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第百五話 逃走

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【10日目:早朝 南第一校舎一階 多目的トイレ】

 朝食を兼ねた休憩を終え、暁陽日輝・安藤凜々花・四葉クロエ・辻見一花の四人は、多目的トイレから出発しようとしていた。
 凜々花はカード、クロエはペットボトルと、自身の能力で使用する道具の確認をし、一花は、相変わらず感情の抜け落ちた表情のまま無言でいる。
 ここに来るまでも自ら歩いてはいたが、それも半ば本能的に自分たちに付いてきているだけのようだった。
 この後、南第二校舎を挟んでさらに先、南第三校舎に向かわなければならない――その間に他の生徒の襲撃が無いことを祈りたかった。
 こんな状態の一花を守り切れるか、という不安は拭えないからだ。
 そんな陽日輝の心情を慮るように、凜々花が微笑んだ。
「行きましょう、陽日輝さん。ここまで生きてこれたんですから、これからもきっと、大丈夫ですよ」
 その言葉とは裏腹に、凜々花の微笑の奥には緊張感がある。
 凜々花も分かっているのだ、これから先、これまでと同じか、あるいはそれ以上に厳しい状況での殺し合いが勃発する可能性があることを。
 凜々花が霞ヶ丘天に吹き飛ばされた際に受けた打撲や擦過傷は軽傷の範囲に収まってはいたが、それでも、体勢を変えたりした際に一瞬痛そうに顔をしかめるのを何度か目にしている。
 こんなとき、最上環奈の『超自然治癒(ネオヒーリング)』があれば、と考えてしまう。
 しかし、環奈は若駒ツボミと行動を共にしていて、次に会うときは、今度こそ敵同士になるかもしれない。
 今ここに無いものをねがっても、仕方がなかった。
「先ほど話した通りで行きますわよ。屋外での行動を最低限にするために南第二校舎を経由しますが、そのためにはまず廊下を無事に抜ける必要がありますわ」
 クロエが、多目的トイレのドアの取っ手に手をかけた状態でこちらを振り返り、言う。
「廊下に出たら、私と凜々花が廊下の左右を確認しますわ。その間、陽日輝は一花の傍に。左右のどちらを進んでも距離は変わりませんが、何もなければ右に行きますわよ」
「ああ、分かった」
「私が左を確認すればいいんだよね。クロエは右で」
「そうですわ。そのまま私が先頭、凜々花が殿。陽日輝と一花が真ん中で進む――これまでと同じですわね」
 クロエが言う通り、中央ブロックを離れてからここに来るまで、自分たちはずっとその陣形を保ちながら進んできた。
 目的地までのルート選択を判断するクロエが先頭、一花を守る必要がある自分が凜々花とクロエに挟まれる形だ。
 女子二人に守られながら進むようで気が引けるが、『能力』の性質上これが最適解であることは分かっている。
 凜々花は『一枚入魂(オーバードライブスロ―)』、クロエは『硬水化(ハードウォーター)』と『死杭(デッドパイル)』という遠距離を攻撃できる能力を持っている――対して自分は『夜明光(サンライズ)』による近接攻撃しかできないのだから。
「……ん」
 陽日輝は、一花がぼんやりとした眼差しをこちらに向けていることに気付いた。
 その瞳の奥に、自我らしきものはほとんどないのかもしれない。
 そしてそれが戻って来ることがあるのか、それすらも分からない。
 それでも、あのとき鹿島鳴人が言ったように、あの場で引導を渡すという選択肢は自分にはなかった。
「大丈夫ですよ、辻見さん。俺たちがいますから」
 届くことはないだろう言葉を口に、一花の手を取る。
 そうすると、そのまま引かれてはくれる。
 それを見届けてから、クロエが改めて言った。
「では、行きますわ――……」
 しかし、その手が横開きのドアを開けることはなかった。
