トップに戻る

<< 前 次 >>

第百三十三話 勃発

単ページ   最大化   

【11日目:朝 屋外西ブロック】

 四葉クロエは、先ほど後にしたばかりの西第一校舎を振り返っていた。
 そこにはまだ、暁陽日輝と安藤凜々花がいるはずで、自分にはそこに戻るという選択肢もある。
 ……その選択の甘美な誘惑を、クロエは振り払うように正面に向き直った。
 自分はあの二人を好ましく思っている。
 だけど一番は、まず自分が生き残ることだ。
 今の自分が今の二人と一緒にいても、互いの生存率を下げるだけだ。
「……何をやっているんだか、ですわ」
 思わず小声で呟く。
 自分もどこか意固地になっていた、と、今なら分かる。
 鎖羽香音に見抜かれた『切り札』が何なのかは予想が付いている――そしてそれを、凜々花たちに明かしてしまうことで信用を取り戻すというのも手ではあった。
 しかし、陽日輝たちが『三人目』に自分を選ばない可能性があることを懸念しているというのも、決して嘘ではない。
 あのどうしても甘さの捨てきれない男が、最終局面で弱者を選ばないというのは想像がしにくい。
 クロエは自分が強い人間であると自覚している。
 殺し合いが日常と化したこの極限状況でも、緊張感こそあれ恐怖に心身を苛まれてはいない。
 一族において自分は強く在ることを求められたし、それに応えてきた。
 半ば家出のような形でこの学校に入学するときまで、ずっとそうだった。
(嫌なことを思い出してしまいますわ)
 あるいは自分も弱さがあるように振る舞えば、陽日輝たちの同情を買えるだろうか。そんな浅はかなことまで考えてしまう。
 陽日輝たちと一旦離れるのが理に適っていると判断しながらも、心では彼らと共にいたいと思っている。
 あるいは――それこそ『弱さ』と呼べるのかもしれない。
 かつての自分にはなかったものだ。
 ――自分にもまた、頭を冷やす時間が必要かもしれない。
 そんなことを考えながら歩き始めたときだった。
「!」
 かなりの速度で近付く車輪の音に、クロエはすぐさまベルトにカラビナでぶら下げたペットボトルを外して宙に放った。
 左の小指をぺろりと舐め、唾液を『硬水化(ハードウォーター)』によって固めることで、手刀でペットボトルを叩き割るほどの威力を生み出す。
 叩き割ったペットボトルからこぼれだした水を、クロエは両手を振り回して水の刃に変え、車輪の音がした方向へと飛ばした。
 すぐに、自転車に乗ったオールバックの男子生徒が視界に入ってきた。
 彼の上半身に、四、五発は硬度を増した水の塊が当たったが、その瞬間、
水は一瞬で消滅してしまう。
「ちっ……! 厄介ですわね……!」
 そうこうしている間に、男は自転車に乗ったまま突っ込んできた。
 かなりの速度が出ている。
 ライトグリーンとオレンジのツートンカラーの、クロスバイクだ。
 ロードバイクほどではないにせよ、速度を出すために軽い素材で作られているはずだが、あれだけ速度が出ていればぶつかれば掠り傷では済まない。
 クロエは、今度は前輪およびチェーンといった車体部分を狙って水を飛ばした。
 しかし、その男子生徒はグリップを握る手に力を込めると、自転車ごと跳び上がってそれらの水をかわし、着地と同時にハンドルを切って再びクロエから離れて行った。
 ジャンプによって速度が落ちた分を、再び取り戻すための仕切り直しだ。
 自転車を自分の体の一部のように操っている――かなり乗り慣れている様子だった。
「どうやら自転車を狙われるのは都合が悪いようですわね!」
 自身への攻撃は避けもせず、実際命中しても無効だった。
 にも関わらず、自転車への攻撃は回避した上、一旦距離まで取っている。
 つまり――
「あなたの『能力』は自転車に乗っている間は無敵になる、といった類のものだと推察しますわ! 自転車さえ壊せばおしまいですわね!」
「やってみなよ。やれるなら」
 その男子生徒はそう言いながらも、クロエを中心として弧を描くように走りつつ、少しずつ加速をつけている。
 再びこちらに接近するタイミングを窺っているのだろう。
 ――彼の名前は、川北慧。
 クロエも、自転車に乗って生徒葬会を生き残っている男子生徒がいることは知っていた――南第三校舎で、生徒会長の水無瀬操から聞いていたからだ。
 クロエは、慧の動きを目で追いながら思案する。
 『死杭(デッドパイル)』は相手の両手両足しか狙えない以上、通用しない。
 となるとやはり、『大波強波(ビッグウェーブ)』で自転車の機動力を奪い、落車させるのが一番だ。
 とはいえ、『大波強波』は射程距離はそれなりだが横幅はそこまで広くない――学校の狭い廊下分程度。
 クロスバイクで高速移動を続ける慧に当てるには、工夫が必要だ。
 クロエは、その瞬間を見極めるべく神経を集中させていた。



