【11日目:朝 屋外東ブロック】
月瀬愛巫子は『身代本(スケープブック)』の能力により、即死さえ免れれば瞬時に全回復ができる。ストックは生徒葬会が始まってから読破した本の冊数分。序盤にかなり溜め込んだとはいえ、立花百花に相当数を削られているほか、楪萌や若駒ツボミと遭遇した際にも使わざるを得なかった。
隙を見て本を探しては、速読してストックを増やしてはいるのだが、百花のように凄まじい手数でこちらを一方的に削ることのできる相手と出会ってしまうと分が悪い。愛巫子は自身が運動能力の面では優れていないことを自覚していた。
敵を知り己を知れば、百戦危うからず。
愛巫子は自身に出来ること、出来ないことをハッキリと認識していた。
だから、百花と共に『楽園』の非戦闘員を殲滅した際に集めた手帳から、安易に第二の能力を決めはしなかった。
むしろ百花に『不自然治癒(ネオヒーリング)』を与えて延命した上で、美祢明が使っていた『不可視力(リモートワーク)』も与えることで彼女を強化したのだが、その百花も若駒ツボミに敗れて死んだ。
愛巫子は普段から百花のことを、ブラコンの空手バカと内心見下してはいたし、性格も考え方もまったく合わない相手ではあったが――それでも、百花が非凡な強さを持っていることは認めていた。
百花がツボミに負けるはずがない。
だが――それは、『まともにやり合えば』の話。
生徒葬会にはありとあらゆる『能力』が跋扈しており、思いがけないシナジーを生むケースもある。
百花の敗死は、愛巫子に改めて生徒葬会の本質を考えさせた。
生徒葬会における勝者とは、『能力』を使いこなす者。
自身に合った能力を見つけ、選び、使用する。
簡単なようで、それはとても難しいことだ。
能力との出会いには運も絡む。
手帳を手に入れるには基本的には他人を殺す必要もある。
そして新たな能力を手に入れるために五枚の能力説明ページを使用するとき、選ばなかった四つの能力は、後から欲しいと願っても叶わない。
――愛巫子は、百花から受け取っていた手帳を使用し、『絶対必中(クリティカル)』を手に入れることはしなかった。
自身に足りない戦闘力を補える能力だが、アレは百花が使うからこそ真価を発揮していたからだ。
百花の鋭い身のこなしと鍛えられた肉体があったからこその強さであり、非力な自分が使ったところで、多少食らいながらでも前進して間合いを潰すという方法で破られかねない。
代わりに百花が選んだのは、『不可視力』のほうだ。
自分の肉体が強くないのなら、元から強いモノを利用すればいい。
早宮瞬太郎や立花百花という武器を使ったように。
念動力でモノを浮遊させたり動かしたりできる能力で、自分の非力さは補う。
真に優れた者とは、万能の者のことではない。
ありとあらゆる手段を用いて万の状況に対応できる者のことだ。
目の前で右側頭部を押さえて倒れ伏している男子生徒を見下ろしながら、愛巫子はそう考える。
「日宮! ――くっ!」
彼に駆け寄りかけた茶髪の女子生徒のほうは、踏み止まってこちらに銃を向けた。
それがニセモノの玩具であることは見れば分かる。
当然本物の銃を見たことなどなかったが、造りや材質で判断はできた。
いわゆるエアガンというものだろう。
小中学生の頃、夢中になっている男子がクラスに何人かいた。
愛巫子に言わせれば幼稚極まりない趣味だったが。
「私の能力を見たにも関わらず、道具に頼るのは利口ではないわね」
愛巫子のその言葉に女子生徒は目を見開いたが、もう遅い。
愛巫子は『不可視力』によってエアガンを百八十度回転させた。
そして、その引き金を念動力によって引く。
放たれた弾は女子生徒の左眉のあたりに命中した。
短い悲鳴と苦悶の表情。
その間に、愛巫子は連続して引き金を引いた。
攻撃を単発で終わらせるのは相応の理由が無い限り避けるべきだ。
