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第百二十四話 四葉

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【11日目:未明 屋外南ブロック】

 三嶋ハナの動き自体は速くない。
 見た目の体格的には女子としても軽いほう、そして身体能力が高いわけでもないハナを制圧するのは、本来容易いことのはずだった。
 しかし、暁陽日輝は、ハナを無傷で取り押さえるという自分の目論見が甘く、困難であることをすぐに思い知らされる。
 ハナが持つ『能力』の正体自体は、すぐに理解した。
「『壁』か……!」
 陽日輝の突きや蹴りは、ことごとく目には見えない硬いモノに阻まれる。
 鈍く重い手応えをこちらに返してくるそれが、根岸藍実の『通行禁止(ノー・ゴー)』によるものに近い、不可視の壁であることには気付いたが。
 問題はその壁が、ハナが押すことによって物理法則を無視した勢いで『動く』ということだった。
「くっ……!」
 ハナが掌を前に向けてかざし、『壁』を出現させる。
 そしてそれを彼女がそっと押す。
 すると、ハナの細腕によって押されたとは到底思えないほどの勢いで、『壁』は地面を滑りながら、こちらに向かってくるのだ。
 目には見えないので、あらかじめ手を前に出して構えておくしかないが、油断すると手首が折れそうになる。
 かといって片足立ちで足を使って受け止めるのは危険だ。
 バランスを崩して転倒すれば、そのまま『壁』に全身を強打される形となる。
 車に轢かれるほど――の威力ではないが、そこそこ速度を出した自転車にぶつかられるくらいのダメージはありそうだ。
 まずは片手、続いて両手を使って『壁』を押し返そうとしながら踏ん張っても、軽く三、四メートルは押されてしまう。摩擦で靴底に穴が開きそうな気さえした。
 かといってハナの側面や背後に回り込もうとしても、あちらは少し体を動かすだけでいい。
 『壁』を横跳びでかわしてみても、すぐに次の『壁』を繰り出されてしまう。
 ――後方では、四葉クロエが鹿島鳴人と交戦している。
 安藤凜々花は休憩スペースに横たわったまま姿を現さない。
 鳴人が投げた球を右目に直撃させられた凜々花。
 果たして無事なのか――ハナと交戦中にも関わらず、陽日輝の意識はそちらに傾きそうになってしまう。
 それに気付いているのかどうなのか、ハナは冷たく言った。
「星川先輩や辻見先輩だけじゃなくて、凜々花も守れなかったですね。暁先輩、一体誰なら守れるんですか?」
「っ……!」
 凜々花のことを引き合いに出されると、ハナが相手でも怒りを感じてしまう。
 しかし、ハナを殺すという選択肢は自分にはない。
 偽善と言われようと独善と言われようと、だ。
 ――実のところ、ハナの『壁』は無敵ではない。
 『夜明光』で殴ればその部分が焼け溶けてはいるようで、殴った後の空間に手を伸ばすとその手はちゃんと向こうまで伸びるのだ。
 ただ、『壁』は恐らく長方形、大きな全身鏡くらいのサイズがある。
 一部分を壊したところで、勢いを殺すことはできない。
 何より『壁』が滑る速度がそれなりに速いので、一発殴っている間にこちらの身体に触れてしまう。
 相手を近付けさせない――それに特化したような『壁』だ。
 陽日輝は攻めあぐねていた。



 陽日輝がハナを相手取っている間、クロエは鳴人と交戦していた。
 北第一校舎で東城一派のアジトから物資を運び出した際、連中の一人が使っていたものとおぼしきバタフライナイフを用いてペットボトルに切れ目を入れ、それを宙に放り投げる。
そしてこぼれ落ちる水を手刀で切るようにして『硬水化(ハードウォーター)』による硬化を施した上で、鳴人めがけて飛ばしていた。
 当たれば皮が裂け肉が切れるだけの威力を帯びた水の刃を、鳴人は機敏にダッシュしてかわす。
