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第百三十五話 一族

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【11日目:朝 屋外西ブロック】

 四葉クロエは、欧州のとある国の、裕福な家系の生まれだった。
 政財界に多くの人材を輩出している、歴史と伝統を持つ名門の一家。
 そんな中で、自分は『バグ』あるいは『エラー』だったのだろうと、クロエは考える。
 実力至上主義の一族の中で、自分は明確な落ちこぼれだった。
 能力的に劣っていたというわけではない。
 物心付くか否かの頃から施された厳しい教育をこなしてはいた。
 しかし、感性が、価値観が、一族のそれと相容れなかった。
 帝王学もノブレス・オブリージュも糞食らえだ。
 時代錯誤の貴族的価値観には反吐が出る。
 両親や兄や姉を能力的には尊敬していても、人間的には受け入れ難かった。
 そしてクロエは、十五歳にして家を出た。
 家のことは兄や姉が好きにすればいい。
 両親や親類は、『一族の一員としての自覚を持て』『生まれの責任から逃げるな』等と自分を散々罵倒したが、知ったことではない。
 日本にある遠縁の四葉家に養子に入ることになり、今に至る。
 ……まさか、こんな悪趣味極まりないゲームに巻き込まれるとは思っていなかったが。
 暁陽日輝や安藤凜々花の絆に惹かれたのは、それが一族にはなかったものだからだろうか。
 しかし彼らと袖を分かつことになったのも、幼い頃から刻み込まれたあの忌まわしい教育の賜物だろう。一族を嫌悪しながらも、その小賢しさが自分の思考に色濃く影響を残していることは自覚している。
 それでも――私は、私自身の望む生き方を貫く。
 たとえどんな結果が、待ち受けているのだとしても。



 クロエは、コンクリートで舗装された地面を蹴り、駆けていた。
それに十メートルほどの距離を置いて並走しながら、川北慧が攻撃の機会を窺っている。
 何度か『硬水化(ハードウォーター)』によって固めた水の刃を飛ばしているが、慧はそのたびにハンドルを巧みに操り、自転車への直撃を避けていた。
 距離を詰めようとすると距離を取られ、距離を開けようとすると距離を詰められる。遠すぎず近すぎずの間隔を保ったまま、慧はこちらが疲弊するのを待っているように思えた。
 実際、徒歩で走っている自分と、自転車に乗っている慧とでは、体力が消耗するペースが違う。
 ……だけど、それでいい。
 ある程度は実際に疲れていないと、欺くことができないからだ。
「はあ――はあ――はあっ……!」
 クロエは、息を切らし、汗だくになった額を手の甲で拭った。
 少しずつ、足がもつれかけるような素振りを見せる。
 わざとらしくない程度に、さり気なく――だ。
 ――クロエは、走り続けて次第に疲労困憊していくように装っていた。
 実際には、まだ余裕がある。
 自転車の機動力というアドバンテージを持つ慧相手に、本当に余裕が無い状態にまで追い込まれるのは危険だ。
 限界を迎えたように思わせて、距離を詰めてきたところに――『大波強波(ビッグウェーブ)』を命中させる。
 クロエは、西ブロックの端、運動場にまで差し掛かっていた。
 そして、そこで足をもつれさせ、転倒する。
 もちろん、敢えて転んだだけだ。
 慌てて立ち上がろうとする演技も忘れない。
 案の定、慧はこれまで保ってきた間合いを一気に詰めてきた。
 ――今だ!
 クロエは振り返りざま右手を突き出し、『大波強波』を発動させた。
「!?」
 突如として出現した大量の水に、慧が身じろぎする。
 しかしもう遅い。
 彼は自転車ごと、激しい水流に飲み込まれ、落車していた。
「これで終わりですわ!」
 クロエは、『大波強波』の水面を、空いた左手で何度も切るようにした。
 それにより、慧めがけて流れていく水流の中に、いくつかの『水の刃』が混ざることになる。
 慧はなすすべなく切り裂かれる――はずだった。
「そんな能力を隠し持ってたなんてね!」
 水音に負けじと叫ぶ慧は、いつの間にか自転車に乗っていた。
 ――だが、彼の自転車は水流によって遥か向こうに流されていったはずだ。
 しかし、すぐに気付く。
 流された自転車とは別に――もう一つの自転車が出現している!
