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第百十二話 混濁

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【10日目:昼 屋外中央ブロック】

 中央ブロック。
 この学校の中心地であり、生徒葬会以前は最も活気があった場所。
 しかしその中央ブロックは、昨日繰り広げられた『楽園』を巡る乱戦の際、恩田綜の『暴火垂葬(バーニングレイン)』を始めとする複数の能力によって辺り一面瓦礫の山となり、少し歩けば靴の裏が炭と砂粒に塗れてしまうような有様だ。
 死体の全てを埋葬する余裕はなく、生徒葬会中に訪れたいかなる場所よりも濃厚な悪臭が漂い続けている。
 そこに、『楽園』での戦いの生き残りである鹿島鳴人は、未だ留まっていた。
 正確には、暁陽日輝らと別れた後、密かにこの場所に戻ってきていた。
 理由は二つある――まず、体力の温存だ。
夏に引退したとはいえ、この学校で一番練習が過酷な部である野球部員だった自分は、体力に関しては現在生き残っている生徒の中では最上位であるという自負はある。
 しかし自分は、この生徒葬会において、昨夜を除き常に単独行動だった。
 そのため、交代で休憩や睡眠を摂ったりすることができず、二人以上で行動している連中に比べ、体力と気力の消費が大きい。
 生徒葬会もすでに十日目、能力説明ページの獲得に躍起になって下手に動き回るよりは、一箇所に留まっていたほうがいいと判断した。
 そしてもう一つは、この場所が戦場跡だからだ。
 『楽園』に足を運ばなかった生徒でも、『楽園』への宣戦布告の放送自体は耳にしているはずで、そしてその結果として、昨日だけで数十人の生徒が死亡したことは、『議長』による放送で周知されている。
 『楽園』を巡る戦いが終わったということは、この場所を訪れる旨味はもう無いということ――そう考える生徒は少なくないだろう。
 それにこの場所はあちこちが瓦礫だらけになったことで、どれだけ注意しても足音が響く。この場所を訪れる生徒がいれば、こちらとの距離があるうちに気付ける可能性が高い。
 そういった理由で、鳴人は敢えてこの場所に戻ってきた。
 常に悪臭が漂い、どこを見ても死体が視界に入るような居心地の良いとはいえない場所だが、ここで体力の回復と温存に努める――それが鳴人の作戦だったのだが。
「――こんなとこに来るかよ、普通」
 鳴人は、『楽園』への入口があった倉庫の陰から、その人物を監視していた。
 その人物は、開けた場所にも関わらず身を隠そうともせず、周囲を見回しながらとはいえ、怯えた様子は一切感じられない。
 だが、何より鳴人の目を引いたのは、彼女――そう、その人物は女子生徒だった――の、服装だった。
 いや、服装自体は学校指定のブレザーだが――紺色のブレザーが、明らかにドス黒く変色している。
 それが付着してから時間が経過した血液であることは、すでにこの十日間の経験で知っていた。
 ブレザーだけではない、スカートも、靴下も、靴も。
 手足の露出した箇所も――血に染まっていた。
(おいおい、何人殺してるんだありゃ……)
 その目は虚ろで、少し開いた口はぼそぼそと何かを呟いている。
 ――明らかに、まともな精神状態ではない。
 鳴人もこの生徒葬会の中で、半分あるいは完全に狂ってしまったような生徒にも何人か出会っている。
 しかし、それも生徒葬会の序盤のことだ。
 精神が脆い奴は早くに壊れるし、そしてそうなると長くは生きられない。
 誰かに殺されるか、自ら死を選ぶか。
 いずれにせよ、この極限の生存競争の中では淘汰されていく。
 にも関わらず、あの生徒はこの局面まで生き残っている。
 たった一人で、あんな無防備な状態で、だ。
 それはつまり、彼女が持つ『能力』が強力なものであることを意味していると考えていいだろう。
 鳴人は逡巡した――彼女に先制攻撃を仕掛けるか、このまま身を隠し続けるか。
 だが――その判断を下す前に、『それ』は起きた。
「死ねぇぇぇぇ!!」
 一体いつからそこにいたのか、血塗れの少女の足元の瓦礫を押しのけて、一人の男子生徒が姿を現したのだ。
 その手にはナイフが握られており、少女の喉笛を掻き切らんと襲いかかる。
 ――鳴人は知らない。
 その男子生徒が、野々宮修二という名前の二年生であること。
 彼の能力が、静止している間だけ他人から見えなくなる『達磨転び(インビンジブル)』というものであること。
 その能力を使い、少しずつ、本当に少しずつ地を這って移動し、鳴人を狙っていたということ。
 その途中で別の女子生徒がやって来た上、自分が潜んでいる場所を通ろうとしていたため、そちらに先制で奇襲を仕掛けることにしたということ。
 ――しかし、鳴人にとってそれらは、知る必要も無いことだった。
 なぜならば、野々宮修二が突き出した手がくるりと翻り、修二自身の喉笛に、ナイフを突き立てていたからだ。
(!?)