 さすがは元野球部員、試合ではベース間の走塁・盗塁能力が求められるため、50m走ならば陸上部の短距離選手より速いのもザラだ。
 しかも、ただ駆けるだけではない。
 鳴人は走りながら石を取り出し、そして方向転換と共にスローイングしてきた。
 そしてそのときには、再び別の方向に駆けだしている。
 ――クロエはすでに、『死杭(デッドパイル)』も使用していた。
 そのため鳴人は、両手両足を貫こうとする四本の黒杭に追われている状態だ。
 にも関わらず、クロエの水の刃をかわしながらも、『死杭』に追い付かれない程度の速度を維持した移動を続けている。
 すでに数分間戦いは続いているというのに、鳴人の動きが鈍る気配はない。
 恐らくは『死杭』に追い付かれない速度を見抜き、体力を節約している。
 『楽園』で会話した際、純粋な身体能力なら陽日輝以上だと豪語していたが――成程、言うだけのことはあった。
「あなたがハナを唆したんですか、鹿島鳴人!」
 クロエは叫びながら、飛んできた石から身を守るため、自分の頭上に放り投げたペットボトルを、水で濡らした手刀で叩き割る。
 そうして降り注ぐ水すべてを硬化させることで、石から身を守る高硬度のカーテンとしていた。
 当然、鳴人は『変可球(バリアブルボール)』によってボールの軌道を変えて対応してくるが、そのたびに石の速度が落ちることに、クロエはすでに気付いていた。
 鳴人が投げたモノは、凜々花の『一枚入魂(オーバードライブスロー)』とは異なり、運動エネルギーそのものが強化されているわけではないのだ。あくまでも鳴人の投力に依存している。
 水のカーテンをかわすように回り込んできた石は、すでにクロエからすれば遅い。水を薙ぎ払うようにして飛ばし、石を破壊した。
「心外だな、俺は暁や安藤に会いたいって願いを叶えてやっただけだぜ! 暁を殺してーってのはあくまでも三嶋ちゃんの意思だろうがよ! そこんとこ責任転嫁しないでもらいたいぜ!」
 鳴人はさらに石を投げた。
 凜々花を欺いたあの仕込み球は、やはり何球もあるわけではないらしい。
 作るのにそれなりの手間と材料が必要そうなので当然だが。
「あなたはこうなることを分かっていたはずですわ!」
「おいおいこれは三人しか生き残れないゲームなんだぜ? 俺だって霞ヶ丘相手に共闘したお前らと殺し合うのは気が引けたよそりゃ。でもな、他の生き残りを減らせるチャンスがあったら乗るしかねえだろ? 仲良しトリオしてるお前らにはわかんねーかもしれないけどな!」
「やかましいですわ! あなたこそハナをダシに責任転嫁してるじゃありませんの!」
 クロエはチラリとベルトに付けたペットボトルの残数を確認する。
 ……すでに、半分近くのストックを消費してしまっていた。
 走り回っているので息も上がりそうになっている――女子としては、どころか男子と混じっても体力があるほうだと自負しているが、相手が悪すぎる。体力が先に尽きるのはどう考えてもこちらだろう。
 鳴人から『死杭』をかわす余裕を奪うには、どうにか水の刃を当てるしかない状況だが、このままではそれは叶わないだろう。
「――出し惜しみはしてられませんわね」
 クロエは呟き、自分が持つもう一つの能力を使用することにした。
 これは、鳴人に、そしてハナにもまだ知られていない能力だが。
 さすがに、そうも言っていられなかった。
「『大波強波(ビッグウェーブ)』……ですわ!」
 クロエは、鳴人めがけて右手を突き出す――瞬間、クロエの前方に召喚された大量の水が、まるで意思を持つかのように、鳴人めがけて勢い良くほとばしっていく。
 東城一派の一人、伊東が使用していた能力。
 『硬水化』との相性の良さからクロエが能力説明ページを入手し、『楽園』でも炎上する校舎から陽日輝を救った能力だ。
「なあっ!?」
 想定外の現象に狼狽した鳴人の足首が水に浸かる。
 そしてその状態では、自慢の走力も少なからず削がれてしまう。
 これなら――『死杭』を振り切る余裕は無い!
