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第百七話 迷宮

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【10日目:朝 屋外南ブロック】

 生徒葬会に参加させられた三百人の生徒全員に与えられた『能力』の性質が多岐に渡ることを、彼女――夜久野摩耶(やくの・まや)は、すでに理解している。
 そして自分に与えられた能力――『迷鏡死酔(ミラージュ)』は、正面切っての殺し合いには向かない搦め手タイプ。
 発動条件は、あらかじめこの能力をセットした鏡に対象が映ること。
 影響範囲はちょうど校舎ひとつ分――それはあの腹立たしい『議長』が意図的に設定したレンジだろう。摩耶は恐らく、『議長』の想定通りの使い方をしているはずだ。
 この能力の影響下に置かれた者は、限定された空間に囚われる。
 ドアから出ようが窓から出ようが壁や天井を破ろうが、地面に穴を掘ってみようが、範囲内の別の場所にランダムに移動させられるだけで、決して逃れられない。
 迷わせ、惑わせ、閉じ込める――そしてその影響下に今、二人の生徒が置かれている。
 暁陽日輝と、もう一人は名前も知らない女子生徒。
 摩耶は南第二校舎にほど近い場所にある農機具小屋の中で、ノートパソコンに映る南第二校舎内の映像を眺めていた。
「暁には別に恨みとか無いケド……仕方ないよね。これって生存競争だから。サバイバルだから。私だって死にたくないし家に帰りたいし。それにここまで生き残ってるヤツは絶対何人か殺してるよね。まあそれは私もなんだケド」
 小声で自己弁護の言葉を呟きながら、摩耶はマウスを器用に動かして、十二分割で映し出されているカメラを切り替えていく。今映し出している十二か所のカメラから陽日輝の姿が消えたので、彼が入り込んでいるカメラと表示を入れ替えたのだ。
 パソコンの扱いには元々慣れていた。
 オカルト同好会という怪しげなクラブに入ったのも、上下関係が緩そうで練習等に時間を取られず、放課後をネットサーフィン等に充てることができると思ったからだ。
 まあ、実際自由気ままに過ごすことはできた。
 先輩たちは、オカルト同好会なんてものに入っていただけあって、揃いも揃って変人だったけども。
 ……まあ、その中でも特に印象深かった先輩――嶋田来海を始め、すでに全員が死んでしまっているが。
 悪い人ではなかった。
 ただ、特別親しかったわけではない。
 少しだけ残念には思ったが、この生徒葬会においては致し方の無いことだ。
 生き残れるのは三人だけ。
 現在、手帳に表示されている生存者の人数は二十九人。
 生還が見えかけているとはいえ、死者に哀悼の意を示している余裕は無い。
 まずは暁陽日輝を確実に殺すことだ。
「誰かがあの校舎に入ってくれてもいいケド、手帳取られちゃうからなあ。かといって暁が餓死とかするには時間かかりすぎるし。どこぞに校舎燃やしたバカがいたみたいだけど、それするとカメラもパーだしなあ。まあ――じっくり待つしかないケド」
 摩耶が南第二校舎を掌握できたのは幸運だった。
 中央ブロックでの『楽園』だかなんだかいう連中絡みの騒動で、多くの生徒がそちらに向かってこの辺りが手薄になっていたのは大きい。
 おかげでこのように、迷い込んだ生徒を閉じ込める監獄として利用することができている。
「――あらら」
 摩耶は、画面に映し出された陽日輝の姿を見て、思わず唇を歪めた。
 おぶっていた女子生徒を掃除ロッカーの中に閉じ込めたかと思うと、廊下に飛び出し、走り出したのだ。
 その途中で何やら叫びながら、時折壁を殴ったり蹴ったりしている。
 生徒葬会という極限状態が続いた果てのこの状況によって、精神的に追い詰められ、狂乱しているのかもしれない。
 だとしたら好都合。
 限界まで疲弊したところを殺しに行くつもりだったが、思ったより早くそのときは訪れそうだ。
「みっともないなあ暁。まあ無理もないケド……何しても校舎から出られないって、そりゃキツイよね。叫びたくもなるよね。走り出したくもなるよね。狂っちゃっても無理ないよね。ゴメンね暁、もっと楽に殺してあげれたらいいかもだケド……私の能力がこんなのだから、仕方ないよね」
 摩耶は、壁に立てかけるようにして置いていた鉄パイプを掴んだ。
 そして、陽日輝が廊下に倒れ込み、そのまま叫び続けている姿をしばし観察する。
 そのうち陽日輝は叫ぶのもやめ、仰向けになったまま動かなくなった。
 それを確認してから、摩耶は鉄パイプを手に農機具小屋を飛び出す。
 『迷鏡死酔』は、内から外への移動は不可能だが、外から内への移動はまったく問題が無い能力。そもそも能力のトリガーとして設定した鏡に映り込まなければ、能力の影響下には置かれない。
 鏡に映り込んだ者を迷わせる――それこそオカルトじみた能力だ。
そんなことを考えながら、摩耶は南第二校舎に飛び込む。
 二時間以上他人を背負ったまま歩き回り、その間まったく外に出られないという異常な状況に置かれた陽日輝が、心身共に摩耗し切っているのは間違いない。
 そしてそんな状態の相手なら、決して身体能力の高くない自分でも殺すことはできる――!