手数は相手から思考の余地を奪い、心理的動揺も誘える。
『流れ』というものは存在するのだ。
それは決して非科学的なオカルトではない。
時に偶然、時に故意に作り出された状況による優位劣位。
実際、この場を支配しているのは、間違いなく愛巫子だった。
エアガンから放たれた弾は、女子生徒の額や頬や鼻に命中していったが、その内の一発が右目に命中した。
「うっ……!」
もう片方の目にも当てたかったが、残念ながらそこで弾切れとなった。
なので愛巫子は、先ほど日宮と呼ばれていた男子生徒を殴打した鉄パイプに念動力の対象を変更する。
そして、右目を押さえて背中を丸めた女子生徒の脳天に振り下ろそうとして――そのとき、日宮が咆哮を上げながら突進してきた。
「やめろおおおおおおお!!」
「うるさいわね……」
愛巫子は鉄パイプを引き戻した。
その勢いで再び日宮の頭部にぶつけようとしたが、彼は右手で鉄パイプをがっしりと掴み、その一撃を防いでいた。
さらに、左手をこちらに突き出してくる。
何をする気かと身構えたその直後、激しい閃光が愛巫子の視界を覆った。
「ちっ……!」
眼球の裏まで白く塗り潰されたかのような閃光。
その間に、風を切る音がしたかと思うと、愛巫子は左側頭部に激痛を感じた。
日宮が奪った鉄パイプで殴りかかってきたのだろう。
それは、頭蓋骨が割れて脳を損傷するほどの威力だった。
彼からすれば、不意の目くらましに成功した直後の千載一遇のチャンスなのだ。
すべてをかけて、全身全霊でスイングしたのだろう。
だが――全力を出した直後というのは、相応に隙が生じるものだ。
格闘技の心得の無い愛巫子だが、人体構造的に、運動力学的に考えれば当然のこと。
もちろん――相手を確実に仕留められるのであれば、それは問題ではない。
実際、日宮もそう考えての――そこまで考える余裕はなく、ただなりふり構わずだった可能性もあるが――ことだろう。
だが、彼は『身代本』のことをまだ知らない。
この生徒葬会においては、個人の持つ能力以上に、あの忌々しい『議長』から与えられた『能力』の特性が状況を大きく左右する。
愛巫子は殴られた直後には、そのダメージを本に転嫁していた。
そして、勢い余ってこちらに倒れ加減になった日宮の無防備な首元に、ナイフを突き立てる。
「~~!」
閃光が晴れ、彼の驚愕に見開かれた顔がハッキリと見えた。
ナイフを引き抜くと、傷口から大量の血が噴き出す。
その一部が制服にかかるのを、愛巫子は心底不快に感じた。
こちらに倒れて来る日宮をひらりとかわす。
日宮はうつ伏せに倒れ――それを見た女子生徒が、絶叫した。
「日宮ぁぁぁぁ!!」
「随分と仲が良かったのね。心配しなくてもあなたも死ぬわ。すぐにね」
愛巫子は、日宮を刺したナイフを女子生徒めがけて投げ付ける。
女子生徒は反射的に左腕を出して防ごうとしたが、愛巫子はそれを読んでいた。
すぐに『不可視力』を発動し、ナイフの柄を空中で掴んですぐに投げた。
それによって、女子生徒にはナイフが突然軌道を変えたように見えただろう。
「!?」
それも一メートルにも満たない至近距離での出来事だ。
さらに愛巫子は、エアガンの弾を食らって死角になっている右側を狙った。
ナイフは女子生徒の左腕の上を通り、彼女の首の右側を切り裂いた。
血が噴き出すが、量が少ない。
どうやら少し浅かったようだ。
しかしそれは、さしたる問題ではない。
愛巫子は、ポケットからまた別のナイフを取り出していた。
柄を捨て、刀身を剥き出しにする。
女子生徒の無事な左目が、ハッと見開かれた。
「これで終わりよ。良かったわね、すぐに彼の後を追えて」
愛巫子は愉悦から薄く微笑み、ナイフを投げようとして――そのとき、視界が再び真っ白な光に包まれたのを感じた。
□
日宮誠にとって、相川千紗は友人であり、片想いの相手だ。
