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第百二十九話 英雄

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【11日目:早朝 旧校舎一階 廊下】

 浅木二三彦は、幼い頃からヒーローに憧れていた。
 特撮ドラマやアニメに出てくる、強くて格好良い正義のヒーロー。
 それだけなら、どこにでもいる普通の男児だろう。
 しかし二三彦は、その憧れを忘れることなく成長した。
 いつか、ヒーローのように悪と戦い、誰かを危機から救ってみたい。
 そんな願望を胸に抱きながら過ごしてきた二三彦にとって、生徒葬会は願ってもない舞台だった。
 ……二三彦は、決して正義感が強いタイプではない。
 自分でもその自覚があり、ただ漠然とした憧れの存在を演じてみたいだけだと理解もしていた。
 自己満足。
 自己陶酔。
 それに浸りたいだけだという自分に気付いている。
 ただ、それの何が悪い、とも思っていた。
 テストで良い成績を取りたい、部活の競技会やコンクールで表彰されたい、彼氏彼女が欲しい、良い大学に入りたい――そういった夢や目標と同じだ。
 ゆえに二三彦は、御陵ミリアが西寺汐音に殺されかけているという状況を、不謹慎にも『チャンス』と捉えていた。
 今まさに命を奪われようとしている女子を助けに入る。
 そして相手は生徒葬会初日に勝てなかった相手。
 ヒーローとしての救命活動と、ヒーローとしての宿敵へのリベンジ。
 どちらもよくあるシチュエーションで、それゆえにこの心を熱く盛り上げてくれる。
 生徒葬会をヒーローとしてのロールプレイの舞台として、二三彦は利用していた。
 ――それはあまりにも幼稚で、安易な思考回路。
 それでも、年甲斐もなくヒーローを目指し、この期に及んで生き残っているだけあって。
 浅木二三彦は、愚かではあるが無能ではない。



 二三彦が旧校舎の腐った床板を踏み割って、汐音めがけて突っ込んでくる。
 汐音は『風雷(ウインドミル)』を発動させ、自らも二三彦との間合いを詰めた。
 自身が踏んだ場所を起点に突風を起こせる能力。
 それは応用すれば、加速装置のようにも使える。
 二三彦は、第一ボタンだけを留めて羽織っているブレザーを振るように、こちらに背中を向けた。
 汐音はまたも床に突風を発生させ、その勢いを利用して今度は下がり、ブレザーの一振りをかわす。
 そのブレザーが『能力』によって殺傷能力を帯びていることを、汐音は初日の邂逅ですでに理解している。
「観念しろ! ここがお前の墓場だ、西寺!」
「よくもまあそんなクサイ台詞吐けるね浅木。キミそういうのさっさと卒業したほうがいいよ!」
 汐音は、足元に散らばっていた古釘を二三彦めがけて蹴り飛ばす。
 二三彦は、それらをブレザーで弾くようにして受け止めた。
 すると、古釘は分子が崩壊したかのように粉々の塵に変わってしまう。
「『廃布(ロストローブ)』。俺に触れようとした悪は滅びるだけだ」
「ただそれ、人間相手には効果ないよね」
 そう――そのことも、初日にやり合ったときに確認している。
 汐音がブレザーの一振りをかわしたのは、あくまでもブレザーに仕込まれたカミソリの刃を避けるためだった。
 二三彦の『廃布』は、あくまでもブレザーに触れた物を塵に変える能力。
 人体に対してはまったくの無害なのだ。
「キミのその能力で粋がったところでだよ。私には勝てないってわかんないかな」
「いや、勝てるさ」
 二三彦は。
 そう言って、ブレザーの第一ボタンを外した。
 そして、まるでスペインの闘牛士さながら、両手でマントのように構える。
「それでなに? 私に突っ込んで裸にしてみる?」
 汐音はせせら笑い――しかし。
 西寺汐音最大の強みは、その身体能力ではなく危機察知能力の高さ。
 すでに、二三彦が確かな勝ち筋を持っていることを察していた。
 人体には影響の無い腐食能力。
 となると、二三彦の狙いは大きく分けて二つだ。
 一つは、天井を腐らせて落とす。
 一つは、床を腐らせて落とす。