 ――はずだった。
「――タイマンならお前の勝ちだったろうな! タイマンならな!」
 鳴人の言葉の意味はすぐに理解できた。
 ――石が、軌道を変えていた。
 向かう先は――未だに意識を取り戻していない凜々花のもとだ。
 無防備な状態で石をぶつけられれば――今度は、致命傷となるだろう。
「Holy Shit!!」
 クロエは歯噛みし、すぐに踵を返して凜々花のもとに駆ける。
 石は少し勢いが落ちているとはいえ、このままでは届かない。
 凜々花に当てないように気を付けつつ水をぶつけ――そう考えていた、とき。
 ――石は再び、軌道を変えた。
 それも、これまで辿ってきた軌道を再び辿る形に。
 要するに――戻ってきた。
 それはつまり、石を追っていたクロエめがけて飛んできたことを意味している。
「鹿島、鳴人……!」
 最初から――凜々花を狙ったのはブラフだったのだ。
 凜々花をエサにして、最初からこちらを攻撃するつもりだったのだ。
「くっ――!」
 それくらいのこと、気付いて然るべきだった。
にも関わらず気付けなかったのは――凜々花を狙われているという状況に、自分が冷静さを失ったため。
 凜々花を死なせたくなかったから。
 凜々花の死を陽日輝に見せたくなかったから。
 ――ああ。
 いつの間に私は、こんなにもこの二人のことを好いていたのだろう。
 いつの間に私は、こんなにも弱くなっていたのだろう。
 クロエは苦い後悔に顔を歪め――そこで、その迷いを振り切った。
(ふざけるな、ですわ)
 眼前に迫った石をかわす余裕はもう無い。
 水による迎撃も同様。
 この危機を招いたのは、ひとえに自分の甘さだ。
 陽日輝を散々咎め嗜めておきながら、なんという体たらく。
 だけど、それを『弱さ』と断じるようでは――私は、私が憎い者達と変わらない。
 クロエの脳裏に、思い出したくもない過去が浮かぶ。
 だが、その過去に浸る暇はない。
 クロエは、自分の右目に指を突っ込み、眼球を押した。
 ぐにゅりとした感触は痛みを伴い、それと共に大量の涙が防衛反応として溢れた。
 その直後には、石は自分の顔に――正確には、クロエがわずかに首を動かしたことで、右目に直撃した。
 だが、涙を『硬水化』によって固めていたことで、失明や脳震盪は免れる。
 とはいえ勢いは殺し切れず、クロエは背中から倒れていた。
 受け身も取れなかったので、口から心臓が飛び出しそうだ。
 それでもクロエは、倒れたままの姿勢で鳴人の方向に手のひらを突き出した。
 凜々花を助けに行くため解除していた『大波強波』を再び発動する。
 クロエを仕留めたと勘違いしていた鳴人は、その激流をモロに食らって足を取られてしまう。
「しまっ――……!」
 その背中から『死杭』が迫り、今度こそ直撃するかに思えたが――そうはならなかった。
 ――何かが遥か上方から飛んできて、四本の黒杭を踏み潰したからだ。
 それだけでは飽き足らず、黒杭越しに衝撃が伝わったコンクリートの地面にヒビが走る。
 それほどまでのデタラメなパワーを持つ生徒を、正確には『能力』を、クロエは一人しか知らない。
「やっほーおひさ! いやそうでもないけど! 割と最近会ったケド! ――君たちまた楽しそうなコトやってるねぇ! 私も一緒に遊ばせてよ!」
 頭のネジが外れたような――いや実際に何本かぶっ飛んでいそうだ――高笑いと共に現れたその女子生徒は。
 『吸血鬼(ヴァンパイア)』の能力を持つ一ノ井雫だ。
 やはり自分たちにリベンジを果たすべく追ってきていた。
 そして――『血量維持(フラット・ブラッド)』を持つ辻見一花を確保したことで、雫は南第三校舎で戦ったときよりも格段に強くなっている。
 ニィッと歯茎を剥き出しに笑った際に露わになった八重歯は、より鋭くより邪悪なフォルムに形を変えていた。
 ――近くに建物は無い。
 となると、どこか離れたところからジャンプしてきたとしか考えられない。
 そしてその着地がてら、『死杭』ごとコンクリートの地面をぶち割ったのだ。
 この生徒葬会で、様々な常識外れの『能力』を見てきたが――それでもなお、驚愕せずにはいられないほどの無茶苦茶な馬力。
 ハナと鳴人相手にてこずっている間に、追い付かれてしまった……!
「ひい、ふう、みい、よ……五人いるね。あのポニテっ子は寝てるけど、まあちょうどいいや。羽香音にその子だけは殺すなって言われてるしぃ」
「……!」
 クロエは、羽香音の意図が何なのか考えようとして、やめた。
 ゲーム部の先輩後輩として、目をかけていた凜々花を仲間に引き入れようとでも考えているのかもしれないし、自らの手で殺したいと考えているのかもしれないが、今はそちらに思考のリソースを割く余裕は無い。
 生徒葬会においてカタログスペック上は最強となった雫を前に、自分たちが生き残ることを第一に考えなければならないからだ。
「なんか君たちじゃれ合ってたみたいだけど、とりあえず四人まとめてかかってきたほうがいいよ? 私超強いから。アハハ! せっかくたっぷり血を飲めたからさぁ、力試ししたいんだよね。――暁陽日輝っていったっけ? 君は特に、私を殺したい理由があるはずでしょ? 全力で来なよ」
「一ノ井、雫……!」
 陽日輝が、怒りに震えている。
 雫に背後に立たれている鳴人は振り向くこともできず戦慄の表情を浮かべて立ち尽くしているし、ハナは状況が理解できていないのか、頭の上にクエスチョンマークが浮かんでいるかのような表情をしている。
 ――四人がかりで戦うにしても、あまりに足並みが揃わなさそうだ。
 クロエは、この絶体絶命の状況を切り抜ける術を模索していた。
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紗灯れずく 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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