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第百十一話 継承

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【10日目:昼 屋外北ブロック 裏門前】

 御陵ミリアの身体能力は決して高くない。
 『楽園』での戦いにおいて剣道部不動のエースである滝藤唯人に文字通りの瞬殺をされかけたように、フィジカルエリートとの能力差は絶望的だ。
 当然、『吸血鬼(ヴァンパイア)』で肉体が強化されている一ノ井雫とも、圧倒的な差がある。
 しかし、ミリアは決して守衛室に無策に潜んでいたわけでは――ない。
「……!?」
 ミリアがかざした懐中電灯の光線をかわした雫が、違和感に気付いて動きを止める。
 ミリアはすかさず懐中電灯の射線をずらして雫を捉えようとし、雫は違和感の正体を探るよりも先に回避の動作を強いられる。
だが、雫のその動きは、明らかに緩慢になっていた。
 それでも、光線を回避するだけの余裕はある。
 しかし、ミリアが再び手首を返したとき、雫の動きはさらに鈍くなっており、懐中電灯の光はアスファルトに伸びた彼女の影を捉えた。
「うぎぁっ!?」
 思った通りだ。
当て続けていれば、回復される量より『影遊び(シャドーロール)』の効きのほうが大きい――だが、まともにやり合えばその『当て続ける』ことが困難。
 しかし、今のミリアには――第二の能力がある。
 それは、今は亡き親友の形見。
 久遠吐和子の遺体から受け継いだ手帳、そこから得た能力。
 数十人が乱戦を繰り広げていた『楽園』においては、それを自分のものにするのに必要な能力説明ページを集めるのはそう難しいことではなかった。
「吐和子――私は、生きる。絶対に、生き残る」
 ――ミリアはあらかじめ、守衛室周辺の木や電柱を利用して、辺り一帯に『糸々累々(ワンダーネット)』を展開していた。
 あの自転車の男子生徒が来たときに多少は切れてしまったが、問題無い。
 この場所で殺し合いに発展することを想定して、十分すぎる量の糸を仕掛けている。
 現に雫は、渾身の力でその場から逃れようともがいていたが、幾重にも絡み合い、食い込んだ糸を引き千切ることはできずにいた。
 吐和子から、岡部丈泰が『糸々累々』を馬鹿力のみで突破したことは聞いている。だからミリアは、そのとき吐和子が仕掛けた以上の量の糸を仕込んだ。
 『吸血鬼』と化し、岡部丈泰をも凌駕するパワーを得たであろう今の雫でも、この糸の束縛からは逃れられない。
 いや――やりようがないわけではない。
糸の存在に気付いたなら、丈泰がやったように、ミリアの懐中電灯を持っていないほうの手――左手に持っている主軸の糸を全力で引っ張れば、ミリアの体勢を崩すことも不可能ではないだろう。
 しかし、糸の存在を看過した丈泰のような視力や観察力は、雫には備わっていないらしい。
「ミ、ミリアちゃあああん! わ、私が悪かったぁぁぁぁ許してぇぇぇ!」
 全身を焼かれてのたうちながらも、糸の束縛により倒れることすら許されない状態の雫が、臆面も無く泣き叫ぶ。
 影に潜むという吸血鬼の能力も、自身以外の影が無い場所では意味をなさないのだろう。そしてその自身の影は、懐中電灯の照射を受け全身が焼かれる原因となっている。
 『吸血鬼』の三つの能力。
 身体能力の強化、影に潜む能力、自然治癒力。
 そのすべては、今、封じられていた。
『ミリア。ウチは、アンタと来海のおかげで毎日が楽しかった。――来海のこと、頼んだんよ』
 脳裏に浮かぶのは、吐和子の今際の際の言葉。
 ――私はその後、来海のことも守ることができなかったけど。
 せめて二人との思い出を、一秒でも長くこの世から消してしまわないように、生きる。生きてみせる。
「お願いぃぃぃぃ死にたくない死にたくない死にたくないィぃいい!」