 そしてそれが狙いならば――わざわざ距離を詰めてやる必要はない。
 汐音は、踵を返してその場を離脱した。
 二三彦がブレザーを天井や床めがけて投げたのを見てから対応することは十分可能だが、万が一もある。二三彦に別の奥の手がある可能性もある。なんせ前にやり合ったときから十日も過ぎているのだ。第二、第三の能力を持っていても不思議はない。だから、わざわざ相手の土俵で戦ってやる必要はなかった。
 旧校舎から出、そこで今にも朽ち果てそうな旧校舎の外観を見上げた。
 三階建ての木造建築。
 朝焼けに照らされたその姿は、どこか寂しそうでもあった。
 汐音はニヤリと笑い、地面を蹴った。
 巻き起こした風の力を借りて、彼女は一跳びで二階のベランダに着地する。
 続けざまにもう一度跳び、今度は三階に。
 そして、三度目の跳躍で屋上へと着地した。
「ヒーロー気取りの癖に発想がちっちゃいんだよね。変なところ常識的というか――ま、だからヒーローになれないのか、キミは」
 もちろん、その独り言は二三彦には聞こえない。
 今頃、自分を追いかけて走ってきているだろうが、汐音は廊下を走りながらいくつもの地雷型『風雷』を設置している。
 そのすべてをかわすことは不可能――二三彦は足止めを食っているはずだ。
 そしてその間に、汐音は屋上を縦横無尽に駆け回る。
 踏んだ場所踏んだ場所に、『風雷』を発動させながら。
 ――さすがに他の校舎に対してこの手は使えない。
 しかし、倒壊寸前の旧校舎くらいなら、これで。
「悪く思わないでよね浅木。キミが御陵センパイなんか庇うから悪いんだよ」
 汐音はそう言って、屋上から飛び降りた。
 その直後、旧校舎の屋上は数十発の突風によって床が剥がれ、柱が折れ、そのまま校舎全体が崩壊を始める。
 汐音はというと、崩壊が進行する前に三階のベランダ、二階のベランダと順々に着地しつつ、旧校舎の瓦礫に巻き込まれない程度に離れた位置へと離脱する。
 轟音を立てて崩れ落ち、ただの大小様々な木片の山と化した旧校舎を、汐音は口元に笑みを浮かべて見つめていた。
 本校舎が全焼したのは『楽園』攻略戦に参加していない汐音でも把握していたが、この旧校舎の崩壊も、恐らくは程なくして全生存者に知られることになるだろう。
 他の生徒が寄って来る前に、二人の手帳を回収して立ち去ろう。
 汐音はそう考え、瓦礫の山へと足を進めた。
 そして、二三彦たちが埋まっているとおぼしき場所にまで来た、そのとき。
 ――焼け付くような感覚が、自身の全身に走るのに気付いた。
「うああああああ!?」
 思わず悶絶し、半ば本能的に『風雷』を発動させてその場から離れる。
 巻き上げられた瓦礫や砂埃の向こうに、小さく盛り上がった紺色の山のようなものがあった。
 いや――違う。
 あれは、ブレザーだ。
 そしてそのブレザーの周囲には、不自然に瓦礫が少ない。
 代わりに、砂のようなものが多く拡がっている。
 それを見た汐音は、すぐに察した。
 二三彦が、『廃布』を使って旧校舎の崩壊をやり過ごしたのだ。
 そして、自分が感じたあの痛み、あれは――
「浅木……! 御陵センパイ……!」
 ブレザーの山が盛り上がる。
 ブレザーを毛布のようにして被っていた二三彦が立ち上がったからだ。
 そしてその下には、口で懐中電灯を咥えているミリアがいた。
 先ほどの焼け付くような痛みは、彼女の懐中電灯に照らされたからだ。
 幸い、両手首を負傷し、口で懐中電灯を構えた状態では、離脱した汐音に再度照準を合わせることはできなかったが――そう思ったとき。
 二三彦は、ミリアの口から懐中電灯を離させ、その左手にそっと添えるようにして持たせた。そして、ミリアのその腕を支えながら、こちらに照準を合わせる。
「!」
 そうなると、汐音の判断は早かった。
 勝ち目はある。
 機動力に勝る分、こちらが有利かもしれない。
 しかし、あの懐中電灯――ほんの少し当てられただけで、このダメージ。
 これ以上食らうと、命に影響が出かねない。
 今も、すぐに全身を冷水に漬けたいくらいにはダメージを負わされている。
