【11日目:朝 裏山】
三嶋ハナは、西寺汐音に向かって駆け出していた。
右手の指が何本か折れ、鼻血も止まらない。
身体能力の差、そして『能力』の相性の悪さ。
このまま戦い続けても、自分が生き延びられる可能性は低いと言わざるを得ない。
だから――ハナは、一か八かの賭けに出た。
汐音めがけて左手を突き出す。
汐音は、それを迎え撃つべく蹴りを放った。
だが――汐音の蹴りは、『壁』を押し返すことはなかった。
当然だ。
そもそも、『壁』自体がなかったのだから。
「!?」
「うぐっ――!」
『壁』を押し返すつもりで放たれた汐音の蹴りは、ハナの胸に命中した。
それだけで、骨と肉が軋むような衝撃を受け、ハナは吹っ飛ばされそうになる。
ハナは、そこでようやく『壁』を出現させ、汐音の脚に叩き付けた。
『壁』は土と落ち葉を巻き上げながら滑り、体勢を崩した汐音を押し流していく。
『暴御壁(ファイアウォール)』を出すと見せかけて出さず、汐音の攻撃を空振りさせたことで不意を突くことに成功したが、それだけでは決定打にならない。
だが、ここで追撃を仕掛けたところで、実力差を覆すことはできないだろう。
ハナの目的は、ここで汐音を殺すことではない。
なんとしてでも生き延びることだ。
ハナは、斜面をチラリと見てから『壁』を出現させ、掌で押すと共にその『壁』にしがみつくようにした。
そうすることで、勢い良く斜面を滑り落ちていく『壁』と共に、裏山の傾斜を直滑降していく形となる。
汐音がこちらを呼ぶ怒声が聞こえたが、追っては来なかった。
山道、それも下りともなると、いかに運動神経に優れた者であろうとおいそれと全力では移動できない。平地とはまるでコツが違うからだ。
時折岩や窪みによって『壁』は揺れ跳ねたが、必死にしがみつき続ける。
やがて、裏山の麓まで来たところで、ハナは『壁』を解除し、今度は自らの足で駆け出した。
――そのときになって、辻見一花の遺体を残してきたことを心残りに思った。
一花は今も、山の途中に野晒しのまま。
この生徒葬会で尊厳を踏み躙られ続けた彼女を、せめて死後くらいは手厚く扱って、ちゃんと弔ってあげたかった。
そうすることで、自分自身も救われるような気がした。
しかし、今から裏山に戻ることは自殺行為だ。
「ごめんなさい――……!」
あれだけ死を望んでいた自分が、今、みっともなく生にしがみついている。
ハナは、走りながら考えた。
自分がこの生徒葬会から生きて帰ることのできる三人の内の一人になるための方法を。
□
生徒葬会が終盤を迎えている今、序盤と比較して良くなった点は、他人と遭遇する可能性が激減しているということだ。
最初に講堂で『議長』に殺された生徒を除いた三百人の生徒が参加していた生徒葬会も、十一日目を迎えた今日、生存者は僅か十四人となっている。
そのため、ありとあらゆる場所で人の気配を感じ、どこからともなく悲鳴や怒号が聞こえていたときに比べれば、ゆっくり過ごせる時間も増えている。
もっとも、そんな状況下においても、信頼できる親友二人と共に過ごせていた御陵ミリアにとっては、二人を喪った今が平穏とは言い難かったが。
もちろん、成り行き上行動を共にしている浅木二三彦が、正義のヒーローを気取って自分をアーサーと呼ぶよう請うてきているような変人なのも理由の一つだ。
一ノ井雫に右手首を、西寺汐音に左手首を折られた今、背に腹は代えられないとはいえ、だ。
「ねえ浅……アーサー。これから先、どういう戦略で生き残るつもりなの?」
南ブロックを歩きながら、ミリアは二三彦にそう訊ねた。
ヒーローに憧れる酔狂な男子で、二年生。
ブレザーに生物以外を腐食させる効果を付与した能力『廃布(ロストローブ)』を持つ。
そのくらいしか、ミリアは二三彦のことを知らなかった。
元々親友二人以外とは、売春による割り切った肉体関係を除けばほとんど付き合いのなかったミリアなので、下級生のことなど分からないし、興味もない。
ただ、両手首を負傷した今の自分にとっては、頼らざるを得ない相手だ。
そのため、二三彦のことをよく知る必要があった。
「戦略か。正直、悪い奴を成敗して善い奴を助けるくらいしか考えてなかったな。こんな状況でも、善人を殺すのは気が引ける」
「今まではそれでよかったかもしれないけど、今のあなたは私と一緒なんだから、私の分の手帳も揃えられるように動いてほしい」
「そういう率直な物言いは嫌いじゃないぜ。昨今のヒーローものはやたら複雑なのがよくない。ストーリーもセリフも分かりやすいのが一番だ」
「そういうあなたのその返しは率直じゃないよ……私はあなたが、『ヒロイン』である私も生きて帰れるような戦略の下に動いてくれることを期待してるんだけど」
二三彦のことをよく知らないとはいったが、行動を共にし始めて分かってきたことはある。
二三彦は、この生徒葬会という状況を自身の願望の実現のために利用しているのだ。
たまたまその願望が幼稚なヒロイズムだったおかげでこうして助けられたが、精神構造的にはネジが飛んでいる異常者側だ。
生徒葬会によって常軌を逸したのか、元々なのかは分からないが。
そのあたりの価値観の違いは、一応気に留めておいたほうがいいだろう。