 いよいよもって余裕がなくなってきたのか、雫の声はほぼ絶叫と化していた。
 その肌は焼けただれ、あちこちから煙が上がっている。
 肉が焦げる悪臭が、十メートル近く離れたミリアにまで届く。
 それでもミリアは、懐中電灯の光を雫の影に浴びせ続けた。
 浴びせながら、手帳を取り出して表紙をめくる。
 『議長』によって追加された新たなギミック、生存者数のリアルタイム表示。
 現在、二十九人の生徒が生存している。
 だが――十数秒後、雫は手足をだらりと投げ出したままぴくりとも動かなくなり。
それからさらに十数秒後、手帳に表示された数字は、『29』から『28』へと変わった。
「……ハア……ハア……」
 ミリアは、そこでようやく懐中電灯のスイッチを切った。
 糸の存在に気付かれないか、もしくは、雫が火事場の馬鹿力、あるいは隠し持っていた能力を使用して拘束を突破しないか、肝を冷やしていたが。
 どうにか、押し切ることができた。
 ミリアは、ゆっくりと雫の遺体へと近付いていく。
 彼女が持っている手帳を回収するためだ。
 糸に囚われている雫は、死してなお直立しており、まさに蜘蛛の巣にかかった蝶のようでもある。
 全身が焼け爛れ、ところどころ炭化しているその姿は、あまりにも惨たらしかった。
 同級生の無惨な姿に思うところがないわけではないが、自分を殺そうとしてきた相手でもあるし、感傷に浸ってはいられない。
 ミリアは雫の胸ポケットに手を伸ばし――そこで、気付いた。
 ほんの僅か。
 ほんの僅かにではあるが――雫の火傷が、軽くなっていることに。
「なっ――!?」
「はぁあっ!」
 雫がカッと目を見開き、差し出したミリアの右手を掴んだ。
 そのまま、雫が手首をスナップさせると、それにつれられてミリアの右手首は、曲がってはいけない方向へと捻じられる――ごきっ。
 そんな鈍い音が、響いたような気がした。
「あああああああっ!」
 今まで経験したことのない痛み。
運動とは無縁のミリアにとって、骨折どころか捻挫すら未経験であり、右手首を折られたことによる未曽有の痛みに思わず叫んでしまう。
 そのまま追撃を仕掛けられたなら、ミリアは死んでいただろう。
 しかし幸運なことに、雫はそれを選択しなかった。
 自身の動きを止めた『能力』のギミックを看過できていなかったからだろうか、それとも、ミリアが無事な左手で懐中電灯を向けてくることを警戒したからだろうか。
 いずれにせよ、雫はミリアにトドメを刺すことも吸血を行うこともせず、その場から踵を返して走り去っていった。
 骨折の痛みのあまり主軸の糸を手放してしまったため、逃げる雫を捕らえることはできなかった。
「うう……あうっ……!」
 自然と涙が浮かぶ。
 右手首は、やがて熱を帯び始めた。
 恐る恐る見て見ると、骨が飛び出したりはしていないが、手首から先がぷらんと垂れ下がっている。
 指を動かそうとしてみても、飛び跳ねそうになるほどの激痛が走るだけだ。
 ――迂闊だった。
 手帳による生存者数のリアルタイムチェック、それには穴がある。
 同時刻に別の場所で死亡した生徒がいた場合、先ほどのように目の前の相手の生死を誤認する事態になりかねないのだ。
 とはいえ、かなり不運だったことも間違いない。
 雫が抵抗する力も失い、傍目には死んでいるような状態になったのと、手帳の表示が更新されたのとがあれだけ近いタイミングだったのはタチの悪い偶然だ。
 そのせいで、自分は雫が死んだと勘違いしてしまった。
 しかし――彼女を仕留め損なったのは痛い。
 『糸々累々』の仕込みにはかなりの時間がかかる。
 雫相手の使用を想定するならなおさらだ。
 それに、次もまた通用するとは限らない。
 今度こそ糸に気付かれるかもしれないし、影に潜むあの力も厄介だ。
 右手首を骨折した今、糸と懐中電灯の同時使用にはかなりの制限が生じる。
 だけど――弱音を吐いていても仕方がない。