「『贋物顕現(レプリカント)』――俺のもう一つの能力だよ」
 レプリカを作り出す能力、といったところか。
 自転車が生命線である慧からすれば、心強い能力だろう。
 慧はペダルを踏み出し、敢えて水流に乗って走り出した。
 そして水流の勢いを利用して加速すると、ハンドルを横に切って水流の範囲外に逃れる。
 クロエはそれを見て、駆け出していた。
 慧のほうではなく、彼とは別の方向に。
「逃げられると思ってるのかな!」
 慧が自転車を漕ぎ、ホイールが回る音が聞こえる。
 クロエは、辿り着いたその場所の、石造りの数段しかない階段を駆け上がった。
 目の前にある扉は、水泳の授業の無い季節なので施錠されている。
 クロエは右側にあるフェンスに足をかけ、飛び越えた。
 ――そこは、プールだった。
 プールサイドに降り立ったクロエは、プールにたっぷりと水が張ってあることを確認する。
 もちろん、今は秋なので、本来ならプールに水が張られていることはありえない。
 いざというときのために、クロエが生徒葬会始まって間もない頃に水を張っておいたのだ。
「……!」
 慧は、フェンスの向こうでブレーキをかけ、悔しげな表情を浮かべる。
 フェンスで囲まれたプールに進入するためには、自転車を一旦降りなければならない。
 そしてそれは大きな隙だ――こうして、大量の水がある場所にクロエが待ち構えている以上は。
「さあ、どうするつもりですの? あなたにこのフェンスを無事に乗り越えることはできますの?」
「くっ……」
 慧は、憎々しげにフェンス越しに睨み付けてくる。
 しかし、どうすることもできない。
 プールサイドに進入するためには、周囲を取り囲むフェンスを乗り越えるか、更衣室を経由するしかないが、更衣室の扉は施錠されていることを、クロエは以前訪れた際に確認している。
 慧だけがフェンスを乗り越えることはできるだろう。
 よほど小柄か運動神経が悪いかでもなければ、よじ登れない高さではない。
 しかしその間、胴体を無防備にこちらに晒すことになる。
「……だけど、そっちだって俺を殺せないだろ。俺がここに居座り続ければ、そっちもそこから身動きができない」
「そのくらい承知の上ですわ。幸い、水ならたっぷりありますもの。――それに、いつまでもこんな見通しのいいところにいたら、他の生徒に見つかりますわよ?」
「――――っ」
 慧は言われてハッとしたようで、周囲を見回した。
 とはいえ、今のところは他の生徒の姿は無い。
 しかし、これからもそうだとは限らない。
 そのことが、慧にも分かったらしい。
「……引き下がるしかないってことか?」
「それが賢明な判断ですわね」
 クロエの言葉に、慧は決断したようだった。
 方向転換し、自転車を漕ぎだす。
 その間も、しきりに振り返ってこちらが追撃しないかを警戒していた。
 ――そして、慧の背中はすぐに遠ざかり、見えなくなった――わけでは、なかった。
「うおおおおおおお!」
 慧が雄叫びを上げながら、全力でペダルを漕いでいる。
 こちらに向かって最高速度で接近し、そのまま跳び上がった。
 さらに慧は、空中で自転車から飛び降りる。
 だが、それはほんの一瞬のこと。
 すぐさま、先ほど見せた能力によって、新たに自転車を出現させる。
 空中で新たな自転車に騎乗することで、無防備な状態をほんの一瞬に留めた上で、フェンスを突破したのだった。
「死ねぇぇぇぇぇ!」
 そのまま、クロエを踏み潰さんと自転車ごと降下してくる。
 たとえ自転車を破壊して慧の無敵を解除したところで、降下してくる自転車に圧し潰されることによる大ダメージは避けられないだろう。
 クロエは横にかわそうとし――だが、慧はニヤリと笑って空中でハンドルを切り、落下コースを修正する。
 ――やはりダメか。
 もう考える時間は無い。
 クロエは後ろに跳んでいた。
 ――水のたっぷり張られた、プールに。
「!?」
 慧が目を見開くのが見えたが、すぐに背中に衝撃が走り、クロエの身体は冷たい水の重みによって包み込まれる。
 耳に水が入り、ブオン、と聴覚が鈍くなったような感覚が走る。
 水面の向こう、慧がプールサイドギリギリでブレーキをかけたのが見えた。
 ブレザーやスカートが膨らんで、水中でゆらゆらとたゆたう。
 着衣のまま泳ぐのは極めて難しいとされるが、それはこのように衣服が邪魔をするからだ。
 クロエはそのまま水底に足をつく。
 ――『硬水化(ハードウォーター)』の威力は、触れた水の量に比例する。
 水滴程度だと大した威力は出ず、ペットボトルから出した水ならそこそこの切れ味を持つ水の刃を生み出させる。
 なら――プールに全身浸かった状態で、プールの水を利用したら?