「悪く思わないでね――暁!」
 摩耶は、仰向けになったまま虚空を見つめている陽日輝めがけて鉄パイプを振り下ろす。
「――ああ、悪く思うなよ。夜久野」
「えっ――」
 陽日輝の目に、一瞬にして生気が戻る。
 そして次の瞬間、摩耶の動体視力では追い切れない機敏な動作で彼は起き上がり、摩耶の右肘あたりを殴っていた。
 その瞬間、摩耶は焼けるような痛みを感じ、叫びかけ――
 自分の右肘から先がなくなっているのに気付いた。
 正確には、右肘周辺が消失、否、焼失し、それより先の部分が鉄パイプを握ったまま吹っ飛び、廊下を転がっていっていた。
「あ――あああああああああああ!!」
 痛みと動揺で絶叫し、摩耶はその場に尻餅をつく。
 見上げると、左の拳に橙色の光を纏った陽日輝が立っていた。
「わざわざ何時間も放置するくらいだから、決め手が無い能力だと考えたんだけど正解だったな。壊れた振りで隙を見せたら乗ってくれると思ったよ」
「あ、あ、あ、暁ィィ……ッ! わ、私を騙して……!」
「人を殺そうとしといてその言い草は無いだろ」
 陽日輝が歩を進めようとしたのに気付き、摩耶は無事な左手で床を掻きむしるようにして振り向き、立ち上がって駆け出した。
 しかし、恐怖と混乱で足がもつれてうまく走れない。
 数メートルで転倒し、背後からリノリウムの床を叩く靴音が迫るのを聞いて、摩耶の心臓はバクンと跳ね上がった。
「い、いや……殺さないで……!」
 もう完全に腰が抜けており、立ち上がることができなくなった摩耶は、どうにかして振り向き、床に尻を這わせて後ずさりしながらなんとか命乞いの言葉を絞り出した。
 お尻がじんわりと温かい――気付かないうちに失禁していたらしい。
 戦うことも逃げることもできない現状に、摩耶はそれこそ正気を失いたかった。
「ね、ねえ、わ、私片手無いし、もう何もできないって、だから、殺さないで、お願い」
 そう言いながら、摩耶は胸ポケットから手帳を取り出した。
「ほ、ほら、手帳もあげるから、だから」
「――。それなら、ここから出れるようにしてくれ」
 陽日輝はそう言って、摩耶から手帳を奪い取った。
 それを見て、摩耶は絶望の中に微かな光を見た。
 右腕を失っていること、手帳を手放してしまったこと、それらが些事に思えるくらい、今この状況から生還できるという可能性は彼女に希望を与えてくれた。
「た、助けてくれる!? こ、殺さないでくれるの!?」
「殺さないから早くしてくれ。……俺は、こんなところでモタモタしてられないんだ」
 陽日輝のその台詞の理由は、摩耶には分からない。
 安藤凜々花や四葉クロエとの合流を急いでいる彼の事情など、窺い知れるはずもない。
 だが、『殺さないから早くしてくれ』その台詞が摩耶を歓喜させた。
「も、もう能力は解除してる!」
「本当か? ――もし嘘だったら、トドメを刺しに戻るぜ。そうすれば確実に出られるんだからな」
「ほ、本当だから! だから殺さないで!」
 摩耶は左手をぶんぶんと振って、必死に訴えかける。
 実際、『迷鏡死酔』はすでに解除していた。
 発動には面倒な条件があるが、解除は一瞬でできる能力なのだ。
 陽日輝は摩耶の言葉の真偽を図るようにこちらをじっと見下ろし――それから、「……信じるぜ」と言って、こちらに背中を向けて去っていった。
 その背中が遠ざかり、おんぶしていた女子生徒を掃除ロッカーに押し込めた教室に入っていくのを見てから、摩耶はようやく、よろよろと立ち上がった。
 自分の尿で濡れたパンツとスカートからボトボトと水滴が垂れ落ちる。
 まだ膝に上手く力が入らず、再び崩れ落ちそうになるのをどうにか耐えた。
 右手の肘から先は失われているが、あの橙色の光は血管すら焼き切っていたようで、断面からの出血はまったくなかった。
 右腕分の血液が失われているのでフラフラとはするが、これならどうにか一命は取り留めることができる――かも、しれない。
「あ、あはは――生きてる――私、生きてる――!」
 目の前に迫った死という絶望からの生還。
 摩耶はしばし、狂ったように笑い続けた。
 ――この場で命を奪われなかったことが彼女にとって良いことだったのかは、分からないが。
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