 死なずに済んだ。
 生き延びた。
 今はそれでいい――そう考えるしかない。
 ――しかし。
「……さっき死んだのは、誰なんだろう」
 ミリアは、間接的に自身の骨折と雫の生存の原因となった、誰かの死に思考を巡らせた。
 骨折の痛みを紛らわすのにも、何か思考していたかった、というのもある。
 ――こうしてミリアは、右手首の骨折と引き換えに、どうにか一ノ井雫を退けることに成功した。



 数分前。
 ミリアがリアルタイムに確認した、29→28という生存者数の推移。
 その死は、ミリアや雫がいた裏門付近から大きく離れた、南第二校舎で起きていた。
 廊下に散らばっているのは、かつて夜久野摩耶だったモノ。
 暁陽日輝の一撃で右肘から先を失ったものの、彼がトドメを刺さなかったことにより辛くも生き延びていた摩耶は、殺されていた。
 一体どれだけの恐怖と絶望を味わったのだろう、歪み切った表情のまま事切れている摩耶の死体は、屠殺された家畜のように腹を裂かれ、そこから腸が引き摺り出されていた。
 そんな凄惨な亡骸の傍らに、彼――赤辻煉弥(あかつじ・れんや)は佇んでいた。
「人間の中にこれだけのモノが収まっているんだから驚くよ」
 台詞とは裏腹に、眉ひとつ動かさない無表情。
 感情が無いロボットのような雰囲気すら漂わせる彼は、摩耶を殺し、その内臓を引き摺り出した張本人だった。
 その行為に快感や興奮を覚えたわけではない。
 ただ、腸がどれだけの長さなのか自分の目で確かめたかった。
 たったそれだけの、ちょっとした興味だけで、彼は摩耶を解剖したのだ。
 摩耶の血や内臓の粘液に塗れた両手で、煉弥は制服の襟を正す。
 煉弥は、血や粘液で自身の身体や制服が汚れることを厭わない。
 生徒葬会という状況も、彼の心に恐怖や動揺を与えるに足らない。
 ――煉弥を知るクラスメイトは、彼をただ無口な生徒としか思っていなかったが、実態は異なる。
 羽藤焔とはまた異なる、生まれついての異常者。
 彼には良心どころか、物事に感動する心の機構すら備わっていない。
 時折微かに生じる物事への興味、それを満たすことさえ意味をなさない。
 それでも、煉弥にとっては生理的欲求を除けば、その僅かばかりの好奇心だけが、自身を動かすに足る唯一の動機で。
 だからこそ、この生徒葬会は、煉弥にとっては都合の良いものだった。
 ここでは、何をしたって許される。
 普通なら法や道徳に阻まれるような行為すら、罰されることはない。
 自分が唯一自分に人間らしさを感じることができる、好奇心を満たすために動いている時間。
 それを妨げるものは、ここには何もない。
 すでに何人もの生徒を殺し、その死体で色々なことを試してみた。
 脳や内臓を食べてみた。
臭くて不味くて食べれたものじゃなかったが。
 骨をどこまで折れるのか試してみた。
 関節がヘロヘロになるのは新鮮な光景だったが、骨の数が多すぎてすぐに飽きた。
 殺した女子生徒の死体で屍姦も試してみた。
 ネクロフィリアなんて性癖が存在するくらいだから興味はあったが、反応が無いのもあり自慰をしているような感覚だった。
 ――煉弥は、摩耶の死体を見下ろし、思案する。
 この女子生徒は、最初から右手を欠損していた。
 そればかりか、全員に支給されているはずの手帳を持っていなかった。
 自分が来るまでに他の生徒に襲撃されたのは間違いないが、だとしたらなぜその生徒は、手帳だけを奪い、トドメを刺さなかったのか。
 殺人への抵抗か、それともただの気まぐれか。
 あるいは。
「僕と同じなのかな」
 自分のように興味本位で、敢えて殺さなかった――ということはあるのだろうか。
 だとしたら――会ってみたいものだ。
 煉弥はそう考えながら、摩耶の死体の解剖を再開した。
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