『楽園』の件で短時間だけ共闘した暁陽日輝とは、出力が同じでも動力が違う。
か弱い女子を守るというその行為が、純粋にその子のためであるかの違い。
それは、今後自分たちが追い詰められた際、悪い形で露呈するかもしれない。
ミリアは嶋田来海と久遠吐和子以外の人間を基本的に信用していない。
二三彦が自身を切り捨てようとする可能性も、念頭に置いている。
そんなミリアの懸念を知ってか知らずか、二三彦はニヤリと笑った。
「心配するな、ミリア。俺たちのように二人、もしくは三人で行動している生徒も他にいると俺は見ている。簡単に生存者の枠二つが潰れることはないはずだ。それに」
二三彦は、そこで一旦言葉を区切ってから、言った。
「いざとなれば俺が犠牲になればいい。ヒロインを救うために最終回で犠牲になるのも、ヒーローの定番だからな」
「――。簡単に『犠牲になる』とか言う人、信じられないよ。さっき会ったばかりの私のために、命を軽々しく捨てられるなんて、到底思えない」
「だろうな。無理もないさ。俺だって普段ならそこまではできないと思う。けどさ――ありえない能力を与えられて、戦わされる。そんな、子供の頃から妄想してきたようなシチュエーションに直面したんだ。だったら、ヒーローになるしかないじゃないか」
「…………」
二三彦の言葉に、ミリアは絶句していた。
二三彦が、この状況をある程度楽しんでいるのは見ていれば分かる。
だが、ロールプレイを貫いて死ねるとまで言い切るのは、常軌を逸している。
――とはいえ、ミリアも二三彦が本気で自分のために死ねるとは思っていない。
必要とあれば自分のために死ぬ『つもり』ではあるのかもしれない。
しかし、いざ死と直面したとき、彼も生に縋りつくはずだ。
だから彼を全面的に頼りにするわけにはいかない。
どうにかして、生存者の枠が残り一つになる前に手帳の表紙を二百枚集めるのがベスト。
そのためには、彼には積極的に動いてもらう必要があった。
「……少なくとも西寺さんは、あなたの言う『悪』になる?」
逆恨みで殺されかけた相手とはいえ、こういう形で槍玉に挙げるのはなんだか気が引けたが、ミリアは汐音の名前を挙げた。
「そうだな。アイツは他の生徒を殺すことを躊躇していないようだし、ミリアを傷物にしたからな」
「言い方……」
二三彦はロールプレイをしているからか言葉のチョイスが独特だ。
……まあ、傷物といえば傷物か。
不特定多数と肉体関係を持ってきたのは事実だし。
――ミリアはそこでふと、二三彦に訊ねてみた。
「……アーサー、あなたは私のことを知ってた?」
「? いや? もしかして、俺とミリアは以前に会ったことがあるのか? だとしたら運命を感じるな。ヒーローとヒロインに相応しい」
「いやさっきが初対面だけど。ちょっと聞いてみただけ」
「……そうか。それは残念だ。とはいえまったくの初対面の相手を助けて守り続けるっていうのもヒーローらしい献身だしな。それもそれで良しだ」
勝手に納得してしきりに頷いている二三彦を尻目に、ミリアは確信した。
彼は自分の噂――悪評を知らないのだ。
知っていたら、こんな風にヒロインだのと祭り上げたりしないだろう。
ヒーロー物には詳しくないが、そういうモノのヒロインってやつが清純なのはなんとなく分かる。
そんなことより――これからのことだ。
自分は両手首を骨折していて満足に戦えない。
二三彦の『廃布』は悪い能力ではないが、人体には影響しないため決定力不足は否めない。
今の状態で暁陽日輝や一ノ井雫といった相手と殺し合いになった場合、勝算が薄いのは否めなかった。
来海の仇である月瀬愛巫子にも、有利は取れないだろう。
西寺汐音と再戦になったとしても同様だ。
だとしたら――二三彦が勝てるような相手を『悪』として認識してもらう必要がある。
……そこまで考えたところで、その発想の邪悪さに嫌気が差した。
来海や吐和子と出会う前は無気力で厭世的だった、そして出会った後も二人に関わる部分以外においては概ね変わらなかったミリアではあるが、良心というものが無いわけではない。
二三彦を利用し、他の生徒を殺させる。
そして二三彦に新たな『能力』を身に付けさせる。
いわばロールプレイングゲームにおけるレベリング――それを、実際に生き死にが発生するこの生徒葬会においてやろうとしているのだから、嫌気も差そうというものだ。
しかし、自分は生き残ると決めた。
来海や吐和子の思い出と共に、少しでも長く生きることを。
だから、二三彦を利用してでも勝ち続けなければならない。
二三彦も、ロールプレイのために自分を利用しているのだから、お互い様だ――と、割り切るしかなかった。
とはいえ、自分は守られている側。
その負い目は、どうしてもあった。
……友達同士なら、そんなことを気にせずに、お互いに助け合えたのに。
今は亡き二人の親友に思いを馳せながらも、ミリアは浮かびかけた迷いを振り払うように言った。
「アーサー、私を『悪』から守ってね。ヒーローらしく」
その言葉に潜む打算を、二三彦がどこまで見抜いていたかは分からない。
だが、二三彦はこちらを僅かな間じっと見つめた後で、シニカルに笑って応えた。
「ああ、どんな敵からも守ってみせるさ。ミリア」