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第百三話 尊敬

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【10日目:未明 屋外西ブロック】

 美祢明は、『不可視力(リモートワーク)』以外の能力をまだ手に入れていない。
 生徒葬会が始まってから数回、殺し合いを経験してはいるものの、能力説明ページはまだ五枚も集まっていない現状だ。
 生存者が少なくなった今、他の生徒との遭遇率は下がっているが、複数の能力を獲得している生徒は確実に増えていると考えられる。
 だからこそ、『千理眼(ウィッチウォッチ)』という透視能力を持つ鎖羽香音による協力要請は渡りに船だった。
 そして羽香音が襲撃対象に選んだのが、立花百花。
 空手部の部長であり、全国区の選手。
 女子でありながら、柔道部部長の岡部丈泰や、不良連中の頂点に暴力で君臨する東城要といった連中と渡り合えるとまで噂されていた強者だ。
 本来ならば、もっと弱い相手を狙うべきだったのかもしれない。
 百花が負傷しているという前情報があったにせよ、だ。
 しかし、羽香音の提案を、明は受け入れた。
 それは、心のどこかに、立花百花という人間を上回りたいという欲求があったからかもしれない。
 明は二年生なので、百花の弟である立花繚とは同級生だった。
 だから、繚とも多少は話したことがあり、百花の武勇伝も聞いたことがある。
 ――正直、憧れに近い感情を抱いたのは確かだ。
 なんとなく運動部――サッカー部に所属し、大した実力もなく熱意もなく、落ちこぼれない程度に練習をこなしてきただけの自分。
 そんな自分が、百花のような強者を上回ることができたのなら、自分もまた、何者かになれるような――しかし、きっとそれは、錯覚なのだろう。
 殺し合いでなれるものなんて、薄汚れた罪人以外何もない。
 それでも、生徒葬会において、何度かの殺し合いを生き抜いてきたという事実は、今まで何も成したことがなかった明に、確かに充足感を与えてくれた。
 錯覚だろうが構わない。
 立花百花を超える――それが、明の目標となっていた。
「それにしても本当にいい体してるッスね、立花サン! 目のやり場に困るッスよ!」
 明はそう言いながら、百花が脱ぎ捨てたベルトを念動力で浮遊させた。
 しかし、百花に指摘された通り、こうして百花自身とモノとの距離が空いていれば、対策は容易にされてしまう。
 百花の『絶対必中(クリティカル)』は、自分と同じく直接触れずに干渉できる能力なのだから。
 実際、ベルトを百花の首めがけて巻き付ける前に、百花は拳を繰り出す動作をして、ベルトを吹っ飛ばしていた。
 明の足元にまで転がってきたベルトを見て、百花の拳の威力を理解する。
 あくまでも、百花の能力の威力は百花自身の突きや蹴りの威力に依存する。
 『絶対必中』は百花が持つからこそ、強力無比な能力なのだ。
「無駄よ。アンタが何を動かそうが、アタシに触れる前に叩き落す」
「それならこういうのは――どうッスかね!?」
 明は、自動車によって開いた大穴の向こう、倉庫の中にある椅子や机といったガラクタたちを、『不可視力』によって浮遊させ、引き寄せた。
 『不可視力』は、自身の膂力で持てない重さのものを動かせるほど強くない。
 しかし、自身の膂力で動かすことができる重量のものであれば、同時に複数個動かすことができる。
 百花に目潰しを使われたら終わりだ――その隙を与えるわけにはいかない。
 明は、浮遊させた机や椅子を、百花の背中めがけて動かした。
「――空手には型っていうのがあってね。実戦を想定した決められた動きを、何度も稽古して身に付けるのよ。実戦――つまり、対多数や対武器も想定した動きってコトね。――まさにこういう状況のためのものよ」
 百花は。
 振り返りざまに繰り出した裏拳で、椅子の一つを倉庫内に弾き返したのを皮切りに、突き、前蹴り、手刀、廻し蹴り、掌底突き――それに、様々な受けの動きを駆使して、飛来するガラクタのことごとくを打ち落としていた。
 そのたびに、衣類を脱ぎ捨てたことで露わになっている百花の肢体が、緊張と弛緩、伸縮を繰り返し、美しくも力強い軌道を描いて動くのがよく見える。
 ああ――綺麗だな、と、純粋に思った。
 武道の心得の無い自分でも、その動きが極めて高度な、完成度の高いものであることは分かる。
 百花が動くたび、宙になびく茶髪が、倉庫内から漏れる灯りに照らされ、夜の闇の中で一層映える。
 彼女が手足を突き出すたびに揺れる形の良い乳房や、廻し蹴りを出す際にこちらに向けて露わになる臀部も、性的な興奮をほとんど感じさせることなく、名のある芸術作品を目の当たりにしたときのような感動をもたらした。
「はは――立花サン、アンタやっぱスゲエや――!」
 生徒葬会がなければ、会話を交わすこともなかったであろう相手。
仄かな憧れを胸に抱いたまま、百花の卒業に一抹の寂しさを覚え、しかしその感情もいずれは薄れ、忘れていっただろう。
 しかし今、自分は百花と戦っている。殺し合っている。
 立花百花という絶対強者が、自分を敵として認識し、相対している。
 その事実に、明の胸は熱を帯びていた。
「オレはまだまだこんなモンじゃないッスよ――! ――そうだ、オレはこんなモンじゃない――まだやれるッスから……!」