 その様子を覗き見ていた鳴人は、思わず身じろぎしそうになる。
 突然男子生徒が現れたかと思ったら、自殺した――いや、違う。
 彼は明らかに、あの血塗れの女子生徒を殺そうとしていた。
 つまり――あの女子生徒の『能力』によって、逆に自傷させられたのだ。
 第三者である自分だからこうして分析することができるが、あの男子生徒からすれば、何が何だか分からなかっただろう。
 瓦礫の上に崩れ落ちるように倒れたその男子生徒を、血塗れの女子生徒は一瞥し、そして、手帳を探すのだろう、その場にしゃがみこみ、彼の制服をまさぐり始めた。
 ――鳴人は、心臓がバクバクと激しく脈打つのを感じていた。
 あの『能力』の正体が分からない以上、下手に攻撃を仕掛けることはできない。
 自分に向けられた攻撃を返す、というようなものだとは思うが、発動条件が分からない――彼女が彼女の意思で発動しているのなら、意識外から自分の『変可球(バリアブルボール)』で仕留めればいいわけだが、それができるかどうか。
 もちろん、自動で発動するタイプだとしたら、完全にお手上げだ。
 それだとあまりにも強力すぎるため、前者だとは思うが、それも確かではない。
 ――しかし、彼女が視線を落としている今が最大のチャンスであることも事実。
 何より、あの男子生徒から手帳を奪った後、彼女はこちらにさらに近付いてくる。
 そのプレッシャーに、耐えられる自信もなく。
 鳴人は、ポケットの中から取り出した硬球を、しっかりと握った。
 ――本当は、陽日輝たちの誰か――そう、誰でもいい――誰かと、一緒に行きたい気持ちはあった。
 夜の闇に怯えて、ひたすら朝が来るのを待つ、永遠のように長い時間。
 日中も、物陰から漂う気配や微かな風の音にも、心臓が跳ねるような思いを味わいながら、神経をすり減らしながら過ごすしかない。
 そんな孤独な十日間が、堪えていなかったわけではない。
 信頼できる仲間と共にいる陽日輝たちが、羨ましかったのも確かだった。
 ――いや、やめだ。
 こんな反省は、こんな後悔は、死ぬ間際にだけすればいい。
 俺は生き残る――生きて、もう一度野球をする。
 渾身の思いを込めて、鳴人は硬球を投げた――空高く、真上に。
 その際の足の踏み込み音で、女子生徒はこちらの存在に気付いたようだ。
 死体をまさぐる手を止め、ゆっくりと立ち上がる。
 その濁った瞳はしかし、辻見一花のように完全に自我が壊れているわけではなかった――そのことに、ようやく気付く。
「もう一人いたんですね殺さないと」
 ――まあ、その口から出た言葉と、その不自然に平坦な抑揚は、彼女がまともじゃないことを如実に物語ってはいたが。
「……俺のことも殺すのか?」
「殺さないと殺されるじゃないですか馬鹿なんですか」
「いや――俺も同じ考えだよ」
 鳴人は、『変可球』によって、自分が投げた石やボールなどの軌道を操ることができる。投球の速度や威力自体を高めることはできないが、真上に放り投げた球を、相手の頭上に落とすくらいのことは――できる!
「馬鹿になれないなら――人でなしになるしかないよな」
 鳴人が操る硬球は、その存在についぞ気付かなかった女子生徒の脳天に直撃し、彼女は短い嗚咽と共に上半身をつんのめらせた。
 そのまま足をもつれさせながら顔面から倒れ伏し、ぴくりとも動かない。
「……硬球(ソイツ)を人殺しの道具になんて、したくなかったよ。でもこれが初めてじゃねえ。このクソみたいなゲームで勝ち残るためには、色々なモンを割り切ったり、受け入れたりしなきゃなんねーんだもんな。嫌になるぜ」
 鳴人は、ゆっくりと彼女へと近付いていった。
 彼女と、彼女が殺した男子生徒、二人分の手帳を回収するためだ。
 彼女たち、特に彼女の『能力』がどんなものなのかも興味があった。
「暁と安藤はいいよな、カップルで生き残れてるんだから」
 こうしてまた一つ死地を経験して、改めて感じる。
 親友や恋人といった間柄の人間と、この地獄を共に過ごせるということが、どれだけ恵まれたことなのかを。
 ――だが。
 鳴人がなんとなしに呟いたその言葉は、彼の運命を大きく変えた。
「暁、安藤――暁先輩――凜々花――!」
「!? お、お前、生きて――」
 うつ伏せのまま、その女子生徒が呟いた名前。
 彼女が生きていたこと自体にも驚いたが――それだけではない。
 コイツは、暁陽日輝と安藤凜々花を知っている。
 それが意味するところを考えるよりも先に、半ば反射的に体が動いていた。
 ポケットからもう一つの硬球を取り出し――だが、それを投げるよりも先に、彼女が顔を上げていた。
「…………!」
 ――思わず、息を呑む。
 頭から流れた血が、彼女の顔を二つに割るように汚していたが、その下にある能面のように表情の無かった顔に、にやついた笑みが浮かんでいたからだ。
