【10日目:夜 南第三校舎一階 多目的室】
暁陽日輝の『夜明光(サンライズ)』の特筆すべき点。
それはやはり、その破壊力の高さだろう。
高熱を帯びた手から放つ一撃は、校舎の床すらぶち抜き、人体を容易に焼き溶かす。
そう――当たりさえすれば。
一ノ井雫は『吸血鬼(ヴァンパイア)』によって人間離れした身体能力を得ており、いかに陽日輝が喧嘩慣れしているといっても、正攻法で攻撃を命中させることは至難の業だった。
だが、世渡麻央斗が命を賭して再発動させた『吸襲球(アトラクトボール)』は、雫の動きを止めることに成功した。
そしてその隙に、陽日輝が間合いを詰めて放った橙色の光を帯びた一撃は、雫の左胸に命中し。
本来ならば、そこで陽日輝は雫を絶命させることができた、はずだった。
しかし――もし、運命なんてものが存在するのだとしたら。
今この場所この瞬間において、運命が味方したのは、雫だった。
「――ッ!」
陽日輝の拳が雫の左胸に触れるか触れないかのタイミングで、雫の背後に出現していた『吸襲球』が消滅したのだ。
それは、最後の力を振り絞っていた麻央斗が力尽き、絶命したことを意味する。
そして、自らの動きを阻むその力が失われたことを瞬時に察した雫の行動は、迅速だった。
陽日輝の拳が自らの左胸を焼き溶かす中、陽日輝から見て右側、廊下の方向に跳んだのだ。
窓ガラスを全身でぶち破って廊下へと逃れた雫を、陽日輝はすかさず追いかけた。
凜々花とクロエが何か叫んだが、自分の足音と窓ガラスが割れた音とにかき消されてよく聞こえなかった。
ここで逃すわけにはいかない。
拳をもう少し深く押し当てることができていればよかったが、感触的にギリギリ心臓には光が達していない。
この生徒葬会で幾人もの生徒を『夜明光』によって殺してきた自分だから分かる――普通の生徒であっても、しばらくは生きていられるほどのダメージしか与えられていない。普通の生徒が相手ならそれでもいい。だが、あの女子生徒の再生能力なら、回復されてしまう。
それではダメだ――全快されてしまっては、もう二度と拳を当てられる気がしないし、それに。
愛する水無瀬操のため、最期の力を振り絞って戦った麻央斗の想いを、ふいにしてしまう。
「待てっ!」
廊下に飛び出した陽日輝は、左胸を押さえながら走る雫を追いかけた。
「ひぃっ!」
雫がこちらを振り向き、怯え切った声を上げる。
手負いのため走る速度が落ちている――これなら、追い付ける!
「人を殺しに来といて――簡単に逃げられると思うなよ!」
陽日輝は、雫に追い付いたところで拳を振りかざした。
「!」
その瞬間、雫は振り返りざまに廻し蹴りを放ってきたが、身を引いてなんとかかわす。
それでも、爪先が顎を掠り、皮がめくれて血の滴が舞った――遅れて、焼け付くような感覚が襲ってくる。
手負いの状態でも、この身体能力。
やはりこいつは――ここで逃がしてしまうわけにはいかない。
「っらぁぁ!」
陽日輝が再び踏み込んで放った右ストレートは、雫の蹴りを放った直後の無防備な右肩に直撃した。
「あああああああっっ!」
雫の悲鳴と共に、彼女の右肩は焼け溶け、右腕は腋上一センチほどだけ残して辛うじて胴体と繋がっている状態になった。
なまじ右腕が完全に飛んでしまうよりも、ショッキングな光景だったかもしれない。
雫は、剥き出しになった右腕の断面を見て恐怖に目を見開いた。
いくら自分たちを殺しにきた相手とはいえ、こうも怯え切った姿は、見ていて気持ちのいいものではない。それでも、迷いは無かった。
守りたいものを守るため。
守りたいものを守るために戦った男に報いるため。
陽日輝は、左の拳に力を込める。
次の一撃を顔面に当て、再生する暇など与えず脳を焼き溶かす。
夜久野摩耶を殺さなかったあのときとは違う――確実にトドメを刺す――!
