【10日目:昼 屋外北ブロック 裏門前】
血なまぐさい殺し合いの舞台を白々しく照らしていた朝日は、今は真上にまで昇っている――つまりもう朝日とは呼ばない。すでに正午を過ぎている。
北ブロックの端、学校の北側が自宅もしくは最寄り駅の生徒が使用していた裏門付近に、痩せた体躯に血色の悪い顔をした、しかし顔立ち自体は美人といっていい部類の女子生徒――御陵ミリアは潜伏していた。
その右手には、懐中電灯がしっかりと握られている。
対象の影にライトを照射することで火傷を負わせることができる『影遊び(シャドーロール)』を使用するのには欠かせない道具。
そして、親友・嶋田来海が、命を賭して託してくれた道具でもある。
来海が、自分の喉笛を掻き切られることを覚悟して懐中電灯を投げ渡してくれたからこそ、自分は今もこうして生きている。
――一秒でも長く生きて。
来海は、今際の際にそう願った。
しかし、来海を死なせてしまった時点で、自分はもう一人の親友・久遠吐和子との約束は果たせていない。
……だから、これは、義務だ。
自分は、こんな自分を親友だと言ってくれた、こんな自分と過ごした時間に価値を感じてくれていた吐和子と来海のために、生きなければならない。
その一心で、昨夜は誰かに見つからないことを祈りながら過ごした。
『議長』による放送で読み上げられた三十人の生存者の中には、来海の仇である月瀬愛巫子の名前もあったが、二人はきっと復讐を望まない。
ただ――生きてここから出るために避けて通れない状況に陥ったなら、そのときは、戦うしかない。
ミリアは自分の身体能力が、生徒葬会を生き抜く上では心もとないことを理解している。
昨日の夕方に繰り広げられた『楽園』での戦いにおいても、吐和子が駆けつけてくれなければ、滝藤唯人にあっさりと切り捨てられていた。
自分が生きてこられたのは、吐和子と来海がいてくれたから。
しかしその二人は、今は自分の胸の内にしかいない。
だから――裏門の脇にある、電話ボックスよりは広い程度の守衛室に身を隠していたミリアは、守衛室の窓ガラスから一人の生徒の姿を確認した今、どうすべきかすぐには決断できずにいた。
中肉中背で、額を露わにしたオールバックの男子生徒だ。
特筆すべきは、彼は自転車に乗っていた。
自転車通学の生徒が使用する学校指定のママチャリではなく、教職員のものなのか、ライトグリーンとオレンジのツートンカラ―が目を引く、見るからに高そうで速そうな自転車だ(ミリアは自転車の知識が乏しいので分からなかったが、それはいわゆるクロスバイクだった)。
駐輪場は正門と裏門の近く、さらには各ブロックの第一校舎前にもあるので、自転車の調達自体は容易だが、自転車を漕ぐとどうしても音がする。
実際、ミリアは彼の接近にかなり早くから気付いていた――まさか本当に自転車に乗っている者がいるとは思わず、こうして彼を視認するまで半信半疑だったが。
自転車を使用すれば確かに移動は楽になるが、ペダルを漕いだ際に鳴るタイヤやチェーンが回るその自転車特有の音は消しようがなく、徒歩のように足音を殺す、というような芸当はできない。
なので、ミリアはこの生徒葬会において何度も自転車が置かれているのを見かけてはいたが、それに乗るという発想自体浮かばなかった。
しかし彼は自転車に乗っている。
隠密性を犠牲にしてまで、移動の楽さとスピードを重視したのか。
それとも、自転車に乗るリスクも思いつかないような考え無しか――いや、それはありえない。
この生徒葬会が開始した時点で、『議長』に間引かれずに残っていた生徒は三百人、それがこの十日でわずか二十九人にまで減っている。
今この瞬間まで生き残ってきた生徒が、ただの考え無しであるはずがない。
だとしたら――もしかしたらあの自転車は、彼の『能力』に関係しているのかもしれない。
(それならやっぱり、やり過ごしたほうがいいよね?)
ミリアは、頭の中で今は亡き来海と吐和子に問いかける。
当然答えが返って来るわけがないが、二人がいたら同じ結論を出していたはずだ。
守衛室の中に身を潜めたまま、ミリアは、自転車の男子生徒が去っていくのを見届けた。
幸い、彼はこちらに気付かず、裏門の近くにまで来たところで旋回し、元来たルートを戻っていった。
彼の自転車が奏でる音が遠ざかっていったのを確認してから、ミリアはふう、と息を吐く。
――さて。
この場所で仮眠も摂ったし、守衛が仕事の合間に食べていたであろうチョコレート菓子があったので多少は空腹も紛らわせた。
ここは隠れ場所としては悪くないが、食料の調達をしなければならない。
そう考えて、自転車の音が完全に聞こえなくなってから、ミリアは守衛室の外に出た。
――そのときだった。
「やっほー」
――と、背後から声をかけられたのは。
「ッッ!?」
――後ろ!?
なんで!?