 熱気に浮かされて興奮する心の片隅に、焦燥がある。
 ――百花を殺そうとしているのにも関わらず、自分は百花に失望されたくないと思っているのだ。
 現状、『不可視力』は完全に攻略されている。
 このまま、取るに足らない相手として殺されるのは嫌だ。
 立花百花という人間に、美祢明という人間を少しでも深く刻む。
 そのために――明は、全身全霊を以って百花の殺害を試みる。
 それは、矛盾した感情だったが、紛うこと無き本心だった。
「さすがの立花サンも、コイツは止められないでしょう!?」
 明は、百花に机や椅子を飛来させている最中、すでに準備をしていた。
 百花に叩き落された車のキーを念動力で浮かし、再び差し込んでいたのだ。
 キーを回し、ハンドルを切り、アクセルを押し込む。
 車が離れたことで、身動きが取れなくなっていた月瀬愛巫子がその場にうつ伏せに倒れ込む。
 車と壁に挟まれていたダメージは少なくない――すぐには起き上がれないだろう。
 明は、百花めがけて自動車を突っ込ませた――が、百花は冷静だった。
「アンタほど繊細な操作は無理でも、アタシの能力でも同じようなことはできる――それが分かってれば、何度来ようが問題じゃないのよ!」
 百花の位置からは、最初に襲撃したときと違い、キーやブレーキは見えない。
百花は視認しなければ攻撃できない――だが、明も分かっていた。
 ハンドルなら――百花の位置からでもハッキリと見える。
「エィヤァっ!」
「そう来ると――思ってたッスよ!」
 百花が、全力の拳を繰り出したのと同時に、明もまた、ハンドルに対し『不可視力』を最大出力で使用した。
 ――ああ、やっぱり、こうなるか。
結果は明らかだった――『不可視力』は押し負け、百花の殴打の衝撃によってハンドルは回され、自動車は百花にぶつかることなくあさっての方向に走っていく。
 そして百花は、自動車が自分の横を通り過ぎる瞬間――すなわち、キーが視認できる位置関係のときにすかさずそちらに視線を向け、またしてもキーを叩き落した。
 強制的にエンジンを停止させられた自動車は、そのまま近くにあった自動販売機の列に突っ込み、それらを大破させた上で動きを止めた。
 ああ――正攻法で張り合ってしまった。
 それもまた、百花を超えたいという意地ゆえか。
「まだまだ! 勝負はこれからッスよ!」
 明はすでに理解している。
 自分がどれだけの手を尽くそうが、百花には勝てないということを。
 それでも、なおもその手を止めることはなかった。
 自動車が突っ込んで大破した自動販売機、そこから散らばったスチール缶を『不可視力』によって、次から次へと百花に飛来させる。
 百花はそれらを、肘から先を回す空手の受けの動作で薙ぎ払う。
 スチール缶は、実際に百花の間合いに入るよりも前に、空中から地面へと落とされていく。
 ――このまま絶えず攻撃を続けていけば――いや、駄目だ。
 先に体力が尽きるのはこちらだ。
 だったら、万に一つの勝ちを拾うためには、攻め込むしかない。
 ……ああ、これで終わりだ。
 自分が奇跡的に勝つにせよ、順当に負けるにせよ。
「あああああああああ!」
 明は疾走する。
 ブレザーを脱ぎ、自分の眼前に放った。
 『不可視力』によってその高さを維持する――こちらの顔を百花から視認できなくすることで、『絶対必中』による目潰しを使えなくするためだ。
 そして、百花の間合いに踏み込み――その瞬間、視界が回転した。
「あっ――――」
 百花が、『絶対必中』による足払いを放ったのだと気付いたのは、その直後。
 『不可視力』を解いてしまい、ブレザーははためきながら落ちる。
 入れ替わりで、こちらを見下ろす百花の姿が視界に入った。
 直後、後頭部と背中に衝撃。
 コンクリートの上に、叩き付けられるように転倒していた。
 ――仰向けの状態から見上げる、夜空を背にした百花の裸体は、これまで明が見てきたありとあらゆるものより美しく、素晴らしかった。
「何か言い残すことはある?」
「…………」
 オレは、強かったですか?
 ……そんな言葉が、脳裏に浮かんだが。
 そんな馬鹿げたことを言われてもしょうがないだろう。
 これは自分の自己満足だ――そんなことは分かっている。
 何も成してこなかった男が、殺し合いでちょっとうまくいったからといって、そんなモノに生きがいを、自分の価値を見出そうとしてしまっただけのことだ。
 百花のような、生徒葬会以前から空手に打ち込み、強さを追求してきた人間とは違う。
 自分にとっては、百花を超えるというこの目標すら、ある種の逃避だった。
 だから明は敢えて、軽薄な笑みを浮かべて見せる。
 最期くらい、楽しくふざけたまま、死んでいきたいと思ったからだ。
「……女子も下の毛って生えてるんスね。分かってはいても不思議な感じッス」
「――それが遺言でいいのね? ま、アタシのハダカをとことん眺め回したんだから、アンタは幸せ者よ」
 百花が、右足を明の顎に乗せた。
 靴下の感触と、確かに伝わる重み。
 ――百花が足にグッと力を込めた瞬間、顎、そして首に強い重みが伝わり。
 首の骨が折れる音を聞いたと思った瞬間には、明の意識は急速に闇へと沈んでいった。
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