トップに戻る

<< 前 次 >>

第百四話 休憩

単ページ   最大化   

【10日目:早朝 南第一校舎一階 多目的トイレ】

 暁陽日輝は、ここ数日間、安藤凜々花と出会ってからの動きを思い出す。
 東第一校舎、北第一校舎、裏山、そして中央ブロック。
 それなりの距離を移動しているが、南ブロックには、生徒葬会開始後間もない頃に立ち寄ったことはあるものの、あまり長居したことはなかった。
 正門に面したブロックで、平時においては中央ブロックに次いで利用率が高かった場所――なので、多くの生徒と遭遇してしまうリスクが高いと考えていたからだ。
 とはいえ、生存者が二十九人にまで減った今は、むしろ積極的に探して回らなければ、他の生徒と遭遇するのも難しい状況だろう。
 ……そう、二十九人。
 『議長』は、毎時ゼロ分に手帳裏の生存者数を更新すると言っていたが、深夜二時を迎えた瞬間に三十人から二十九人に表示が切り替わったのだ。
 つまり、深夜一時台にどこかで誰かが命を落としたということになる。
 それから朝までは表示に変化はなかったものの、殺し合いは確かに続いているというわけだ。
 そしてそんな中、陽日輝は凜々花、四葉クロエ、そして辻見一花の三人と共に、南第一校舎一階、男子トイレと女子トイレに挟まれた位置にある多目的トイレの中にいた。
 施錠するとそこにいることがバレバレになってしまうため、施錠はしていない。
 とはいえ、横開きの大きなドアは、開けるのに少し時間がかかるし、開ける際にはどれだけ注意しても、レールを滑る音が響く。
 この多目的トイレはせいぜい四畳半程度のスペースなので、誰かがドアを注視していればそれで済むし、凜々花の『複製置換(コピーアンドペースト)』ならドアを開けた相手の背後を容易に取れる。
 そういうわけで、この場所には小休憩のために立ち寄った。
 向かう先はもう二棟向こう、正門に面した場所にある南第三校舎だというので、もう少し移動する必要がある。
 多目的トイレは余裕があるスペースにウォシュレット付きの洋式便器が一つと手洗い台、それにオストメイト用のシャワー付き洗浄スペースがあり、片隅にはトイレットペーパーや掃除用具が格納された棚があるというよくある造りだ。
 日頃から利用者が少ないこともあり綺麗に掃除されているが、それでも、トイレ用の消臭剤の独特の香りが漂うこの場所では、食事もあまり美味しく感じられない。
 ――そう。
 この小休憩は、朝食を兼ねていた。
 一花を椅子代わりに便器に座らせ、自分たちは壁にもたれて立っている。
 さすがに、トイレの床に座る気にはなれなかった。
「……なあ、クロエちゃん」
「なんですの? 陽日輝」
 レンガのような形をした固形のバランス栄養食を齧りながら、クロエはこちらを向いた。
「こんなところで食べるくらいなら、中央ブロックで朝くらい食べてから出発してもよかったんじゃねえの?」
「そうしたいのはやまやまでしたが、一花を連れて行く以上は早めに移動を開始するしかなかったのはすでにお話した通りですわ」
 そう、自分たちはほぼ廃人状態の一花を連れている。
 今だって、食事は凜々花が促すことでどうにか摂っている状態だ。
 一花は自分の意志で走ったり、物音がした際に身を隠したりができない――それらはすべて、周囲にいる自分たちがフォローする必要がある。
 そのため、中央ブロックから南下して最寄りの棟であるこの南第一校舎に来るまでも、通常より多くの時間を費やしたのは事実だ。
「トイレで食事を摂るのは気分が良いとは言えませんが、それくらいは我慢していただきたいですわ」
「……分かってるよ。ちょっと愚痴ってみただけだ」
 陽日輝はそう言ってから、一花のほうにチラリと視線を向けた。
 今は凜々花がペットボトルの飲み口を彼女の唇にゆっくりと近付けているところだ。
 そうして促すことで、一花は辛うじて自らの意志で水分を摂取する。
 完全に自我が喪失しているわけではなく、朦朧としているのに近い状態だ。
 こちらからの呼びかけに対して目線が動いたりはするが、言葉を返してはくれない。
 ……一花がこの生徒葬会で体験してきたことを考えれば、無理もないことだ。
 そして、そんな彼女を連れていることによる不便は確かにあるが、かといって、彼女を見殺しにはできない。
 ――それが偽善であることは分かっている。
 生徒葬会からの生還を目指すということは、最後に残る三人以外の全員を切り捨てるということを意味するのだから。
 それでも、一花と同じく東城要に囚われていた星川芽衣を救えなかった自分には、彼女を捨て置くことなどできない。