 であるならば、ここで危険を冒してこの二人とやり合う必要は無い。
 汐音は、ミリアの懐中電灯から逃れ、すぐさまその場から離脱した。
 二人分の手帳に未練がなくはなかったが、南校舎で自分を追いかけていた男子生徒――恐らく生存者を消去法で考えて赤辻煉弥という生徒――や、若駒ツボミといった強敵も控えている以上、ここでリスクは取れない。
 汐音はそう判断した。



「ありがとう……助かった」
 汐音が遥か彼方に走り去ったのを見て、ミリアは、懐中電灯から手を離した。
 二三彦の支えがあったとはいえ、折れた手首で懐中電灯ほどの重さのものを持つのは難儀だった。
 これで自分は両方の手首を折られた状態になる。
 ちょっとした物を持ったりするくらいなら、痛みに耐えればできなくはないが、殺し合いの状況に対応できるほどの素早く正確な動きは難しいだろう。
 ブレザーを拾い上げて羽織り直しながら、二三彦は言う。
「俺はヒーローだからな。人助けは当然の行いさ」
「……それ、本気で言ってるの?」
「手厳しいなあ。実際助けたろ? ……ま、西寺の言ってた通りだよ。ただのロールプレイだ。この状況にかこつけて、ヒーローっぽいことができりゃそれでいいのさ、俺は」
 二三彦は、ズボンに付いた砂埃をはたきながら答えた。
 ……悪びれもなく、そんなことを言ってのける彼もまた、この生徒葬会でここまで生き残っているだけのことはある異常者なのだろう。
 しかし――彼がいなければ、自分は死んでいた。
 それもまた、疑いようのない事実。
「……あなたがヒーローなら、これからも私を守ってくれる?」
 ミリアは、二三彦の目をまっすぐに見つめて言った。
 ……両手首が折れた今の自分では、一人きりで生徒葬会を生き抜くことはできないだろう。
 この光景をもし汐音が見たら、それこそ『やっぱり男に色目を遣うしか能が無いんですね』とでも言ってきそうではあったが。
 自分は、ここで二三彦に取り入らなければ、恐らく生き残れない。
「守ってくれるなら……なんでもするから」
「なんでも?」
「なんでも」
 実際、なんだってするつもりだった。
 今までだってそうしてきたのだから。
 しかし、二三彦は不敵に鼻を鳴らすと、ブレザーをはためかせて言った。
「ヒーローにはヒロインが必要だ。えっと――名前は」
「……御陵、ミリア」
「それじゃあミリア。なんでもと言ったが俺はヒロインに多くは求めない。ただヒーローの傍らにいればそれでいい。そもそも、そんなケガをしてる女の子を放置していくなんて、それこそヒーロー失格だ」
「…………」
 ここまで筋金入りだとは。
 そう呆れながらも、彼の言葉自体には嘘が無いことも分かる。
 ヒーローで在りたい彼は、自分にヒロインであることを求めている。
 ……あるいはそれは、一瞬の現実逃避なのかもしれない。
 この極限状況で生きていく上で、自分はヒーローであるという自己暗示をかけることで、精神の均衡を保っているのかもしれない。
 だとしても、今の自分には心強い存在だった。
 一ノ井雫や西寺汐音と再び遭遇したとき、もう自力ではどうにもならないのだから。
 ただひとつ。
「……私、三年生なんだけど」
「気にするなよそんな細かいこと。やっぱりヒロインっていったら名前で呼び捨てが王道でいい」
「はあ……いいけど」
 別に部活に入っていたわけではないミリアなので、上下関係にそこまでうるさくするつもりはない。
 つもりはないが、あまりにも堂々とタメ口だとさすがに気になっただけだ。
「そうだ、俺のことはアーサーって呼んでくれ」
「は?」
「俺の苗字、浅木だから、アサギのアサでアーサー。英雄っぽいだろ?」
「……恥ずかしくないの? それ」
「こんな状況で恥ずかしいとか言ってもしょうがないだろ。いつ死ぬかもわからないんだ。自分のやりたいことに素直にならないとな」
 それが、ヒーローごっこか。
 助けてもらえたことに感謝しているとはいえ、一緒にいるととても疲れそうでもある。
 ミリアは溜息をついていた。
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