 その瞳は相変わらず濁ったままだが――まるで、止まっていた時計の針が動き出したかのように、彼女の表情には生気が戻っていた。
「投げられないですよね。死ぬのは怖いですもんね」
 彼女が、足元に倒れている男子生徒の死体を一瞥して言う。
「くっ……!」
 ブラフかもしれない、そう思いながらも、鳴人はボールを投げられずにいた。
 投げたボールが即座に戻ってきて、自分の脳天に激突する予感がしたからだ。
 野球経験者なので、硬球が当たる痛みは容易に思い出すことができる。
 しかし、このまま何もしないわけには――
「ありがとうございます、先輩。嫌なことばかりあって何も考えずに殺し合いをしているうちに、色々なことを忘れてました。あと、ボールが頭に当たったのも荒療治になりました。暁先輩と凜々花。二人を知っているんですね」
「――ああ」
 ここで嘘を吐くのは得策ではない。
 鳴人は半ば本能でそう悟り、素直に頷いた。
「二人は生きているんですね?」
 これにも、素直に頷く。
 ――まあ、現時点での生存者は二十八人。
 日付が変わってから今までに死亡した二人のどちらかあるいは両方が、彼らであるという可能性はゼロではないが。
「よかった」
 血の滴る頬を緩めて微笑む彼女の姿に薄気味悪いものを感じながら、鳴人は考えた。
 コイツはあの二人を知っている。
 それはいい――この生徒葬会のどこかで出会ったのだろう。
 それはいいとして、彼女のこの立ち直りようには、異様なものを感じる。
 ――もしかして、と、鳴人は嫌な想像をした。
 コイツは立ち直ったわけではなく、正常と狂気を併せ持ち、その境界線を行き来しているのではないか――と。
「暁先輩との約束を守って頑張ってる私を、暁先輩に見てもらわないと。私、頑張ったんですよ。辻見先輩と井坂先輩は、怪しい誘いに乗ってしまって、私一人だけになって。でもそれでよかったですよね、だってここ、こんなことになってますしね。楽園とかなんとか言ってましたけどこのありさまですしね。でも私は騙されませんでした私の判断は間違っていませんでした、私は頑張って生きなきゃいけないから、楽園なんかに行くのはそもそもおかしくて、辻見先輩も井坂先輩も馬鹿ですよ私はちゃんと止めたのに。私を置いていくから。私を連れていってくれなかった。私は馬鹿じゃない私は頑張ってる私は生きなきゃいけないんですから。だから殺すしかないんです殺されないために」
「……っ」
 ふざけるなよ――暁。
 お前、とんでもない化物を作り出してしまってるぞ――と、鳴人は内心で歯噛みした。
 恐らくこの女子生徒は絶望の淵にいて、暁陽日輝が希望を与えたのだ。
彼女の口振りから察するに、『頑張って生きろ』という類の――呪いの言葉を。
 普通ならそれでよかったかもしれない。
 だけど暁陽日輝は、この女子生徒を見誤っていた。
 表面的には大丈夫に見えていたのだろう――しかし、彼女の精神の奥底には、すでに決定的な亀裂があったのだ。
 そしてそれは、暁陽日輝と別れてから今に至るまでの間に拡大し、彼女をこんな状態にしてしまった。
 辻見一花のように完全に精神が壊れてしまうはずだった彼女は、陽日輝にかけられた言葉を支えとすることによって自我の喪失を回避した。
 しかし、辛うじて保たれた自我はあちこちがひび割れた状態で。
 中途半端に理性を残した、その濁った瞳通りの混沌とした精神状態を招いたのだ。
 これはすべて推察だが――そう的外れでもないだろう。
 ――あの野郎、次会ったらぶん殴る――
 そう内心で思いながらも、半ば死を予感していた鳴人だったが。
「二人はどこにいるんでしょう。探しに行こうかな」
 彼女はそう言って、再びその場にしゃがみ、男子生徒のポケットを探る作業を再開した。
「――――は?」
 鳴人は、彼女の行動が理解できず、思わず声を漏らす。
 それを意にも介さず、彼女は死体から奪った手帳を仕舞い、立ち上がった。
 そしてそのまま、こちらに一瞥もせずに歩き去ろうとする。
「お――おい!」
 ――よせばいいのに、鳴人は声をかけていた。
 声をかけてから後悔したが、もう遅い。
 彼女は立ち止まり、振り返った。
 天真爛漫さすら感じさせる、晴れやかな笑顔を浮かべて。
「どうしたんですか先輩。私は暁先輩に会いに行きます。お邪魔してすいませんでした」
「お……俺、を。殺さないのかよ」
「……? 何言ってるんですか先輩。殺人はダメなんですよ?」
「あ――」
 話が通じない。
 いや、通じる。
 通じるが、破綻している。
 なまじ彼女に理性が残っている分、余計に気味が悪かった。
「お――お前、名前は?」
「えー、ナンパはイヤですよ。でもお前呼びはもっとイヤですね。名前ですね。いいですよ」
 彼女は。
 屈託の無い笑みのまま、言った。
「私の名前は、三嶋ハナです」
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