 四葉クロエが川北慧と対峙していたのとほぼ同時刻。
 若駒ツボミの襲撃から辛くも逃れた日宮誠と相川千紗は、東ブロックに辿り着いていた。
 逃げるのに必死だったとはいえ、裏山とは逆の方向に来てしまった。
 今から裏山の小屋に戻ろうとしたら、またあの旧校舎跡地付近を通る必要がある。
 ツボミに再び遭遇するリスクを考えると、その勇気は出なかった。
「ごめん……ちょっと……きつい――」
 バスケットボール部所属の千紗よりも先に、誠のほうが限界を迎えた。
 東第三校舎の外階段裏で立ち止まり、膝に手をついて必死に酸素を取り込もうと荒く呼吸する。
 千紗は『暗中模索(サーチライト)』を使用し、半径五十メートル以内に他の生徒がいないことを確認し、安堵の息を漏らした。
 その後で、「大丈夫?」と誠の顔を覗き込む。
「あ、ああ……だいじょう、ぶ。なんとか――」
 喋った拍子に咳込みそうになりながらも、誠はどうにかそれから数十秒かけてある程度呼吸を整えた。
「座ろう。今のところ安全みたいだし」
 千紗にそう促され、誠は校舎の壁にもたれかかり、そのままずるずると背中を滑らすようにしてその場に座り込む。
 千紗はそれを確認してから、誠の右隣で体育座りをした。
「……立石も、鹿島さんも、殺された」
「……そうだね。あんなにあっさりと――信じられないくらいに、簡単に」
「花火ももうほとんど残ってないし――次にあの人に襲われたら、万事休すかもね」
「…………」
 そんなことはないよ、どうにかなるさ、なんとかしよう――
 そんな気休めの言葉を口にすることもできず、思わず押し黙ってしまう。
 あれが――陽日輝すら畏怖する若駒ツボミという女。
 こうしてどうにか振り切って逃げ延びられたことが奇跡のようなものだ。
「辻見さんたちは無事なのかしらね」
「……どうだろうね。僕たちより先に逃げたから、無事だとは思うけど。――手帳の数字も、『17』までしか減ってないし」
 正直、その二人のことを考える余裕なんてなかった。
 自分と、千紗の身の安全を確保することだけで一杯一杯だ。
 そしてその『だけ』がどれだけ困難なことか、改めて思い知らされる。
 それと同時に、考えてはいけないことを考えてしまうのだ。
 もし、『楽園』が崩壊せず、今も残っていたのなら。
 そこに千紗を無理やりにでも連れていき、たとえ一生この学園から出られなくても、平和な日々を過ごしたい――と。
「……ねえ、日宮。これから、どうしようか」
「……どうしようかって、どういう」
「私たちだけで生き抜くの、やっぱり、難しいんじゃないかって。そう思うのよ」
「相川――」
 思わず見つめた千紗の横顔には、疲れと恐れだけではなく、微かな諦念すらも浮かんでいた。
 それがあまりに辛そうで――しかし、その顔を綺麗だ、とも思ってしまう自分の不謹慎さに、嫌気が差した。
「……でも、だめよね。暁には凜々花ちゃんとクロエちゃんがいる。私たちが今さら顔を出しても、迷惑よね」
「……相川は。やっぱり、陽日輝に頼りたい?」
 言った後で、しまった、と気付く。
 しかしもう遅かった。
 千紗は一瞬、驚いたような顔をしてから、自嘲めいた笑みを浮かべて頷いた。
「……そうね。でも、私は私が好きな人より、私を好きな人を選んだの。守ってもらいたいから。生きて帰りたいから。――イヤな女よね、ごめんなさい」
「相川が僕に謝ることなんか、何ひとつないよ。僕は一度相川を見捨てて『楽園』に行ったんだ。謝らなきゃいけないのは、僕のほうだ」
「もういいのよ、そんなことは。――でも、ありがとう、日宮」