ミリアは狼狽しながら振り返ろうとし――その瞬間、右の首筋にドスッ、と、極太の注射針を打ち込まれたような感触を覚えた。
重く鈍い痛み――いや、痛みというよりは痺れに近い。
視線だけを右後ろに向けると、自分の首に、一人の女子生徒が噛みついていた。
その顔には見覚えがある――同級生の、一ノ井雫(いちのい・しずく)だ。
彼女の八重歯が深々と、自分の首に食い込んでいる。
それは、あまりにもショッキングな光景だったが――懐中電灯をずっと握り締めていたことが幸いした。
ミリアは、スイッチにかけていた指を動かし、懐中電灯をオンにする。
「ぎゃっ!?」
自身の影を照らされた雫は、『影遊び』によって半身を焼かれ、こちらの首から口を離して飛び退いていた。
さらに驚くべきはその際の移動距離だ――飛び退いた彼女は、一気に十メートルは離れた場所にまで跳び、そこに着地したからだ。
明らかに、人間の身体能力ではない。
ミリアは空いた左手で首筋をさする――不思議なことに、噛みつかれたはずの部分には傷ひとつ残っていなかった。
しかし、少しばかり血を失った、くらりとした感覚はある。
雫は間違いなく、自分の血を吸っていた。
それらの情報から導き出した推測は――
「吸血鬼……?」
「正解だよぉミリアちゃん。私の能力、吸血鬼と書いて『吸血鬼(ヴァンパイア)』だって。そのまんま過ぎるよね。みんなそうなのかと思ったら、他の人の手帳見ても捻ったネーミングばかりだし。ズルいよねぇ」
雫は、手の甲で口元を拭い、ニヤリと笑った。
爛々と輝くその瞳、そしてその言動から、彼女がすでに少なからず他の生徒を殺してきていることは明らかだった。
「お話の中の吸血鬼と、同じようなことができる能力……?」
「そうそう、ミリアちゃんには全部見せちゃったけどね。『影に潜む』『身体能力が上がる』それに、『傷の治りが早い』」
雫の、焼かれたはずの身体からは霧のようなものが立ち上がり、それと共に、肌の焼けていた部位が綺麗な状態に戻っていっている。
制服に隠れた部位も、きっと同じように治癒していることだろう。
――『影遊び』は、ほんの僅かな時間食らっただけでもかなり重い火傷を負う能力だ。
殺傷力だけなら、生徒葬会の中でミリアが見てきた数々の能力の中でも上位――暁陽日輝の『夜明光(サンライズ)』ほどではないにせよ、だ。
それが、この十数秒の会話の間に全治してしまっている。
しかも、それだけではなく、一跳びで十メートルは距離を取れるだけの身体能力の向上、さらには自分に不意打ちを仕掛けた際に使用したであろう、伝承の中の吸血鬼のように影に潜む能力。
それらすべてが一つの能力だなんて――あまりにも馬鹿げている。
「……いくつかの能力を組み合わせて、吸血鬼に見せかけてるだけじゃないの?」
「そんな馬鹿なことする意味ある? 中二病こじらせた男子じゃあるまいし。心配しなくてもその分のデメリットというか、リスクはあるよぉ。血を吸わないと吸血鬼の力は使えないし、力は使うたびに弱まっていく。だから見かけた子の手足を折ってさ、輸血パック代わりに持ち運んでたんだけどぉ、目を離した隙に自殺されちゃって。すごいよね、手足折れてても死ねるんだね人って。だから代わりを探してたの。ミリアちゃん、私のおやつになってくれる?」
何か素敵な思い出話をするように、おぞましいことを口走る雫。
それが、十日前まで同じ教室で過ごした相手とは、とてもじゃないが思えなかった。
元々八重歯なのもあいまって、本物の吸血鬼のようにすら見えてくる。
ミリアは、懐中電灯をぎゅっと握り締め、雫の出方を窺うように訊ねた。
「……一ノ瀬さんの言うことを聞いたら、生かしてくれる?」
「もちろん。自殺した子は元々ね、聞き分けが悪くて。すごく暴れたから、逃げたり歯向かったりできないように手足を折ったの。ミリアちゃんは違うよね? 私に勝てないこと、もう分かってるもんね?」
「…………っ」
雫が見せた身体能力、そして治癒力。
それらを加味すれば、自分は懐中電灯の光を当てることすら難儀するし、当てたとしても彼女の息の根を止める前に、照射から逃れられてしまうだろう。
『影遊び』では、彼女を殺し切ることはできない。
それは、紛れの無い事実だった。
――だけど。
「……一ノ瀬さんに私の血を吸わせ続けてたら、そのうち私は死ぬんじゃないの?」
ミリアのその問いかけに。
雫はニィッッと、唇を不気味に歪め、笑った。
「私が力をあまり使わずに済めば、ミリアちゃんが死ぬまで血を吸わなくても済むよ? 要するに、運が良ければ生き残れるよ。運が悪ければ死ぬけど。でも、私と戦ったら絶対死ぬよ、ミリアちゃん。逃げられたり、その懐中電灯の能力使われたりしないように、手足を折っちゃうから。選択の余地とか、無いと思うけど?」
雫はそう言いながら、誇示するように口を開き、鋭く尖った八重歯を見せた。
……要するに、生殺与奪を彼女に握られるということになる。
彼女が言う通り、もしかしたら致死量まで血を吸われずに済むかもしれない。
しかし、そうでなくとも、雫は彼女にとって不都合な状況になれば、躊躇無く自分を切り捨てるだろう。
彼女に従えば、僅かな生の可能性に縋りながら、彼女の一挙手一投足に怯えつつ、都合の良いときに血を吸われる、そんな奴隷に成り下がる。
――ああ、都合の良い奴隷、か。
二束三文で身体を売っていた、来海たちと親しくなる前の自分みたいだ。
求められるのがセックスか吸血かの違いだけ。
昔は、こんな自分にも価値があるのだと実感できるような気がして、いやそもそも、自分のに価値なんてものを見出せなかったからこそ、売春に何の抵抗もなかったけれど。
来海と親友になり、吐和子と親友になり。
そしてその二人を――失って。
こんな私に価値を――魅力を感じてくれた、二人のためにも。
そんな惨めな生き方は――したくない。
いや、してはいけない。
「……そうだね。選択の余地は――無いよ」
ミリアは。
そう言うやいなや、懐中電灯を雫めがけて掲げた。
「――ざーんねん。手足へし折り確定だよ、ミリアちゃん」