 クロエは動きを止め、そっと耳をドアに近付ける。
「「…………」」
 陽日輝と凜々花は顔を見合わせ、頷き合って、耳を澄ませた。
 クロエが、何か物音を耳にしたのだろう。
 そう思って神経を集中させると、程なくして、足音がこの校舎に近付き、そして廊下に入ってきたことが分かった。
 リノリウムの床を荒々しく叩く音――廊下を、全力で走る音だ。
 周囲の生徒に気付かれないように、なんて意識は毛頭ない、速度だけを追求した走り。
 ――それは、何かから逃げているときのような走りだ。
左側から近付いてきた足音は、多目的トイレのドアの前を通過し、廊下の右側――自分たちがこれから向かおうとしていた方向へと遠ざかっていく。
 足音がほとんど聞こえなくなってから、陽日輝は口を開いた。
「――クロエちゃん、今の、誰かが誰かから逃げてるのかな」
「恐らくそう考えてよろしいですわ。――予定通り、右側に行きますわよ。左側から誰かが来るのでしたら、そちらに向かうのは危険ですもの」
「――ああ、そうだな。凜々花ちゃん、危険なことを任せて悪いけど、後ろをしっかり見ててくれ」
「勿論です。あれだけ全力で逃げるくらいですから、少なくともあの足音の持ち主では分が悪い相手が、左側から来る――ということですもんね」
 早口で打ち合わせを終え、クロエが横開きのドアを開放する。
 すぐさまクロエと凜々花は廊下に飛び出し、左右を確認した。
 その後で、陽日輝も一花の手を引いて廊下に出る。
 走り去った誰かが出入口を開けっぱなしにしていったのだろう、冷たい朝の風が廊下を吹き抜けていた。
「今のところ誰もいないです」
「このまま急いで廊下を抜けますわよ」
 クロエがそう言って、廊下の右側へと足を進める。
 ――その瞬間だった。
「!?」
 陽日輝は、全身に至近距離から暴風が吹きつけたような感覚を覚えた。
 目に見えない巨人の掌によって張り倒されたかのように、出たばかりの多目的トイレの床に転ばされる。
 急いで顔を上げたとき、一花の背中が視界に鼻大写しになった。
 反射的に彼女を下から抱き締めるようにして受け止める。
 茫然自失としていた一花に、明らかな怯えの表情が浮かんでいる。
 言葉を発することすらできなくなっていても、本能に根差した恐怖は残っているのだろう。
「大丈夫。大丈夫ですから」
 陽日輝は一花に囁きながら、その頭を撫でる。
 それから、一花をいったん横に寝かせ、立ち上がった。
「凜々花ちゃん、クロエちゃん! 大丈夫か!?」
 風はすでに止んでいるが、多目的トイレの中からでは二人の姿が見えない。
 陽日輝は叫び、再び廊下へと飛び出した。
「私は大丈夫です! ですが、クロエが――!」
 凜々花は、多目的トイレを出て左側の廊下に突っ伏していた。
 凜々花の視線を追って振り向くと、多目的トイレから見て右側、手前の壁に、クロエがもたれかかっている。
「クロエちゃん!」
 駆け寄って肩を掴み、こちらを振り向かせる。
 吹き飛ばされた際に頭を打ったのだろう、左こめかみから流血していた。
「陽日……輝……早く……この場から……」
 クロエは声を絞り出すが、目の焦点が合わなくなっている。
 そして、そこまで喋ったところでガクリとうなだれた。
「クロエちゃん――……!」
「クロエは、大丈夫ですか!?」
 凜々花が不安そうに叫ぶ声が背後から聞こえる。
 クロエの首筋にそっと指の腹を当ててみた――脈はある。
 そしてどうやら呼吸もしているようだ。
 ――廊下を出て、歩き始めたところで発生した風。
 それは、突風というよりは、竜巻のような感覚だった。
 そして、発生源に最も近かったクロエは自分たちよりも強い勢いで吹き飛ばされ、壁に強くぶつかってしまったのだろう。
 クロエは、完全に意識を失ってしまっていた。
「どうします、陽日輝さん! クロエたちを連れて逃げるか、それとも――」
 凜々花の言おうとしたことは分かる。