 ……それからしばらく、二人の間に沈黙が流れた。
 誠は、自分の軽率さと矮小さに嫌気を感じてしまっていた。
 千紗が陽日輝のことをずっと好きだったのは分かっていたことで、その上で自分の気持ちは変わらなかった。なのに、千紗の口から陽日輝の名前が出たことで、思わず探るようなことを聞いてしまった。
 誠は、沈みかけていた気持ちを奮い立たせるように首を振り、言った。
「――弱気になっちゃダメだ。それこそ陽日輝だって、今こうしている間も自分と、自分の大切な人のために必死に生きてるはずだから。僕たちも、アイツに恥じない振る舞いをしないと」
「……あは。そう、ね。そうよね――私を選ばなかった暁を、見返してやるって決めたんだもの。もっと前向きでいなきゃ、ダメよね」
 誠の言葉に、千紗は泣き笑いのような表情を浮かべる。
 ――その内で渦巻く感情は、自分には測り切れない。
 だけど、少しでも生きる気力を強く持ってくれるのなら、それでよかった。
 ……しかし、そのときだ。
 千紗の表情が凍り付いたのは。
「! ――誰か来るわ」
「……!」
 千紗の『暗中模索』が、半径五十メートル以内に侵入した生徒を捉えたのだろう。
 二人はそっと立ち上がった。
 千紗は改造エアガンを顔の横に掲げ、いつでも構えを取れる体勢を取る。
 誠も、外階段裏に立てかけられていた鉄パイプを掴んでいた。
「……正面少し左から、もうすぐ視界に入るわ」
 千紗の言葉に、身が引き締まる。
 緊張で喉がカラカラに渇き、鉄パイプを握る手にも力がこもった。
 ――果たして、近付いてきている生徒は誰なのか。
 相手がこちらに敵意を向けてくるなら、すぐさま動かなければ。
 そんなことを考えていたとき――視界に、一人の女子生徒が飛び込んできた。
 腰まで伸びた長く綺麗な黒髪が目立つ、銀色のメガネをかけた優等生然とした女子生徒。
 彼女は、知的で大人びた雰囲気を漂わせる、思わず見惚れてしまいそうなほどに美しい顔立ちをしていた。
 武器のようなものは持っていない。
 彼女は、ふらつきながらこちらに向かって走ってきていた。
「! あなたたち、助けて……!」
 彼女は、その顔を苦しげに歪めたかと思うと、その場に突っ伏すように倒れていた。
「!? 大丈夫ですか!?」
 誠は思わず彼女に駆け寄る。
「! 待って、日宮!」
 千紗が制止する声に、足を止め、振り返った。
「どうし――」
 そのときだ。
 手に持っていた鉄パイプが離れ、ひとりでに宙に浮いたのは。
「えっ――」
 何が起こったのかを理解するよりも早く、鉄パイプが意思を持ったかのように空を切り、誠の右側頭部を強打していた。
「あがっ……!?」
 頭蓋骨が割れたんじゃないかと思ってしまうほどの衝撃。
 目の前で火花が散ったような感覚とともに、誠は倒れ込んでいた。
 なんだ――鉄パイプが、襲ってきた――?
 痛みと動揺に混乱する誠の頭上から、冷たい声が降り注ぐ。
「古典的な手段だけど上手く行くものね。古典的ゆえに普遍的に有効な手ということかしら」
 それは――先ほど何かから逃げるように走ってきて、助けを求めてきた女子生徒の声だった。
 彼女の名前は月瀬愛巫子。
 校内一の美人と謳われる深窓の令嬢風の優等生にして、生徒葬会において一切の躊躇無く殺傷を重ねている生徒の一人。
 ――彼女の毒牙に、誠と千紗がかけられようとしていた。
160

紗灯れずく 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る