利してきたのだろう。
「アタシのヌードは高く付くわよ。繚以外には見せたこともないんだから――そうね、お代はアンタの命で払ってもらおうかしら」
 百花の台詞に、明は唇の端を、どこか愉しげに歪め。
 ――そして、殺し合いが再開した。
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