 ここで、あの足音の主が逃げる原因となった相手――これからやって来るであろう何者かを迎え撃つか、ということだろう。
 しかし――陽日輝がその判断を下す前に、「あー!」という、大声が廊下の向こう――多目的トイレから見て右側の奥から聞こえてきていた。
「暁じゃん! キミたちがトラップ踏んじゃったの!?」
 顔を上げると、廊下の奥には上下ジャージ姿の女子生徒がいた。
 体育の授業等で使用する学校指定の体操服ではない、あのワインレッドのジャージは確か――陸上部員が練習の際に身に付けているものだ。
 そして、その女子生徒とは面識があった。
 小麦色に日焼けした肌に、いわゆるサイドテールが特徴的な彼女は。
 同じ学年の陸上部員、西寺汐音だ。
「西寺! さっきの風はお前の『能力』か!?」
「そうだよ! ゴメンけど話してる時間ないから! 私また今の風のトラップ仕掛けていくから、その辺の窓から逃げなよ! 廊下の逆のほうはアイツが来るからオススメしないよ! 殺されたくないならね!」
「おい、西寺――」
「グッドラック!」
 汐音は半ば投げやりにそう叫び、踵を返して駆けて行った。
 先ほどこの廊下を走り抜けた足音、そして突如として発生した風、そのいずれも彼女の仕業だったというわけだ。
 そしてこの焦り具合――汐音は、別の生徒に追われ、その生徒を足止めするために、自身の『能力』で、あの風のトラップを設置したのだろう。
 それをクロエが誤って踏んでしまい、結果、自分たちは強風によって吹き飛ばされたということになる。
 しかしだとしたら、この場に長居は無用だ。
 少なくとも汐音では分が悪いと判断した相手が、近付いてきているということなのだから。
 今、自分たちはクロエが意識を失っていて、一花も戦力にはならない。
 自分と凜々花だけで、クロエと一花を庇いながら戦う必要がある。
 ――それなら。
「――凜々花ちゃん、クロエちゃんを連れてそこの窓から逃げてくれ!」
「!? 陽日輝さん、何を――」
「俺は辻見さんを連れて、反対側の窓から逃げる!」
 陽日輝はそう言って、多目的トイレの床に横たわっている一花を抱え起こした。
 一花をおんぶする――大丈夫だ。
 どちらかというと小柄な一花は、そう重たくはない。
 これなら――ある程度の速度で、ある程度の時間なら、走れる。
「逃げるのは賛成です――ですが、それなら二手に分かれず同じ方向に行きましょう!」
 凜々花は、廊下の奥――これから何者かが現れるであろう方向に目をやりながら言う。
 しかし、陽日輝は首を横に振り、凜々花をまっすぐ見つめて言った。
「それだと目立つし追い付かれる。――西寺は『アイツら』ではなく『アイツ』と言った。相手は一人だ。それなら、二手に分かれたほうがいい。どちらかは確実に逃げ切れる」
「……っ」
「それに、西寺のほうを追いかけるかもしれない。このまま分かれて逃げて、南第三校舎まで一気に向かおう。そこで合流だ」
「――分かりました。ですが、そんな提案をした以上は、責任を果たしてください」
 凜々花は、ぎゅっと唇を結び、一瞬、泣きそうな顔を浮かべたように見えた――が、すぐに、強い意志を帯びた、毅然とした表情に戻る。
「――生きてまた合流してください。それが陽日輝さんの責任です」
「……ああ。分かった――凜々花ちゃんも、気を付けて」
 凜々花が一瞬見せた表情。
 そこに込められた感情を、理解できないほど鈍感ではない。
 自分だって、凜々花と離れたくない――だけど、相手の『能力』が分からず、クロエと一花が戦えない状態にある以上、ここは二手に分かれるのが最適だ。
 改めて自分にそう言い聞かせ、陽日輝は顎で近くの窓を指す。
 凜々花は頷き、クロエを抱え起こした上で、その窓へと向かった。
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