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第三十話 決戦

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【8日目:昼 北第一校舎二階 廊下】

 暁陽日輝が二階に辿り着いたとき、まず感じたのは産毛が逆立つような冷気だ。
 それが、これから東城要と再び相まみえることによる緊張感に起因する精神的なものではなく、実際に冷気が廊下を覆っているのだということにはすぐに気付いた――あまりにも寒すぎるのだ。
 そして同時に気付く、根岸藍実の『通行禁止(ノー・ゴー)』は、この冷気すら遮断していたのだと。バリアを挟んでも音は聞こえるので、空気も流れているものだと思っていた。
 ――いや、完全に空気を遮断しているのだとしたら、藍実がごく短い間バリアを解除したりしているとはいえ、バリアに覆われている一階はすでに酸欠状態に陥っているはず。もしや、『能力』による明らかに異常な冷気のみを遮断しているのか? そしてそれに、藍実は気付いているのだろうか。何より、若駒ツボミは。
 ……わからない。
 わからないが、今は考える必要の無いことだ。
 自分はいずれツボミとも対峙しなければならないだろう。
 しかしそれは今ではない。
 今、自分が戦わなければならない相手は、この先にいる。
「陽日輝! どこに行ってたんですの!?」
 廊下の突き当たり、三階への階段を半ば転がり落ちるように、四葉クロエが降りてきた。その表情は明らかに狼狽している。
 この凍てつくような寒さの中でさえ汗を流しながら、クロエはこちらに駆けてきた。
「大丈夫か!?」
「これが大丈夫に見えまして!?」
 クロエはそう言って、ボタンをすべて外している状態のブレザーを掴んでめくってみせた。
 彼女はウエストポーチを身に付けていて、ポーチのベルトの数か所にカラビナを付け、そこに350mlサイズのミニペットボトルをぶらさげているようだった。しかしそのすべてが、空になっている。
「私の『硬水化(ハードウォーター)』はあの男と相性が最悪ですわ――! 水の刃も水の弾丸も凍らされて落とされるんですもの……!」
「でも無事でよかった――ごめん。東城はどこにいる?」
「すぐ来るはずですわ。でも、もう一人の取り巻きは仕留めたので、これで二対一ですわ」
「そうか――」
 そこで陽日輝は、あの教室から逃がした星川芽衣たちのことに思い至り、周囲を見回した。一階には降りれないはず、そして少しでも東城から離れようとしたなら、三階ではなくここ二階にいるはずだ。
 実際には『通行禁止』で不可能になっているのは一階に降りることのみで、窓からなら外にも出られるが、そのことに芽衣たちが気付いているとは限らないし、文字通り丸腰の状態で、生徒葬会真っ只中の外に逃げるのも危険だ。
 だから、このフロアのどこかに隠れている可能性が最も高いはずだが――
「……なあ、クロエちゃん。東城に捕まってた女子たちは――」
「――知りたいか? 暁」
「「……!」」
 突如聞こえた第三者の声に、陽日輝とクロエは一瞬顔を見合わせ、それから声がした方向に同時に視線を向けていた。
 三階から、東城要が下りてきている。
 『氷牙(アイスファング)』による冷気を放出し続けながら、堂々と。
 一対二という状況になったにも関わらず、その歩みには、表情には、一切の恐怖や緊張が見られない。
 この男は最低最悪の人間性だが――それでも、生まれついての支配者の器であることは、認めざるを得なかった。
「そのクロエって女もなかなかやるが、俺の敵じゃねえ。暁、俺はお前に興味が湧いてるんだ。もう逃げたりしないでくれよ? そうでないと――アイツらが、どうなっても知らないぜ?」
 東城は。
 ポケットからおもむろにスマートフォンを取り出し、少し操作してからこちらに画面が見えるよう突き出してきた。
 そこに映し出されていたのは――長方形の巨大な氷に首から下を閉じ込められた、芽衣たち四人の姿だ。
 あまりの冷たさに唇は青紫になり、肌は不自然なまでに白い。
 このままでは死の危険があることは、一目見ただけでわかった。
「な――!?」
 クロエが唖然としている。
 どうやらクロエも知らなかったらしい――となると、自分が一階に退避し、クロエがもう一人の取り巻きと戦っている間に、東城は逃げた四人を探しだし、氷漬けにしたということになる。
 しかし――ここまでの出力があったのか、コイツの能力は!?