「――そこまでだよ、凜々花ちゃんの彼氏君」
「……!?」
どこか余裕綽々とした声に呼び止められ、陽日輝は拳を止めてしまった。
声の方向に視線を向ける――雫の背後十メートルほどの場所に、二人の女子生徒が立っていた。
いや――それは正確な表現ではない。
一人の女子生徒が、一人の女子生徒を無理やり立たせていた。
首にチョーカーを巻いた長い髪の女子生徒――鎖羽香音が、辻見一花の背後から、彼女の首に左腕を回している。
映画やドラマでよく見る、人質を取った凶悪犯の構図だ。
「鎖――羽香音、さん」
「やっほー。凜々花ちゃんが選ぶだけあるねぇ。まさか雫に勝つとは思わなかったよ。保険打っててよかったよ、ほんと」
口ではそう言いながらも、羽香音は驚いているようには見えない。
ゲーム部部長としてのポーカーフェイスなのか、最初から雫が返り討ちに遭う可能性も低くないと考えていたのか。
いずれにしても――この状況は、まずい。
「辻見さんを――離せ」
「逆に聞くけど、離すと思う? 私が一花を離した瞬間、キミは雫を殺して私を殺すよね」
そのとき、背後から足音が聞こえ、廊下に飛び出してきた凜々花が息を呑むのが分かった。
「鎖、部長――……!」
「やっほ。『楽園』以来だね、凜々花ちゃん」
「陽日輝、凜々花、下がってくださいまし!」
凜々花と一緒に駆け付けてきたクロエが、左手で鷲掴みにしたペットボトルを掲げながら叫んだ。
「一花に手を出される前に、私が仕留めますわ!」
「それは難しいと思うなあ、四葉クロエちゃん。キミはいかにもその水を使うと見せかけて、『死杭(デッドパイル)』を使うつもりだよね? そんなことしたって私の動揺は誘えないよ。キミたちがこちらを攻撃しようとするなら、私は一花の首を折って殺すと予告する。『血量維持(フラット・ブラッド)』では失血以外の死は防げないからね」
「――っ。鎖羽香音、あなたは他人の『能力』が分かる能力でも保有しているんですの?」
「んー、内緒。それでね、私はあなたたちと取引がしたいんだ」
羽香音は、一花を捕まえたまま、雫と呼んだ女子生徒を顎で示した。
「血を失いすぎたのかな、雫の回復にはまだ時間がかかりそうなんだよ。だから、私たちはこのまま退く。もちろん一花は連れていくけどね」
「そんなの――見過ごせるわけがないでしょう!」
凜々花が激昂したが、羽香音は右手の人差し指を立て、チッチッチッ、とでも呟きそうな挑発的な笑みを浮かべたまま横に振った。
「まあまあ落ち着いてよ凜々花ちゃん。悪い条件じゃないと思うよ? このまま膠着状態が続けば雫は全快するし、そうなったらキミたち三人じゃ勝てるかどうか……。私たちが一花を悪いようにはしないのは分かるでしょ? 雫はお察しの通り吸血鬼みたいな能力を持ってて、無限に血の供給が可能な一花の能力とのシナジーが最高なの。だからここは私たちをこのまま退かせてほしいってワケ」
「いきなり襲ってきて、会長や世渡を殺して……! そんな勝手が許されると思うんですか!?」
凜々花が、そう叫びながら羽香音を睨み付ける。
陽日輝も、凜々花と同じ気持ちだった。
殺し合いを望まなかった水無瀬操。
彼女のために最期まで戦った世渡麻央斗。
その二人を踏み躙った彼女たちを、このまま行かせたくはない。
それに、完全に回復した雫と再び戦って勝てる保証はない――
そんなことを考えていた矢先だった。
クロエが、ギリッと歯を噛み締めてから、意を決したように叫んだのは。
「――凜々花、それに陽日輝も。こうなってしまった以上致し方ありませんわ――辻見一花のことを諦めて、この場であの二人を仕留めるべきですわ!」
「……!」
「クロエ、何を言って――」
「理解できないとは言わせませんわ、あなたたちはそこまで愚かではないはずですもの。――それに、分かっているはずですわ。私たち全員が生きて帰るためには、最終的には辻見一花には死んでもらわなければならないということは」
「ッ! それは――!」
凜々花も、そしてもちろん陽日輝も、散々考えてきたことだ。
水無瀬操に一花を預けようとしたこと自体が、その事実から目を背けようとした証でもある。
だが、その操は死に、一花が安全に保護される場所は失われた。