「それにしても、クロエ。一花さんを保護してくれるっていう人は誰なの?」
 一花への食事介助が終わった凜々花が、クロエにそう尋ねる。
 それは、陽日輝も気になっていたことだ。
「中央ブロックでは誠たちがいたから話せなかったのは分かるけど、そろそろ教えてくれてもいいだろ?」
 陽日輝も凜々花に便乗してそう問いかける。
 クロエは「ええ、そうですわね」と頷いて、チラリとドアのほうを窺ってから話し出した。
「私は北第一校舎であなたたちと別れたあと、この南ブロックを探索しておりましたの。そこで出会ったのが、水無瀬操ですわ」
「水無瀬――えっと、どんな人だったっけか」
 陽日輝は、中央ブロックでの情報交換で得られた生存者の情報を、手帳の空きページに書き込んでいる。
 ページをパラパラとめくって『水無瀬操』という名前を探したが、見つけるよりも早く凜々花の言葉がそれを遮った。
「水無瀬さんは生徒会長ですよ……。陽日輝さん、自分が通う学校の生徒会長の名前も憶えてないんですか?」
「い、いや、女の人なのは知ってたけど、そこまでは普通、覚えてなくないか?」
「陽日輝さんは不真面目な生徒だったみたいですしね……でも、女性だということは覚えてたんですね」
 凜々花が咎めるようにジトッとした目線を向けてくる。
 唇をぷくっと尖らせて、少しばかり不服そうだ。
「いや、まあ、生徒会長って男子が多いだろ? 中学のときもそうだったし、それが珍しくて覚えてたんだよ」
「まあそういうことにしておいてあげます。――でも、確かに珍しいとは思いますよ。私の中学でも三年間ずっと男子がやってましたから」
 それなら突っかからなくてもいいじゃねえかよ、という言葉は呑み込む。
 凜々花も本気で怒っているわけではないだろう。……ないよな?
 そんな陽日輝と凜々花のやり取りに、クロエが割って入った。
「痴話喧嘩はそのくらいにしておいてくださいまし。――水無瀬操は南第三校舎を根城にしていましたが、彼女の能力はこと身を守るということに関しては、藍実の『通行禁止(ノー・ゴー)』以上とも言えましたわ」
「バリアを張ったりするタイプの能力ってことか? 藍実ちゃんの『通行禁止』は本人の意識がある限り、屋内だと無敵だと思うけどな」
 『通行禁止』の効果は、陽日輝も実際に目の当たりにしている。
 まあ、クロエが一花を預けるに値すると判断した相手だから、強力な能力の持ち主であることは間違いないのだろうが、身を守るということに関して『通行禁止』以上というのは想像がつかない。
「藍実の能力には隙がありますわ。例えば、若駒ツボミの『斬次元(ディメンション・アムピュテイション)』なら結界の中にいる藍実を直接殺せますもの」
「……っ。確かにそうだな……」
 ツボミの『斬次元』は空間を超越した遠隔攻撃。
 斬撃を飛ばしているのではなく、任意の場所に斬撃を発生させる能力であるがゆえに、『通行禁止』による防御を容易く突破できるというわけか。
「ですが、水無瀬操の能力――『不可侵領域(ノータッチ)』は、『斬次元』でも破れませんの」
「『不可侵領域』――どういう能力なんだ?」
「それはまあ、着いてから実際に体感していただいたほうが理解しやすいと思いますわ。――それに、この会話を、どこで誰が聞いているかも分かりませんもの」
 クロエは、またしてもドアのほうに視線を向けた。
 ――確かに、『能力』は多種多様だ。
 気配や姿を消す能力があるかもしれないし、離れた場所の会話を拾う能力もあるかもしれない。
 生存者が二十九人にまで減り、複数の『能力』を持つ生徒が多くなった今、これまで以上に警戒をしておく必要があるだろう。
「水無瀬さんは、信用できそう?」
 凜々花はクロエにそう尋ねる。
 クロエは頷き、
「一花を人道的に保護するということに関しては、間違いなく信用していいですわ。人格的にも、能力的にも問題はありませんもの」
 と答えた。
 それを聞いて、陽日輝は安堵しかけたが、凜々花はなおも険しい声音のまま、重ねてこう尋ねていた。
「――一花さんを保護することに関しては、という点に限ったのはどうして?」
「……凜々花は聡明ですわね」
 クロエは肩をすくめ、そして、言った。
「私たちに対して必ずしも友好的なスタンスを取ってくるかは分かりませんの。あの方は間違いなく善人で、間違いなく正義感が強い方ですが――だからこそ、『私たちは』警戒が必要ですの」
127

紗灯れずく 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る