 クロエは、プールの水を底からすべて掬い上げるくらいの気持ちで、アンダースローの要領で水面めがけて腕を振り上げた。
 そうすることで、普段とは比べ物にならない質量の水が、『硬水化』の影響下に置かれた上でプールサイドめがけて放たれる。
 ――それはもはや、水の刃というより水の砲弾だった。
 プールサイドの排水用の溝を抉って破壊し、そのまま慧が乗っている自転車の後輪を真っ二つに破壊する。
 それによって慧がバランスを崩し、尻がサドルから離れたところに、クロエが返す手で放った二発目の水の砲弾が飛来する。
「ぐはぁ!?」
 胸部に水の砲弾を食らった慧は、口から血の混じった唾液を吐き散らしながら、プールへと落下した。
 クロエは、すかさず底面を蹴って浮上し、左手を手刀の形にして、すれ違いざまに慧の首筋を切りつけた。
 それにより、硬化した水で首を切り裂かれる――というより、もはや圧し潰されるようになって、慧の首は半分ほど切断された状態になる。
 吐き出されたタコ墨のように鮮血が水中に広がるのを尻目に、クロエは彼の胸ポケットに手を入れ、手帳を引き抜くと、そのまま水面から顔を出した。
「ぷはっ」
 新鮮な空気をたっぷり吸い込みながら、クロエはプールサイドによじ登った。
 水をたっぷりと吸った制服は肌にへばりつき、ずっしりと重い。
 それはさておき、手帳だ。
 そこに書かれていた能力は二つ。
 『贋物顕現』のほうはすでに本人の口から聞かされていたが、もう片方は『騎乗の空論(エアーロジック)』というらしい。
 推測通り、自転車に乗っている間だけありとあらゆるダメージを受けない、という能力だ。
 それにしても、この手帳も『議長』によって同じような加護を受けているのだろうが、あれだけたっぷりと水に浸かってもまったく濡れていない。
 クロエは慧の手帳の表紙と能力説明ページ、そしてそこに挟まれていた何枚かの表紙と能力説明ページだけを回収し、残りはプールに捨てた。
 ……クロエは、慧が大人しく逃げるならそれはそれでいいとも思っていたが、今の展開のほうが本命だった。
 彼の自転車の腕前、そしてここまでの戦いで見せていた運動神経なら、フェンスを飛び越えて来る可能性はあると見ていた。
 実際、頭上からの襲撃なら『大波強波』では迎撃できず、自転車を破壊したところで慧に致命傷を与える前に踏み潰されてしまっていたはずだ。
 ただ――慧は、こちらが水中に逃げることまでは想像できていなかった。
 わざわざ動きが制限される水中に飛び込むという発想がなかったのだろう。
 こちらの能力についてもう少し考えていれば、無謀な攻勢に出ることもなかっただろうに。
 クロエは改めて手帳を見て、そこに表示されている数字が『15』になっているのを確認した。慧以外にも、どこかで誰かが死んだらしい。
 それにしても、殺人が当たり前になっている現状はあまり良い気分ではない。
 生徒葬会を生き抜くためにはやむを得ないこととはいえ、だ。
 自分のために他人を躊躇無く利用し、排除する。
 それは、憎き一族の者たちが遥か昔からやって来たことなのだから。
 自分もまた、その血からは逃れられないということか。
 クロエはそんなことを考えながら歩きだそうとして――更衣室の影に誰かが潜んでいるのを、気配と微かな物音で察知していた。
「そこに誰かいますの!?」
 その言葉に、気配が動揺したのがわかる。
 しばしの逡巡の後、物陰から姿を現したのは、二人の男女だった。