それならば、ここで一花を救うことを諦めて、手負いの雫と羽香音を三人がかりで叩くのが生き残るための最適解。
そんなことは――分かっている。
「キミはなかなかドライだね。凜々花ちゃんも、昔はそれくらいクールだったんだけどなあ。でも、頭では理解していても心では理解できない、理解したくない――そんなことはいくらでもあるんだよ。それも念頭に置いた上で、私はキミたちにこの取引を持ち掛けている。どうせ死ぬんだから一花を見捨てる。そんなことが、できるのかな」
「陽日輝! ……凜々花!」
クロエは叫び、自分が賛同を得られていないことを理解して、歯噛みした。
それから――再び、何かを決意したかのように、静かに切り出した。
「――私は、あなたたちを好いていますわ。ですから、あなたたちがそのつもりなら、ここで私の我を通す気はありませんの。ですが――この判断は、遠からず私たちを危機に陥れますわよ」
「……分かってる。だけど――ありがとう」
陽日輝がそう言ったのを聞いて、クロエははあ、とため息をついた。
「……感謝されても困りますわ。ですが――勘違いしないでくださいまし」
クロエは。
ここで、羽香音のほうをビシッと大仰に指差し、高らかに叫んだ。
「この選択をする以上は、私は陽日輝と凜々花に、自分たちの判断が誤りだったとは思わせたくないんですの! ですから――辻見一花は、必ず救い出しますわ! ですからせいぜい吠え面かいて逃げるがいいですわ、鎖羽香音!」
クロエのその言葉に。
羽香音は、やれやれと言わんばかりに首を横に振った。
「まあ、正直助かるけど。キミは冷静そうに見えて意外と情に篤いタイプなんだね。損するよそういうの。まあ――お言葉に甘えて、逃げさせてもらうけど。雫、行くよ」
「……暁陽日輝……絶対、殺すから」
左手で左胸を押さえ、辛うじて繋がった右腕をぷらぷらとさせたまま、雫は殺意に溢れた眼差しでこちらを睨み付けてから、よろよろと歩き出した。
羽香音はニヤリと笑い、相変わらず茫然自失としたままの一花を促して、去っていく。
「じゃあね、仲良しさんたち。キミたちのその判断、誤りだったと思わせてあげる」
羽香音は最後にそう言って、不敵に笑った。
三人の背中が遠ざかるのを見ながら、陽日輝たちはしばし立ち尽くしていたが――やがて、最初に口を開いたのは凜々花だった。
「……ごめん、クロエ。それに陽日輝さんも。私が一番、冷静じゃなかった」
「いや――凜々花ちゃんは十分冷静だったよ。むしろ俺が熱くなってた。もう少し落ち着いてれば、鎖さんが現れる前にトドメを刺せてたかもしれない」
自分が義憤に駆られ、頭に血が上っていたことは否めない。
もう少し冷静に立ち回れば、雫の右肩に当てた一撃を、あの時点で頭に命中させることだってできたかもしれない。
そうすれば、一花を人質に取られている状況でも、もう少し交渉のやりようがあった。
しかし――互いに言葉を失った陽日輝と凜々花の胸に、クロエが拳を軽く押し当てて言った。
「反省会をしている暇はありませんのよ。荷物をまとめて、この場所から離れますわよ。辻見一花を取り戻すにしても、相応の準備が必要ですもの。今はまだあの二人と戦うときではありませんわ」
「……ああ。そうだな――クロエちゃん」
こんなとき、クロエがいてくれてよかったと心底思う。
陽日輝は頷き、それから、未だ浮かない表情の凜々花の肩をポンと叩いた。
――そう、雫の再生にどれだけの時間がかかるかは分からないのだ。
まず間違いなく彼女は、一花から吸血を行う。
そうすれば、ものの数分で全快する可能性だってある。
だから自分たちは、一刻も早くこの場所を離れなければならない。
――だけど。
「……二人は荷物をまとめててくれ。――会長と世渡を、簡単にだけど弔うよ」
「そんな暇はありませんの――と言いたいところですけれど、分かりましたわ。あの二人も、あなたに弔われるのが一番嬉しいと思いますから」
クロエはそう言ってから、凜々花を「さあ、荷物をまとめますわよ」と促した。
――こうして。
陽日輝たちは雫と羽香音に一花を奪われ。
操と麻央斗の死を契機に、生徒葬会は終盤へと向かうことになる。