そして、生徒葬会において一度は袂を分かってしまった相手でもある。
だから、千紗が暁陽日輝ではなく自分と一緒に行動してくれると聞いたとき、不謹慎ながら、とても嬉しく感じたものだ。
今度こそ、千紗のために戦おう。そう誓った。
しかし――分かっていた。
自分では、陽日輝のようにはできないと。
与えられた『能力』がどうとかいう以前の問題だ。
自分は陽日輝のように強くない。心も体も。
それでも、自分を選んでくれた千紗のために彼女を守り抜く。
たとえ千紗が今でも陽日輝を想っていても、そんなことは些事だ。
その思いで、若駒ツボミからもどうにか逃げ切ったが――首にナイフを突き刺されたことによる痛みが、そして出血と共に急速に薄れゆく意識が、自身の命の終わりが近付いていることを物語っている。
それでも――このままでは、千紗が殺されてしまう。
だから誠は、立ち上がれた。
『閃制光撃(フラッシュアウト)』によって自分に致命傷を負わせた女子生徒の視界を奪い、その間に突き飛ばす。
そして、千紗をまっすぐに見た。
右目から血を流しながら、もう片方の目に涙を浮かべている彼女を。
――泣いているのは絶望からだろうか。
それとも、自分を想って泣いてくれているのだろうか。
そんなことを考えてしまう自分の浅ましさに、誠は内心苦笑した。
――こんな状況にも関わらず、まったく、僕ってやつは。
そして、あらん限りの声で叫んだ。
首を刺されているものの、どうにか声帯は無事だったようだ。
「早く逃げろ! 相川ぁッ!」
「~~!」
声にならず、口をぱくぱくとさせている千紗を見て、誠は一瞬だけ迷った。
迷ったが――意を決して、続けて叫んだ。
「陽日輝のところに行け! 早く!」
「……!」
誠は、先ほど突き飛ばした女子生徒が起き上がるのを視界の端に捉えた。
――千紗は、唇を震わせながら、ただ頷いた。
彼女の左目からは涙が、右目からは血が、粒となったこぼれ落ちる。
そして、踵を返して駆け出した。
遠ざかっている背中を呼び止めたい衝動は、ほんの一瞬。
それは、この期に及んで克服し切れない自分の弱さだ。
――千紗を守れる強さを持っていながら、千紗を選ばなかった陽日輝への憤りが無いわけじゃない。
だけど、自分も死に、独りきりになった千紗を、陽日輝は悪いようにはしないはずだ。
「泣かせるわね。あの子のこと、好きなんでしょう」
起き上がった女子生徒が、冷淡な声音でそう言ってきた。
それでも誠は、彼女に視線を向けはしない。
遠ざかる千紗の背中を、いつまでも見つめ続けていた。
「ああ、好きだよ」
それは彼女に答えるというより、自分自身と対話するかのようだった。
「哀れね。あの子はあなたをそこまで好きなわけではないでしょうに。あっさりとあなたを置いて逃げたのが何よりの証左よ」
「……いいんだよ、それで。僕と一緒にいてくれた――それだけで、いいんだ」
「あらそう。そう思い込みたいなら好きにすればいいわ。どうせあなたは死ぬのだから」
――その言葉が終わるか終わらないかのうちに、誠は再び倒れ伏していた。
千紗の足音も、すでに聞こえない。
それだけ遠くに逃げたのか、それとも自分の死が間近だからか。
……思い込みたいだけ、か。
そうかもしれない。
千紗に愛されたかったという気持ちは、確かにあるのだから。
だけど。
千紗が逃げることを選ばず、この場に留まり、自分と共に死んだのなら。
自分のために残ってくれたことを、嬉しく思う自分はいただろう。
だけどそれ以上に――死の間際に、苦い思いを噛み締めることになったはずだ。
それこそ、『そう思い込みたい』のかもしれないが。
……どちらでもいいさ。
僕は相川を逃がすことができた。
それだけは、事実なのだから。
――そう思ったとき、誠は、自然と口元に笑みを浮かべていた。
そしてそれが、彼の最期の意識となった。