 濃い焦げ茶色に染めた髪の女子生徒と、短髪の男子生徒。
 そのどちらも、同学年の生徒だった。
「……香凛、それに瓦木ですわね。私に不意打ちでも仕掛けるつもりでしたの?」
 花桃香凛と瓦木始。
 自分と同じ一年生だ。
 生徒葬会前は特別親しい二人というわけではなかったが、なりゆきで行動を共にしているのだろう。
 香凛と始はほぼ同時に首を横に振っていた。
「なワケ――俺たち、そんなに積極的に誰か殺そうとか考えてないんだよ。むしろ四葉のほうこそ、俺たちを殺す気じゃないだろうな?」
 焦りぎみに言う始とは対照的に、香凛のほうは落ち着いていた。
「始君、余計なこと言わない。――ゴメンねクロエさん。私たちは物音がして様子を見に来ただけだから、何があったかよく知らないんだ。ここに来たときには、クロエさんがびしょ濡れで立っていて、水の中には死体がひとつ」
 そう言って、香凛はフェンス越しにこちらを指差す。
 正確には、さらに先――水面のほうを。
「クロエさんが殺したって理解でいいの?」
「それで合ってますわ。殺されそうになったんですの」
「……信じるよ。というより、信じるしかないしね。クロエさんが『やる気』で、私たちの隙を突いて殺そうとしているかも――っていうのは、一応警戒しとくけど、勘弁してね」
「構いませんわ。私も、あなたたちに対して同じ懸念をしておりますもの」
 生徒葬会も残り15人という、終盤といっていい局面を迎えている。
 たとえ積極的に他の生徒を殺してこなかった者でも、生還の可能性が頭をよぎり、動き出してもおかしくない状況なのだ。
 ましてや香凛と始は二人組――共に生き残るためには、生還者が二人出る前に生還条件を満たす必要がある。
 クロエと香凛は、互いに探るような眼差しをフェンス越しに向けていた。
「と、とにかくさ。こんなところで立ち話もなんだし、安全な場所に移動しようぜ。他の奴らに見つかるかもしれないし」
 その空気に耐えかねてか、始が努めて明るい声音でそう言った。
 しかし実際、彼の言うことは間違っていない。
 ここは開けているので、他の生徒に見つかる可能性も高い――実際、自分はこうして香凛と始に見つかっている。
 クロエは頷き、答えた。
「そうですわね。話はここを離れてからにいたしますわ。――それでいいですわね、香凛」
「――そうだね。そうしよう、クロエさん」
 香凛と始については、まだ分からないことばかりだ。
この生徒葬会をどう生き抜いてきたのかも、『能力』についても。
 ひとまずそれを探った上で――今後のことは考えよう。
 クロエはそう判断し、二人と行動を共にすることに決めた。
 陽日輝と凜々花のもとに戻るという選択をひとまず放棄した形だが、今はそれでいい。二人のためにも、そして自分のためにも、香凛・始ペアを監視しつつ利用する形を取るほうが理に適っている。
 同級生相手にそんな小賢しい打算をしなければならないことに嫌気が差しながらも、クロエはそんな内心はおくびにも出さず、続けて言った。
「二人とも、よろしくお願いいたしますわ」
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紗灯れずく 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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