「そんな――それだけの氷、すぐに用意できるはずが……!」
「そりゃすぐには用意できなかったぜ? ただ、お前らが来る前からあらかじめ用意してたモンなら関係ねえだろ? 三階の教室に運び込ませてた風呂桶に、あらかじめ水を張ってたんだよ――何日も風呂に入ってねえ女を抱きたくはないからな」
「Shit!!」
 クロエが目を剥いてそう吐き捨てる。
 東城はそんなクロエを意にも介さず、悠然とスマートフォンを仕舞いながら、「さあ、どうする?」と訊いてきた。
「暁、俺はお前を買ってる。この生徒葬会を勝ち上がってからも良い付き合いができると思ってるんだ。お前が俺に付くなら俺は歓迎する。この女たちだって、このままじゃ死ぬぜ? もっとも、最終的には三人しか生きて帰れねえ以上、そのうち死んでもらうことにはなるけどな」
「……そんな誘いを、俺が受けると思ってるのかよ」
「どうだろうな。しかし、お前がコイツらを見捨てられない甘い奴なのは分かるぜ? さっきも、コイツらをわざわざ逃がしたよな。よりにもよってこの俺と戦いながら。そんなお前が、コイツらをみすみす死なせられるか?」
「……そうだな。死なせたくは――ないさ。クラスメイトだっているんだ」
 氷漬けにされた四人の内の一人、星川芽衣は、明るくて活発、友達も多い――そういういわゆる『いい子』だった。
 陽日輝とは別に友人同士ではなかったが、それでもクラスメイトとしての交流はあった。彼女に対し悪い印象はまったくなかった。
 普通に友達と笑い合い、テスト前には憂鬱になり、部活で汗を流し、帰りにどこに寄ろうかなんて話をしながら下校していく――そんな、普通の女子高生だった。
 そんな彼女の尊厳を踏み躙り、欲望の捌け口として利用した東城たちへの憤りは、今このときも消えてはいない。
 だけど――それでも。
 自分は、この男に大人しく従うわけにはいかない。
「――だけど、お前の言った通りだよ。最後には三人しか生きて帰れない。そしてその枠を誰かに譲るつもりは、俺にだってない。だから俺は――お前の下には付かない」
「……ははっ、いいツラだ。もっとも、内心相当堪えてるだろ。お前は他人を切り捨てることに慣れてねえ。そういう人間は、たとえそうしなければならない状況でも、その決断に苦悩しちまう。それが隙になり弱さに繋がる。クロエのほうは分かるだろ? お前は俺と『同じ側』だ」
「……ええ、分かりますわ。私も正直、この期に及んでの陽日輝の甘さには辟易していますの。でも――私はそういうの、嫌いじゃありませんのよ」
 クロエは、そう言って。
 胸ポケットからペーパーナイフを取り出し、左人差し指の腹を切った。
 滲み出た血の滴が、音もなく廊下に落ちる。
「私の『硬水化』は液体であれば真水である必要はありませんの。私はまだ戦えますわ。――陽日輝、あの子たちを助けたいのでしょう? なら一秒でも早くあの男を倒すことですわ」
「クロエちゃん――――」
「すでに分かっていると思いますけど、私はいわゆる善人ではありませんわ、陽日輝。私はあなたと凜々花がこの校舎のすぐ外で、あの二人組を倒すのを見ていましたの。それであなたたちに利用価値を見出して協力を申し出たのですわ」
「! アイツらか――!」
 自動追尾で四肢を貫く『死杭(デッドパイル)』の使い手だった焔とその相方である水夏――元はといえば今の状況は、あの二人との戦いで深手を負い、治療のためこの校舎に足を踏み入れたことから始まっている。
 クロエはあの戦いをどこかから見ていたということか――突如として現れて自分を助け、さらに共闘まで申し出てくれた理由がようやく分かった。
「でも、今は少し違いますわ、陽日輝。あなたは利用するには少し頼りないですもの。それでも――癪に障りますが、その男とある意味同意見なんですわ。私もあなたに興味が湧いていますの――だから共に戦いますわ」
「……ありがとう」
 陽日輝の中で、クロエに対して抱いていた微かな疑念が晴れる。
 それと共に、自分でも驚くほどの活力が、胸の内に宿ってきていた。
 凜々花と一緒に数々の状況を切り抜けてきたときと同じような感覚。
 この悪夢のような生徒葬会という状況の中で、信じられる誰かと一緒にいられるということ――それがどれだけ心強いことかを、陽日輝は改めて感じていた。
 『夜明光(サンライズ)』を両の掌に宿し、構える。
 それを横目に見て、クロエは微笑み――そして同じように、血の流れる左手を顔の前にかざすようにして、構えを取った。
「行きますわよ――陽日輝」
「ああ、頼むぜ――クロエちゃん」
 そんな陽日輝とクロエを交互に見て、東城は「はあ」と失望したように息を吐いた。
「友情ごっこほど見てて興醒めするモンはねえな。――ただ、覚悟はできてんだろうな、暁。お前を買ってるってことは、それだけ脅威だとも思っているということだ。俺を敵に回す以上――ここからは俺も完全に本気だ。お前を舎弟にするのは諦めた。お前には死んでもらう」
「――上等だ。俺は最初から、お前には死んでもらうつもりでいたからな」
 陽日輝は、廊下に漂う冷気と東城自身の放つ威圧感とを押し返すように、力強くそう言い切って。
 そして、廊下を蹴って駆け出した。
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